第28話:黒翼の轍

【クロ】


 始まりを告げたのは母の黒い翼の羽ばたきからだった。

 幾つもの羽が抜け、翼によって生まれた風が木々の葉を揺らし、そして抜けた羽を舞い上がらせる。

 薄暗い森の中をさらに黒く染めていき、視界を奪われていくことに敵もまた悠長に待っているつもりはないらしい。

 まるで猪突猛進な猪のように、馬頭ばとうと呼ばれた馬頭の男は持っていた巨大な両刃の斧を持って走ってくる。


「させ、ません」


 すぐ近くに張った糸を引き千切れば、馬頭の足許の地面が捲れ上がり、鋭く尖らした動物たちの骨の落とし穴が現れる。

 落ちた者を串刺しにする穴を前にして敵が驚くのも束の間、さらなる一手として次の罠を動かし、大量の尖った枝と共に落ちてくるのは北の森から切ってきた幾つもの巨木だ。

 その重たさは獣人たちが十人以上の力を借りて動かした物であり、仮に力自慢のタエさんやオウカでさえも個人では動かせない。

 だが―――


「見え見えなんだよ!」


 ―――単純な罠とはいえ、馬頭は最初から判っていたのかと思うほどに見事に避けきってしまう。

 落とし穴を直前から力強く跳び越えたことで頭上から降り注ぐ巨木さえも通り過ぎた。

 馬頭を巻き込むことなく穴へと落下していく巨木たちを背に、馬頭はさらに跳躍した状態で手に持った戦斧で前方を斬る。

 そこには暗い森の中では効果的な蜘蛛の糸で作られた捕えるための罠があったが、それすら看破して対応してみせた。


「フハハハ! 甘ぇ甘ぇ! この程度じゃオレ様の足止めにもならねぇぜ? 所詮は女の浅知恵だな!」


 歯茎が見えるほどの高笑いをしながら、こちらを嘲罵ちょうばすると共に前進しようとするが、その瞬間こそが男の油断を生み出すという目的だった。

 黒い羽や木々の葉が舞う中を進もうとした馬頭の顔面を蹴り上げたのは母だった。

 その速度は疾風にして蹴りの威力は迅雷の如し。

 的確に正面から蹴り上げた足によって馬頭の巨体が持ち上がり、空中にて身を翻した母のさらなる蹴りによって腹を打ち付けられた男は避けたはずの穴へと盛大に落とされた。


「娘らが用意したお前の墓穴だ。寝心地はどうだ?」


 落ちた巨木を折るほどの勢いで穴へと落ちたため土煙が舞い上がる。

 穴の中は動物の骨も入っているため、叩きつけられたことで運が悪ければ首や腹を貫通する可能性もあった。

 だが―――


 ぶおんっ!


 ―――そんな音が聞こえるほどに、煙の中から素早く伸ばされた巨大な手が伸ばされるが、母は足蹴にしてその場から離れた。

 瓦礫の山から姿を見せる馬頭は所々に怪我を負いながらも、それは精々が切り傷程度でしかない。

 分厚い筋肉の所為なのか鋭利な骨程度では致命傷にはならないらしい。


「腹への一撃は効いたぜ……ちょいと肩叩きには丁度いいかもしれねぇな?」

「肩に困っているのなら無くしてやろう。へし折って引き裂いてやる」


 宙に舞っていた母は、一度大きく翼を羽ばたかせると笑う馬頭へと向かって蹴りを放ち、馬頭もまた拳で迎え討つ。

 その衝撃は周囲の木々を強く揺らし、衝突音はもはやただの人や獣人、恐らく弱い妖魔でさえも近づくことを躊躇うほど大きい。

 だが同時に母の活躍により私への注目を避けることができ、気配を隠し、足音を殺して標的へとゆっくりと近付ける。

 母と馬頭による攻撃によって風が生まれて木々を揺らし、また草木を踏む音や呼吸音や笑い声によって私の存在は限りなく消えていった。

 空気の中に溶けていくように。戦場から消え去るように。世界から見えなくなるように気配を隠して進み続けていき―――


「ほっほっほ。そうはいきませんよ?」


 ―――もっけと呼ばれたふくろうのような妖魔の腕を、背後から掴もうとした瞬間に逃げられる。

 完全な死角だと考えて気配を断ってもなお、その妖魔は見切ってみせた。


「私の目はアナタのような熟練の暗殺者すら見つけることなど容易いのですよ」

「……罠を、見破ったのは……あなた?」

「その通り! 私が見つけ、彼が壊す。私達が手を組めば鬼に金棒なのですよ」

「そう……じゃあ、正面から……殺し、ます」


 頭上に生えた木の枝を掴んでもぎ取り、三尺ほどはあるかと思う太い枝を即席の棍棒として用意する。

 細い枝を取り払って手にした棍棒は軽く、しなりがあるため細い方を持って振れば多少の重さは得られるはずだ。


「ほっほっほ! そんな枝で私を倒せるとでも? 愚か愚か。獣の骨でも取って来ては如何です?」

「……必要、ない」


 枝を両手で持ち、ゆっくりと歩き出す。

 こちらの遅々とした動きに笑みを深めた男は腰に差していた刀をわざとゆるりと引き抜いていく。

 その瞬間を見逃すものなど居ない。両手で持っていた枝を片手に持ち替え豪速にて投げつけた。

 風を巻き込みながら横回転し、枝のしなりが回転を増幅させ、枝の先を鋭く尖らせたことで触れたモノを切り裂く刃となっていた。

 触れた木や葉、枝を軽々と伐採しながら進んでくる鎌となった枝を見て、もっけは大きな目をさらに広げて驚きながらも回避行動に移る。

 刀と同程度の長さに棍棒のような大樹の枝の大きさ、それに先端はもはや刃と化している。

 刀が振るう速度で切れ味を鋭くするのであれば、その凶器は肉体を切り裂くことなど用意であろう。


「なんと野蛮なっ!?」


 視界を奪うほどの強襲にもっけは咄嗟に横へと飛び込むように寝転んで、頭上を恐ろしい風切り音が通り過ぎるのを待っていた。

 そうなることを予想していればやることは単純だった。


「死んで、下さい」


 罠へと繋がっている糸を引っ張り、最初の罠として捕縛用だったの蔦の網が上から落ちてくる。

 その網には森に生息する毒性の茸など磨り潰した物や毒性の生物の粘液などを付着させた網だった。触れるだけで確実に皮膚は被れ、目や口など粘膜接触すれば藻掻き苦しみながら死ぬだろう。

 もちろん藻掻けば藻掻くほど網に絡まり逃れられなくなり死に至る。


「悪趣味ですなっ!」


 体勢も整わないまま転がり避けるが、先程投げた凶器は敵に中ることを願って投げた訳ではない。

 仕掛けていた罠の糸を幾つも切り裂き、発動させるための第一の罠だったのだ。

 ゆえに―――


「なんだぁ!?」

「なんですと!?」


 ―――この一帯の全てを巻き込むような膨大な罠が発動する。

 幾つもの矢や石が放たれ、里で破棄されていた刀や加工された動物の骨が落下し、猛毒の網や落とし穴が現れる。

 そこに母も自分も、敵も味方もありはしない。全てを巻き添えにする一手は仮に見えていようとも逃げられない。

 特に母と戦っていた馬頭は猛毒の網を幾つも身体に付着させたことで、じゅうじゅうと焼けるような痛みと皮膚が変色していった。


「い、痛ぇ! 痛ぇぞこりゃあ!?」


 喚き暴れればより絡まり、さらに幾つもの裂傷から猛毒が体内に回っていく。全身に及ぶ激痛にさらに暴れる馬頭は更なる切り傷を作っていく悪循環へと放り込まれる。

 そして母もまた周囲から襲い掛かる罠を幾つも避けていく。

 羽が網に触れれば切り離し、刀の刃が羽や皮膚を切り裂き、避けられない物は打ち落とした。

 瞬時に判断して間一髪で対応していく母は流石と言う他ない。


「この……程度でぇっ!」


 母に比べもっけは致命傷を何とか避けるのに精一杯の様子だった。

 怒涛のように降ってくる刃たちに肉を切り取られながらも避け、足や手に突き刺さる動物の骨など苦しみながら猛毒網を避けていく。

 また地面を転げるもっけの前に現れた落とし穴を前にして硬直すれば、その瞬間にも切り傷を増やしていった。

 私もまた巨木を背にしていたが、幾つもの罠が襲い掛かる。

 猛毒の網に捕らえられ、身体を切り裂く矢や刀、骨なども襲い掛かるが産まれながらにして毒を中和できるらしく網はただの網としての効果しかない。

 また多少の切り傷程度であれば、あとで皮膚を剥がせば幾らでも治せるのだ。

 母はあの落とし穴を墓穴と言ったが、私から言わせればだった


「貴方、がたには……必ず、死んで……貰いますね」


 巨木を背にして猛毒網に囚われ、身体を切り刻まれながらも……周囲の右往左往している姿に薄く笑みを浮かべるのだった。

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