第27話:熊人対人虎
【タエ】
北の森へと続く道に数えるのも馬鹿らしくなるほどの、人間の死体の山がうず高く積み上がっている。
まるで死体の山脈のように幾つもの山が出来上がり、また数頭の熊が人間たちの抵抗によって返り討ちにあった。
死体のほとんどは原形を保っているものは少ない。死体となっても踏み潰され、噛み砕かれ、引き裂かれた彼らは熊たちの戦利品だった。
「た、たすけげぇ!?」
尻もちをついて涙を流して命乞いをする男を頭から唐竹割りにする。
左右に切り分かれたことで血が噴出し、その血を浴びたことでまた服が重くなった。
着物の色もすでに元が何色だったのかも分からなくなるほどの血を浴びて、幾つもの臓物が新たな柄へと名乗り出ようとする有様に不快さを感じて眉を顰めた。
「まるで……死体の川ね」
血振りをして周囲を見渡せば一面に広がる死体たち。雑木林に逃げた者も熊たちの追跡から逃れることは出来なかった。
鎧や刀など重い物を持って逃げるなど人間の脚力では平地ですら難しく、しかも森の中では熊たちの領分にして住処だ。逃げられる道理はなかった。
幾つもの死体をこの世に焚べようとも、未だに心が晴れることはない。悲しみを拭い取ることも怒りが消火されることもない。
ただ大太刀を振るう獲物が消えただけの場所に、なにひとつとして感慨深くなる要素は見当たらなかった。
「これで……終わり」
「そうはいかん」
遠くから投げ飛ばされてきたモノが遺体の山へと直撃し、遺体の山はその衝撃で大きく崩れ落ちた。
幾つもの骸に押し潰されて隠れてしまったが、その手足から見るに仲間の熊一頭だ。
逃げた人間を追い掛けた熊を倒し、その死体を投げ飛ばしてきたのだろう。
さらに、突然の声に咄嗟に腕を前で交差して防御をした所に一瞬だけ見えたのは黄色の毛並みをした太い脚だった。
「っ!? キャッ!」
その勢いは凄まじく、堪えることなど出来ずに吹き飛ばされる。
身体が後方に吹き飛ばされ、死体の川を越えて森の木々に背中を打ち付けられて止まる。
肺から抜ける空気。背中に感じる鈍痛と腕に感じる痛みに目がチカチカする。
ボヤける視界に一瞬理解が追いつかなかったが、それでも何者かの襲撃なのは間違いないと大太刀を構えて遠くに立つ襲撃者を見据える。
「……いったい、何者?」
少しふらつく足に力を入れて、しっかりと敵がいる方向を見れば襲撃者が四頭の熊たちに襲い掛かられる所だった。
しかしそれも一瞬。襲い掛かった熊の前後左右からの攻撃に襲撃者は当たり前のように対処する。
左右からやってきた大振りの腕を掴み、吶喊してきた熊同士をぶつけ合わせ、勢いがなくなった瞬間に頭を叩き潰す。
さらに前後から襲い掛かろうとした熊には、背後を見ずに攻撃のために出した腕を取って前へと投げ飛ばして前方から来た熊へと叩きつける。
そして地面に倒れた熊の頭部をすかさず踏み潰して勝利を納めた。
圧倒的な力の差に他の熊たちは萎縮し、じりじりと唸りながら後退っていくのを見ながら呼吸を整える。
ハッキリとしてきた視界に映るのは圧倒的な実力差で勝敗をつけた男の姿だ。
遠目からでも分かる筋肉質な胸板。地面を踏み締める足は太く、腕もまた足と同じく熊の程はありそうな太さ持つ。
さらに手にも足にも鎧など簡単に引き裂いてしまいそうな爪を持ち、肌を隠す黄褐色の毛は全身に至り、その顔はまさしく虎そのものだった。
「……人虎」
襲撃者の男が怯える熊の前を悠々と通り過ぎ、金色に光る両眼で敵と見据えたのは私だけだった。
構えた大太刀を震えることなく敵から脇へと構え直し、足へと力を入れる。
そしてそれは相手も同じく迎え討つ気なのか段々と歩きから走りへと速度を変えていく。
もはや周囲の熊のことなど顧みず、一直線に向かって来るのを撃退するために最初の一歩を踏み出した。
血によって湿った地面が砕けるほどの踏み出しは距離としては大したことはない。だが二歩目の地面の踏み込みに体重を預け、構えた刀を下段より逆袈裟に斬り上げるのと加速した人虎の殴打が衝突する。
「「か嗚呼あアアあっ!」」
互いの雄叫びが拳と刃が拮抗させるのか。拳と刃がぶつかり生まれた一瞬の突風に髪が舞い上がり、受け止めた拳の重さに握る刀が震える。
「我が拳を受け止めるか。どれ、遊んでやろう」
「っ!」
互いに弾かれるように離れた直後に、人虎の猛攻が襲い掛かる。
両腕両足を使った変幻自在の攻撃にして一撃一撃が重たく、そして鋭く急所に向かって繰り出される。
顔や鳩尾などを狙った一撃のあとに、即座に膝や肘などの関節破壊を狙った一撃がやってくるのを防ぐ。
「ふん。防戦一方だな。大太刀などという鈍重な武器では俺を止めることなど出来んぞ!」
下から振り上げられた拳を何とか防いだが、その反動で大太刀を持つ手が上がり、さらに大太刀という長い刃を持つ故にその刃先が周囲の木々に突き刺さる。
「獲った」
人虎は一撃で仕留めるために拳を構える。拳という己の肉体を使った武器のため近接戦においては刀などよりも早く次の攻撃に移れる。
その優位性をさらに底上げしているのは男が人虎であることだろう。
ただの人間が刀と打ち合うことなど出来ない以上、拳を鍛えるならば刀をどう振るえば効率的なのかを考えるものだからだ。
迫る拳はまさしく最短最速の必殺技。ただ殴る蹴るということだけで人体を壊すことなど容易だろう。
「っ!?」
だが、その優位性を発揮するには近付かなけれならないという弱点があった。
懐から取り出した短刀を振るう。
これは私の物ではない。決死の覚悟で戦ったアキちゃんの物だ。復讐を果たすための遺品を野晒しにしておく訳にはいかず私が受け取っていたのだ。
振るわれた拳は本人の驚きによって一瞬だけ止まる。太刀などでは振り下ろした刃を途中で止めることのほうが難しいが、人体はどれほど鍛え上げても予期せぬ自体に見舞われれば停まってしまう。
鍛えれば鍛えるほどに、その停まる時間は少なくなる。だが、彼ら妖魔に己を鍛えるという殊勝な心掛けなど存在しない。
戦闘中に起きてはいけない圧倒的な隙に短刀を一閃。
「そこ、だぁっ!」
大太刀を振るうよりも軽い短刀は一瞬の隙を逃すことなく敵の腹部へと迫る。
しかし敵もまた一筋縄ではいかない相手であり、避けるために足から力を抜いて後方へと転がる。
一秒にも満たない一瞬に、短刀は敵の腹部を浅く斬り付け、敵の拳は地面へと吸い寄せられ、まるで足のように力強く大地を突いて大柄な身体で受け身を取らせた。
さらにこちらとの距離を離して態勢を整えようとしたのを見て、腰帯に短刀を差して今度は木に刺さった大太刀を力任せに振るう。
「死、ねっ!」
切断される周囲の木々など構うことなく、その刃は敵へと一直線に向かう。
何度も振るってきた大太刀に迷いはなく、自分の手足のように振るい続けてきた大太刀は人虎の脇腹を正確に狙っていた。
「舐めるなっ!」
しかしその刃を止めるのは敵の拳だった。木々を切り裂きながら向かってくる刃を人虎は全身の力を一点に集めるようにして拳を放つと一際甲高い音が森に響く。
それは大太刀と人虎の爪がぶつかり合った音であった。
「容赦ない一刀、見事である。だがこの程度で俺は倒せんぞ」
「死ね。疾く死ね、虎男。お前たちがアキちゃんを殺したんでしょう? なら一秒でも早く息絶えろ。絶命しろ。絶滅しろっ!」
「随分な怨みだな。捕らえた獣人どもは壊れたゆえに処分したが、その中に熊の獣人は居なかったと思うが?」
「お前たちのような妖魔にアキちゃんが殺されるものか。しっかりと蛇の妖魔と相打ちになったわ」
「そうか……魔堕螺を殺したのはそいつか。ならば死体の首でも持ち帰り、晒して置くとしようか?」
「キ、サ、マ……」
安い挑発だと頭の中では理解している。しかし心の内から湧き出てくる黒い衝動が理性を砥石で削るかのようにゆっくりと削っていき、殺意という刃を尖らせていく。
「必ズ、殺ス」
じりじりと鍔迫り合いのように火花が散るのも、気にせずに力を込めて敵をこのまま両断しようとする。
大太刀の先端の速度はもはや人虎といえど両断されかねないため、男は丁度中間の辺りで受け止めていた。
しかし、それでもなお鍛え上げられた刃は人虎の爪でなければ簡単に両断していたことだろう。
絶妙な拮抗により成り立った数秒の鍔迫り合い。
下手な動きをすれば大太刀を弾かれて襲い掛かられ、力を抜けた瞬間に大太刀が胴を上下に斬り飛ばすという状況だ。
互いの命が同じ土俵に乗り上げている状況下において、命の取り合いの一手を制するのは運だったのか。
「ふんっ!」
男が力を込めると大太刀は止めていた爪の部分から折れてしまう。
血油が乗りすぎ、また鎧などを両断し続けた大太刀は折れやすくなっていたのだ。
「これで俺の勝―――「死に晒せやぁああ!」―――っ!」
それは一迅の風を引き連れてきたのかと思うほどに速くやってきた。
剛腕に物を言わせて戦わされ続けたことで、その一撃がどれほど重いものかを知っている。
幾度も受けてきた一撃が人虎の顔面を叩き、その衝撃によって吹き飛ぶ人虎。
その場所に変わって立つのは虎の獣人―――
「よう。オレも混ぜろよ、タエ」
―――口角をあげて獰猛な笑みを浮かべるオウカの姿がそこに在った。
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