第26話:迷い森への誘い
【???】
そこには死が満ちていた。
道に広げられているのは、先に森へと向かった者たちの惨たらしい死に様をそのままに晒されていた。
頭に矢が刺さる者。首を矢が貫通し頭が落ちそうな者。鎧に幾つもの矢が刺さり絶命する者。矢の勢いに負けて木に縫い付けられる者。
その死に様は多岐に渡れど、そこに奇跡的に生きている者など居なかった。
誰も彼もが絶命しているのは間違いなく、その惨状に何人もの仲間たちが吐いた。
「畜生! 畜生! 畜生! この畜生共めっ! そんなに人殺しが楽しいのかよ!?」
昨晩に起こった火事によって焼け出され、熟睡していた仲間たちの半分ほどは人為的に起こされた火事の所為で死んだ。
藻掻き苦しみながら死んだ様や焦げた臭いは何人もの心を折って仲間を逃げ出させた。
碌な武器もないままに怒りに身を任せてきた自分たちの前に現れたのが死体の海ともなれば涙を流しながら言葉すら荒くもなる。
「獣人ってのはここまで酷ぇ奴らなのか!? ここまで酷ぇことが出来る奴らなのか!?」
「奴ら……まだ生きてた奴らにトドメを刺してやがる。生きて返さねぇつもりだぁ」
「所詮は獣……畜生共ってことさ。都に出た鬼よりもおっかねぇ……害獣だ」
焼け出された仲間たちが死者からまだ使える武器を取っていく。
勇敢に立ち向かった彼らから武器を奪うのは気が引けるが、今はその意志を引き継ぎながらこの森へと足を踏み入れ、獣人共を討ち取るべきだと感じた。
死者の海を横切り、目的の森を目の前にして息を呑む。
森は不思議なほど霧が立ち込めており、その前にはひとりの女性が立っていた。
その姿はボロボロの服に半透明、そして足が消えているではないか。
「『入ルナ……』」
そんな一言を残して女の幽霊は姿を消した。
濡れたような髪に青白い顔、冷たい視線に誰もが恐怖に身を震わせた。
「な、なんなんだ!? さっきのはっ!?」
「幽霊だっ! 幽霊が出るんかっ!?」
「ここで死んだら女の霊だ。そうに決まってる……きっと森の中をずっと彷徨ってんだっ!」
全員が見たという女の霊はすでに居ない。その姿は霧の中へと溶けてしまい追うことは躊躇われた。
誰もが及び腰になって後退るが、だからこそ活を入れた。
「待て! ここで死んだ女の霊は私にも見えた。恐らく獣人共に殺され無念のまま彷徨っているのだ」
「そ、そうか! だから入るなって言ってたんだなっ!?」
「悪霊ならば危険な森に誘うように手招きするだろう。だが彼女は私達を遠ざけようとした。何故か? それは危険だからだ。だが我々には無念を晴らす義務がある! 仲間たちの……そして彼女の無念を晴らす義務が!」
仲間たちは私の鼓舞に奮い立った。
その顔からは恐怖からの青白さはなくなり、むしろやる気に満ちていた。
目には覚悟の火が灯り、その手に握られた刀の柄を強く握り締める。
全員の顔を見れば無言で頷き、もはや何の憂いもないと目で語る仲間たちを連れて、霧が立ち込める森へと分け入った。
―――――――――
【カラ】
森へと侵入していった人間たちの後ろ姿を見ながら、憎悪で後ろから射抜いてやろうかと思って弓を下ろす。
大した腕ではないし、当てられる保証もないけれど何もしないまま奴らを通すのが何よりの苦痛だった。
結果的には森に入った人間たちは確実に死ぬことになるだろう。逃げ帰ることも出来ずに骸は森の養分に成り果てる。
「これでいい……これで」
自分の非力さを呪いたくなるのはこれで何度目かは憶えていないが、それでも確かな仇討ちが出来るのは明白だからと必死に自分を納得させた。
噛んだ下唇から血が垂れていくのを乱暴に腕で拭い、枝から地面へと飛び降りる。
「この後はどうする?」
道を挟んだ反対側の林から姿を現したのは狩人の男だ。手にした弓を背負ってきたことから弓を構えてはいなかったのだろう。
必要に迫られない限り攻撃をしないことを厳命しているのだから当然ではあったが、それと感情は別だ。
どう言い繕っても敵を討ちたいという想いが矢を番えさせることはある。
「……そうだね。今のところ人間ばかりだから何とかなってるけど、妖魔の類が来たら今のようにはいかない」
「だけど結界がある。要石の破壊はそう簡単じゃない」
「ウイさんが言うには西側の要石は壊されたみたい」
「西側がっ? どうしてそちら側から敵が……まさか都からも敵襲がっ!?」
考えられる最悪の事態に頭を振る。
都のふんぞり返る人間たちが部隊を率いてやってきたのかと思ったようだがそれはないと否定する。
彼らは妖魔や悪鬼の類を毛嫌いし、都からの追放や排除をしているうえ、獣人である私たちのことも良く思ってはいない。
恐らく潰し合ってくれる分には関わるつもりなどないだろう。
「いや。恐らく牛御前の配下らしいと言ってた。妖魔を滅することが出来るのは祓い刀くらいだし、力技で勝てるのはタエちゃんかオウカちゃんくらいでしょう」
「アクタ一家のことは分からないんですけど……タエさんは大丈夫でしょうか?」
「タエちゃんは北の森へと入る道で熊を連れて人間たちを鏖殺しようとしてるって聞いたわ。あの大太刀を振り回せるのはタエちゃんくらいでしょうけれど……」
タエの怒る姿など滅多に見ることなどない。どこに居ても追い掛け見つけ出しては折檻する様は大抵の者にとっては記憶に刻まれる恐怖だった。
サクヤ様も充分に折檻を受けたと思った頃に止めに入るが、止めに入らなければ永遠に終わらないだろう。
その執拗さも徹底振りも受ける側にとっては二度としないことを約束させるのに充分なものだ。
「どうであれ北側も西側も大丈夫だと思う。南側も攻めるには地形的に難しいことを考えると……」
「この東側が一番攻められ易い、と」
狩人の男はこちらの話に理解を示した様子で人間たちがやってきた方向を見ている。
分散して攻めて来ているとはいえその数は膨大だった。
数の理は幾つもの戦術を可能とし、攻められる側からすれば通常森を上手く利用しながら防衛するしかない。
だが、こちらは同じ人間という種ではない。獣人という人間と比較すれば体力や身体能力は鬼並みの強さを誇る種族だ。
非力な私でも五人以上の人間を同時に相手にしなければ負ける気はしない。
そして森で五人以上が同時に襲い掛かれるほどの広さはほとんどなく、獣人の身体能力を活かせば木々を跳んで渡ることなど大して難しいことではなかった。
「そのための罠でしょ。ウイさんの霧で足下なんて見えないし、周囲の仲間だって少し距離が空くだけで見えなくなる」
「奥に進めば進むほどってことですか……そいつはイイことを聴いたなぁ?」
狩人の男の口がニヤリと嫌らしく笑みを浮かべ、腰帯に差した短刀を振り抜いた。
直感に頼った一寸程の後退によって腹部の薄皮を斬られる程度で済んだ。
斬りつけられたことでさらに距離を取り、雑木林を背にして向かい合う。
「何をする?」
「ありゃまぁ失敗しちまった。今のは確実に殺せると思ったのによ」
「……裏切りか」
「当たり前だろうが。人数の差も圧倒的で、強ぇ妖魔の奴らだって居るんだ。生き残るのは誰だってどっちか分かる」
ゆっくりと短刀を構え直す男に、こっちの戦力差に辟易する。
同じ武器を持っていても獣人同士では私の力は下から数えたほうが早い。だからこそ情報をかき集めることに専念していた。
長年の意地の積み重ねで用意した矢はすでに無く、骸に突き刺さったまま役目を終えている。
「カラちゃぁん。キミは手土産に丁度いい。弱くて大事な情報を沢山握ってる。それを渡せば俺は助かるし、キミも命ぐらいは助けて貰えるはずさ」
「……獣が誇りを見失えば、それはただの畜生に過ぎなくなる。人間どもに飼われるだけの畜生になってしまう」
「それの何が悪い?」
「それが……産んで貰ったことへの冒涜だとは、思わないのかっ!」
腰帯から短刀を抜いて男へと駆け寄って抜き様に斬りかかる。
腕力差がある以上、打ち合うことなどあり得ないと覚悟を決めて男の機動力を奪うために脚へと狙いを定める。
しかしその攻撃を狙われた足を上げて避け、そのまま頭へと蹴りかかるのを寸前で通り過ぎることが出来た。
「産んで貰ったことへの冒涜? 勘弁してくれ。こんなただ広いだけの森しかない里に何の価値がある? 俺たちは都の華やかさや凄さを知ってる。美味い物も面白い物も綺麗な女も沢山いる。俺はこんなちっぽけな里で死にたくなんかないっ!」
「あんな爛れた煌びやかさに惑わされたかっ! 本質も見れないのか!」
「そんなのどうでもいい! 俺はもっと楽しく生きたいだけだ!」
何度も言葉と刃の応酬が続く。
刃を躱し言葉を交わし続けて見えてくるのは男の鬼気迫る表情だけだった。
もはや裏切りは明白な状況で、こちらを生きて返そうとは絶対にしない。動けなくして敵への生贄にするか、もしくは殺してしまうかのどちらかだろう。
「何が楽しく生きたいだ……怖くて仕方ないから尻尾巻いて逃げ出しただけだろうが!」
「黙れ黙れ黙れ! 強ぇ奴が正しいんだよ! いつでも! どこでもっ!!」
死体の上を駆け抜ける俊敏さを見せつけ、必死に握り締めた短刀を男は振り被る。
充分に速度を伴った一撃。決して受け止めることの出来ない一撃。しかし男の感情が充分すぎるほどに乗った一撃を瞬きひとつせずに見極める。
頭上から振り下ろされる刃は陽の光を浴びて輝くその一瞬に、全てを賭けた。
自らの足を一歩だけ後ろに後退し男から半身となる。
中心を狙った一撃はその分だけ狙いを逸れ、冷たい刃が頬を一直線に切り裂いていく。
しかし、同時に通り過ぎる相手の刃を避けた瞬間を狙って残った軸足を基点として後ろに下げた足をさらに下げて回転する。
そして男の刃を巻き込むように回転を加え、軸足側に残し逆手に持った短刀を男の首に当てて切り裂いた。
「な……ん、だと」
「力が足りないなら借りるだけ。そうして……勝つ」
男の身体が速度をそのままに転がり、地面に赤い血溜まりを広げていく。
藻掻くように足をバタつかせたのも少しの間だけであり、転がった拍子に斬られた傷口が広がり亡くなった。
「……バカ。勝つ気が無くなった時点で、もう貴方の負けなのよ」
死んだ仲間だった男に近づき、その目を閉じて静かに黙祷する。
例え裏切り者になったとしても、今まで共に過ごした時間までもが嘘ではないのだから。
「敵に背を向ける者も、愚かだとは思わないかしら?」
ふと、そんな女の言葉を背後から投げかけられると同時に、腹部を突き破る大きな腕が現れた。
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