第23話:死中に活を

【アキ】


 その一撃は甲高い音と共に始まった。

 闇夜の森に二筋の命を刈り取る煌めきがぶつかり合い、一瞬火花を散らして離れていく。

 しかしすぐさま闇の中で輝く銀閃は幾つも閃いて、その度に火花が散って振るう者の顔を見せていた。


「良いですよぉ良いですよぉ。小太刀は手数で勝負をしませんとねぇ?」


 最初の一歩で懐に入って立て続けに小太刀を振るうが、敵は大太刀という重い武器でありながら的確に攻撃を受け止めていく。

 最初の一撃で首を刈ろうとしても受け止められ、その後手首や胴など、身体の各部位を狙った攻撃もいなされた。

 こちらも足に怪我をしているとはいえ、それでも掠り傷も負わせられないということは敵は鬼よりも強いのか。


「重さは足りませんけどぉ、動きは良いですねぇ。狙う場所もひとつに絞っている訳ではないようですしねぇ」

「ひとつに絞って欲しかったら……首でも出せっ!」

「そうもいきません……ねぇ!」


 逆手で持った小太刀を振るい続けること都合三度。しかし容易く受け流され、さらには敵の刀が逆袈裟に斬り上げてくるのをすんでのところで転がり避ける。

 斬り上げた大太刀を勢いに負けることなくぴたりと止め、すぐに敵はくるりと一回転して草花を刈り取るように薙いでくる。

 膝を抜き、その角度は転がることで避けた私を的確に狙い追い詰めるが、腕と足の力で飛び跳ねて避ける。

 真下を駆け抜ける輝きは命を両断することが出来る一撃であり、受け止めようものなら小太刀は折れるか曲がることだろう。


「ほうほう避けますか。今のを避けるのならまだ愉しめそうですねぇ」


 舌舐めずりをしながら獲物を見るのは闇夜でも浮かび上がる黄色の虹彩を裂く縦長の瞳孔だ。

 蛇と同じく瞼が無いため正面から一瞬の隙を狙うには難しい。

 また不愉快この上ないが背面には黒塗りの鎧をつけており、背後からの奇襲に備えていた。


「アナタはどうですかぁ? 楽しんでますかぁ? ひとときの逢瀬なのですから楽しんで下さいねぇ?」

「楽しむつもりはない。この場で殺す相手に想うことなど殺意のみ」

「そうですよねぇ! そうですよねぇ! 殺意だけあれば充分ですよねぇ。そう言われるのは分かっていましたよぉ? アナタのお仲間が教えてくれましたのでねぇ?」

「……なんだと?」

「アナタのお仲間に脱皮体験をさせてみたり、色々と尋ね方を変えて訊いてみたら教えてくれたんですよぉ。?」


 蛇の男、魔堕螺まだらに名を呼ばれた瞬間に放たれた弓のように飛び出した。

 地面に自分の足跡がくっきりと残し、傷ついた足から血が噴出することさえ気にも留めず、目の前に立つ外道を絶ち切るために飛ぶ。

 構えた小太刀の柄を強く握り締め、迎え撃つように上段から振り落とされる大太刀を受け流す。

 刃と刃によって互いを削り合いながら離れ、大振りに放ち、なおかつ大太刀では態勢を整えることさえ出来ない。

 その一瞬だけ生まれた隙を逃すほど甘くはない。

 握り込んだ小太刀を振り上げ、敵の頭に目掛けて振り下ろす。


「甘いですねぇ」


 それを防いだのは下から伸びてきた魔堕螺の左手だった。

 大太刀に添えられるように握られていた左手は、受け流された瞬間にはすでに離れており、小太刀を握った左手の手首を掴まれ止められる。


「まず、ひとつ」

「ぎっ、ぁあああああああっ!」


 掴まれた左手が容易く握り潰され、痛みによって小太刀を手放してしまう。

 骨が粉砕され血管が断裂し、肉と皮が破裂する生々しい音に魔堕螺は愉悦の笑みを深めていく。


「ああ! ああ! 良いですよぉ! 実に良いですよぉ! その品の無い苦しみに涙する顔はっ! 今にも千切れ落ちそうな使い物にならない手なんて要らないですよねぇ?」


 魔堕螺は人間の人体では決して開くことのない限界を超えて口を開き、口内にズラリと並んだ鋭利に並ぶ歯を見せつけながら左手を噛み千切った。

 噴出する血と激痛に声にすらならない叫びをあげて暴れ、血によって滑ったため魔堕螺の手から抜け落ちる。

 地面に足をつけた瞬間に小太刀を回収し、地面を転げ回りながら敵から距離を取った。


「ふぅっ……ぐっ……!」


 ぼりぼりと噛み砕く音とぐちゃぐちゃと肉を咀嚼する音が夜の森に響く。

 不快な音を聞きながら、無くなった手首から先の血を止めるために、腰帯を解いて痛みを堪えながらできる限り縛り付けて止血する。

 痛みに涙が自然とこぼれ落ち、足には片足が傷ついていることを除いても力が入らない。

 それでもなお、戦意だけは一層強くなって小太刀を握る手は自らの身体の一部のように感じられた。


「おやおや。片手を失い、片足には怪我。血を失って意識も少し混濁気味のようですねぇ。それでも戦意は無くなりませんかぁ? いやはや、頑張りますねぇ。そんなアナタには親指ぐらいならお返ししましょうか?」


 口の中から大量の唾液が付着した産まれてから決して離れたことのない指を見せつけるように、魔堕螺は親指を自らの長く細い舌に巻き付かせて取り出してみせた。

 奴の歯によってズタズタに引き裂かれた私の手のほとんどが奴の胃袋へと落ち、すでに残ったものは奴の口からチラリと覗いた物と、ゆらゆらと揺れる舌に巻かれた親指程度だろう。


「ふざ……ける、なぁっ! 私はっ……お前を、殺すっ。必ず、殺すっ!」

「怖いですねぇ恐ろしいですねぇ。次は足を切り飛ばして味を見てみましょうねぇ。もしも邪魔でしたら両足と残った片手を切り取りましょうねぇ。生きて子宮があれば子は作れますから充分ですよねぇ? 四肢なんて邪魔なだけですよねぇ?」


 全身の毛が逆立つような怒りが全身に満ちていく。

 こいつは他者を、特に自分よりも弱いと思う者は全てが玩具や道具にしか見えていないのだ。

 痛めつけて壊すことに快感を覚える外道を里に、サクヤ様に近付けることは絶対に出来なかった。

 たとえ左手が失われていようとも、片足に力が入らなかろうと、大量の血を失い激痛に苛まれていようとも、相手の力量が自分よりも秀でていようとも。

 たとえ、この場で死ぬことになったとしても……眼の前の外道だけは道連れにすることだけは誓う。

 残った右手に小太刀を握りしめ、態勢を低くして獲物の動向を注意深く観る。


「これこれこれですよぉ。素敵な熱視線です。思わずその首を斬り落としたくなりますねぇ。剥製にして飾っておきたいくらいですねぇ。でも―――」


 魔堕螺が大太刀を脇に構える。

 剣先を後ろに下げて刃長を分かり難くさせる構えは奇襲にせよ、こちらの攻撃を誘っている反撃狙いにせよ、どちらにも迎え討てるようにしている。

 下手な攻撃ならば捌いて止めを刺し、こちらが待ちならば奇襲を仕掛ける気だろう。

 こちらは時間が経てば経つほどに血が抜けて、意識を失う可能性が高い。

 ならば私が相手の動きを待つ理由など無い。

 ゆえに、最初に仕掛けたのはもちろん私だった。

 奴の周囲を駆け回り、こちらの姿を撹乱させる方法を取る。

 奴の顔が蛇と同じであれば、奴の視力は決して高いほうではない。

 馬とは違い奴の視界は後方を見るには人間と同じように振り向かなくてはならない。


「ほうほう? やはり撹乱と来ましたか」


 瞼の無い魔堕螺は一瞬視界が遮られるということはない。一度目に捉えることが出来ればあとは追うだけでいいため、完全に視界から外れなければならない。

 そのため常に全速力で、持てる限りの力を振り絞り、左腕からの出血が酷くなろうとも止まることは許されない。

 また地面を駆けるだけでなく、時に木々へと飛び移ることで前後左右から上下へも視界を誘導する。

 数十秒に至る時間をかけることで魔堕螺の目で追う速度を上回り、ついに魔堕螺は私を目で追うことを諦め大太刀の切っ先を地面にあてて力を抜いていた。

 すでに型も何もあったものではないが、先程の左手のような例もあるため油断など毛頭なかった。

 敵との力量差は間違いなくあり、そこで競い合うことなど愚の骨頂でしかない。

 そもそも競い合うことなど何もない。ただ敵を一瞬でも上回って敵の命を奪い取る。勝利をもぎ取れればそれで良かった。


 もしも、この夜の日の彼女を里の者が観たならば語るだろう。ついに彼女は忠犬でもなく狂犬でもない。正真正銘の猟犬へとなったのだと。


 夜を焦がし続ける地上の炎に焼かれて、悶え苦しむ人間たちの叫び声が消えた頃、星々や月が黒煙によって遮られて暗闇が満ち満ちた頃に、猟犬わたしは動いた。

 飛び移りながら斬り落としていった枝を、敵の顔へと幾つも投げ飛ばし、口に銜えた小太刀を手に持って背後から奇襲を仕掛ける。

 幾つもの枝が魔堕螺の顔へと四方八方から狙ってくるのを、魔堕螺は刀を持っていない左手で顔を隠すように守る。

 自らで視界を捨てる隙に乗じ、間髪入れずに飛び出した。

 狙うは敵の背後。視界という光が届かぬ闇の中を駆け抜けて、魔堕螺の背後に滑り込み、奴の鱗混じりの首へと狙いをつける。

 その速度はまさに疾風。人間では目で捉えることなど適わない速さでもって、魔堕螺へと飛びかかった。


「獲ったっ!」

「残念残念ですねぇ。奇を衒った欲しかったのですが」


 ただ立っていたように見えた魔堕螺の脇から、大太刀の長い刃が顔を出す。

 それは的確に残った右手を腕ごと刈り取ろうとする無慈悲な刃として現れ、奴の首を刈り取るために飛び込んだ所為で私は吸い込まれるように右腕を切断された。

 だが―――


「間抜けがっ!」


 右手に小太刀は握られてなどいない。

 小太刀を持っているのは切られた左手に巻き付けた腰帯に挟んでいたのだ。

 切り飛ばされた右腕から血が噴出しながらも、左手に巻き付けた腰帯に挟んだ小太刀の刃を魔堕螺の首へと叩き込む。


「ぐぎっ!?」

「その首ぃ……寄越せぇえええっ!」


 雄叫びと共に奥まで押し込み首を貫通させる。この小太刀もまた里で作りし妖怪悪鬼に効く祓の刀のひとつ。

 人間に対してはただの小太刀に過ぎないが、敵が妖怪や物の怪の類であれば決してただでは済まない必滅の一刀となる。


「きさ、まぁあっ」

「これで、死ねっ!」


 貫通し、首に突き刺さった小太刀に対して落下の間際に蹴りを入れる。

 その結果横へと力が入った小太刀は、その力の向きに逆らうことなく回転し、魔堕螺の首を刎ね飛ばしたのだった。



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