第22話:闇夜の一戦

【アキ】


 本来であれば寝静まった森は静かなもの。闇が一層深まる夜の森に入りたがる者など誰もいないため、里の子供でさえも夜の森には入りたがらない。

 だが―――


「逃げろぉお! 火だっ! 燃えてるぞ!」

「な、なんだっ!? なにが起きてるっ!?」

「あ、熱いっ! 熱いっ、燃えてるっ! 俺、燃えてるっ!?」


 ―――自分たちの寝所が火の彩られれば逃げ出すほかに無かった。

 彼らは慌てふためきながら仲間を起こしては逃げ出し、また逃げ遅れた者の皮膚が焼ける臭いが漂う。

 幾つもの悲鳴と悪臭が森の中にまで木霊し、近くの村を占領していた人間たちを追い払う。

 加えて文字通り連中の中から幾つか寝首を掻き、警告として晒し首にして置いてきたことで、生き残りさえも戦意を失うはずだ。

 そして、不運なことに私のほうに逃げ出してきた数名はすでに足許で事切れている。


「これで、四つ目……他に散った班も上手くやれてれば八つは出来ているはず」


 私達が放った火矢によって燃え盛り、村が火に包まれる様は想像以上に恐ろしい光景だった。

 焼け崩れる家は逃げ遅れた者を圧し潰し、火の粉が逃げた者の服に移りその身を焦がす。

 誰もが逃げるために必死であり、村の出入り口に置いてきた首のない死体で障害物を作ったが驚いた男たちが背後からやってきた者たちに倒され、踏み付けられ、運悪く首の骨を折られて死んだ。

 寝ていた男たちは自らの鎧が高温によって触れないため持ち出せず、さらには服が火によって燃えてしまい裸で逃走する者たちが多かった。

 刀だけでも持って逃走する者が数名いた程度で、それ以外の者たちは危険な森に入るのに何も着ず、何も持たずに侵入した。

 この近くには腹を空かした動物たちも多くいるというのに。


「これで少しは奴らの戦力も削れた。あとは明けないうちにサクヤ様のもとに戻るだけね」


 黒煙が立ち昇る空を見れば、その黒さは煙と同等とも思えるほど暗く、空が明るくなるまで時間がそれほど無いのを教えているかのよう。

 そして煙によって星々が見えなくなり、この周囲一帯は暗闇が一層濃くなっていた。

 闇に紛れてこの場を離れるにはうってつけの状況。

 恐らく他の班もこちらに合流する頃合いだろうと、撤収の準備を始めた時―――


「おやおや。どこへ行こうとしてるんですか?」


 ―――ほんの一瞬聞こえた風切り音に身体を伏せたことで、後方にあった木が代わりを務めて悪臭とともに溶け出した。

 風切り音の正体は毒によってやじりが黒く変色した矢だった。木は突き刺さった内部から溶け出し、皮を溶かして抉り取り、そして矢は地面に落ちた。


「ほうほう。今の避けますか。人間なら素直に当たってくれたのに。内側からドロドロに溶けて苦しんでくれたのに。やはり獣人族の身体能力は高いですねぇ」


 矢の飛んできた方向を見ても襲撃者の姿は見えず、森に反響するように響く声の所為で位置の特定も難しい。

 だがこの暗闇の森の中で正確に矢を放つ技量は間違いなく高く、また敵の口ぶりから察するにこちらが何者かも解っていて、尚且つ性格も腐り切っているようだった。

 しかし、相手からこちらの姿が見えているはずなのに、こちらからは見えないのは一体どういうことなのか。


「これはこれは。逃げ出さずに私の姿を探しているんですねぇ? ですが私を見つけるのはアナタには無理というもの。アナタのような犬畜生にはねぇ」


 こちらを挑発する言葉とともに二射目が放たれたが、その音は少し間延びしていることから前方へと走る。

 矢の飛んできた方向は最初の一射目によって矢羽根が教えてくれている。

 上空から先程までいた場所に正確に落ちてくる矢が、人間の死体に突き刺さりその体を溶かしていく。

 酷い悪臭に鼻が曲がりそうになりつつも、そのことに注意を逸らされるほど幼くはない。

 飛んでくる毒矢は火矢よりも静かに、冷酷に、残虐に獲物を狙って飛翔する。

 暗闇では距離感を狂わされ、しかし矢で狙える位置ならばそう遠くはないはずなのに姿を捉えることが出来ない。

 三射目が横にあった木を抉ってそのまま貫通し、さらに奥の木へと突き刺さったことで矢だけでなく射る力も強いことが伝わる。

 軽薄な口ぶりだがその技量は高く、弱者を甚振ることに快感を得る外道なのだろう。


「良い良いっ。活きの良い獲物は久しぶりですよぉ? アナタのお仲間は早々に倒れたというのにねぇ!」

「えっ、っ!」


 足を止めた直後、狙い澄ました矢が眉間を捉えたのを身体を反らせ、後方に回転して追撃の矢を側転することで何とか避ける。

 近づくほどに敵の矢は鋭さと速さが増し、地面に深々と刺さる矢は矢竹がどこまで刺さっているのかによってその威力がどれほどのものかを理解させられる。


「いけませんねぇ、いけませんねぇ。足を止めてしまいましたねぇ? もう少しで死ぬ所でしたねぇ」

「貴様……」

「残念残念。鋭い殺気も方向が定まらなければ意味がありませんねぇ」

「仲間に何をしたっ!」

「不安ですかぁ? 怖いですかぁ? ご安心下さい。女性の方は生きていると思いますよぉ? 手足を折られて畜生らしく人間たちに愛でられているようですが。なぁに壊れるまで飼い殺しになるだけですとも。アナタもぉ、一緒にぃ、いかがですぅ?」


 姿の見えない相手に対し、今まで感じたことのない怒りを覚える。

 不愉快という言葉では生温く、憤怒という言葉すら生易しい。殺意を武器に変えられるならこの一帯に火矢の豪雨を降らせてもまだ足りない。

 そして確かに感じる敵の私の身体を足のつま先から耳の先までねっとりと絡みつくような視線は、経験したことのない嫌悪感がさらに怒りを助長させる。

 姿が見えずともこのままこの敵を野放しにするのは危険すぎた。野盗の人間たちも森に入ることすら不快だが、この敵が森に侵入すればどうなるか。

 ましてやもし、サクヤ様がこの敵に捕まればどうなることになるか。想像するだけでこの森を焼き尽くしてでもこの場でこの敵を始末しておこうと決意させる。


「弱い弱い子犬ちゃん。その活きの良さに免じて私が可愛がってあげましょうねぇ。安心して下さい。アナタなら私の子供を何匹も産めるでしょう。強くてぇ、健康でぇ、可愛らしいぃ子供ねぇ?」

「……外道の血をこの世に残す気は無い。ここで切り刻まれて死ね」


 腰帯に差した小太刀を抜いて口に銜える。両手両足はこの森の全方向に移動するために空けておく。

 何より未だ相手の姿を捉えられていない不利と、相手はすでにこちらを視認しているという優位性がある以上はまずは姿を確認することが重要だった。

 こちらが持っている武器は俊敏性と小太刀。今もなお炎に焼かれている村になら敵が置いていった刀や弓がありそうだが、森の中で使えるほど身長も技量も足りていない。

 弓での戦いであれば分があるのは間違いなく敵。接近戦で戦う場合は刀で斬り合えるほどの力も無ければ技術もない。

 サクヤ様であれば敵の矢を弾くことも矢を捕まえて相手に返すことも出来るだろうが、私にはそんな力は無い。

 でも無いものは無い。その当たり前の事実をサクヤ様から教えられ、私は私の長所を最大限活かすことに決めている。


「どうしましょうか、どうしたんでしょうか。私の可愛い子犬ちゃんは? 怖くなって動けなくなってしまいましたかぁ? 介抱してあげましょうかねぇ?」


 間延びした挑発する声は相変わらずどこから聞こえているのかは分からない。しかし敵も私の姿が見えないのか毒矢を放ってくることはない。

 相手の武器が弓だとするならば、敵は一定の距離を保ちながら攻めて行きたいはず。

 それは近付いてくる足音が無いことからも間違えてはいないだろう。

 臭いが分かれば特定は難しくないが、今は家や人間が焼ける臭いが強すぎて位置の特定が出来そうにない。

 残るのは野生の勘だけだが、敵はこちらを甚振ることにご執心で、相手が逃げる心配だけはないとしか分からない。

 ならば、あとはただ走って敵を見つける以外にやることはない。


 最初の一歩目は木から始まった。


 森の木々によって視界を遮ることができるため、弓使いにとっては確実に面倒な相手となっている。

 仮に闇夜に慣れた者であっても日中とは勝手が違う。特に顕著なのは視界の差だ。

 どれほど熟達した弓の使い手であったとしても、動く獲物に中てるのは実力と先読みの力。そして運も必要になってくる。

 ただしそれはよく見える日中の話だけであり、夜となると暗闇に放っているだけで中る確率はほぼ運でしかない。

 だが敵は間違いなく何らかの方法でこちらを見つけて狙い、矢を射っている。

 奴の話振りから推測すれば、奴は人間ではない。

 ならば鬼か、それとも物の怪か。


 木から木へと飛び移れば、揺れた枝を打ち抜く毒矢が木を倒す。


 すかさず木から木へ。そして地面に着地して走り出す。

 幾つもの矢が放たれ、時に行こうとした場所へと正確に射られれば攪乱のために関係のない方向へと走ることもあった。

 そうして十数本以上の矢を搔い潜り、ようやく辿り着いたのは開けた場所に立つ蛇の顔を持つ物の怪だった。


「し、ねぇえええ!」


 視認するとともに、今までよりも強く踏み込む。

 口から銜えていた小太刀を抜く。

 相手が番えた矢を引き絞る間もなく、刃は……届く。

 切り裂かれる敵の首。しかしその感触は肉を裂く柔らかなものではなく、まるで紙を切ったかのように軽やかなものだった。


「これは……っ!?」


 咄嗟に前方に転げ回ったが、足首を掠めた矢は先程の毒矢とは少し違うものだったらしく、足が痺れていうことを利かなくなっていた。


「まぁまぁ、避けられてしまいましたかぁ。せっかくの麻痺矢でしたが、仕方ありませんねぇ」


 森の中で聞こえていた声の持ち主は先程斬ったのと同じ姿で現れる。背中に背負った矢筒と手に持った長弓。首の長い蛇が人間のように二足歩行をしている様は何の冗談か。


「やはり、物の怪か……っ」

「初めましてぇ。私はの名前は魔堕螺マダラ。アナタのご主人様になる者ですよぉ」

「ふざ、ける……なっ」

「掠っただけでは効果が薄いようですねぇ。でも、良いですよぉ? 抵抗は弱く、泣き叫ぶ声は大きく! 花が散って実を結ぶ様は実に愉快。特に母体が絶望した顔で産まれる子は、何とも強い憎悪を宿していますからねぇ。尊い命が生まれる様に母体は涙を流し、私は次の子供を仕込んであげるのです」

「本物の、外道だな」

「えぇえぇ。幼いアナタには言葉で伝えても理解できないでしょうねぇ。ですから私がご教授しましょう。身を持って体験すればご理解して頂けるでしょう」


 人間の身体では決してあり得ないほどに口角をあげ、その口から長く赤い舌を伸ばして舌なめずりをする。

 その手に持つのは鏃に麻痺毒が塗られた矢であり、こちらの身動きを止めようという腹積もりなのだろう。

 だが、私の片足はすでにいうことを利かず、毒が回ってきたのか手も少しずつ痺れてきている。

 奴が持っている矢が刺されば、身動きできない私の身体は奴のされるがままとなってしまう。

 そんなことを、絶対に許してなるものか。

 雑草を踏み締める奴の足音が近づく前に、痺れて落とした小太刀を拾う。


「おやおや。満足に動けないのにアナタはまだ戦意を失わないとは。実に素晴らしいですよぉ。嬲り甲斐がありますからねぇ。そそりますねぇ、そそられますねぇ」

「ま、んぞく……に、うごけ、ないのは……毒の、所為、だっ!」


 手に持った小太刀で射られた足首の近くを深く斬る。

 鋭い痛みに涙が溢れそうになるが、流れ出す血によって麻痺してあまり動かせなかった手や舌は動かせるようになった。


「おぉおぉ、何ということを。自傷行為とは誰も得をしないでしょうに」

「お前のような外道に、好い様にされるつもりはない。私はお前を殺すだけだ」

「子犬は子犬。無邪気に泣いて喚いて跪いて、ただ懇願すれば良いのですよぉ?」


 物の怪の男、魔堕螺は持っていた矢と弓を捨て、腰に差した大太刀を抜く。

 敵は強大。こちらは負傷した片足で戦わなければならない。

 構える小太刀に対し、倍以上はある敵の大太刀。

 その二つの刃が、斬り合った。

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