第20話:残虐に潜む影
北と南側の森より帰ってきたのは数名の狩人たちだった。
東の森に設置した前方から放たれる仕掛け弓の雨は功を奏し、それに加えてカラが仕掛けていた膨大な数の仕掛け弓が先遣隊を左右から襲い掛かり大多数を仕留めたと報告されて里の中は歓声に包まれた。
「そうか。報告ありがとう。それでカラは?」
「我々に荷物を渡し、そのまま数名の狩人たちと共に林の中へ潜伏しております。敵の急襲があれば鏑矢を放つとのこと」
「……発見されれば最初に狙われる役目だな。分かった。すぐに退けられるようにしておこう。ウイ! 居るか!?」
「はいはい! 居ます居ますよっ。ウイは逃げられませんからねっ、居ますとも」
悪態を吐きながら里の中心からふわふわと半透明の身体を浮かせながら、幽霊のウイが姿を見せる。
里の中心にある広場には彼女の最も重要な要石が存在し、そこを基点にして里の結界は守られており、仮に里の要石が破壊されれば他の要石は役に立たず、そしてウイの命もまたこの世に留まることは出来ない。
一蓮托生。彼女の心臓ともいえる要石があるところでなければ彼女は生きていけなかった。
「ウイ。結界のほうはどうなっている?」
「傷ひとつもないですよ。要石も新品同然。ほんとは磨いてあげたかったのに、サクヤさんが磨くなって言ったから……」
「森の中で丁寧に研磨された石などあれば敵にすぐに壊される。ならば少し大きめの石か岩かと勘違いされたほうがいい」
森の中に均等に置かれたよく磨かれた岩のように大きな石があれば、頭の良い人間たちならばすぐに何らかの意味があると考えて壊すだろう。
敵は膨大な数という利でもって攻めてきている以上、こちらは地の利を活かしつつ対応しなければ負けるのはあっという間だろう。
「それはそうかもしれませんけど……」
「そんなことより、カラたちが未だ残って里の外に潜伏している。いざという時に逃げる時間を確保したい。森に【迷走の陣】を展開しておいてくれ」
「いいですけど……少し時間がかかりますよ?」
「敵の先遣隊は潰れている。本隊から突出した隊の生き残りが本隊に報告するのに時間がかかるはずだ。傷を負っていることも考えれば……日没後くらいか」
「それなら問題ありません。襲ってくるのに一日もあるなら森全体に迷いの霧を生成できます」
「やってくれ。だが最優先は東側だ」
「了解ですっ」
片手を高くあげてウイが返事をし、彼女の姿は火が消えるように煙を残して姿が消える。
瞬間的に要石がある場所に移動できるのは彼女だけが持つ力だ。その力を活かすために普段は森の監視者として仕事の従事している。
だがそれほどの力を持つ変わりに彼女自身は森から出ることは出来ないが、里を自由に闊歩しているところを見れば特段不満も不自由もしていないのだろう。
「……さて。普段なら大手柄をあげたと喜びたいところだが、敵の数を考えれば痛手とは言えない。だが奴らの数の利は半分も削れれば威勢を削ぐことが出来るだろう」
「では次はどうしますか? まだまだ奴らは居ますよ?」
「そこでアキ。お前に頼みがある」
里の者たちが集まる広場にて皆の言葉を代弁するようにアキが手を挙げて意見を述べたのを見て彼女に次の仕事を頼む。
「数人の狩人を連れて夜に紛れて敵の陣営で暴れて来い」
私がアキに命令を下せば、彼女は腰に佩いた己の小刀を取り出し野性味が溢れる獰猛な笑みで承諾する。
獲物の首を狩ることは獣人にとって何よりも誇れるものだ。どれだけ料理が出来ようが、どれだけ他者に優しかろうが、どれだけ自堕落であろうが獲物を狩れない者は獣人たちにとっては何よりも恥ずかしいことでもある。
「分かりました。奴らの喉笛を食い千切り、血に溺れる奴らは己の血に溺れて死んで貰いましょう」
普段は明るい太陽のように輝く瞳は、今はどこまでも暗く黒い太陽のように妖しげに輝いている。
その顔は宴会や日常ですら見せない狩猟者の顔付き。ひた隠しにするべき命の重さという常識を投げ売った者の狂気が垣間見える。
誰かを守り愛することと同じか、もしくはそれ以上に獲物を屠ることに喜びを得てしまう狩人の本能がアキの中にも確かに存在していた。
「よし。では行け。恐らく奴らの進行とお前たちの足を考えれば夜襲には間に合うはずだ」
「はいっ!」
アキの声が里の中に響き、ついで彼女の動きに合わせて数人の狩人たちが同じように動き出す。
すでに準備を整えていたのか、戦利品の中から幾つか奴らの身体に返す物を選別していたらしい。
狩人たちがアキと同じように獰猛な笑みを浮かべて、その姿を森の奥へと隠していった。
―――――――――
【???】
「それで、どうしますか?」
「どうとは? まさか野犬に噛み付かれたから退く、という話ではあるまいな?」
空から見下ろすように輝く陽の光から身を守るため天蓋を用意させ、その中に御簾を隔てて男と女がいた。
男は片膝を立てて跪き、女は見目好い女たちに奉仕させながら話を聞いていた。
奉仕している女たちの顔は固く、されど張り付けたように笑顔で対応していた。
それもそのはず、逃げ出そうとした一人の村娘が殺されたのはつい先程の出来事であり、加えて死体の処理は数十人ほどの化け物によって骨すら無くなったのだから。
「そのようなことはありません。御前様のお言葉通り、狙いは都への襲撃。御前様へ不敬を働いた者への処罰でありましょう。ですがその前に奴らを倒すため力が必要だと仰り、ここまで来たのを忘れてなどおりません」
「ならば何を問う? 所詮は通過点に過ぎないものを、無駄死にした玩具に興味などない」
「いいえ。我も人間など玩具同然であると思っております。しかし彼らが精力的に動くには餌もまた必要かと」
「
御簾の中で世話をしていた女の首を掴んだ牛御前は、細い指の跡がつくまで握り、女の口から泡が吹き出て骨が折れる直前で手を緩める。
呼吸が止められた女が倒れうつ伏せにて必死に呼吸を整える様を、牛御前は路傍の石を見る程度の興味の無さそうな視線で一瞥し、話を再会する。
「自らの愚鈍さを棚に上げた愚か者は始末したのだろう? 逃げ出す者でも現れたら惨たらしく殺せば良い。なんならお主らの餌にしても良い」
「肉の硬い者たちばかりです。食い出はありません」
「獣人どもの味がどうかは分からぬが鹿や熊、馬や犬程度の味があれば良いのだが……所詮は野山を駆けるしか能のない獣だが、野性味があるということは味も芳醇の可能性はあるか」
「馳走の箸休めにもなりませぬが……」
「ならばこの
御簾から蹴り出されたのは首を絞められ過呼吸となっていた女だ。畳の上より追い出された女は無理やり着飾られた着物の帯が解け、倒れた拍子に着物は着崩れて煽情的な恰好で男の前に放り出されてしまう。
男の足下に落ちた女が見上げれば、流暢に喋っていた男の顔が虎にも似た、というよりまさしく虎の顔に他ならない。
「ひっ!?」
「御前様?」
「
虎の顔が女に近づき、その口元に大量の涎が流れていく。
腹を空かせた肉食獣の前に落とされた女の顔は恐怖に歪み、女の頬に唾液が付着すると女の絶叫が天蓋に木霊したことに満足した牛御前は許可を出す。
「いいぞ、喰え」
「イタダキマス」
肉を裂き、骨を砕く咀嚼音が女の悲鳴が重なり合う。
惨劇の舞台劇を微笑みながら観る牛御前と耳を押さえて目を閉じる女たちが観客の舞台は血によって染められていく。
耳を押さえても聞こえてくる悲鳴がいつしか「殺して……ころしてぇ」という切望に変わり、それさえも牛御前にとっては娯楽にしか映らない。
噴出する血飛沫。天蓋に充満する血臭。内臓をくちゃくちゃと食らう音は耳を押さえても脳内に響き渡る。
そしてその音をかき消したくて、女たちは本人たちも意識せずに歯を鳴らしたり、「あー、あー」と意味のない言葉を吐いていた。
それすらも牛御前にとっては娯楽に過ぎない。御簾越しの惨劇を見せつけながら恐怖に歪み壊れていく人間の様を見て楽しむのが彼女にとっては昔から変わらない娯楽のひとつだった。
弱者の必死の抵抗を捻じ伏せて藻掻き苦しむ様を見れるのは強者の特権であることを彼女は産まれた時から本能的に知っている。
そして時代と環境によって彼女は頭でも理解したことで、生粋の怪物として成長してしまう。
人の胎より生まれし最悪の怪物だと知った父親により都より追放されたが、それも全ては人の業の所為だと牛御前は学んでいる。
ゆえに彼女は都から追放した人間たちを怨み、憎しみ、静かに燃える怒りが心の中に燻り続けていた。
人の悪意を見せつけて憶えさせ、しかし奴らの都合で都より追放されたことに憤りを隠せるはずもない。
だからこそ追放が決まった日から常に聞こえる―――
「汝ノ怨ミ、晴ラサでオクベキカ?」
―――そんなじっとりと濡れたような心の奥底から届く声に彼女はどこまでも従順に行動を移す。
怨みを晴らせ。憎しみを掻き消せ。怒りを鎮めよ。そのためにあらゆる残虐も認めよう。
心の内より響く声は、事あるごとにそう囁いてくることに彼女はもう疑問すら浮かぶことは無い。
まるで何かの使命感すら感じるほどに、彼女の心に根を張っているのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます