第19話:第一の罠

 鳥たちが木々の合間から見つめる先、東の森の前に立つのは刀や槍を手にした男たちだった。

 その数はとても数えることも出来ぬほどの人数が密集し、羽ばたいて空から見下ろせば何かの模様のように陣形を組んでいるのが解るだろう。

 先遣隊といえども、その数は千人に満たぬだけで森の住民にとっては見たことなどない。


「ちっ。壊れちまった」


 何人もの男たちに弄ばれた破かれた襤褸切れを来ていた村の娘を放り出す。

 不尽山へと向かう過程で、途中の村々を簒奪しながら彼らは進んできた。貯めていた資材を奪い、女を襲い、反抗する者は見せしめに殺しながら歩んできた道は悲劇の轍を刻んでいた。

 男たちは先遣隊という危険でありつつも、それでも手付かずの戦利品という旨味を十二分に味わうために志願していた。

 奪った酒や食べ物は数知れず、襲って手籠めにした女子供の数は数えもせず、殺した者のことなど憶えてもいない。

 そして、それは東の森が見えるような場所であっても邪魔になった女を斬り捨てて新たな獲物がいる方へと顔を向ける。


「おいおいアンタよ。いったい何人目だよ。使わねぇなら他の奴らに回してやりゃあいいのによ」

「馬鹿か。これからお目当てのもんに手を付けるんだ。邪魔なもんは捨てとけ」

「確かに。けどよ、上の奴らに勝手に森に入るなとかって言われてんだろ?」

「阿呆か。俺らの人数を考えろよ。たかだか獣狩りをすんのに千人ぐらいは居るんだぜ? しかも後ろの奴らを含めりゃ三万ぐらいは居るって話じゃねぇか。お上品にやってたら何にも得られねぇだろうが」


 男たちは話し合いをしながらも下卑た考えを否定することはない。彼らは間違いなく同じ穴の狢であり、また、その常識は決して裕福な者とは違う。

 それはこれまでの過程から先遣隊の纏め役となっていた野武士の男であっても同じことだ。

 抵抗する者は傷つけて殺し、無抵抗の者も暇潰しに嬲る。ただそれだけの単純な性格から齎される分かり易い指示は男たちから広く支持を得ていた。


「こんだけの人数が居るんだ。どんな場所でも纏まってやりゃあ問題にもならねぇだろ?」

「でもよ……これを見ろよ」


 一人の男が指さした場所には立て札が置かれ、また紐が木々を繋いでいる。

 そして立て札には何かの血によって文字が書かれている。

 野武士の男は勉強が人一倍嫌いだったが、親から受けた教育によって少しだけ読める程度にはなっていた。


「『このもりにはいるな』? この森に入るなだって?」

「じゃあやっぱり襲った村の奴らが言ってたのは本当なのか!?」

「森を守る獣がいるってやつか!?」

「恐ろしくデケェとか。何でも食っちまうって話だぜ!?」

「なんだよ、そりゃあ……そりゃあ鬼か、それとも妖怪かもしれねぇぞ?」


 噂が噂を呼び込むように、小さな恐れもまたさらなる恐れを呼び込んでいく。

 村々の者たちが泣き叫びながら聞いた先祖代々から続く有り難い迷信が、死の間際に残された呪いの言葉が男たちの頭に残っていた。

 曰く、その森に入る者は選ばなくてはならない。生きるために戻るか、死ぬために進むか。生と死の境界線の前に獣は立っているという。

 だが野武士の男にはそんなものは村の中で伝わる迷信でしかないと気付いている。村の外を出れば誰もが知る真実。そんな眉唾なものは存在しないという事実に子供であっても愕然とするだろう。

 むしろそんなものを大人になっても未だに信じる者たちが信じられなかった。


「馬鹿馬鹿しい。いいか? こんなもんは嘘っぱちだ。村の大人どもがガキ共を怖がらせて黙らせるためのもんだ。俺たちはここに何しに来たんだ? 言ってみろ」

「獣を狩って、殺して、あの山にあるっていうお宝を手に入れる」

「そうだ。宝だっ! 多少辛気臭い森を抜けなきゃならないが、それでも宝を手に入れりゃ俺らは都でものし上がれるかもしれねぇ。それほどの相手が後ろにいるんだ!」

「……そうか。そうだったな。じゃあ宝を手に入れるしかねぇよなっ!」


 そうだそうだと、一度は恐れに呑まれていた連中も息を吹き返すようにやる気を漲らせていく。

 誰もがその手に刃毀れした刀や弓を持ち、ここまでに奪った槍や農具を持つ者も居たがやる気だけは負けていない。

 男たちの頭には成功している自分たちの姿だけを思い浮かび、そんな幸せな未来を原動力にして立て札を地面から引っこ抜く。


「あ?」


 そして、彼らは自らの危機感の無さを痛みと死によって痛感する。

 立て札を取り除いたことによって、それが罠の支えになっていたことを男たちは知らない。しかし、無法者の行動を把握している者にとっては簡単な罠だ。

 森と両脇の林から雨のように降り注ぐ矢が、男たちの命を次々に奪う。

 首や頭を吹き飛ばされ絶命する者。幾つもの矢が身体にあたって小躍りし亡くなる者。仲間が持っていた武器によって死んだ者もいた。

 次々に飛んできた矢が尽きた頃には、先遣隊は仲間の死体に守られて奇跡的に生きていた数十人を残すことなった。

 だが彼らも無傷ではなく、重たい死体によって身動きが取れない状態だった。


「な、なんだ……なにが起こった……なにが起こったんだ!?」


 隊の中腹で仲間の死体に守られていた男が叫ぶ。突然に起こった惨劇に理解が追いつかず、ただ周囲の状況を見て恐れ慄いていた。

 先頭の方で盛り上がっている声は聞こえていたが、その後に仲間たちの死が一瞬で訪れた光景に理解が追いつかない。

 まるで神の祟りに触れたかのように、数百という命が呆気なく奪われたことに理性が保てなかった。


「ひっ、ひぃいい!」


 仲間の死体を押しのけて、片足を引き摺りながら来た道を一目散に走る。

 幾つもの矢が突き刺さった死体の合間を縫うように、痛む足を引き摺りながら懸命に逃げていく男の足を掴む手があった。

 突然のことに彼は倒れ、最悪のことに仲間が用意していた農具が喉へと突き刺さり命を落とした。


「たすけてぇ……タスケテぇ……」


 仲間の死体に押し倒されて身動き出来ない男は助けて貰おうと必死に掴んだ結果、それが死体をひとつ増やすことに成ろうとは思いもしなかった。

 死の連鎖が幾つもの新たな事故を生み出しながらも、この地獄を傷つきながらも這々の体で数名が生き延び逃げていった。


「戦果は大なり、ですかね」


 林の中に潜んでいたのは丸みを帯びた尻尾をぴんと張り、猫のような耳をぴくぴくと動かして周囲の音を聞き逃さないようにしているカラの姿だった。


「しかし、我ながらよくもまぁ作ったもんだなぁ」


 木々の枝を使った仕掛け弓は里に戻れない不満をぶつけるように毎日のように作っていた。

 里と人界を行ったり来たりする生活など本当ならしたくはないが、先祖代々がそうして来たというのもあるがサクヤ様からの頼みで無ければ絶対に断っていた。

 里に帰れない時のほうが多くなれば、里に住む者たちから忘れられるかもしれないという恐怖がカラにはあった。

 けれど、サクヤ様が彼女の他愛もない報告を聞く時も変わらず接してくれる瞬間は、里の住民たちも彼女を忘れていないことを知る機会でもあった。

 だからこそ、すでにそんな不安を彼女は持ち合わせていない。だが不満はどうしても残り、その結果にお手製の仕掛け弓を作っていた。

 自分に弓を引く膂力が無かろうとも、仕掛け弓は作っておけば良いのだから狩りも出来ると証明したかったのだ。


「このために用意した罠じゃないけどさ。それより動けない奴らにとどめを刺して、それから幾つか敵の使ってない矢や刀を回収していかないとね」


 反対側の林から姿を見せる狩人の獣人たちに合図をし、彼らが持ってきたものを奪っていく。

 それは矢や刀だけでなく、いまなお無様に生き足掻く命さえも対象だ。

 逃げた者たちはいずれ本隊と合流し、この惨状を報告するだろう。だが情報から察する牛御前の性格ならばその場で逃げた者たちの命運は尽きるだろう。


「まずは千人。出過ぎた烏合の衆なんて先遣隊でも何でもないですよ」


 敵の総数は考えられないほど異常に多い。それでも突出する烏合の衆ならば罠で追い返すことも出来る。

 むしろ彼らの人数という絶対的な優位性が彼らの致命的な油断の原因にも成り得る。

 淡々と残った命を刈り取って、カラたちの姿は大量の戦利品とともに林の奥へと消えていった。



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