第18話:宴と合図
里の中の時間が経つのは不思議なほど早く感じた。
誰もがいつも通りの日常を必死に装いつつも、それでも確かな変化を心の中に宿している。
夕飯を準備する米を炊く若妻や若鶏を手にかけて各家に配る村長。畑で育った野菜たちを必要分倉庫に押し込み、各々が家庭の調味料を持ち寄って広場に集まっていた。
「お~いっ! こっちもそろそろ出来上がるぞ~!」
「お米も炊き上がったよ! 配膳を手伝っておくれ!」
「すげぇ~! ぷりぷりの肉だ! 美味そおぉ!」
「お漬物は有るかの? 出来れば粕漬けの物がよいのじゃが……」
里の者たちが老いも若きも広場に寄り集まり、子供たちに悟らせないように宴の準備をしていた。
いつもは出ない新鮮な若鶏の鶏肉や里一番の料理人の凝った料理の数々は子供たちだけでなく、事情を知っている大人たちの関心も引き寄せた。
そのため心の奥底に閉まった不安という種を、束の間だとしても忘れることが出来るのは非常に有り難かった。
「……いいものだな」
「サクヤ様〜っ! お味噌汁を持ってきましたよっ! 今日は新鮮な具が沢山入ってますよ。いつもならこんなに入れる時って、店主が野菜を処分する日に限ってなんですけどね。今日は間違いなく新鮮ですよ」
「アキちゃん。そんなこと言う子には鶏肉の香草焼きあげないよ?」
「タエ、それは酷くないっ!?」
味噌汁が入った二人分のお椀を持って駆け寄ってきたアキと、配膳の手伝いをしていたタエが捌かれ見事に芳しい香りを漂わせる若鶏の香草焼きを持って現れる。
往復で持って来ようとするアキとお盆に乗せて纏めて持ってくるタエの姿は、彼女たちの性格の差を表しているようだ。
「サクヤ様ぁ。タエが苛めてきますぅ」
「サクヤ様にすぐ頼ろうとするのはアキちゃんの悪いところだよ」
「大丈夫だよ、タエ。私もアキのことはどういう人柄か知っている」
広場に出された机にタエやアキが運んできた食事を並べながら、先程まで里の長たちが御酒が入った徳利を持って挨拶をしてきて椅子に座る。
散々呑むことになった御酒の味は甘く、しかしこの身体は浴びるように飲んだとしても酔うことはなかった。
捧げられた徳利の数が三十以上を飲み干しても意識は明瞭としていた。
もしも里の大人たちが口にしている
「サクヤ様は大丈夫ですか? 結構な量のお酒を飲んだようですけど……」
「私なら問題ない。今まで酒に酔ったことがないんだ」
「凄いですね! きっとそこら辺の鬼なんて太刀打ち出来ませんねっ」
「私の父もお酒には強いほうなんですが……」
「タエのお父さんはさっき広場で大の字で―――「言わないで」―――あぁ……まああとで回収すればいいんじゃないかな? 今日ぐらいは、さ」
「……そうだな。今日ぐらいは飲めばいい。好きなだけ」
透明な酒が注がれた酒杯に映るのは何の変哲もない自分の顔。
そこに覇気はなく、殺気はなく、嫌気もなく、酒気すらも感じられない。
水のように酒を飲んでいながら変化のない顔は、器を持った際に波紋で揺れ、飲み干すと鏡のように磨かれた器にうっすらと浮かび上がるだけとなる。
「サクヤ様ももっと飲まれては?」
「いや……私は貰ったものだけで充分だ。それよりもタエも手伝いで食べていないのだろう。前掛けも着けたままだ」
「人手が足りないみたいでしたので……」
タエは前掛けを外し、たすき掛けしていた紐をそのままにして箸を手にした。恐らく食べ終わったあとも片付けなど手伝いをするつもりなのだろう。
「タエは優しいからねぇ。変な男に捕まったりしないか心配だよぉ」
「私はアキちゃんが心配だよ」
「私は男になんて興味ないもーん」
「結婚できなさそうで」
「そっちの心配!? その時はサクヤ様が貰ってくれますよね!?」
「ん? 私と同じように
「サクヤ様ぁ……」
「相手にされてないよ、アキちゃん」
アキが肩を落ち込みながらもタエが持ってきた米や香草焼きに手を伸ばす。大食漢のタエの椀や皿は普通の者よりも大きい。
手伝いを買って出た礼や報酬も兼ねた皿の上には他の者たちよりも多く乗せられており、正直に言えば見ているだけで腹は膨れそうだった。
「もう。アキちゃんは自分のがあるでしょ」
「だって何人前が乗っかってるのってくらいあるじゃない? まさに山かってくらい」
「余り物も貰ってきたからね。アキちゃんはこっちの煮物ならあげてもいいけど。サクヤ様もいかがですか? お肉は食べましたか?」
「先程頂いた。それはタエが食べるといい」
「そう、ですか……」
「……少し、頂こう」
一瞬だけタエの悲しそうな表情を見たときに前言撤回をし、彼女が箸で持ち上げ差し出した肉に口をつける。
皮ごと焼かれ、中心までしっかりと火が通った肉は中に含まれた肉汁が口の中で溢れ、若鶏の柔らかい肉質が簡単に歯によって噛み千切れる。
加えて香草の香りが口から鼻から抜けるほどに匂いが口一杯に充満していた。
「あぁ、美味いな。ありがとう、タエ」
「い、いえ……そんなっ」
「あぁー!? ズルいっ、ズルいよタエだけ!? サクヤ様! 今度は私があーんしますからっ。何がいいですか? 何でしたら口移しも可能ですがどうですかっ!?」
「私はもう充分頂いた」
「何故っ!? はっ!? 分かりましたっ。ではお酒の口移しとかなら」
「アキちゃんはまだ飲めないでしょ」
「私が飲むワケじゃないから大丈夫でしょ!」
「そういう訳にはいかないな。それに、戦は明日になるはずだ。二日酔いでは困る」
徳利に手を伸ばしたアキの手を上から握り、彼女の手をそのままに空となった酒杯に注いでいく。
透き通るほど透明な水のような姿をしつつも、その匂いは酒精を鼻孔へと届けてくる。
「アキ。こういう場合は自分で飲まずとも、相手の酒杯に注げばいい。そうするだけで相手を想っている気持ちは伝わるものだ」
「……サクヤ様……分っかりましたっ! 私がどんどん注ぐので、サクヤ様はどんどん飲んで下さいね!」
「いや、そういう話ではないのだが……」
アキはその手に持った徳利を離そうとはせず、恐らく私の酒杯が空と見れば直ぐ様注ぎにかかるだろう。
まるで獲物を見つけた狩人のように。すぐに飛びかかれるように態勢を整えた獣のように、アキの目はギラギラと酒杯と私の顔を行ったり来たりとしていた。
「はぁ……ダメダメや。それじゃあダメダメや、アキちゃん」
「その声……マナっ?」
こちらに千鳥足で近づくのは両手に徳利を持っていたマナだった。彼女の顔は赤く、数歩歩くたびに徳利にそのまま口をつけて中身を飲んでいる。
普段の大人びた雰囲気を何処かへ投げ捨てて、ただの酔っ払いと化した泥酔状態の彼女はよろけた拍子に他の集まりから空となった自分の徳利と未だ入っている物とを素早く入れ替えている。
「相も変わらず、手癖が悪い方ですね」
「タエちゃ〜ん。タエちゃんも飲まんと。飲めば結婚相手なんて朝に起きたら出来てるって」
「それでマナは出来たの?」
「出来とったら苦労せんわっ!」
アキとタエに絡み酒をするマナの登場によって賑やかな雰囲気が一段と盛り上がるような気がした。
マナの態度に嫌々ながらも食べながら対応するタエや、横に座ってマナと話をしているアキは何のためになるのかも分からない持論に耳を傾けていた。
ゆえに、その場の雰囲気を壊さないように気配を隠してその場を後にする。
里の者たちが集合した広場の宴会は、明日になれば消えてしまう命の火と語り合うためのものだ。
そしてそれは二つの情報によって確度の高い情報となった。
ひとつはアクタから鴉の足に紐付けられた紙によっての緊急用の情報と―――
「ここに居たのか、カラ」
「……サクヤ様」
―――森の外で活動し、情報を集めていた密偵の猫人のカラによって齎された。
カラは広場から離れた場所で地面に座り、ご飯にお味噌汁をかけて浸して、山菜なども乗せた豪華なねこまんまを食している姿を見つけた。
「どうしてこんな場所にいる? 広場に混ざればいいだろう」
「……出来ませんよ。ウチは碌に仕事もしないで厄介事ばかり持ってきちゃう女ですよ? 里の人達になんて言われるか……」
「……どうして今日は宴会なんてしてると思う?」
「それはっ……明日にも奴らが来るから」
「そうだ。明日にも奴らは森へと行軍してくる。膨大な数の人間を引き連れて森へと侵入することだろう。だが膨大な数すぎて里の者たちは対策をしながらも半信半疑だった。だが、彼らもアクタの情報があったとはいえ決定的になったのはカラ。お前の情報だった。それはアクタよりも、カラのことを信頼しているということじゃないか? 碌に仕事をしていない? そんなことを本気で思っている奴なんて里にはいないさ」
カラによって齎された情報によって、恐らく明日には激しい戦闘によって森の中は地獄と成るだろう。
血と泥が飛び散り、雄叫びと悲鳴が木霊する森の中で誰が生き残るのかも分からない。
それこそ、この里とて無事では済まないのは解っていた。
だからこその宴会。明日の地獄を目の前にしながらも、決して悲嘆に暮れないようにと催したもの。
何も知らないまま戦となれば、こんな機会も持てずに散っていく命も多かったことだろう。
「里の者たちも解ってる。明日に地獄を迎えると。立ち向かわないといけないと。だからこそ英気を養い、明日に全てをかけることができる。その機会をくれたのはカラ。お前なんだよ」
「ウチは……そんなだいそれたこと―――「あぁー! こんなとこに居たー!」―――っ!」
突然の大きな声にカラの尻尾がぴんっと立ち、顔を上げればアキが腰に抱きつくマナを引き摺りながらこちらを指さしていた。
「中々来ないからどこに行ったのかと思ったらカラったらこんなとこに居たのね!」
「アキちゃん……」
「何が『アキちゃん……』よっ! ご飯を食べるなら皆で食べたほうが美味しいでしょ! それにサクヤ様も酷いじゃないですか! 何も言わずに居なくなるなんて!」
「酒を呑む時、アンタもまた酒に呑まれているんやで……ひっく」
「この酒癖の悪いマナを一人で相手にするなんて無理ですよ!? 助けて下さいっ。普段より力強いんで引き剥がせないんですっ!」
「アキちゃん、堪忍や……堪忍したってや……母乳やなくて酒を出してくれへんか」
「私はどっちも出ませんけどねっ! カラもそんな暗い場所に居ないでさっさとこっちに来てよね! タエは食べたらまた手伝いに行っちゃったんだから!」
アキに引き摺られながらマナはぷるぷると震える足で何とか抵抗しようとしている姿に、カラは呆然としていた。
私は内心呆れ果てていたが、しかし暗い表情のカラの顔は色を変え、あっという間にねこまんまを食べ終えて立ち上がる。
その顔は少しだけ意地の悪い笑みを浮かべ、悪戯を考える子供のようだ。
「アキちゃんってばウチが居ないと酔っ払いも相手に出来ないんですかぁ?」
「はぁ? 私が出来ないことがカラに出来るとでも? どうせお酒の匂いにも負けちゃうんでしょ?」
「ウチも日々成長してますから匂い程度じゃ問題にもなりませーん。ウチは胸なんてアキちゃんよりもあるんじゃないのかなぁ?」
「あぁん?
「視力が落ちたんじゃないんですかぁ? アキちゃんの奥ゆかしいモノとの違いが分からないとは」
喧嘩のように言い合い、罵り合いながら彼女たちは広場へと歩き出す。
マナを引き摺っている所為でアキの歩みは普段よりも遅いのに、それでもその歩幅に合わせてカラも歩いている。
恐らく、今日という夜をカラもまた楽しむことだろう。
それは日が沈み始め、松明に火を灯し、綺麗な井形に組んだ焚き火が太陽の代わりとばかりに炎が舞う。
宴は進む。明日のために。仲間のために。命のために。
そして誰もが眠りにつき、朝日を迎えて鴉が鳴けば、一斉に刃を抜いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます