第17話:里の防備
アクタの助言から二週間が経とうとしていた。
アクタによって末っ子のシロは東の森に幾つもの罠を張り巡らせ、その手伝いとして森の狩人たちとアキは彼女に協力していた。
要石よりも外に罠は幾つも張り巡らせており、要石の結界を一歩でも超えると致死性の罠が設置されている。
森の生態系を脅かしかねない非道な罠もあるようだが、動物たちが無暗に入らないように熊などの肉食動物の糞を撒いておくだけでも草食動物はその臭いで近寄らない。
また熊たちが縄張りと勘違いしないように熊が避けるニオイも罠がある場所よりも広い領域につけてある。
それは、彼らが自分たちより強いことを解っている者のニオイだ。
例えば、この森に住まう熊たちはオウカによって何度も打ち負かされているため、余程気が立っていなければ近寄らない。
例えば、クロの唾液に含まれる毒は幾つかの種類があり、独特なニオイを発するため敏感な嗅覚を持つものにとって近付きたくはないだろう。
そして、鈴の音が聞こえたならば子熊を銜えてその場を離れることを優先する。
彼らにとってそれが最善であり最優先。逃げることは恥でも何でもなく、生き残ることが自然界の唯一確かな勝利条件なのだから。
「よし。これを頼む」
「はっ」
そんな罠だらけとなった東の森に、木々の間に張られる糸に鈴を通し、狩人の一人に通した糸を手渡す。
罠の手伝いを兼ねて確認をしていたが、もはや東の森に小動物すら生きて戻るのは難しい。
十中八九、栗鼠や蛇であっても毒によって死んでしまうことだろう。
草食動物にせよ肉食動物にせよ死の森と化した東の森は一見すれば普段と変わらないが、森を知る者たちには絶対に近寄りたくない場所となった。
「何とか出来ましたねっ、サクヤ様!」
「サクヤ様ぁー。シロのおかげでしょー? 撫でてー?」
「あぁ。ありがとう、シロ」
「し、シロッ!? アンタ、そんな羨ましいことを……っ!」
「むふふ……シロは手柄を立てたので報酬は貰わないと」
撫でていた手をシロは小さな両手で掴み、自分から押し当てるように頭を動かす。
無邪気な彼女の笑みは幼い彼女の心を満たし、手や指に入った泥、汚れた服も気にもならない。
ただそんなシロの姿を見て不満に口を膨らませるアキが私の反対の裾を掴み、何も言うことなくクイクイといじらしく構って欲しいと伝えてくる。
「アキ……」
アキもまた非常に協力的に里の者たちを束ねてシロの指示の下で動いてくれていた。
あちこちに殺傷能力の高い罠を設置し、森の動物たちを他の森へと追いやることで無意味に命を奪うことなく仕事に取り掛かってくれていた。
その陣頭指揮は幼い頃からの積み重ねによる経験値だけでなく才能もある。
何事にも物怖じしない性格が、自分よりも目上の者にも適切に命令することが出来るのは意外と誰でも出来るものではないのだ。
「分かっている。アキもよく頑張ってくれた」
二人の頭を撫でながら褒めると彼女たちは一層笑みを深めていたが、そこに二人分の足音が近づいてくる。
雑草をかき分けながら近づくのは彼女たちなりの気遣いなのか、それとも隠す必要性がないと思っているからなのか。
恐らく前者なのだろうと察し、撫でていた手を止めて二人の頭から下ろすのと足音の主たちが姿を見せるのは同時だった。
「サクヤ様。動物たちの誘導が終わりました」
「ありゃま、報告に来たんやけど……お邪魔やった?」
森の中を駆けたのに汚れが一切ないタエと、口元をニマニマと緩ませて里のことを任せていたマナが姿を見せる。
同年の二人は里の中でも沢山の人から認められているしっかり者で、その二人が姿を見せたことでアキは悲しげな顔を瞬時に普段通りへと戻し、シロは頬を膨らませてタエたちを睨んだ。
「た、タエは分かるけど、どうしてマナがここに来たの?」
「そりゃあアキちゃんのだらし無い顔を拝みに?」
「っ!? い、いつから見てたのっ!?」
「ちょい前くらいやなぁ。アキちゃんがシロちゃんに対抗してサクヤ様におねだりしてるところとか見てへんよ?」
「見てるじゃない! 明らかに見てるでしょ!?」
「見てへん見てへん。あんな幸せそうな顔は滅多に見てへんよ」
「私は結構見てるかな。アキちゃんはサクヤ様にべったりだから」
「そうなん? それはまた、贅沢なことやなぁ」
「あぁ……私の威厳がぁ」
「威厳なんて昔からないやろ」
頭を抱えて蹲るアキを見て溜息を吐きながらマナが肩を竦めているところに木の枝に一羽の鴉が舞い降りる。
鴉はひと鳴きするとすぐに飛び出ち、鴉たちの主たちが住む西へと戻っていく。
「帰って来いって怒られちゃったからシロは帰るね?」
「ありがとう。助かった」
「ううん。かか様の命令だもん。だから全然サクヤ様は気にしなくても大丈夫だよ」
「いや。例え命令だとしても私は感謝してるんだ。シロが色々と協力してくれたからこうして幾つもの罠を用意できた。もし無ければそれだけ多くの里の者たちが危険に晒されていたはずだ。それにアクタは与えた役目が出来ない者に命令などしない。それだけシロのことを認めているし、期待も寄せているんだ」
シロと同じ目線までかがみ、頭を優しく撫でて諭すと暗く沈んだシロの表情は一瞬にして明るくなる。
どれほど癒やしを求めても、本当に欲しいものには私は敵わないらしい。
「だからそう落ち込まなくてもいい。早く帰ってあげなさい」
「……うん! ありがと、サクヤ様!」
スッと撫でていた手を引っ込める暇もなく、私の手から抜け出してシロの小さな身体は西の方角へと駆けて消えていった。
彼女を待つ家族がいる場所へと駆けていく様は里の子供と何ら変わらず、アクタがどう考えていようとも子と親の関係性はそう簡単に変えられるものではない。
最初から完全な自我を確立している、私のような怪物とは違うのだ。
「……サクヤ様? どうかしましたか?」
「……いや、何でも無い。それよりもシロのような子供があそこまで頑張ってくれた。ならば我々が彼女の頑張りに負ける訳にはいかない。そうだな?」
「「「はいっ!」」」
「タエ。北と南はどうなっている?」
「はい。北側には肉食動物たちが巣を張り始めました。今年であれば縄張り争いはせず頭数を減らすことはないと思います。南側には新たな要石を設置し、戦えない者たちを逃がすための場所を確保し草食動物たちは先に逃しています」
「
タエには熊などの動物たちを北へと配置させ、自然の摂理の名のもとに協力して貰うことにした。
大量の人間たちが攻めてくるというならば彼ら動物たちの命も奪われることは間違いない。
であれば北側の森に彼らの領域を限定することで、彼らは気が立ってまま北の森に居座るはずだ。
そんな場所に人間たちが入れば襲われるのは必然。肉食動物の凶暴性を命を持って知ることになるだろう。
そして、南側の森には陰陽師のマナたちにより幾つもの罠を設置して貰い、加えて里の大人たちが元は動物たちの穴だった場所や新たに隠れられる場所を偽装用を含めて用意している。
「奴らが裏をかいて西側から攻めようとすれば彼女の名と同じようになるだろう。ウイには全ての森の要石を基点にし迷わせの術を使って貰うことにしている。足止めにはなるだろう」
「北で足を止めれば動物の餌食になって」
「東で迷えば大量の罠で命を落として」
「ほんで南だとウチらと戦って、西だとアクタ一家とご対面ですか。酷いもんや」
「これは生存競争ではない。戦だ。徹底的に殺るか殺られるかだけの全ての者が修羅道に堕ちる最悪の場。用意を怠った者や不注意な者が死んでいく。太古の頃より変わらぬ不文律。血と泥で平穏を蹂躙する世界。あとに残るは無惨な骸と狂気と怒りと悲しみが満ちるだけのな」
恐らくこの森のあちこちで人も動物も変わらず命を落とすことだろう。
里の者たちもどれだけ生き残れるかも不明で、仮に里にまで人間たちが押し寄せれば里は燃やし尽くされるだろう。
もはや無事な場所など何処にもなく、そしてそれを成した牛御前は山へと足を伸ばして不死を手に入れようとするだろう。
永遠の邪悪がその日から生まれ落ちてしまうことだけは避けなければならない。
たとえ、何を犠牲にしてでも。
「全ての因果は巡る、か」
遠い昔から変わらない一陣の風が髪を巻き上げ、木々の葉を揺らしていく。
決して戻らぬ過去の日々が頬を撫でた風によって思い出されていく。
この森の木々たちが小さな若木だった頃や、寿命を果てた私を産み落とした幾人の者たちの顔。
遡ればどれほどの者たちと出会い、別れてきたのかも分からない。どれほどの長い時間をかけて今日まで刀を振り抜いてきたのかも忘れてしまった。
生まれ落ちる度に山へと身を置いて鍛え続けてきた日々。最初の頃は刀に振り回され続けただけなのに、何度も実戦と生まれ落ちることを繰り返して鍛え続ければ、その抜刀は目にも留まらぬものとなった。
手が血に塗れようとも、汗で前が見えなくなろうとも、意識もハッキリとせず呼吸も苦しい場所で何度も何度も刀を振り続けたのだ。
巡る季節は全てが私の許された残り時間のように感じ、理由も分からない押し寄せる焦燥感に駆られて鍛錬に打ち込んだ。
恐らく今回の牛御前も鍛錬の一環に成り果てるのだとしても、私は刀を捨て去ることは出来なかったし捨てる気など起きもしなかった、
周りにいるのは昔の里の子供たちが繋いできた命の繋がり。里の未来を繋ぐ今の希望だ。
「サクヤ様? なにか気になることでもありますか?」
「ご気分が優れないのとちゃいます?」
「そ、そうなんですか!? なら私の家に来ますかっ? 肩とか揉んだりしますよ! というより揉ませて下さい!」
「いや。そういう訳じゃない。ただ大事なものを思い出していただけだ。遠い昔から続くものを」
きっと今の彼女たちには解らないことだとしても、それが解る頃まで生きて欲しいと身勝手にも思う。
これより先の将来に血染めの未来があると知っていながら、それでも身勝手にも願ってしまうのだ。
彼女たちが生き残れるように、と。
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