第16話:怨讐の向かう先は

「そして、奴ら畜生共の子を孕んだ幼子は逃げ出す気力もなく牛車に詰め込まれた」


 アクタの口から語られるのは最悪の一日についてだった。父親の怪我を発端とし、母親に売られて行き着いた先は欲望の坩堝るつぼ

 何もかも解らないうちに尊厳を奪われ、痛みを与えられ、快楽を植え付けられ、絶望を仕込まれ、希望を絶たれた。

 ただ牛御前の嘘によって隠れ蓑として消費された彼女は立派な着物と牛車で隠されて東国へと向かったらしい。

 数日前のことなのに、遥か昔のように感じる道を牛車によって速く過ぎ去っていく道では見たことのある背格好の女の死体が打ち捨てられている。

 死後数日は経っている所為で野犬に食い荒らされており何者かは判別することは出来なかったそうだ。

 生きる気力を失ったアクタは灰色に見える世界を呆然と見つめ続けてどれほど経ったか。

 牛車に射掛けられた矢が屋形にあたり、護衛として同道していた武士たちは血気盛んに現れた武士崩れの野盗たちと戦っていた。

 平某なる者が敗死したのがアクタが産まれる前の話ではあるが、頭を失ってとて全てが解決される訳ではない。

 野盗、野武士と呼ばれる者たちが多数現れ近隣の村々を襲っていたため、その者たちが牛車という貴族が乗っていることが解っている物を奴らが狙わないはずがない。

 護衛の武士たちは野武士たちと鍔迫り合いを行い、突然に始まる戦闘。

 彼女が座る屋形にも矢が刺さり、簾を破ってアクタの重ねて着ていた着物の裾を縫い留める。

 頬や腕を切り裂く矢にようやく自分が戦場にいることを理解した彼女は、諦めよりも強く暗い感情が腹の底、胸の内に芽生えたという。

 縫い止めた矢は床に強く着物ごと突き刺さったために脱ぎ、その下に着ていたあの女から貰った黒い着物だけで外へと飛び出した。

 暴れる牛を殺され、牛車が倒れる寸前に脱出した彼女は森の中へと駆け込んだ。

 何処へとも繋がるか解らない道なき道を身重の体で走り、黒い着物と小さな体を駆使して昼と夜を幾日も超えたときに幻想的な死が眼の前に舞い降りた。


「それがお前との最初の出会いだ、サクヤ」

「……お前は私と会う前から道を選んでいた。死してもなお消えることのない怨讐の炎がお前の目にハッキリと見えてしまった」


 怨讐の炎は向けられた先へと真っ直ぐに向かうが、道半ばで死ぬのであれば諸共に滅ぼうとする破滅主義者の成れの果てだ。

 それ以外に生きる術も知らず、それ以外に希望も見出せず、それ以外に自己を保てない。

 過去も未来も薪として焚べて怨讐が消えぬように燃やし続ける彼女に、私はどこかで変わるものだと思っていた。

 子が生まれた時にでもと思っていたが、彼女は自分の子も復讐の道具へと育てた。

 それもそのはず、彼女にとっては望まぬことによって、牛御前の策略によって孕まされた子供たちだ。

 アクタが子供たちを見る目は愛情からくる厳しさなどではなく、憎しみという厳しさで道具を磨き上げていった。


「……お前の復讐に、あの子達を使うのか?」

「子は親を選べない。親も子を選べない」

「アクタッ! それをあの子達に言うのかっ!?」

「事実だ。虚言で言い繕うことなど我はせぬ。この身はすでに怨讐に焚べた。全ては奴を殺すために存在する。毛筋一本、血の一滴さえもだ。心血を注いで復讐を果たすためのものだ」

「…………そんなことをして、何になる?」


 理解も共感も出来ない彼女の内側に今も燻ることさえなく燃え続ける炎。人生を焦がし続ける怨讐の炎は彼女だけのものだ。

 たとえ血の繋がりがあろうとも理解も共感も出来ないだろう。


「お前には解らぬよ。お前は怨みを抱けぬ」

「……なに?」

「お前には聞こえぬだろう、あの声が。我が生涯から片時も離れぬ怨嗟の声がお前のことを教えるのだ。お前への怨みも妬みも全て引き受けた女の嘆きが」

「っ!? それは、どういうことだっ?」

「その怨嗟は人の我とは比較にもならぬ。大海の如き怨嗟を前にしてもお前が理性を保てるかどうかは知らぬが……我が言ってやろう。。滅びの時はいずれきたる」


 御簾越しの宣告は、遠くない未来にやってくる暗い将来を占うかのようだ。

 いや、もしかたらそれは未来を確定する儀式だったのか。

 六神通や未来を見る力など彼女が得られているはずもないが、それでも彼女の言葉を嘘だと跳ね除けることは出来なかった。

 恐らく彼女は伝達者。怨嗟の繋がりによって彼女は何かと深く結びついているらしい。

 ゆえに、彼女を介して告げられるのは託宣とは違う。どちらかと言えば決闘の申し込みにも近い宣戦布告だろう。


「私が向き合うべきもの、ということか?」

「それは我の知るところではない。お前がそれと相対した時に決めることだ」

「……分かった。だが牛御前についてはどうするつもりだ? 協力する気はあるのか?」

「奴は殺す。我が生涯をかけて殺す。邪魔する者は皆殺す。そのためオウカ。そのためシロ。そのため執念クロ。そのための怨讐なり」


 もはやアクタを止めることなど誰にも出来ない。彼女はすでに怨讐として出来ることを実直に積み上げてしまっている。

 それが果たされないのであれば彼女は魔縁に堕ちてこの土地を、この森を、いや人界さえも呑み込む死魔になりかねない。


「……恐らくだが、これから遠くない日に奴らは攻め込んでくるだろう。どんな大義名分を掲げてくるかは分からない。だが牛御前は何らかの欲によってここに目を付けた」

「不死だろうな」

「即答か。しかし奴が単身で来るとは思えない。必ず人を引き連れてやってくる。その時にお前たちはどうする?」

「邪魔者は皆殺す」

「敵は策を弄するはずだ。お前の存在を知れば奴は近付かないのではないか?」

「……隠れろ、と?」

「能ある鷹は爪を隠すものだ。奴の首にその爪を届かせるのであれば―――「否」―――アクタ……」

「我は鴉。宵闇の淵より生まれ、暁闇より不吉を知らせる者。死の伝達者。我らが鳴く時は誰かが死ぬ。それが我らか……それとも奴らかの違いでしかない」


 御簾越しでは分からないが彼女の目には牛御前の姿しか見てはいない。

 奴の姿を見た時にアクタがどうなるのかは分からない。だが間違いなく暴走しており、見境なく周囲の者を巻き込みながら彼女は復讐を果たすために動くだろう。

 であらば里の者たちを守るためには極力近付かないように誘導し、また彼女に出来得る限りの情報を渡しながらその炎の風向きを調整するしかない。


「そこまで決めているのであれば何も言うことは無い。だが奴は今も都にいると?」

「奴はすでに東に造られた新たな御所を根城にしているらしい。どうやら奴め、結局は都を追い出されたようだ。そこで力を蓄えて都へと討ち入り行くつもりのようだ」

「ならば奴は東から向かってくると?」

「膨大な人間どもを引き連れてな。数を増やしている最中だとしても、恐らく今では三万ほどは手駒を確保していることだろう」

「っ。合戦でも始めるつもりか?」

「蹂躙だ。獣人たちを野犬のように引き裂き、狐のように皮を剥ぎ、熊のように解体し、鶴のように羽を毟るだろう。女子供がどうなるか……我は知っている」


 その言葉は泥にように身体にも心にもへばりつく最悪の未来。

 里の者たちが捕えられれば行き着く先は三途の川すら渡れぬ無残な地獄しかない。


「やはり、里の防備を固めなければならない」

「シロを使え。今からどれほどの罠を仕込めるかは分からぬが、里の者を使えばさらに罠の数を増やせるはずだ」

「里の防備を固めるのは賛成するが、三万という数は圧倒的だ。森は広いとはいえその数を鏖殺するのは難しい」

「人間は鏖殺せずとも半分以上狩れば叶わぬとみて逃げ出すわ。本命はそのあとに現れるだろう」

「半分……それでも数は膨大だな」


 一万五千も相手を罠だけで仕留めることは不可能だろう。だとしたら敵を倒すには里の狩人たちにも出て貰わなければならない。

 捕まれば最悪の地獄に突き落とすと解っていながら。


「……何から何まで、嫌な話だ」

「それが人の生きる道だ。どれほどの徳を積もうとも、どれほどの邪悪を重ねようとも因果は巡るのだ」

「因果、か」


 立場も生き方も考えも違うアクタと同じものと敵対する。しかし共に闘うのではなく乱戦時の不戦を約束するような簡易的なものだが、明確な目的が違うのであれば争う必要はない。

 アクタは怨讐を晴らすために牛御前の命を。そして私は不尽山を守るために彼らの命を狙い……奪うのだ。

 どれほど世界が平穏であろうとも、自然界の掟を人間たちに今一度思い出させなければならないようだ。


「仕方ない。戦いが回避出来そうもないのであれば、早々に準備を始めなければならない。私は里に戻る」

「あぁ。もう会うこともないだろう」


 畳から立ち上がり、手に持った刀を腰帯へと差し戻すとアクタは当たり前のように別れの挨拶をした。

 高齢の彼女はすでにいつ天寿を全うするかは分からない身だ。次に会う時が戦場であるとするならば、その時はすでに話をすることなど出来るはずもない。

 こうして……顔を突き合わせることなど出来ないだろう。


「……アクタ。お前がどう思っていようが子を育てられるほどにお前は成長した。そしてその間もお前は牙を研ぎ続けてきた。だから―――」


 死ぬな、とは言いそうになった声を噤む。

 そう遠くない内に彼女は死ぬ可能性が高い。そんな相手に対してその言葉をかけるのは自分本位な同情でしかない。

 彼女の今までを考えれば、最後にかける言葉としては酷すぎた。

 だからこそ、彼女の今まで聞いて本音を全て飲み下して口を開く。


「―――お前の牙は届くだろう。必ず」

「……ふん、当然だ」


 話す言葉はすでになく、それでもなお少しだけアクタの心に寄り添えた気がして私は彼女の家を出た。

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