第14話:アクタ一家 アクタ

 西の森に建てられた屋敷は巨大な木々や草花に囲まれていながら、そこだけぽっかりと穴でもあったのかと思うほどに何もない場所に建てられている。

 木の柵などの囲いはなく、平屋の建物ではあるが面積は広く、部屋数は家族四人にしては倍以上はあるのではないか。

 森の中に整地された場所があるだけも不思議なものだが、周囲の木々を綺麗に切り倒して無駄なく家屋の材料していた。


「どうぞ……サクヤ様……」


 森の中に建つ彼女たちの家に招き入れられて歩を進めていけば、家の戸へと続く切り株の足場をシロは片足で飛び跳ねながら進み、クロは足音すら聞こえさせないように着実に歩いていく姿を見る。

 周囲の木々や屋根に留まる鴉たちの行動は様々だった。こちらの動向を注意深く見るものも入れば毛繕いや仲間と戯れるものも居る。

 鴉は頭の良い生き物だ。仲間以外の種の識別だけでなく、個体の識別すらやってのける生き物なのを考えれば彼らの行動の差は私を知っているかどうかだろう。

 警戒心からこちらを見る鴉たちは小さく幼いように見え、また落ち着いている鴉たちは大きいのだから。


「妙な行動をしないかの監視、ということか」

「どうしたの、サクヤさまぁー?」

「何か、ありましたか……?」

「いや、何でもない」


 こちらを気にした二人が振り返って声をかけてきたのを返事をしていた時に、ふと泥と血で薄汚れた着物を着ていた出会ったばかりの年若い女の姿を思い出す。

 森の中に侵入してきた女を、いつものように対応していた年老いた前世の自分。何かに追われてきたのかもしれないが、それでも資格なき侵入者には静かに刃を向けて訊ねた。

 生と死の狭間。進めば死だけが待っていると告げれば、彼女は着物をはだけて成熟とは言い難いのに身籠った特異な身体を見せた。

 涙も見せず、刃のように鋭い目が印象的な娘が受けた境遇なのかは分からない。だがそれでも碌な目には遭わなかったのは違いない経歴キズを見せつけられ、それでも最後に訊ね……彼女は生きることを選んだことを思い出した。

 他人に自分を踏み躙られたまま死ぬことを良しとしなかった、暗い夜に燃える炎のような娘はその身に宿した子を産み育んだのだろう。

 彼女の特異性を受け継いだ子はしっかりと育ち、その身を里の者たちにすら見せずに彼女は今日も生きている。

 歳を重ねた女傑の敷地に足を踏み入れれば、鴉たちが一斉に一声鳴いて森に知らしめる。

 その声は歓迎か、はたまた警告か。彼らの巣に入ったことは間違いなく鴉たちが一斉に飛び立つ様は木々の葉が瞬時に無くなったかのように森に光が差し込んだ。

 また鴉たちが飛び立つと同時に感じる濃密な気配と、へばりつく泥のような視線を感じる。


「母様が……起きた、みたい」

「……そうか。起こす手間が無くなったようだな」


 クロが戸に手をかけて振り返らずに口にした言葉は全員がしっかりと理解していた。

 産まれてからすでに老境に達しようという時間の流れを経ても、その存在感は衰えることもなく熟成されているらしい。


かあ様の、支度を……手伝って、きます。シロ。サクヤ様を、お通しして?」

「分かった! サクヤ様も入って入って!」


 シロに手を掴まれて家屋の中へと通される。土間で草履を脱ぎ、内と外を分ける境界線である上がりかまちに足をかければ木の軋む音が響く。

 不思議なことに上がり框だけが古く、わざと音を立てさせるために用意されているかのようだ。

 どこか見覚えのある時を重ねた上がり框をあとにし、シロに手を引かれるまま大部屋へと通される。

 そこには黒い羽で装飾された手製の御簾があり、その奥には一段高くなった部屋があった。


「あの日とは……色々と変わったな」


 御簾の奥でクロに手伝われながらしわがれた声で話す女傑は声こそ衰えていようとも、その重みは決して衰えることはない。

 里の大人が声を聞けば裸足で逃げ出そうとも、里の子供が泣いて逃げようとも、彼女という猛女の内に秘められた炎が消えることはない。

 しかしそんな女の声が、私には戦場で出会う旧友にかける言葉にも聞こえた。


「歳を取ったな、アクタ」

「お前もな。若作りの年寄りよ。お前ほど歳を重ねた者は世に居まい」

「……否定はしない。だが私にとって歳など些末なことだ。定命ではあれど、輪廻の輪から爪弾きにされた身としてはな」

「フッ、ならば人魚の肉でも食ってみろ。さすれば定命すら捨てようさ」

「であればお前は変若水おちみずでも飲むといい。どんな戦場でも映える勇猛果敢な女傑に成れるだろうよ」


 互いに軽口を言い合いながら、腹の探り合いにも似た身辺の変化について確認し合う。

 思い出したように最初に出会ってから時が流れて半世紀は超えている。老境だった私は死に、彼女は子を産んで育てるほどの時間が過ぎた。

 そして再会する頃には年齢は逆転し、アクタは老いて私は幼くなっている。

 それがという誰にも平等に流れてきたものの正体だ。


「本当に、歳を取ったな……アクタ」

「誰もが歳を取る。だがその程度のことを嘆くつもりは無い」

「その程度、か」

「その程度だ。お前の苦しみはお前だけのもの。誰にも共有することは出来ない。人によっては理解することすら出来ないものだろう」

「解っている」

「解っていたとしても納得はしていないか。いったい幾度の誕生と死を繰り返しているかなど知らぬが、その面では人前に出るのは止しておけ。引っ叩かれるのが見ずとも目に浮かぶ」


 自分ならば暗に叩くと告げるアクタの心の強さは曲がることなき信念の成せる技か。

 だがアクタは御簾越しからでも解るほどに気迫は衰えず、他者であれば泣き言を言うものなど相手にすることはない。

 厳しく、貪欲に己の力を磨き蓄えてきた彼女にとって己の道を進むための足を止める行為など許容できるはずもなかった。


「アクタよ。何故、そこまで強くなれる?」

「弱いまま生き残れる者などいない。例えそれが森であろうとも、人の街であっても。弱肉強食の理はあるのだ。里の共存共栄など生温い」

「だが平穏とはそうして得られるものだ」

「その考えが生温い。聴け、この森しか知らぬ女よ。世界は森だけにあらず。そして最も繁栄しているのは人間たちだ。幾度の繁栄と滅亡を繰り返し、時には妖怪悪鬼と手を組むことすらある。そして……簡単に手を切ることも」


 御簾越しから届くのは大地の唸り声にも似た怨嗟がこもった嗄声させい

 月すら隠れる暗闇の森に浮かぶ篝火のように、遠目からでも分かる鬼火の心根は安易に触れた者を決して逃がすことなく劫火に巻き込む。

 受けた怨みは生涯忘れず、またその怨みは次代をも巻き込みながら燃え続けていた。

 御簾の奥ではアクタの横に静かに、されど凛として佇まいで正座をするクロや無邪気にアクタの言に同意するシロ。

 彼女たちの中で人間という種がどれほどの悪辣さを持っているのかは常識として刷り込まれていることだろう。

 もしかしたら、彼女たちの中では魑魅魍魎と人間たちの区別などないのかもしれない。


「……アクタよ。怨みは何も産まない」

「否。この老体を生かす杖にも、我が子たちの生きる道標にもなる。お前には理解できないことよ。お前は怨みを

「どういう意味だ?」

「……語るまでもない。それよりお前が我が家を訪ねた理由は、先の襲撃してきた鬼から聞いた名前のことであろう?」


 質問には答えないアクタだが、彼女は遠回しに何かを察しているらしい。

 彼女は頑固な正確で自分が答える気がないのであれば、恐らく粘った所で話すことはないだろう。

 だが無下に帰すことはせず話題を変えて、こちらの訊きたいことを促してきた。


「お前の産まれは人界だ。その名を聞いたことはあるだろう?」

「聞いたこと? その程度では済まぬほどの関わりがある」

「なに?」

「我が積年の恨み、憎しみ、嫉み。我が生涯の怨敵。それこそが牛御前である」


 部屋に充満する重苦しい雰囲気が、一種の冷気のように感じられるほどの殺意となって今までとは比較すら出来ないものとなる。

 一言喋ることに嫉みは怒りとなり、憎しみは敵意となり、恨みは殺意となった。彼女の口から声が発せられる度に家の周りから動物の姿は消え、また普段からアクタの世話をするシロやクロも瞬時に居住まいを正していた。

 しかし放たれる威圧感に身体が震えているのは間違いなく、最も間近に受けているクロは何とか気持ちだけでその場に座っているが小刻みに身体が震えているのは隠せない。

 二人共声を出せないほどに怯え、その表情を隠すために俯き、隠しきれない怒りを顕にするアクタと話せるのは自分以外に居なかった。


「アクタよ。確かに私はお前に話を訊きに来た。しかしお前の娘たちを傷つけるためでも怯えさせるためでもない。まだ、抑えよ」

「……ふん……」


 アクタから放たれ続けていた家が軋むような殺意が和らぎ、娘二人に部屋の外へと出るように手を振って指示する。

 彼女の壮絶な過去を教えることなど本来であれば誰にも知られず、死と共に葬られるべきものだとアクタも心の中で考えていたに違いない。

 しかし歳を重ねても消えない恨み、時間をかけても燃え続ける憎しみが未だに残り、燻ることなく大火として燃え続けていた。


「色褪せることなく燃え続ける我が憎悪。共有も共感も不要。ただの情報として聞くが良い」

「あぁ……分かった」


 彼女の言葉に頷き、娘たちが部屋から遠ざかる気配を感じ、長い沈黙のあとでアクタは小さな溜息を吐いて話し始める。

 あれはまだ年端のいかない頃のことだった、と切り出して。

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