第13話:アクタ一家 クロ

 富嶽の里では大人たちが子供たちに言い聞かせていることがある。


『西の森には近づくな。狸よりも虎よりも蛇よりも、恐ろしい者が住んでいる』と。


 おどろおどろしい語り口調で大人たちが脅し、里の狩人たちが西側の森には近づかないことから子供たちも危険な場所だと刷り込まれて近づかない。

 加えて西側には狩人たちの屯所や訓練場を用意してあり、子供たちが西側に入らないように誰かが目を光らせていた。

 それでもなお好奇心旺盛な子は居るもので、度胸試しとばかりに森に入るがシロの罠に捕まってしまう子を助けることもあった。

 里の大人たちに叱られて泣き出す子も多く、また、里に度々訪れているオウカが西側からやってくることもあり今は里の子供たちは西側に興味を示すこともなくなった。

 だが、それでも気になって仕方がないという好奇心が抑えられない者も少なからずいる。

 それがアキであり、タエであり、マナであった。

 当時は幼いながらも行動範囲が広く、タエを連れてアキは他の森を要石を目指して歩き回っていたらしい。

 そして北の森にて彼女たちの倍以上はあろうかと思われる体格をした熊の縄張りに入ってしまい、大分追い回されたのだと察するほどに助けた時は彼女たちの身体や衣服は泥に塗れていた。

 どこまでも執拗に追いかけてくる巨獣に肝を冷やした彼女たちも、今では優秀な狩人や職人になっているのを考えれば良い経験くすりになったのかもしれない。

 だが、それほどまでに森の危険性を知っている大人たちが恐怖と嫌悪を入り交えながら口を揃えて西側の森に近づくなと言う理由がこの森には在る。

 オウカが暴れたことによって出来た穴や倒木。シロによって蔦に紛れて隠しているのは呼吸困難に陥る花を煮詰めて抽出した毒を塗布した糸。

 また巨木の枝には鴉たちが奥へと進むごとに数を増やして森に入った者を監視する。

 動物が罠にかかれば鴉たちの餌となり、その形跡は兎の骨や狐の骨など幾つもの動物の骨が散乱していることから見て取れた。


「鴉たちが監視役か」

「かか様の鴉たちはすっごく賢いの。昔は喋れる鴉もいたって言ってたけど、今はもう喋れなくなったんだって。凄く大事にしていたけど死んじゃったって」

「……ずっと昔の話だよ、それは。その頃は兎も狐も猪も蛇も鳥のように、私たちと同じように当たり前に喋っていた」

「サクヤ様も知ってるの!?」

「ずっと、ずっと昔の話だ。ほとんど忘れてしまったけれど、仲が良かった動物たちも多かったように思う」


 色々な話が過去にはあった。

 兎の兄弟たちの虐め。猪の縄張り争い。猿と犬の喧嘩。鳥たちの合唱。魚たちの怪物退治。

 数え出せば切は無く、生きていれば事件はそれなりに起きている。種族の違いから起きる事件も、兄弟たちの虐めも、麗しき音色と共に彩る饗宴も。

 良いことばかりでは無いにしろ、それでもなお悲嘆ばかりの話でもない。悲しみもあれば楽しみもある。泣くこともあれば笑うこともある。そんな当たり前の日常の一部に彼らの声はあったのだ。


「サクヤ様はすっごく長生きしてるって聞いたから、そういう動物たちのことも知ってるの?」

「私は長生きとは違うよ。新芽が咲いて花が散り、そしてまた花が咲くように私は何度も産まれ直しているに過ぎない」

「産まれ直す? よく分からないよ……」

「難しい話だからね。気にしなくてもいい―――「サクヤ様」―――ん」


 段々と西の森の中心へと近づいてくると、黒い幹をした木の裏側からゆっくりと姿を見せるのは黒い着物と顔が隠れるほどの長い髪の幽鬼のような雰囲気を醸し出す女性の姿。


「クロ姉ぇ様!」

「シロ……サクヤ様に……遊んで貰ってた、の?」

「うんっ! サクヤ様は物知りだからお話面白いの! 難しいこともあるけど、でも色々教えて貰ったの!」

「そう……お礼、言った?」

「あっ、まだだった! サクヤ様、ありがとうございますっ!」

「礼を言われるほどのことはしてないが……ちゃんと礼を言えるのは良いことだ」


 彼女の身長と合わせるように膝を折り、片手で彼女の頭を丁寧に撫でていく。白く短い髪は少しの風でも毛先を揺らし、彼女の赤らめた頬を隠すことなく笑顔を見せる。

 純粋な少女の顔は見るのは、どれほどの時を過ごそうとも言葉すら要らないほどに嬉しいものだ。


「それで……サクヤ様は……どうして、ここに?」

「ん? あぁ、オウカが里で暴れていたのを止めるのに気絶させてしまってな。ついでに一緒に送っていく所だった」

「気絶……? そう……」


 クロは黒い髪は自分と相手を遮る御簾みすのように顔を隠し、彼女が隠したい部分を外に見せないようにするための物でこちらから見ることは出来ない。

 厚手の黒い着物も常に寸分の緩みもなく着付けされ、本来であれば走ることなど出来ない。

 里の主婦たちは服によって小股で歩くか走るかを余儀なくされ、膝まで出ている子供たちの足の速さに追いつくのは大変そうだった。

 だが、彼女の足の速さは里の狩人たちよりも速い。速度だけ考えれば狩人たちのほうが速いだろうが、実際は倒木や泥濘みを避けて動かなければならない。

 また敵がどの位置にいるのか、もしくは居たいのか行きたいのかという行動を踏まえて動かなければ無駄足となってしまう。

 しかしクロは敵の発見、行動予測、最小限の動きによって敵の懐近くまで接近する。彼女こそが森の中に潜む生粋の狩人。捕まえた敵は決して離すことはなく絶命させる。

 それでも彼女はタエよりも一年か二年ほどしか歳が変わらない程度の女性であり、それゆえにその黒い御簾が彼女を守るものとして機能していた。


「…………」

「クロ?」

「オウカ……起きてる、でしょ?」


 じっとオウカを見ていたクロがしゃがみ、オウカの頬をつねる。

 彼女なりに加減しているのだろうが、それでも人の首を圧し折り、両手で鷲掴みすれば頭の骨すら砕く握力でつままれるとオウカとて痛みにのたうつ。


「みぎゃあああ!? いたイタイ痛いって!」

「サクヤ様の手……煩わせた。里に、迷惑かけた。反省は?」

「イタイいたい引き千切れるっ! 頬がなくなるって!」

「反省、は?」

「してるしてるしてるから! 大人しく連れてこられたじゃん!」

「嘘つきは……頬を、失くす」

「反省してるのはホントだって! 嘘じゃないから! 止めて、ホントに痛い!」

「……仕方ない」


 腕の中でじたばたと藻掻くオウカの頬を抓っていたクロが手を離せば、オウカは自分の赤くなった頬を撫でて無事なことに安堵していた。

 痛みが酷いため無くなったのかと本気で心配している様子だが、クロが本気で彼女の頬を引き千切ることはしないだろうが、それでも力加減を間違えるだけで頬が無くなる可能性はあった。


「ひぃ〜……まだ痛ぇ。ホントにクロ姉ぇは容赦がねぇよ」

「女の子が……そんな、話し方……しない」

「オレだって戦士だ。弱いままじゃダメなんだ」

「オウカは強い。戦士に……男も、女も、関係ない。でも……話し方とか、お行儀とかは……別問題」


 クロは人差し指でオウカの額をぐりぐりと押していくが、オウカはその指を払うことはせず悔しさを滲ませる視線で睨むだけだ。

 反抗しようとしても取り押さえられるのを身に沁みているのだろう。


「それに、サクヤ様に……甘えたいなら、そう言えばいい」

「っ!? そ、そそそんなワケないだろ!?」

「そうだったのか? それならそうと言ってくれれば嬉しかったが?」

「ば、バカか!? バーカッ! バァーカッ!」


 オウカは素早く腕の中から飛び跳ねて、顔を真っ赤に染め上げて森の何処かへと姿を消した。

 その身のこなし、素早い動きは意識を取り戻した直後とは思えぬ速さであり、恐らく少し前から意識はあったらしい。


「オウカは……可愛い」

「オウカ姉ぇは天邪鬼なので」

「……そうか。姉妹の仲がいいのは良いことだな……っ!?」


 シロとクロ、そして過ぎ去ったオウカの姿を思い出しながら立ち上がると頭を強く殴られたような痛みに膝をつく。

 近づいてくる地面に咄嗟に手をつくが、意識は混濁しており束の間に遠い過去を幻視する。

 鮮やかな色合いに包まれた森の中を歩く二つの姿。華やかな花と同じ色の髪を揺らし、楽しそうに笑う女の姿とその隣で静かに微笑む輪郭なくぼやけた誰かの姿。

 時は移ろい、浜辺で水に足をつけて遊ぶ二つの姿。夏の日差しを避けるように木々の木漏れ日を見ている二つの影。小雪が舞う雪原を静かに暖かな部屋の中で見る二つの姿。

 いくつもの遠い昔のことを突然に思い出し、しかし煙がかかったように誰かの姿だけは思い出せない。


「サクヤ様っ!?」

「サクヤ様っ……大丈夫、です、かっ!?」


 駆け寄ってきたクロとシロの姿が目に入ると、泡のように白昼夢は消えて自分の状況が見えてくる。

 地面に両手をついて額に汗をかき、呼吸は荒く強い倦怠感に苛まれていた。


「はぁ……はぁ……いや、大丈夫だ。少し立ち眩みしただけだ」

「そんな……ふうには、見えない」

「心配させたのは悪かった。だが、もう何も問題はないんだ。恐らく最近見る夢のようなものだ」

「夢? 怖い夢だったの?」

「……そうかもしれない。怖く、そして悲しい夢だ」


 目の前に広がる暖かくとも悲しい場所。闇のように暗く冷たい場所。どちらも手の届かない夢である事実は変わることはない。

 それがどうしようもなく胸の奥を締め付け、枯れた涙を流させる。

 大切な何かを失ったことを思い出させ、それでも何を失ったのかを思い出せないことが痛みという形で返ってきてるのだろう。

 今までの生では時たま起きることはあっても今生ほどではない。明らかに茨木童子と戦った後からであり、何かの異変が起きているのは間違いなかった。


「異変、か。それよりアクタに会えるか?」

かあ様、ですか? 恐らく……会えるかと」


 クロは木々に止まった鴉たちを見て、問題なさそうなのを再確認して彼女は自らの家へと先導する。

 西の森に潜むように建てられた、彼女たちの屋敷へと。


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