第11話:アクタ一家のオウカ
その日の里はいつもよりも少しばかり落ち着きがないように見えた。
止まない雨が落ち着きを取り戻し、それでも曇天が空を覆い隠すような日の中で見回りを兼ねて里を歩いて感じたことだ。
そのほとんどが連日の雨によって作物に影響が出ていることや、森の中の獣たちが普段よりも騒がしくなっていることに起因しているようだが解決の糸口は未だ見えない。
「不安、か」
「やっぱりこの天気だと不安ですよね。洗濯物も乾きませんし、濡れると困るし」
「それは大変だけど、そういうことじゃないと思うよ。アキちゃん」
見回り中にアキに捕まり、右腕にしがみついた彼女は身体を寄せて頬を擦り寄せる。
昨日は体当たりにも思えるほどの勢いで胸に飛び込み、そこから数時間は離れなかった所為で細々とした場所までは見られず、また話を聞きに行くのも憚られた。
そして今日も普段より密着し離れない彼女だが、それでもなお身動き取れる状態なので見回りをしていたのだが、里の住民はどことなく不安を見せている。
「恐らくですけど、あの牛御前の話ではないでしょうか?」
後ろから一緒に歩きついて来るタエは里の人々の顔を見ながら、里の中で最も関心のある噂話であり、そして情報が尾ひれを引いて流れていることを説明してくれる。
「里の大人たちが話をしていたのを聞いた方も多く、その名から恐ろしい怪物を想像している者もいます」
「沢山の人間が襲ってくるんじゃないかとか。見たことのない武器を使うとか。山のような怪物だとか色々と話があり過ぎて……私はちょっと憶えてないんですけど」
「……先の鬼との戦いがあった後だ。今は噂話に過ぎなくとも過敏に反応するだろう」
里の中はその噂話で持ち切りとなり、どこの場所に行っても確実にその話題は出るという。様々な憶測が不安と結びつき、自分たちが想像する虚構によってさらなる恐怖に晒されている。
自分たちが頭の中で想像する怪物に心身を削られながら過ごす日々は如何ほどの精神を蝕むのか。出来ることならばすぐさまに解消できれば良いがそうもいかない。
情報は今もかき集めているが、それでも毎日とはいかないのだ。
「歯痒いだろうが、こればっかりは情報を待つしかない。だがどんな者が相手になったとしても勝てるように備えておく。それだけは怠らないように」
「「はい、サクヤ様」」
私の忠告にタエもアキも一切の淀みなく、迷いなく首肯してその言葉を受け入れる。
その素直な心根は日々の訓練にも表れ、二人とも訓練場でも実戦でも両雄が連携し切磋琢磨する姿は何度も観ていた。
彼女たちが連携すれば以前の鬼の襲撃も危なげなく撃退したと聞いている。アキの攪乱によって足を止めた鬼は、タエの膂力から繰り出される刃は止まった鬼を紙のように斬り捨てたという。
彼女たちの手にかかれば熟練の狩人たちが十人程束になったとしても真正面からでは勝ち目はないらしい。
だからこそ彼女たちは互いに高め合う間柄であるのだろうが、決して彼女たちだけが突出した強さを持つ訳ではない。
「オラオラオラァッ! お前らじゃあ十も二十も変わらねぇなぁ!」
「……あの声は」
外に作られた訓練場に幾つもの声が響き、その中でも特に大きな声が耳に届く。
自らの強さを誇り、その誇りに裏打ちされた実力者特有の自信に満ち溢れた声を聞いたアキとタエの顔が歪む。
アキは隠そうともせず、タエは一見分かり難いが頬や眉が痙攣したかのようにぴくぴくと動いている。
そして訓練場から投げ飛ばされた一人の獣人が吹き飛び、進行方向に土埃を上げながら転がり出てくる。
「どうしてアイツの声がするんですかね……」
アキが嫌そうな声を出して足を止めたことで、腕を掴まれていた私の足も同じように止められる。
後ろからついてきたタエは身長差から完全に隠れられてはいなかったが私の背に移動し、近付いてくる力強い足音から距離を取っていた。
訓練とはいえ、里の大人が吹き飛び転がされる姿は相手との技量差だけでなく相手の力そのものが強いのも間違いない。
その力強さの持ち主は里の外れにある森に近い訓練場で暴れていたらしく、ゆっくりと家屋の角からその姿を現した。
「よぉ……待ち草臥れたぜぇ? タァアアエェエエ?」
黄褐色と黒が混じった髪に虎のように好戦的な思考の持ち主。鋭い歯は敵の喉笛を噛み千切り、その腕力は素手で木々を圧し折ることなど造作もない。
戦うことを何より楽しみにしている彼女、オウカは肩や首を回して準備運動は終わりだと言わんばかりにタエに話しかけた。
それ以外は眼中にないのか笑みを深めて向かってくるオウカに標的にされたタエは、私の背から前に出ることはなく黙って目線を切る。
「やろうぜ、タエ。今度こそどっちが強いか決着をつけようぜ」
「今日は忙しい」
「そう言うなって。鬼どもがイイ遊び相手になってくれたがアレじゃあ足りねぇんだ。お前なら分かるだろ?」
「分かりません。貴女の言ってることが」
「そんなワケねぇだろ。お前もオレも戦いこそが生き甲斐だろうが? 相手を屈服させること。蹂躙すること。捻じ伏せること! 拳だけじゃあ満足出来ねぇから大太刀まで取り出してよ!? お前はオレよりも戦闘狂だろうがッ!」
拳を握りしめてタエのことを力説するオウカは、その顔に笑みを浮かべ、目は輝く宝石のように煌めき期待を込めて彼女を見ていた。
自分と同じだとタエを評価し、そして自分以上の戦闘狂であると判断していた。
確かにタエの力は里の男たちよりも強く、また大太刀に振り回されることもなく扱えるほどの技量が彼女にはある。
けれどもそれは彼女がただ強さを求めただけの者ではなかった。
「オウカ」
「……あぁん? あぁ、サクヤか。アンタは邪魔するな。戦えない奴に興味はねぇ」
「そうもいかない。ここは訓練場ではないし、何よりタエが嫌がっている。であれば止めるのが年長者のすべきことだろう?」
「里の年寄り染みたこと言いやがる。アンタとは
「仲間に刃を向ける気などない」
ギラギラと太陽の光を反射する湖の水面にも似た輝く瞳を見つめ返し、少しだけ撥ねた髪の毛を直すようにゆっくりと頭を撫でる。
耳がふにゃりと力なく倒れ、尻尾が小さく機嫌良さそうに揺れ動く様も一瞬のことだった。
耳と尻尾がピンと立つと彼女は手で腕を払い除けると、飛び退っては距離を取って威嚇する。
「オレをガキ扱いするなッ!」
「餓鬼とオウカは違う」
「そうじゃねぇ! オレを小娘扱いするんじゃねぇって言ってんだ! オレは一人前の戦士だ! 鬼もオレの手にかかれば幾らでも殺せる。里の男共よりも強いんだ!」
「知ってるとも」
「だったらどうしてオレを小娘扱いする!?」
「決まっている。それはお前が―――」
ほんの少し小さくため息を吐き出し、アキの手をするりと抜け出して音もなく吠え立てるオウカの背後にそっと立つ。
目の前には彼女の後ろ髪に隠されているが、確かに存在する白く細い首だ。
「―――未だ、小娘だからだ」
トン、という軽い音をたてて彼女の首を適切な角度と衝撃によって意識を奪う。
力が強すぎれば首の骨を折り、弱すぎれば大した痛痒にもならない。
こんなことをするくらいであれば縄で縛り動きを封じるか、それとも顎か腹を打ち抜くほうが効果的だろうと言えるほど無駄な技術でしかなかった。
意識を失い足に力が入らなくなったオウカを背後から抱きとめ、そして腕の中に納めるように彼女の身体を抱え込む。
その重さは昔よりもずっと重く、確かな成長を感じられるものだった。
鍛えられた無駄のない筋肉は朝から晩まで身体を鍛え上げることに集中したからこそのもの。
幼い時から森の木々に向かって拳を振るい蹴りを与え、そして手が自らの血によって赤く染まり、木にも血が付着したのを見ても鍛錬を辞めることを彼女はしなかった。
生まれながらの才ではなく、毎日決して辞めない秀才の力。それは誰にでも出来るような内容だとしても誰にでも出来るようなものではない。
日に一本木を倒すことが出来たのであれば、日に二本木を倒すことを目指せるやる気は称賛に値する才能だった。
しかし、それでもなお力との向き合い方を知らない彼女は未だ幼いままだった。
「彼女をアクタの家に送ってくる」
「あの家にですか? でも絶対に歓迎なんかされませんよ?」
「いや、どちらにせよ行くつもりだった。鬼の一件のこともまだ礼も言えていない」
「お礼って……オウカたちに普段迷惑をかけられてるんだからお互い様というか」
「個人的なことだ。私がしたいからしているだけの。アキたちは訓練場のほうを見ておいてくれ。意識を失ってる者が居るなら手助けを頼む」
「分かりました。お任せください」
「タエ?」
「アキちゃん。サクヤ様はサクヤ様のお考えがあるの。ここはお任せしよう?」
「うぅ〜……分かったよ。こちらはお任せ下さい、サクヤ様!」
「ああ。頼む」
アキとタエは殴り飛ばされた男たちを介抱するために軽く頭を下げてこの場を去る。
二手に分かれて手早く診ていけるのは慣れているからだろう。しかしその慣れも戦場においては必要な経験だ。
重傷か軽傷の判断が出来ないと時に敵に騙されたり、時に仲間の命を救えなかったりする。
少しずつ、あの二人もまた知識という分野でも強くなっているのは間違いない。
「さて、私も行くか」
腕の中には暖かな眠っている時は愛らしく、されど起きている時は猛々しい虎の如き少女を抱え直して森の中へと歩き出す。
目指すべきは西側の森に居を構えるアクタ一家の屋敷だ。
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