第2章 不尽山への侵攻

第9話:新たなる敵意の影

 鬼の首魁、茨木童子が去ってからしばらくが過ぎた。

 里に被害はなく、森の中もアキやタエ、アクタ一家の姉妹たちの協力により想定以上の被害は無かった。

 鬼の一団も京の都を襲撃し返り討ちにされた残党であったことで鬼の数も少なかったのが幸いしたのだろう。


「はぁああっ!」

「ぎ■ギャ!?」


 それでも鬼の瘴気に連れられて侵入してきた餓鬼の数はそれなりに多く、結界を越えていた敵も多かった。

 そのためアキと共に森の巡回を兼ねて彼女の戦いぶりを見つつ、森に異常がないかの様子を確認していた。


「この付近にはもう居ないみたいですね」

「……そうだな。里に現れる餓鬼は前よりも少ない。昨日は居なかったと聞いたが?」

「はいっ! 最初の頃は五体や六体なんて当たり前でしたけど、昨日は虫とか鳥の声がよく聴こえましたよ?」

「森が少しずつ平穏になってきたということだろう」


 周囲の気配を探りつつ、森の中でしか感じられない音や匂いを感じ取る。鳥の鳴き声や雑草を食む草食動物の咀嚼音。肉食動物が木々に隠れながら遠目からこちらを見つめる視線。色合いが独特な菌類が木々に生え、色とりどりの花々がちらほらと咲いている。

 森の中にある自然の摂理が支配する場所で、首を斬られて倒れ伏す餓鬼の遺体を見ながら鬼の首魁のことを思い出す。


「鬼が泣くとは……世の末だな」

「サクヤ様? 何か言いました?」

「いや、何でも無い。それより【牛御前】について何か情報は得られたか?」

「はい。カラが調べてます。本人は面倒臭そうにしてたんですけど、普段から森でサボってる奴ですから、徹底的に追い回して尻を引っ叩いて行かせてます。最終的にサクヤ様の名前を出したらすぐに行きましたよ」

「普段は知らないが、あの娘は仕事に対しては真面目だ。問題は無いだろう」

「そうなんですけど……普段ももう少し真面目になって貰いたいですよ」


 頬を膨らませたアキが不満を口にしながらも、カラという猫娘に似た獣人の少女は仕事に対して手を抜くことはない。

 事細かに調べることで自分の居場所を守ることに繋がるのであれば、彼女自身も手を抜けるものではないと理解しているのだろう。


「サクヤ様からも何か言って下さい。畑仕事とかやらないといけないことは沢山あるんですよ? それなのに中々姿も見せないし」

「私のもとにはよく姿を見せるが?」

「何ですと!?」


 まるで兎のように跳び上がって驚くアキが、わなわなと身体を震わせながら怒りを溜めている様はいつかカラに降り掛かる雷雲だ。

 こんなところに運悪く本人など現れようものならこの場で落雷が轟くことだろう。

 だからこそ、きっとこの場でカラが報告しに来ることはない。


「カラめぇ……次に見つけたら折檻ねっ! 石臼を抱かせるのもアリか? 丁度そば粉とか作らないといけないし」

「それは拷問の類だろう。私からも注意はしておくから許してやってくれ」

「うぅ……サクヤ様はカラに甘いんじゃないんですかぁ?」

「そんなことはないさ。皆、里の仲間なんだ。出来ることは同じでも、得意なことは皆違うものだ」


 アキの頭を撫でながら言い聞かせれば、目を閉じて心地よさ気な顔をしながら彼女は大人しくこちらの言葉を受け入れてくれた。


「だからそう怒ってばかりではいけないよ」

「……分かりました。それより今日の森の巡回は終わりですか!? 出来れば稽古なんてして頂けると嬉しいなぁって思ってたりしてまして……」

「あぁ、分かった。私は他にも幾つか森を見てから里に戻ろう。それほど時はかからないだろうから先に戻ってくれ」

「じゃあご飯を食べてからにしましょう! 私が支度しますからサクヤ様に食べて頂けますかっ!?」

「……そうか。アキは料理も作れるのか。ならば腹を空かせてから戻るとしよう」


 優しく頭を撫でれば彼女の耳は力が抜けて垂れ下がり、破顔した笑みと彼女の尾骨から伸びる尻尾は取れてしまうのではないかと心配になるほどに速く左右に振るわれる。

 手を頭から退かせば今度は尻尾は力なく垂れ落ちて、耳はぴんと雨粒を落とした後の葉のように立つ。


「それでは私は先に行きますねっ! あまり遅くならないで下さいねっ!」

「分かっている。作ってくれた料理を冷ます訳にはいかないさ」


 アキの姿が見えなくなるまで手を振り続け、彼女の後ろ姿を最後に見届ければ雑草をかき分けて近づく気配が後方から現れる。

 足運びによって彼女の重さを極力地面に伝えないように歩くのは、普段から隠れるように過ごしているからなのか。


「出てくれば良かったのではないか、カラ?」

「いやぁ……流石にアキちゃんの至福の時間を邪魔したら本気で石臼抱かされちゃいますよ。目の前でそば粉とかゴリゴリ作られちゃいます」


 振り返れば雑草をかき分けて指で頬を描く、縞模様の髪した猫の耳と丸み帯びた尾を生やした少女が姿を見せた。

 その背はアキよりも少し小さく、その童顔さは成人しているのに幼さを残している。

 アキよりも年重でありながらも身体の所為か、それとも心の所為かは不明だが未だに彼女は幼く、里の子供に紛れて遊ぶ姿も偶に見ていた。


「アキの言うことも分かってるだろうに」

「生真面目なアキちゃんとウチは違いますよ。それにご飯の汁物作るとか、味見で熱すぎて椀とか引っくり返しますよ? 薪割りとか斧がどっかに飛んでいきますもん。アレってあんなに飛ぶんだぁーって見てたらお隣の家の壁に突き刺さってました」

「……ほどほどに手伝ってあげればいい。それより、何か掴めたか?」


 被害がこれ以上に広がらないように手伝ってやればいいと釘を刺しつつ、彼女が掴んできたであろう本題を促す。

 すると彼女の雰囲気は瞬時に変わり、今までのとぼけた表情は消え去り仕事の密偵の顔付きへと変化する。

 そこに一切の感情は鳴りを潜め、その様子はただ淡々と口が動く絡繰人形のようだ。


「報告します。京の都を守護する源氏なる人族の者たちに怪しげな噂が立っていました。彼らは都を守る武士という一団ですが、それは他国や野盗のみならず悪鬼羅刹の類とも刃を交えてこれを討つほどの実力者揃いのようです」

「そこと戦って茨木童子たちは負けたということか。それで?」

「はい。都は人族に守られていますが派閥争いもあるようです。そのためか力ある者ならば重用するか、もしくは秘密裏に匿っていることもあると」

「どんな者でもか?」

「はい。お考えの通りかと」


 膝を付いて淡々と報告するカラの姿に嘘偽りを感じない。そして同時に虚偽の報告でなければ問題は人族との間にまで発展することになるだろう。

 鬼の一団を相手にし、これを討ち取る相手がいる武士たち。それがどれほどの脅威かは相対しなければ分からないが驚嘆に値する勢力なのは間違いない。

 そもそも人族の数は年々増え続け、一度は妖魔や病によって数を減らしつつもそれでも生き残っては数を増やして村や町、都を作って発展してきている。

 この地上で生きる生命の中で、いつかは全てを食い物にする生命になるかもしれないのが人族だ。

 対してこちらは森の中でしか世を知らぬ獣人族でしかなく、カラのような例外はあれど基本的には森の外に出ることはない。

 その規模も数も人族とは圧倒的に違うのだから、戦いともなれば蹂躙されるだけかもしれなかった。


「人族との戦いなんて、誰も望んではいないのにな……」

「しかし人族は強欲です。霊草を我が物にしようとするのは間違いないかと」

「例えそれが不死身の怪物に成り果ててもか?」

「怪物と、奴らは捉えません。もしかしたらサクヤ様ご自身を我らから奪うかもしれません。それほどまでに欲が深いのです」

「……それはそれとして考えよう。それで牛御前を見つけることは出来たか?」

「いえ。残念ながら発見は出来ませんでした。ですが京の都の何処かに居るようで噂は聞きました。もしかしたら奴は人族を使って侵略してくるやも……」

「可能性はある。だがそう簡単に移動できる距離ではない。時間はかかるはずだ」

「分かりました。それでは里の者たちと協力し対策と罠を作っておきましょう」


 カラからの情報を聴きながら考えを巡らし、これからの方針を簡易的に決めていく。

 引き続き京の都の情報も集めていかなければならないが、もしもに備えての対策も用意しておかなければならない。

 大軍が攻めてきた場合、こちらに利のある土地だからといって数の暴力の脅威が完全になくなる訳ではないのだ。


「面倒なことにならなければいいが……」


 そんな一抹の不安を胸の内に燻らせながら、消えない嫌な未来に腰帯に佩いた刀の柄を無意識に強く握っていた。

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