第8話:鬼が告げし名は
クロに捕らえられた鬼の首魁、茨木童子は抵抗するつもりもないのか斬られた腕を押さえながら地面に立つ。
木の上からクロと共に降りた茨木の首には未だクロの手によって圧迫され、不穏な動きをすれば彼女の手によって首を圧し折られるようになっている。
「それで……? なにが、訊きたいのだ?」
「まず、お前たちの目的は?」
「この森を越えた先、山の頂上にあるという【不死の霊草】があると聞いた。それがあれば非道な人間たちの罠によって殺された我が同胞を蘇らせることも可能だとな」
「……不死の霊草を手に入れるか。そんな眉唾な話、いったい誰の入れ知恵だ?」
刀を握る手に力がこもり、ゆっくりと茨木の首を絞める指に力が入っていく。
以前にも不尽山にあるという霊草を得た者は不死身になれるという噂があり、浮遊霊や天狗たちが攻めてきたことがあるが彼らもまた退治した。
浮遊霊たちは除霊し、天狗たちは里に多少の被害を出したが住民たちは無事であったし天狗たちは頭目の首を取ったことで決着はつき、情報を吐き出させれば奴らは風の噂で聞いたと言っていたが、それ以降の数年間は迷い人は居ても明確に攻め入ろうとする者たちはいなかった。
しかし、数年ぶりに攻め入ってきたのが敗残とはいえ鬼の一団であり目的も同じだった。
「大江山の鬼よ。貴様にそんな話を吹き込んだのは誰だ?」
「……知らぬ」
「今更抵抗か。情報を吐かないのであれば貴様にかける情けなどないが?」
「うぐっ! がはっ……キハハハ! お前は滑稽よ。気にしていない風を装いながら我をそう簡単に殺そうとはしない。それは何故か? 我が知っている情報が喉から手が出るほど欲しているからだろう!? ただの与太話だと断じるのならば我をさっさと斬っているはずだ」
「鬼が交渉の真似事か。貴様を切り刻むことに躊躇うような私に見えるか?」
刃を茨木の足に突き立てれば、斬りつけても防がれた切っ先は意外にも彼女の足を貫き地面へと縫い留めることが出来た。
「ぐあっがっ……はぁ、はぁ。お前も己が内に鬼を潜ませているのだろう? その容赦の無さこそがその証明よ。自分の目的のためならば敵を甚振ることなど雑作もなく行う非道さを持っているではないか?」
「鬼を飼う趣味はない」
「いや……飼うのではない。鬼へと一歩近づいているのだ。修羅よ」
冷たい刃を引き抜けば鬼の血が付着して刃を滑るように流れ落ちていく。
一滴一滴と血の雫が滴り落ちて地面へと吸い込まれていくのを見てもそこに何の感情も浮かばず、茨木の顔が苦痛に歪んだとしても関心さえも生まれない。
「鬼とはいえ出血死はするのか? 早めに答えたほうが身の為だと思うがな」
「お前も酒吞とは違えど鬼よ。どうだ? 我が同胞とならぬか? 永遠の饗宴享楽」の限りを尽くさぬか?」
「クロ。折れ」
茨木に話す気がないと判断してクロに視線を送り指示する。
それは彼女の腕を見せしめに折れという指示で、そのことを瞬時に読み取ったクロは茨木の腕を掴むために片手を腕へと回した直後だった。
「甘いわっ!」
クロの手が一瞬だけ緩んだ瞬間に茨木は抜け出し、足を斬ろうとしたこちらの刀を跳び越えて落とされた腕のもとへと駆け寄る。
彼女の汚れた着物は血によってさらに汚れているが、彼女は自分の腕を抱えてさらに跳躍して距離を取った。
「馬鹿め! 我は最初からこの腕を取り返す機会を待っていたに過ぎぬわッ!」
貫かれた片足から出血するのも気にせず、斬られた腕の切断面を繋げたまま器用に着物で縛り保持してみせた。
しかし足の傷と同様に治りは遅く、すぐにくっつく様子は無く茨木もこちらの刀を警戒して距離を取っている。
「お前のその刀、
「首を落とすだけで死ぬなら普通の刀でも良いのだがな。お前たちはこれでなければ即座に滅せないだろう?」
「お前の博識さは森で引き籠もっている者とは違うな。そして先の戦いでの頑強さ……いや、確かにお前の骨を折ったのは間違いないが生命力が異常だな」
「謎解きが趣味か、鬼よ。貴様の一団はすでに潰えた。貴様もここで果てるがいい」
刀を構え、奴の首を狙うように刀を水平に構える。
刀の刃には奴の血が張り付き、恐らく一度程度ならば使えるだろう。
「ハッ! 刀を構えて何とする!? 刀でこの距離を埋められるものかっ!」
茨木が枝から戯言を宣い、出来る訳がない喚いていても奴はこちらがどれほどの時間を鍛錬の時間に使っているかは知る訳もない。
私から刀を奪えばそれ以外に何もないと言い切れてしまえる程に、ただ一刀に全てを捧げて生きる者には到達できる場所があった。
「
水平に構えた刃には茨木自身の血が付着し、その血を刃先から
血液は水と違って粘り気を持ち、地面に垂れることなく刀の動きに合わせて動いてくれる。
水平から上段に、そして肩越しに構える頃には準備は整っていた。
「―――
茨木へと向けての横一閃。飛翔するは深紅の鎌鼬。
もしも雨粒であるならば目にも留まらぬ飛ぶ斬撃は、偶然に落ちた葉を通って茨木の首へと向かった。
振り抜いた刃を周囲の者たちが認識した頃には、その一撃が敵へと届いた頃だろう。
しかし、その一撃が茨木の首を飛ばすことはなかった。
首の皮を切り裂き、確かに血を流させながらも彼女が乗る枝を伸ばした木の幹を完全に切断して地に落としたのを確認しても命を断つことは出来なかった。
「な、んだと?」
茨木が自分の首を押さえ、器用に枝の上に立ちながら斬られた木の幹を見る。
支えにしていた木が斬られ、まるで巨大な竹槍のように見える切断面を凝視して驚いていた。
「お前の首を飛ばすには血が足りなかったな」
「血を飛ばして斬撃にした? そんな、バカなことが……」
「鬼の貴様には理解できないだろうが、ひとつの技を得るために十年でも二十年でも同じ型で刀を振り続ける者もいる」
「そのような歳月をただの獣人が……そうか、お前が噂に聞く守護姫かッ!?」
驚きつつも合点がいったという表情をして歯噛みをする茨木だが、その目にはもはや戦意はなく一瞬だが目だけで周囲を見回していた。
だからだろう。音もなく、気配も感じられないまま背後に忍び寄っていたクロの手を茨木は避けた。
一度、二度とクロの手を避けるのは彼女に掴まれば逃げ出すことは出来ず、その一握りで掴まれた場所は握り潰されるのを良く理解しているからだろう。
「同じ手を何度も喰らってたまるか」
「そんなに飛び跳ねて……カエルみたい……」
腕や片足、さらには首を斬られ、未だに治らない深手でありながらも茨木は残った片足を使って戦場を跳び回る。
それをクロからみれば必死に自分の手から逃げ出そうとするカエルのようだと挑発するが、茨木の性分なのか鬼にしては冷静に睨み付けるだけだった。
「……思ったより、冷静?」
「戦況が見えぬように見えるか? お前たち二人を相手にするのは面倒だ」
「ならば潔く首でも置いていくか? 私から見れば貴様はそういう性根ではないだろうが」
「では、交渉をしないか? 我はこの場所を教えた者の名を教えよう。代わりに我を見逃せ」
「貴様を殺しても、今度はお前の裏に居る者が現れるとは思わないか?」
「だが相手を知っていれば対応の仕方も変わろう」
「鬼が、本当の情報を……渡す?」
「信じるのも信じぬのもお前たち次第だ。だが情報が真実かどうかを信じるにはお前たちが調べるしかない。その切っ掛けにすることは出来よう?」
茨木はこちらの様子を窺いながら交渉をし、周囲を見回しながらも足を動かす素振りは無い。
逃走の動きがあれば即座に追い付かれて問答無用に切り捨てられるのだと本能的に解っているのだ。
獣人たちが鋭敏に感じ取れる気配を、鬼もまた血の匂いの所為なのか鋭敏に感じ取り、そして彼女の冷静な部分が生き延びる方法を考えていた。
「……場合によっては交渉に応じてもいい」
「ほう?」「サクヤ、様?」
こちらが折れたことで茨木の口元には笑みが浮かび、クロの口からは疑問の声が上がる。
残っていた血糊を布で拭い納刀すると、鬼の頬は緩んで前のめりになって口を開く。
「誰に唆されてこの場所を襲撃したか。確かに重要な情報だ。それを貴様たちの襲撃を許す代価にしてもいい。だが、貴様の命を見逃す代価にしては安い」
「では、何を差し出せと? 身体とは言うまいな?」
「試し切りの藁にでもされたいか? 私が知りたいのはお前自身がこの場所に何を望んで来たか、だ」
返答次第では情報を吐かせたのちに斬るつもりでの質問だった。
一挙手一投足、視線や頬の筋肉の動きなど全てを見逃さないように見ていたが、茨木は真っ直ぐに見返して一呼吸の間を置かずに答えた。
「我が同胞、酒吞の復活だ」
「鬼が仲間のために動くか?」
「お前が鬼に対してどう思っているかなど知らぬが、我と酒吞は血の繋がりよりも深く結びついている。血や身体よりも深くだ。しかし酒吞は人間共の奸計によって首を斬られて討たれたッ! この憎しみ、この怨みが晴らされることなどあり得ぬのだ」
酒吞という鬼のことを語りながら自らの斬られた腕や足、首からの出血量が増えていても気にも留めず、茨木はその憎悪を隠そうともせずに喋り続けていた。
憎しみが、怨みが、辛さが、苦しみが、悲しみが茨木童子という鬼をここまで動かしているのだろうと思った時に、鬼の背後に奇妙な錯覚だとも思える幻視をした。
暗く黒い、息すらも出来ず全身を圧迫されるような場所から禍々しく光る赤い二つの目がこちらを見ているのを。
「憎いニクイ憎い憎たらしいッ! あの武者共も! あの我が腕を斬り落とした男も! 酒吞を殺したアイツも!」
「……大江山の鬼よ、ならば重ねて問う。何故同胞の復活を願う? お前は復讐をしたいとは思わないのか?」
「復讐……あぁ、したい。したいとも。奴らの都を焼き払い、人間どもが逃げ惑う様を嘲笑いながら切り裂き肉を食らうのは楽しいだろうよ。だが―――」
茨木童子は瞼を閉じて、思い出すように彼女は口を開く。
「―――楽しいのは、酒吞が居たからだ」
鬼が瞼を開けてその言葉を呟いた時、あの奇妙な幻視は掻き消えた。
そして残されたのはまるで置いてけぼりにされた哀れな幼子のような、小さく消え入りそうな鬼だけだった。
そんな本音の部分を曝け出す姿を見れば、彼女について少しばかり考え直す部分はあった。
「茨木童子。残念だがあの山にもこの森にも死者を蘇らせる物はない」
「霊草があると聞いた」
「お前が復讐のために生きるのであれば活用出来そうな物はな。だがお前の道が同胞と共に生きる道ならば……ここには、何も無い」
「…………そうか…………」
茨木は手を握り締め、自らの爪で傷つき手から血が滴り落ちる。歯を噛み締めて天を仰ぐその姿は悔しさゆえか、悲しみの所為か。それでもなお彼女が求めた物は無いという事実だけは変わらない。
その事実を認めた彼女は里も山にも背を向けた。もはや、この場所に用は無くなったのだから。
「……茨木童子。お前に訊きたいことは最後にひとつだけだ。誰に唆された?」
「牛御前。あの女はそう名乗った」
茨木は最後にそう言い残して森を去る。あとの残されたのは彼女がいたという血痕と棍棒だけだった。
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