第7話:鬼の首魁、茨木童子

 最初の一合がぶつかり合うことはなかった。

 力任せに真横に振り抜かれた棍棒は木々を壊し、それでも速度は変わらず私を狙っていた。

 その一撃が当たれば木々のように身体は引き千切れ、身体の中身が鮮血とともに辺りに散らばることだろう。

 身体のどこかに掠っても抉られるように持っていかれるに違いない。

 最初から避けるという選択肢しかない一撃は、相手の身長が意外にも自分よりも小さい所為で避けられる場所は少ないが選んだ場所は上だ。

 速度を落とさずに回転しながら茨木の上を飛び越え、彼女の近くに立っていた鬼の首を刈り取りながら足場とした。

 すかさずその身体を地面に見立てて茨木に強襲する。

 斬られたことにすら気づかない鬼は頭が胴から離れたのを自分で認識しながら死に行き、茨木は棍棒によって刃を防ぐ。


「キハハハ! 曲芸で我を楽しませるか!? ならば次は舞踊でも見せるか!?」

「お代は貴様の命だがな」

「命の散華を見せてみよ!」


 棍棒を手放した茨木は握りこぶしを作り、その魔手が伸ばされる。

 その手は小さな棍棒のように厚みを持ち、鬼の怪力と合わさればそれだけで凶器となる。

 しかし彼女の身体は小さく、その手が届く範囲は決して大きくはない。

 風を切り裂く拳は棍棒を手放し、大勢を崩した私に有効なのは間違いないが武器を手放した相手の隙きを見逃すはずもない。

 避けられない敵の攻撃を最初から避けるつもりはなく、抜身の刀を返して魔手と人間の腕の間を狙う。

 茨木の手は鬼のように鋭く厚みを持った強さを見せているが、それは肘から上の腕は人間のままであることを考えればその部分は容易く斬れるに違いない。

 仮に腹を貫かれたとしても腕ごと貰うつもりで払った刀が肌に触れた瞬間に―――


「させぬっ!」


 ―――茨木はさらに踏み込み、角で刃を受け止めた。

 しかし角程度では一瞬止めるには有効だが、込められた力を完全に止めることは出来ない。

 角に刃が食い込もうとしたのを、腹を貫こうとした魔手による一打が腹部にあたり、衝撃で吹き飛ばされる。

 その一撃は転げ落ちたきた岩を受け止めるような衝撃で、腹を突き破ることはなかったとしても一点に込められた岩のような一撃は呼吸を止めさせるには充分な威力だった。

 吐いた息は追い打ちのように木の幹に背中を打ったことで血とともに出ていく。

 骨は折れ、内蔵を傷つけ、意識を混濁させるに充分な威力。だが、その程度で膝を屈することはない。


「かはっ……はぁ……どうした鬼娘きむすめ。まるで暴漢に襲われるのを嫌うかのようだったが?」

「そう何度も腕を斬られて堪るか。しかし貴様も大概化け物よな? 我の一撃で死なぬとは……骨は砕けたはずだが?」

「それを答える義理は、ないなっ!」


 雑草が生い茂る地面を駆け抜け、棍棒を拾い上げる茨木に胴を狙った横薙ぎの一閃を仕掛けるも棍棒で受け止められる。

 衝突の瞬間に火花が散るが、鬼の膂力はこちらの攻撃に重さを感じることはない。

 しかし、こちらも最初から力比べをするつもりはなかった。

 それはこちらが刃物で奴が鈍器であるという武器の特性からも分かる通り戦い方が違っている。

 互いに殴り合いをしている訳ではなく、相手の命の取り合いをしているだけだ。

 そのための手段、方法は互いの得意分野によって為そうとしているに過ぎない。


「達者なのは減らず口だけか?」

「お前の両腕を叩き落とす算段をつけているに過ぎないが?」

「……油断や慢心など……我には無いわっ!」


 棍棒を振り上げた反動で弾かれて大きく後退させられ、足で踏ん張った地面には二つの線が出来上がる。

 そして今度は茨木による反撃の一撃が振り下ろされる。

 風を巻き込みながら振り下ろされる鉄塊が脳天を狙って振り下ろされるのを、足を一歩だけ下げて上体を反らして回避する。

 さらに、柄を握り直して逆袈裟斬りにて反撃する。

 棍棒と刃がすれ違い、女の身体に斬り上げた刃が吸い込まれるように向かう。


「ちぃ!」


 しかしそれを止めたのは茨木の血に濡れた足だった。

 向こう脛の辺りまで硬質な外皮は甲羅か鎧のように硬く刃を受け止める。

 散る火花と女の重さを感じる手応えが刃に伝わってくると、このまま斬れるかどうか刀を押し込んでいく。

 鎧と言えど作りが甘ければ貫けるように、奴の手足の硬さがどれほどかを知らなくては手の打ちようがない。

 だがその手応えは流石は鬼の統率者。硬い外皮の部分は並の鎧よりも硬く断ち切るには力が足りなかった。

 ならばとその重みを軸にして跳び上がり、削るように刃が足回りを廻り、また私の身体は宙を舞った。


「貴様っ!?」


 茨木の棍棒が地面を抉り、その場所を中心にして地面に罅を入る。

 砕け散る大地の破片が砂と共に舞い上がるなかを刀を彼女の足から離し上段へと構えた。

 刀の間合いを潰すことなく変幻自在に移動し、刀を構えるなど獣人族ならではの身軽さがなければ出来ない。

 それは例え京の都を守る武士たちであっても、人の領域での戦い方をするしかないのだ。


「ここで……死ねっ!」


 振り上げた刀を真っ直ぐに振り下ろす。

 空中においての攻撃は身体の全身の力を使い、身体が下へと落ちる落下速度をどれだけ加速させられるかによる。

 刀が持つ重さに加え、そして私自身の身体全体を使っての腕を振り下ろした速度は常人同士の打ち合いならば刀ごと斬っていると断言できる一撃であり、間違いなく棍棒で受け止めるには間に合わない一太刀だった。


「させ、んっ!?」


 茨木は先程と同じように棍棒から手を放し、そして手で刃を捕えようと手の平を大きく開いて待ち構える。

 しかしその体勢は悪く、こちらの姿を真っ直ぐに正面を見る前、振り返る瞬間のことだった。

 その一瞬という刹那に刃は閃く。

 その一閃は敵の頭を狙った一撃ではなく、茨木が抵抗のために手で防ごうとした瞬間を待つ返し技。未だ人の身を残す肩口を狙った一撃だった。

 肉を断つ一太刀。柔らかな皮、筋繊維を瞬時に切断した一撃は茨木の顔を驚愕に歪めたあと肩口よりを噴出させながら腕が飛ぶ。


「グあアあゝぁァっ!?」


 茨木が肩を押さえて絶叫するのと同時に地面に着地。そしてさらなる追撃の一手を加えるために刀を構える。

 敵は両手が使えず、棍棒も持てない。武器を取り上げられれば戦意は落ち、出血によってもはや戦えないのが普通だろう。

 しかし相手は怪物、化性、悪鬼と呼ばられる鬼の首魁である茨木童子。腕を斬られた程度で負けを認めるほど脆弱ではなかった。

 走りながら下段に構えた刀を切り上げれば、それよりも高く飛び上がり木の枝へと着地する。


「貴様……貴様アッ! よくも、よくもまた我の腕をっ!」

「油断も慢心もお前たちの心の奥底に根付くもの。簡単に捨てられる訳がない」


 木の枝から見下ろす茨木を見上げ返し、刀を上段よりも低い位置で構える八相の構えで待機する。

 攻防一体の構えで敵の次の行動を予測しながら待ち構え、痛みで我を忘れている茨木の反応を伺う。


「我の腕を切った! 我の腕をまたもっ! 何より我が慢心だと? 我が油断だと?   そんな訳がないっ。我は鬼の首魁。我は酒吞を蘇らせなければならぬ。そうでなければ我らは奴らに駆逐される。復讐できぬ。人間どもを討つことが出来ぬっ!」

「お前たち鬼は奪うことしか知らぬ。そんな者が他種族と共存など出来ない。人という種は、共に生きられぬ生命に対して恐ろしいほど冷酷に対処する生き物だ」

「貴様も化け物であろうがっ!」

「……否定はしない。だが奪うことしか知らぬ化生のお前とは違う。線引という分を弁えぬお前たちとは。だからこそ周りが見えていない」

「なに? 周りだと?」


 高所から見下ろす茨木ならば冷静に俯瞰すれば現在の状況は見えているはずだった。

 茨木が暴れたことで地面が割れ、木々は倒れたものや倒れずとも大きく抉られているものもある。

 しかし最も大きなことは茨木自身が引き連れてきた部下たちが追撃しないことに遅まきながら気づく。

 攻撃範囲に近づくはずもないが、それでも援護も出来ない部下たちを叱り飛ばそうとした茨木は振り返り、それを見た。

 暗闇に浮かぶ……眼光を。


「貴女の……部下は……私たちが、処理……した」

「クロ!」


 暗闇に差し込む月光に照らされてもなお黒い者。黒い服に黒く長い髪。隙間から見えるのは見るものを恐れさせる眼光と蛇のような鱗があった。

 まるでいつの間にか背後に立っている影のように。


「貴様、ぐがっ!?」


 首を鷲掴みにするクロの五指は華奢な見た目とは裏腹に一本一本が絡みつく蛇のように意志を持ち、相手の首を圧し折ろうと力が込められていく。

 また本来ならば援軍であるはずの鬼たちはシロの罠によって逃げられずにオウカに殴殺されていた。

 血塗れの中で肉食獣のように笑うオウカの声が森の奥から聞こえ、この場においてすでに勝敗がついていることを決定付けていた。


「あとは……貴女だけ」

「きさっ……まぁっ! 我の、部下をぉ!」


 じたばたと藻掻いても茨木の首を締め上げる指が緩むことはなく、それでも抵抗を続ける鬼の姿に気を緩めることなく刀を構える。

 鬼の生き汚さは森の奥地といえどもその脅威と共に知れ渡っており、油断は出来ないが訊かなければならないことがあった。


「クロ。そいつをまだ殺すな。訊かなければならないことがある」

「……そう。拷問なら、得意」


 小指から順に力を入れていくクロに呼吸が少しずつ辛くなっていく茨木は逃げ場所がないことを理解したのか、足掻くのをやめて大人しくなる。


「ふふふっ。死ぬと解っていて我が情報を吐くとでも?」

「選べる立場だと思っているのか?」

「ぐっ……勿論だ。我に何の情報を求めているかは知らぬがな」

「サクヤ様……殺し、ますか?」


 首を一段と強く握るクロの目は茨木の身体を木の枝から足を離れさせて宙へとその身を晒す。

 足場も失ったことで圧迫感は増し呼吸すら満足に出来なくなっていく。

 クロは私の静止の声に従っているだけで、彼女自身は茨木の命も情報も興味はなく淡々と殺してしまうに違いない。

 何の興味も感じない目が茨木と合うと、もう少しで首を圧し折るだろうというところで茨木が口を開く。


「わ、分がっだっ! は、話ずっ!」


 肺に残った僅かな空気を使って彼女は降伏を宣言した。

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