第5話:鬼種への備え

 鬼狩りを果たし、返り血を滝のように浴びた頃に様子を見にきたアキとウイに驚かれ、自分自身以上に心配されていることに安心させたくて、アキの頭を撫でながら謝罪したことで何とか一安心させることが出来た。

 首を落とした鬼の死体に恐る恐る近づくウイと、耳を立てて睨みつけるアキの二人に変わったことが無かったかどうか確認する。

 要石が他に壊されていないか。森に他に異常はないのか。些細なことでも知っていれば対処、もしくは回避できる危険が世の中にはある。


「私のほうは森で餓鬼を数体見つけたので退治してます。そこから他にいないか確認しましたけど見つかりませんでした」

「なるほど。耳のいいアキが発見出来なかったのならいないのだろう。ウイはどうだ?」

「他の要石の状態ですけど、ちょっと古くなってただけで壊されてはいなかったですよ。結界が壊されたのはさっきの所だけですね」


 ウイの報告にアキは深く息を吐いて安堵したが、それでもいつ壊れてしまうのか分からないという危うさは解消されてはいない。

 全方位から攻められる状況など考えられるなかで最悪の事態なのは間違いなく、そのことを無視する訳にもいかなかった。


「……要石はなるべく早く対応しよう。事態は一刻を争うかもしれないからな」

「なにか遭ったんですか? 鬼は退治しましたけど?」

「コイツは鬼の先遣隊だ」

「先遣隊ってことは……他にもいるってことですか!?」

「各地に散らばった先遣隊の一匹だ。どうやら都の方で敗北した鬼の一団の残りが再起を図ろうとしているようだ」

「ひぃ!? あ、あの逃げていいですか? ウイは逃げてもいいですか!? 幽霊は食べられる身が無いのでいなくても大丈夫ですよね!?」

「要石からアンタは遠くに移動できないでしょ。里の中にある石が本体なんだし」

「じゃあ石を持って逃げましょうよ! 鬼とか強くて無法者のおっかない奴らじゃないですか!? 死体に鞭打つんじゃなくて鞭代わりに死体を使うような奴らですよ!? こっちの常識なんか聞く耳ないですよ!?」


 幽体のウイが地面をゴロゴロと泣き言を吐きながら転がり、顔色の悪さをさらに悪化させて仕舞いにはさめざめと涙を流して泣いていた。


「ウイは落ち着いたようだな。アキ、私達は一度里へと戻り対策を立てる。要石を新しくする件もある」

「分かりました!」

「落ち着いてないですよ! 何も解決してないんですからねっ!?」

「……解決するための対策を立てるのだ。結果は鬼の死体で証明する。私は不尽人だからな」


 死ぬことのない身体はどれだけの歳月を経てもある時を境に成長することはなくなった。

 傷つき倒れる身体であっても死ぬことだけはないのなら、何度でも立ち上がり牙を突き立てられるこちらが勝つのが道理だろう。

 百度の死ぬ思いをしようとも、百一度の牙で噛みつき喉笛を食い千切れば良いのだから負けることなどない。


「サクヤ様……微力ながら私もいます! 大丈夫ですっ! 鬼だって狩り取って見せますから!」

「アキ、無茶はするな。他の者とも協力して戦え」

「もちろんですよっ! タエとも協力して頑張りますから」

「あの……ウイは?」

「最低限ちゃんと鈴代わりはしてよね」

「鈴!? ウイはそういう扱いなんですか!?」


 冷たい態度でウイをあしらい続けるアキから和紙を受け取って顔を拭えば大量の血が付着したことで、拭き取るよりも里に戻って湯に入るほうが効率的だと判断した。

 そのためウイに結界の補修を任せながら、アキと連れ立って里へと帰還した。

 鬼の首を回収して里へと戻れば、待っていた里の者たちに大層驚かれ、鬼の首を渡して報告の前に身支度を整えた。

 手につかなかった朝の仕事もそのままに、夕餉の準備に取り掛かる頃に里の有力者たちは集まった。

 場所は里の中で大人数が集まれる、食事処の机と椅子を一箇所に集める形となった。

 集まった者はアクタ一家の代表としてクロを迎い入れ、年老いた里長や鍛冶屋の親父、商家の鶴のように美しき線の細い娘のマナ。そこにタエやアキの成り行きを見守ろうとする者たちが集まった。

 店の外には野次馬もいるが、森の中での出来事や今後の方策を知っておいて損はないだろうと思い誰も散らそうとはしない。


「では、サクヤ様。森での事の顛末を教えてほしいのですが……」

「里長。あの鬼の首を見てねぇのか? あれが餓鬼共を連れて攻めてきたんだよ。そいつをサクヤ様が成敗した。それだけの話だろうよ?」

「ミロクよ。ワシもそのことは解っておる。だが事実関係をしっかりと理解しておらぬと足を掬われるもの。お主も鍛冶をしておれば痛いほど解るだろう?」

「そりゃそうだけどよぉ」

「二人とも、その辺で終わりにしろ」


 席に着く男たちは言い合いを続けようとしたところに口を挟む。

 二人の男たちがぴたりと会話を止めるのは、里長にせよ鍛冶師の男にせよ見た目の年齢から見れば親以上に年が離れている女に会話を止められるのは他人が見れば奇異に思うだろう。

 しかし事実は里長や鍛冶師よりも年長者である者の言葉に従っているだけであり、注意された二人は尻尾と耳、肩も落ち込ませて反省しているようだった。


「す、すんません……」

「すみませぬ、サクヤ様。しかし餓鬼たちが里に現れたこととサクヤ様が退治して下さった鬼の侵入。正直に申し上げて頂きたいのですが、里は非常に危機的な状況なのではないでしょうか?」

「明日に突然……ということは無いだろう。だが里長の言う通り現状は住民にも危害が及ぶ可能性は高い」


 ざわり、と野次馬を中心に噂話がひそひそと広がっていくのが聞こえる。

 朝から見た襲撃してきた餓鬼たちの姿や鬼の首、という里では今まで無かったものを見てしまったことで信憑性の高い噂話が里の中では話されていた。

 曰く、もしかしたら里は崩壊するのかもしれないと。

 このまま沈黙を続ければ肯定と見なされて恐怖が野次馬たちを支配するだろうというところで私は言葉を続けて否定する。


「だが現状の把握がいち早く出来た以上対策は立てられる。違うか?」

「ええ……その通り、かと」


 まるで独り言のように呟いた声が静かな場であったがゆえに誰の耳にも聴こえ、その声の主である黒一色によって纏められた喪服を常に着ている彼女を全員が見た。

 顔を隠すほど長い黒髪からチラリと見える唇が動いて話を続ける。


「重要なのは……今後の、対応でしょう。特に相手が鬼、であるのなら尚更……」

「クロ。お前たちも協力して貰えるのか?」

「里の危機、であると聞けば……もちろんです」

「それはアクタ一家の総意か?」

「……母は、分かりませんが……姉妹は、そう思っておりますよ」


 クロは静かに清流のような涼やかで自身の本音を読ませない喋り方で話し、微笑む口元も彼女の感情を表すことはない。

 里の者たちにとってアクタ一家の厄介さは表立って口にはしないまでも陰で彼らが話しているのを聞いたことはある。

 一家の長であるアクタは里には一切姿を現さず、また家から出ることもないため噂や姉妹伝手にしか現状を知る術はないが嘘を吐けそうにないオウカが大人しく言うことを聞いているのだから存命はしているのだろう。

 それに彼女たちが里の者たちに嘘を吐く理由は無い。仮に亡くなっていたとしても姉妹たちが強いのだから無用な戦いを挑むはずもない。


「そうか。ならば問題ないな」

「さ、サクヤ様! そんな簡単に信じるんですかい!?」

「ミロク。彼女もこの森で生きる仲間だ。嘘を吐く理由などない」

「ですがアクタは堕人おちびと―――「ミロク。それは仲間に言う言葉ではない」―――……すみません」


 鍛冶師のミロクが言い過ぎた言葉に謝罪し、ばつが悪くなった彼はそのまま退席してしまう。

 つい睨んでしまったが彼の言いたい不安は、この場にいる者たちが心の中に閉まっているものであるようで全員が視線を逸らして何も言うことは無かった。


「……今の対処しなければならない問題は鬼の目的だ。仲間を疑うことではない。皆にはそこを理解しておいて欲しい。そこでマナには要石を新しくするので祈祷を頼みたい」

「かまんよ。石はどうするん?」

「私が用意する。ウイに聞いたところ壊れていなくても古くなっているのは間違いないらしい。他の場所も一斉に壊されては太刀打ち出来ないだろう」

「なら山には登れへんけど、石を運ぶかくんは手伝えるんと違う? 男手いる?」

「四方に運ぶ際には頼らせて貰う。それと、皆に伝えておきたい。敵がどの程度の規模なのかは不明だが追い込まれた鼠とて猫を噛むことはある。今回の鼠は嫌なことに鬼だ。何が起きるかは分からない」


 鬼の強さを、恐さを、残虐さをしっかりと里の者たちと共有する。

 奴らは己の快楽のためにどれほどの他種族を殺しても痛みを感じることはない。それが弱肉強食という自然の摂理だからだ。

 面白半分に敵を殺し、面白半分に獲物を喰らい、面白半分に相手を犯し、面白半分に貴重品を破壊していく。

 暴力によって総てを従え、暴力によって全てを成す。悲劇無くして生きられない生命である鬼に情状酌量の余地はない。


「もしも、鬼と遭遇することがあれば瞬時に判断しろ。戦えない者は全力で逃げ、戦える者でも一人で戦うことはするな。仲間とともに鬼を討て。手負いの鬼であっても油断なく全力で討つんだ。良いな?」


 誰もが真剣に耳を傾けており、最後の問いに里中に響くほどの声が一斉に轟く。

 全員一致の応答に、やってくる脅威に備える時がきていた。



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