第4話:不穏の前兆
応急処置としてウイに結界を直させながら、森の音を注意深く聴く。
木々の梢が風で揺れて触れ合い音をたて、小動物たちがどこからか姿を現し始める。
彼らは脅威に敏感で、結界が直り始めたとはいえ餓鬼たちが侵入した場所に戻ってくるには早すぎるように思えた。
「里とこの森で数体は餓鬼を倒したが、残りはまだ居るはず。それに、鬼も入ってきたのだな?」
「は、はいっ! 手負いで一体だけでしたけど……」
「手負いの鬼か……」
鬼の脅威は人の盗賊よりも比べることさえ無意味に思えるほど違う。
鬼と人の盗賊では同じように暴れ、盗み、壊し、犯していくことはあってもその場で食事を始めたりはしない。
鬼にとって人は少しばかり小賢しく、生活能力を身に着け、文化という思想で纏まり、利益や損得で結びつき、時には恋や愛で繋がり繁殖する動物だ。
暴力による支配を土台にする鬼たちには理解し難い生き方だが、それでも人々が生み出すモノは彼らにとって面白い玩具や美味い食事が多いため時折人里を襲うことはある。
「……そう言えば、西のほうで鬼の一党が京を襲撃し敗走したと聞く」
「その残党ですか?」
「かもしれない。その悪名がこの辺りにまで聞こえるほどの大規模な奴らだ。京の陰陽師や魔性狩りの人間が退治したとはいえ全滅させられるかは疑問だ。落ち延びた奴らが居たとしてもおかしな話ではない」
「そんな奴らがこっちに逃げてきたってことですか!?」
「断定は出来ない。その連中が逃げた先に居た他の鬼たちを追いやった可能性もある。だが手負いの鬼が何を目指してここに来たのかが一番の問題だ」
手負いの鬼ということはどこかで負けた敗残者。覆滅に至らずも相手は手負いの獣よりも荒っぽい手負いの鬼だ。
いざとなった鬼はあらゆる方法で自分だけでも生き残ろうとするだろう。
そんな奴がこの場所に来た理由は恐らくひとつしか考えられない。
「もしかして……不死の霊草を?」
「……それが先遣の兵にしろ敗残の将にしろ、この森に侵入した以上は始末しなければならない。ウイ、その鬼が侵入してどの程度経つ?」
「一刻か二刻にならないくらいかだと思いますけど」
「であらばこの森で時は稼げるだろう。なおかつ相手は手負い。移動速度は遅くなるな。よし、里に入る前に始末する」
「出来ますか?」
「するのさ。ウイは結界を修復し、他の要石が破壊されていないか確認しろ」
ウイに指示を出して森の中に残った痕跡を探しながら走り出す。
手負いとはいえ鬼。動物たちは危険を察知して逃げるだろうし、また地面に見慣れない足跡があれば簡単に追跡できる。
耳を澄ませれば荒い息使いがかすかに聞こえ、食い散らかされた動物の死骸や血の痕や臭いが鼻につく。
段々と近づく気配は森の中では異物でしかなく、踏み荒らす足音は相手の大きさが熊だと推し量れる。
そして―――
「はぁ……はぁ……あぁ?」
―――太い木の根に座って子熊を喰らう、血塗れの鬼と出会した。
鬼の正面で立ち止まり、その際にチリンと腰に佩いた鞘につけられた鈴が鳴る。
ここに来るまでに兎の骨や鹿の骨もあったが、今の奴の足下には頭を潰され臓物を垂れ流す親熊の姿があった。
幾つもの傷を作りながら子熊のために奮闘したが敗北し、全てを失った親子の姿がそこにはあった。
「何だ、お前? 獣人って奴か? 珍しい生き物がこっちには……居るんだなっ!」
そして勝者である鬼は、こちらを見つけると食べていた子熊を投げつけてくる。
無造作に投げたと思われる子熊の死骸を避ければ、死骸は樹木に当たって音をたてて血と臓物をこびり付けて砕け散る。
「今の避けるか。人間どもよりすばしっこいな。まるで虫だ」
「……手負いの怪物一匹など、赤子をあやすよりも簡単に殺せる」
「……あぁ……?」
「だが鬼よ。貴様が死体となって森の養分に成り果てては話が訊けぬ。何故この森に侵入した? 結界を破ってまで侵入した以上は理由があろう?」
眉間にシワを寄せ、渋面を作り出した鬼は横に立てかけていた血糊がついた棍棒を握って立ち上がる。
その背丈は七尺から八尺はありそうな巨漢。鬼が持つ棍棒は五尺から六尺はあるだろう。
さらに棍棒は木製でありながらも敵から奪った変形した鎧や兜などを付けて硬度を増している。
「どうしてオレが、お前みたいな小さい奴に命令されなきゃならない?」
「なに?」
「あぁ、そうだ。オレが命令される立場なんざありえねぇんだ。だから負けたんだ。頭たちも……いや酒も茨も負けたんだ。オレが頭だったらそうはならなかったはずだ。なにが規則だ。なにが風流だなにが雅だっ。ふざけんじゃねぇ。負けたら終わりだろうがよ」
鬼はうわ言のように、この場に居ない何者かに向けて罵詈雑言を浴びせる。
そして自分なら上手くもっと出来ていたと何の根拠もなく己を持ち上げて自己陶酔に走っていた。
「オレは上手くやる。奴らよりももっと上手くやる。オレにはそれが出来る。そのためにここに来たんだからなぁ。茨の奴は酒の奴を蘇らせようとしてるみたいだがそうはさせねぇ。負けた奴がまた上に立つなんざ許せる訳がねぇ。敗者は弱者なんだ」
「……おい、木偶の坊。耳が悪いのか? 頭が悪いのか?」
「オレを、馬鹿にするなぁああああ!」
鬼は棍棒を振り上げて死体を踏みつけ、地面を踏みつけて走り、雄叫びをあげながら木の根に立つ私に向けて振り下ろす。
その一撃は頭を潰すだけに留まらず、根を粉砕して身体を挽肉にし地面に染みを作り出すことだろう。
だが、手負いの鬼の膂力を受け止めるという暴挙にさえでなければ、それほどの脅威ではなく避けることは容易い。
木の根を破壊したことで奴の視界から消えた私は、すでにその場から奴の背後へと移動する。
相手の集中力を乱し、また奴の大柄な巨躯と武器の大きさは平地ならばいざ知らず、沢山の巨木があるような森の中では満足に動けるはずもない。
「どうだぁ? 死んだかぁ?」
「お前が馬鹿力なのはよく解った」
「っ!? ちっ! ちょこまかとっ!」
振り返りながら棍棒を振り抜き、それすら避ければさらに追いかけ何度も棍棒を振り回す。
鬼が暴れるたびに木々は折れ、根は砕かれ、草花は踏み潰され、大地は荒れていく。
大振りの棍棒を避けつつ、すれ違い様に足の腱を斬り刻む。
「ぎぃああぎっ!? ぐ、ぐぞがっ」
「お前が暴れれば森が傷つく。お前の目的を言え。検討はついているが確証が取れるならそれに越したことは無い」
足の腱を刻まれた鬼は痛みと足の機能不全により動けなかった。
森の動物も足を怪我して動けなくなるように、心臓を壊されれば死ぬように、それは生物の弱点のひとつで鬼であっても例外ではない。
しかし、それは勝敗が決した訳ではなかった。
刀を鞘に納めた直後、全身を横殴りにされた衝撃で身体は宙を舞い巨木に背中から打ち付けられる。
片腕はひしゃげて骨が見え、肋骨が内臓を突き刺し、打ち付けられたことで背骨と首の骨は折れ、鮮血と桃色の髪が混じり合い華を咲かせた。
それは絶命の一撃。肉塊とならなかったのは奇跡の産物に過ぎなかった。
「なに勝った気でいるんだぁ? 鬼が、このオレが、この程度の傷を治せねぇとでも思ってたのかぁ? 傷なんざお前らのような雑魚どもよりも何倍も早く治るんだよ」
鬼はゆっくりと立ち上がり、斬られた腱を確認するように足を触って血を拭えばそこに傷はすでに無い。
血を拭われてしまえば斬られたことすら無かったかのようで、鬼の異常なまでの回復力を、種の違いをまざまざと見せつけた。
「飛び回るしか能の無い小蠅がオレ様に勝てる訳がねぇのさ。ちょいとオレが頭を使えば獣だろうが人間だろうが一発で打っ殺せる」
鬼は笑いながら歩き、打ち付けられた木から落ちてきた仕留めた獲物へと近付く。
鬼にとっては騙し討ちなど当然の戦法のひとつ。勝利することが最も正しく、敗者には何の価値もない。
「オレは強ぇ。だが京の奴らに勝つためにはこんなんじゃ足らねぇ。全く足らねぇ。まずは死なねぇようにしてからだ。勝つためには死ななきゃいいんだ」
「ならば、貴様に次は無い。敗北前提の貴様にはな」
「ああ?」
鬼は最初、幻聴かと耳を疑った。
なにせ死者が生き返ることなどあり得ないと知っているからだ。京を襲撃して人間たちを喰らった時も人間は腹の中で蘇ったりはしない。
京で打ち倒された仲間も蘇ったりはしないし、あの恐ろしい鬼の中の鬼、酒吞童子でさえ首を飛ばされて息絶えたのだ。
だからこそ、自分が仕留めた獲物が何事も無かったかのように蘇り、刀を抜く姿が信じられずにいた。
「抜剣、一分咲き」
しかし痛みすら感じることさえ出来ないまま、視界が段々と地上へと近付くのを他人事のように鬼は感じながら瞼を閉じれば、その瞼が二度と開くことはなかった。
地面に落ちた首とともに首から噴出する血の雨を浴びながら、この鬼の目的が想像通りであったことを考えていた。
そして恐らく、この鬼が口走った本来の目的を遂行するために他の鬼たちはやってくる。
茨と呼ばれし首魁と共に。
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