第1話:迷い人よ、汝が道を選ぶがいい

 これはまだ、元服すら迎えていない幼い私が森で出会った秘密の話だ。

 当時の私は鬱蒼と生い茂る森の中を彷徨っていた。それは最初、人里近い森の中で父と共に生えているキノコや罠にかかった獣を見つけに行くためだ。

 幼い私は父に色々なことを教わりながら森の中を歩き、木々の蜜を吸う虫や食べられないキノコの見分け方。獲物がかかっていない罠などを見た。

 いわゆる採取や狩猟の仕方だが、当時の私は森に入ることは固く禁じられていて連れていって貰えて嬉しかったのだ。

 全てが真新しく、しかして父よりも長く生きている命に溢れている世界に言葉もなかった。

 木の葉の隙間から差す陽の光や葉が風に揺られて落ちる様子。鳥の美しい鳴き声やチラリと見える小動物の愛らしい姿。変わった形をした木の実や植物。

 身体の全身で感じる命の輝きに私はただ圧倒され、何度も植物や地面の泥濘に足を取られた。

 だがそれも父と一緒にいたからの慢心だったのだと今では解る。


「お父さん……?」


 父の姿が見当たらなかった。周囲を見渡しても頼りの父の姿はなく、在るのは先程まで輝いていた森だけだ。

 鳥の鳴き声や枝と枝がこすれて起こる木々のざわめきが不気味に聞こえ、さっきまで明るかった太陽の光は雲に隠れて消えてしまった。

 まるでそこは先程とは違う恐ろしい場所に迷い込んだかのようだった。

 私は頼りになる父の姿を必死になって探し回り、どんどんと森の奥深くへと歩いてしまったのだ。

 あまりの心細さに父から言われていた「森の奥へ行ってはならない」という言葉をすっかりと忘れて。

 雑草を拾った枝で掻き分け父を呼びながら彷徨っていると、森の木々は太くなり、雑草は高くなり、教えて貰ったことのない植物や花が咲いている。

 父と一緒にいないだけで、その全てが恐ろしいものに見えてしまい自然と身体は震えてしまった。

 その草花が突然襲い掛かってきそうで怖かったのだと思うが、それも今思えば杞憂だと解るが幼い私が知る由もない。

 ただ父の姿を必死に探し、声を出す気力も尽き欠けていた時だ。


 チリーン……チリーン……と、とても綺麗な鈴の音が森の中に木霊した。


 その音色が響くと小動物たちが一瞬立ち止まっては逃げ出し、鳥たちは一斉に羽ばたいた。

 小鳥の小さく綺麗な羽が木の葉と同じように落ちてくるのも束の間のこと、その美しい声が耳に届く。


「汝に問う。貴様は侵入者か?」


 その声の方を向けば、それは途轍もない美しき獣のような女性が立っていた。

 桃色の長い髪が風に揺られ、全体に桜の意匠をあしらった小袖に緋袴を纏い、腰元には鈴がつけられた鞘があり、手に持つのは見た者に斬ることを瞬時に解らせる三日月の如き抜き身の刀だ。

 その刀身に木漏れ日があたれば刃文はもんを浮かばせ、その煌めきは息が洩れるほど美しく、その用途によって恐怖を教える。

 しかし巫女のような桃髪の女性の頭には自分とは違う狼のような耳があり、そして彼女の背後にはふわりと揺れる尻尾があった。

 そんな幻想より生まれ落ちた桜の化身のような女性からの問いに考えるというさえ奪われていた。


「しん、にゅう?」

「……幼子よ。貴様は人の子であろう。力なき者に森は容赦なく命を狙うのだ」


 彼女が手に持った剣を一振りすると、周囲の雑草を薙ぎ払い瞬時に刈り取られ、現れたのは太い丸太のような斬られた幹と幹の間に縄が結ばれた境界線だった。


「幼子よ。森は強者の縄張り。生殺与奪の自然の理によって秩序は保たれている。そこに老いも若さも関係はない」


 彼女の言うことは難しく、その言葉を理解するには幼過ぎた。

 しかし美しい花に触れたくなるように、不思議と引き寄せられていた足を止めるほどに彼女の言葉は重く圧し掛かった。


「その境界を越えれば貴様の首を刎ねる。去るのであれば追わぬ」

「え……?」

「貴様の前にあるのは獄門。刎ねた首は晒され、身体と共に虫や獣に食い散らかされる。そして最後は植物の養分となる」


 淡々と告げられる言葉の数々が、まるで目の前に本当に起きているかのように想像させられる。

 自分の頭が胴から離れ、斬られた木の年輪を潤すかめとなる。そして時がそう経たないうちに虫や獣たちにたかられていく様を幻視する。

 いつかその骨にツタが巻き、虫たちの住処となる姿がそこにはあった。


「貴様の後ろにあるのは暖かな寝床。晴れた陽の光に晒され温まった布団のような日常。汝に幸福と苦難を与える人界の理」


 後ろを振り返ればさっきまで無かった一本道が出来ており、その先には陽の光に彩られた暖かな場所が広がっていた。

 父や母の呼ぶ声が聞こえるとともに、大人になった自分が子と妻と幸せそうに笑う姿があった。


「迷い人よ、汝が道を選ぶがいい」


 それはまさに分岐点。目に見える命の分かれ道。

 自分が行きたい方へと進むのに、明確に教えてくれる彼女に頭を下げて暖かな場所へと駆けていった。


「もう、迷わないように」


 そんな祈るような叱咤の声が背中を押して、光ある世界に私は戻っていった。

 その後、父の大きな背中を見つけて堪えていたものを声をあげて出しながら父に抱き着いたのを憶えている。

 頭に大きな瘤を作ることになったが、それでも強く抱き締められた暖かさのほうが印象的だった。

 心配させたことが辛くてさらに大きな声を出して泣いてしまうほどに。

 そして、その日の夜に父母から教わった。この森の奥深くには入ってはならないということを。

 遠くに見える白化粧が美しい青い山に行くには神聖なる森に踏み入れなければならないが、その森を守護する守り人がいるらしい。

 守り人たちは獣の力をその身に宿し、太古の昔より森を、山の護っているらしい。

 どうしてと訊くと父母は声を潜めて教えてくれた。


 あの不尽山には不死になれる霊草があるらしい、と。



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