我に返った冬花は、急いで帰路に戻った。何も考えずに歩いていたが、明らかに違和感がある。重い視界を上げてみると、その違和感の正体は明確だ。電気に色が無い。いや、電気は元々色があるってわけではないが、まるで魂が抜けている。冬花は立ち尽くして、唾を飲んだ。公園にある遊具、草や土も。モノクロというより、虚無色だった。家に走って戻り、自分の家は変わらずあることに安心した。だがやはり色彩はない。そしてもう一つ変わったことに気づいた。隣の家の苗字が違う。いや、変わったというより、戻ったというべきだろう。私が高校に進学すると同時に引っ越した家族の苗字になっているからだ。頭が回らず、冬花は状況に混乱した。

 「なんなのここ!?どうなってるの!?」

取り乱したまま、木下家にも行ってみた。確かに私の知っている苗字だった。だが、家の扉は開かず、色彩が無いせいで、部屋の明かりが点いているのかわからない。大きめの声で呼んでみても反応は無い。一気に怖くなった冬花はひたすら走った。元々運動しない冬花の体力は、駅前で尽きた。交差点のど真ん中で座り込み、空を見上げた。灰も黒もない、形容できない色をした虚無が広がっている。空には三日月が出ている。スマホの画面は二時十分を表示している。視線を交差点の奥に向けると、人影があった。横断歩道に一人、突っ立っている男の人がいる。その人はこっちを見るわけでもなく、ただ立ち尽くしている。警戒したが、人がいるだけで安心している自分もいた。勇気を振り絞って、冬花は近付いて声をかけた。

 「あの、すいません。」

男は無言だった。こっちに気づいていないのだと思い、少し声を張ってみた。

 「すいません、あの!」

やっと男はこっちを向いた。あまりの無表情に、冬花は後ずさりしてしまった。男はスーツを着ていて、いかにもサラリーマン風の人だった。前髪もワックスで上げているのがわかる。ただスーツは多少ヨレていて、破れている箇所もある。

 「すいません、なんかおかしくて。自分でもなに言ってるかわからないんですけど、とにかく周りがおかしくて。あの、なんでもいいんです。なにか知りませんか。」

男は表情崩さず、冬花を見つめていた。自分は頭おかしい人と、思われてもおかしくないなと、自分が恥ずかしくなった。冬花は自分を心の中で罵倒した。もっと言い方があるだろうと。

 「君は、違うね。」

 「え?」

突然、男が口を開いた。表情は変わらないが確かに喋った。私が違う?なにが?自分の足元を見て観察してわかった。

 「あっ!」

ピンクのサンダルを履いている。灰のスウェットを穿いている。そいえばスマホ画面も変わりなかった。冬花にだけ、色彩が存在していた。自分は正常だと安堵したが、同時に疑問が生まれた。なぜ自分だけ色があるのか。

 「君はどこからきたの?」

 「どこから来たって…、ここを真っ直ぐ行ったとこにある自分の家からですけど。」

 「そうじゃない。どこからきたの?」

この人の方が、頭おかしいんじゃないかと思った。家以外どこから来るって言うんだ。気味悪く感じた冬花は無視しようとしたが、その時感じた不気味さで引っかかった。そういえば、黒い鏡をじっと見ていた。

 「黒い鏡をぼーっと見ていて、それから色がないことに気づいたような…。」

男はどこか察したような眼を向けた。全く意味が分からない。だがどうやら男には状況が理解できたようだ。

 「君は、生きてるんだね。」

何を当たり前なことを。そう思ったが、一つの可能性が浮かんできたが、それではまるでアニメの世界だ。

 「…あなたは、死んでいるんですか?ならここは、死んだ人が来る場所ですか?」

冗談交じりで言ったつもりだが、男は静かに頷いた。冬花はいわゆる霊と話していた。それに気付くと、腰を抜かしてそのまま地面に座り込んでしまった。

 「正確には、魂が留まる場所かな。」

その後の話をおさらいしていくと、ここは未練がある魂が留まる場所で、生きているものはいない。こちら側への扉は、黒い鏡とみて間違いないだろう。なぜ扉が開いたかはわからないが、その鏡はまだ目線の先にある。帰れないわけではなさそうだ。

 「幽霊って、現世にいるものじゃない?」

冷静になった冬花は、素朴な疑問を聞いてみた。ホラー番組とかでは幽霊が襲ってくるシーンがあるわけだから、てっきり幽霊は身の回りにいるものだと思っていた。

 「僕もそう思っていたよ。けど僕の場合は違うみたい。」

 「僕の場合は?」

言葉が耳に引っかかった。「僕の場合は」とわざとらしく強調されていたからだ。

 「ここに来て、他に誰かいたかい?」

この辺りは取り乱している最中に大体を回ったと思うが、動物や人は見かけなかった。植物も髑髏になっている。

 「ここには僕以外の生き物がいない。言ってしまえば、僕だけの死後の世界だね。」

理解すれば理解するほど信じられない冬花は冷静な反面、頭が混乱していた。時刻はどうなっているのかと、スマホを確認すると二時二十分になっていて、圏外になっている。

 「今何時だかわかりますか?」

 「零時三分だね、僕の時計は。」

見せてもらうと、時計は割れていて、その時間で完全に停止している。壊れているせいか、彼がここにきてから、時計の針は微塵も動いていないらしい。

 「早く帰った方がいいよ。」

急に帰宅を勧められて、思わずきょとんした。もちろん帰るつもりではいるが。冬花はふと扉である鏡を見ると、先ほどまでよりも、淀みが消えている。スマホの画面は二十八分まで進んでいた。

 「あの扉が閉じたら、君は戻れないかもしれない。。」

表情と声音は相変わらずだが、重なった目が急げと訴えている気がした。冬花は男に軽く頭を下げ、鏡に向かって必死に走った。もうほとんど色味はなくなっている。カーブミラーの目の前で立ち尽くし、鏡を見つめる。

 「ここは君の来るところじゃない。もう来ちゃだめだよ。」

後ろから男の声がして、振り返ろうとしたときには、男も視界も遠ざかっていた。


 気が付くと、冬花はアスファルトに寝転んでいた。時刻は二時三十一分になっていた。カーブミラーを見ると、何の変哲もない鏡だった。今までのことは夢だったのかと自問した。だがこの寒い夜にしては、異常な発汗量だった。

 「なんだったの…。」

思考回路が追いついてこない頭を振り払い、考えることをやめた冬花は、真っ直ぐ家に帰った。母親はもう寝ているようだ。物音をたてないように自室に向かった。やはり自分の部屋が一番落ち着く。あとは母親さえ入ってこれない部屋なら、完璧だと思う。その夜は、うまく寝付けなかった。あの無色な世界が、脳裏に鮮明に焼き付いていた。


 翌日、母親とは会話も無く家を出た。登校中、冬花は何度も深夜のことを思い返していた。どう考えても現実的ではないが、鮮明に覚えている無色の世界が目の裏にこびりついて離れない。

 「なにそんなに考えてるの?」

横を歩いていた実来が不思議そうに訪ねてきた。クリームパンにかぶりつきながら、覗き込むようにこちらを凝視している。

 「別に、なんでもないよ。テストやばいなって思ってただけ。」

 「勉強しなよ!私みたいに!」

自分の努力を隠さないタイプの彼女は、エリマキトカゲのように腕を広げ、威嚇するように尊敬の言葉を待っている。苦い顔をしていたら期待の顔ではなかったせいか、あからさまに落胆していた。少し可笑しくて、冬花が笑うと、それに反応して実来はプンプン怒る。せわしない彼女だが、それが救いにもなっている。冬花の頭は、成績よりも非現実的な体験が支配していた。あの男の人が、気になってしょうがなかった。

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深淵で待つ かなた @Layla_32

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