7・裏切
教団の本拠地は、八王子郊外の3階建ての古いビルだった。
ビル自体には宗教臭を感じさせる装飾は見当たらない。外部から見える看板すらない。
まるで、テナントから見放された場末の貸しビルだ。
口コミ以外の布教はほとんど行わない閉鎖的な教義を持つために、目立つ必要がないのだ。むしろ、ひっそりと地域に馴染むように配慮されている。
教団の内部には幹部たちの居住スペースも設けられ、生活の大半は建物の中で完結できるようになっている。これもまた、地域との軋轢を避けるための方便の1つだった。
比嘉が関わる前の教団は、利益重視の新興宗教だった。派手な演出にこだわり、当然のように周辺住民から奇異の目で見られていた。
数少ない信者たちも、些細な衝突に悩まされることが多かった。
買収と本部移転という代替わりを経て、その障害は消えた。
比嘉は旧来のいかがわしい教義に新たな解釈を加え、穏当で奥深い宗教へと脱皮させたのだ。
古くからの信者は、その変節を歓迎した。多額の寄付や物販で表面的な安息を得るのではなく、真の信仰の平穏に浸ることができたからだ。
だがそれは、教祖の特殊能力を隠すための偽装に過ぎなかった。
税務署の担当官を納得させるための、分厚い防壁だ。
その壁の影で、比嘉は権力者たちからの多額の寄付金を集めていた。必要に迫られて時たま行う殺人は比嘉の陰の力を強化し、寄付金の額を膨らませていった。
同時に教団は、権力者のコミュニティにより深く根を張っていった。
その仮面に、柚の反乱によってひび割れが広がった。
放置しておくことはできない。
そして梨沙子が、教団の刺客として送り込まれたのだった――。
柚が連れ戻された時、教団の中はほぼ無人だった。
見かけるのは比嘉が用意した偽装信者と、柚が見たこともない男たちばかりだ。普段ならば深夜でも祈祷場での活動が自由に認められていたが、彼らの姿もない。
柚を捉えたことで、緊急に特別の体制が整えられたようだった。
柚が〝連行〟されたのは教団の最深部、幹部専用の会議室だった。
中には簡素な折りたたみテーブルとパイプ椅子、そして前面のホワイトボードしかない。中小企業の休憩所といっても違和感がない、飾り気のない部屋だ。宗教法人を誇示するような装飾は見当たらない。
窓すらも、ない。
その会議室で、時生が待っていた。
テーブルの奥に座り、穏やかな笑顔を浮かべている。
〝営業用〟の仮面だ。
柚が、堤に背を押されて部屋に入る。
後ろに、梨沙子と教祖が立つ。閉じられたドアの外を、ボディーガードたちが固める。
縛られているわけではないが、逃げることは不可能だ。
梨沙子の腕には、黒猫が入ったリュックが抱えられていた。
時生が言った。
「そこに座って。話を聞かせてもらうよ」
対面する椅子を指さす。
柚は梨沙子の裏切りを知ってから、何も言わなかった。無言のまま、八王子まで連れ戻されたのだ。
梨沙子も教祖も、同様に沈黙を守ったままだった。
柚は今も唇を硬く閉ざしたまま、ただ怒りのこもった視線を時生に叩きつけるばかりだった。
だが、時生の指示に従ってパイプ椅子には座った。
まるで、新入社員の面接のように。
それでも、柚は無言のままだ。
柚の背後に立った梨沙子がつぶやく。
「ユズが怒るのは当然よね。でも、ちゃんと話してね。ユズのためなんだから」
柚は時生をにらんだまま、振り返りもしなかった。
時生の笑みが皮肉っぽく変わり、肩をすくめる。
「とはいえ、素直に話してくれはずもないよな。教団を裏切ったんだから、こんな結果も覚悟していたんだろう?」そして梨沙子に視線を向ける。「つらい役目をやり遂げてくれてありがとう。本人の口から、協力者はいないと確認できたそうだね」
梨沙子がうなずく。
「それは間違いなく。お母様も聞いておられました。それに、つらいことはありませんでしたから」
「友達だろう?」
「同じ信徒だというだけです。いえ、ユズは教団を裏切ったわけですから、もう信徒とは呼べませんね」
教祖がテーブルを回って時生の隣に座る。
だが堤は、壁側に立ったまま動こうとはしなかった。
と、ドアが開く。
入ってきたのはきっちりとスーツを着込んだ痩せた初老の男だった。
教祖の夫で、教団の暗部を支える人物――比嘉剛だ。
それに気づいた堤が深々と腰を折る。いかにも反社会組織員の振る舞いだ。
教祖もまたわずかに腰を上げ、表情に緊張を浮かべた。
比嘉剛が言った。
「堤、データは確認したのか?」
堤が顔を上げる。
「いえ、それはこれから。到着したばかりですので」
比嘉は部屋の奥に進み、教祖の横に座った。
そして柚をにらむ。
「面倒を起こしてくれたものだ。目をかけてきた恩を仇で返した以上、制裁は覚悟しているんだろうな」
口調は穏やかだった。身だしなみからも、暴力的な雰囲気は感じない。
しかし威圧感がむき出しになっている。
数々の修羅場を生き抜いてきた〝業界人〟独特の圧迫感だ。
しかも柚はその核心を知っているだけではなく、証拠まで握っていた。比嘉の言葉が脅しでないことが分かっているからこそ、逃亡するしかなかったのだ。
時生が比嘉に尋ねる。
「やはり部屋には何も残っていませんでしたか?」
「家具も全て壊して確認したが、メディアやファイルも出てこない。常に持ち歩いていたのなら、SSDだろう。スマホの記録やクラウドもハッカーに掘らせた。そっちも白だ。残るは予備のデータだが、隠し場所の手がかりはなかったそうだ」
内輪の情報交換だ。本来なら、柚に聞かせるべきものではない。
しかし比嘉は柚を見ながら、ためらうことなく話した。
話しても支障はないという確信があるのだ。
もはや柚本人の口から聞くしか方法はない――そう思い知らせることが圧力になると判断している。
時生の視線が柚に戻る。
「と、いうことだ。教団内に君の味方をする人間は1人もいない。建物の警備は厳重だから、逃げ出すのも無理だ。まずは身につけていたSSDを出してもらおうか?」
柚の表情には、明らかな諦めが浮かんでいた。
抵抗への諦めではない。針の先ほどの希望さえ奪われ、生きることを断念している。
口を開く必要もなかった。
梨沙子が猫のリュックを肩にかけて前に出る。
「それ、あたしの荷物に隠されてました」
そしてリュックのポケットからUSBスティック――ポータブルSSDを出し、テーブルに置く。
揺られた猫がかすかな鳴き声を立てた。
比嘉がつぶやく。
「猫まで連れ歩かなくてもいいものを」
「柚の気を緩ませるための大事な小道具でしたから」
比嘉は不快そうに顔を背けた。
時生は用意してあったラップトップのUSBポートにスティックを差し込み、中を見始めた。
と、モニターを覗き込んだ比嘉のポーカーフェイスが硬直する。
顔色がみるみる青ざめていく。
「こんなものまで、どうやって……」
データの内容を初めて確認したことは明らかだ。
柚の唇にようやく感情が現れた。不敵な笑いを浮かべる。
「大事な写真ですよね。あなたの部下が人を殺している、その現場で撮ったポラロイド写真。どう見ても、頭、砕いてますよね」
時生の視線が柚を射抜く。
「なんだ、これは⁉ フェイク画像だろう⁉」
柚はいきなり饒舌に語り始めた。
「フェイク? それならビビる必要なんかないじゃありませんか。本物だから青くなってるんでしょう?」
時生がつぶやく。
「ふざけたことを言うな!」
「わたし、知ってるんです。比嘉トレーディングが陰で邪魔な人を殺してきたこと。教祖の予言に都合がいいように、何人もの人が消えてきたじゃないですか。自殺の時もあったし、失踪したまま有耶無耶になることもあった。わざわざ頭を砕いているのは、さっきの橋から飛び降りたように見せかけるためなんでしょう?」
「黙れ」
「道路の下の小川にでも落としておけば、自殺死体が流されたようにしか見えないって。それって全部、比嘉さんの命令でやってたことですよね。でも、ただ居なくなったんじゃどこかに隠れてるだけかもしれない。だからそうやって、現場の写真を撮らせて報告させてきたんでしょう?」
「黙れと言っているんだ!」
だが柚は、無視した。
「しかもその写真、実行した手下を脅す証拠にもなる。もし組織を裏切れば、自分も死刑になる。だから記録が必要だったんでしょう? それに、証拠はこれだけじゃない。比嘉トレーディングとの資金移動記録の裏帳簿とか、教団の顧客リストとか、手に入ったものが全部詰め込んでありますから」
柚を見つめていた比嘉が我慢できないように叫ぶ。
「どうやって手に入れた⁉」
しかし柚は、もう顔を伏せてはいなかった。
「わたしの机に入っていただけ」
「誰が入れた?」
「梨沙子?」
「ふざけるな!」
柚は本当に梨沙子がこっそり渡してくれたのだと信じてきた。だが梨沙子は、教団が送り込んできた〝スパイ〟だった。
ならば最初にデータを持ち込んだは、誰なのか――。
今となっては、関心すらない。
「梨沙子じゃないなら、わたしには誰だか分からない」
「とぼける気か?」
「知らないんだから、答えようがない」
「知りもしない人間がこんな真似をするか! わざわざ下っ端の事務員に渡す理由もあるはずだ」
柚は吐き捨てるように言った。
「あんたが殺した人間が化けて出てやったんじゃないの」
比嘉は薄笑いを浮かべ、動じない。
「幽霊か? そんなものが怖くてこんな家業ができるか」
「霊能力に頼ってるくせに」
「それは生きた人間の能力だ。だが、死んだ人間は腐るだけだ。熊の胃袋に収まれば、クソにしかならん」
「自分が人殺しだって認めるのね?」
「認めるぐらい、どうということはない。どうせすぐにお前も仲間入りだ。夜中に中山道から落とすだけで死体の処理も終わる」
「そうやって捨ててたんだ……」
「死体が見つかったところで、めがね橋から飛び降りたようにしか見えないからな。だから刃物は使わない。必ず撲殺して、念のために首の骨を折らせている。お前もそうしてやるさ」
柚は酒に酔ってでもいるかのように、挑発的に身を乗り出す。
「何人殺したの?」
「写真を見たんだから、知ってるんだろう?」
「みんなあそこに捨てたの?」
「半分ぐらいは、な。だから幽霊仲間は多い。お前も寂しくはないぞ」
「だからみんな、トンネルに隠れていたんだ……」
比嘉の表情が初めて曇った。
「なんのことだ?」
「たくさんの霊魂がトンネルに隠れてた」
「バカな」
「信じたくないんでしょう?」
比嘉の目に真剣さが現れる。
「お前にも霊能力があるのか?」
「いいえ。平凡な人間だから、幽霊が何人いたかなんて分からない。でも、わたしでさえ感じるほど強力な圧迫感だった。幽霊は怖がりだから普段は身を隠してるけど、みんなあんたを恨んでる。それだけは、絶対に間違いない」
比嘉に薄笑いが戻った。
「ただの脅しか……無意味だな。幽霊どもが怖がりなら、寄っては来られないだろうよ。本当にいるなら、除霊師を呼んでもう一度始末してやるまでだ」
「でも、いつかは隙ができる。きっと呪い殺されるよ」
「構わんとも。どうせ私は地獄行きだと決まっている」
不意に教祖が叫んだ。
「気味の悪い話をしないで! 柚! 早く喋っちゃいなさい!」
柚が小さく肩をすくめる。
「教祖様には見えたんでしょう? ねえ、何人いたの?」
「やめてってば!」
教祖は確かに、恐怖を感じているようだ。
「怖いの? そりゃ怖いよね。あなたは比嘉に人殺しをさせて寄付金をたんまり稼いできた。当然、教祖様も同罪だものね」
「だからなんだっていうの⁉」
「あなたは比嘉が人殺しだって知っていた……いいえ、あなたが殺させていたのかもね。恨みは深いわよ」
「教団を守るためよ!」
「認めるんだ……。つまり、殺せって命令してたの?」
「わたしは頼んだだけ!」
「それって、殺人依頼とか殺人教唆とかいう犯罪になりそうですけど。それに、頼んだ以上は呪われる覚悟もあるんでしょう?」
「やめて!」そして梨沙子を見る。「なんだってあんな場所を選んだのよ! この子を騙するにしたって、他の場所がありそうなものを!」
梨沙子はすまなそうに目を伏せた。
「成り行きです。話の都合で、お母様たちがあそこを恐れてるって思い出しちゃって。そしたらユズが、最終決戦はあのトンネルでって言い出して……」
「だからって、あんまりよ!」
「そこまで怖がってるとは知らなくて……。それに、真に迫った対決にならなければ、ユズを追い詰められない。本気で怖がってくれなければ、協力者のことも暴けないかもしれないから――」
「だからって!」
比嘉は落ち着きを取り戻していた。
「それはもういい。こうして結果が出せたんだからな」そして柚をにらむ。「もう一度聞く。データは誰が持ってきた?」
「だから、知らないって言ってるでしょう?」
「誰が持ち込んだのか白状しなさい」
「あんたが勝手に調べなさいよ! わたしは教団の経理に関わっている。比嘉トレーディングとの取引も担当者も、分かってる。だからわたしを選んだんじゃないの?」
「誰もが手に入れられる画像じゃない!」
「だったら調べるのも簡単でしょう? どうせ敵だって多いんでしょう? 商売敵から脅かされたら秘密を漏らす手下だっているんじゃないの? それとも、お金で買われたのかも――」そして比嘉の表情を見て、ほほえみかける。「ほら、今、何人か心当たりが浮かんだようね。そいつらを拷問でもして、吐かせればいいじゃない! 専門家なんでしょう⁉」
比嘉の目が冷酷に輝く。
「無論、徹底的に調べるさ。だが、痛めつけられるのはお前が先だ。こんなものを盗まれていたんじゃ、安心して眠れない。協力者がいないことも確認する必要があるからな」
だが柚はもはや覚悟を決めていたようだ。
「ご自由に。こんな結末になるかもしれないって、覚悟していたから。……いいえ、期待していたのかな。だからこそ、誰も巻き込みたくなかった。協力者なんていない。拷問されたって、答えは変わらない。1つしかないんだから。あ、橋の下に捨てるなら、死体に拷問の傷は残せないわね」
「捨て場所は他にもある。簡単に死ねるとは思うなよ」
「でも、最後は殺されることに変わりはないんでしょう? わたしは、とっくに死んでるんだから、平気。教団を信じてきたし、それしかしか知らなかった。でもこんな犯罪で支えられてきた偽物だったと分かってしまった。わたしの心はその時に死んだの。もう何も残っていないの。だからこの体は、もういらない。捨てて、自由になりたい。手伝ってもらえるなら、嬉しい」
「だったら風俗に沈めてやろうか⁉ 一生吐き気をこらえて泣き叫ぶ生活に耐えられるか⁉」
「ご自由に。風俗って、脚を開いてるだけでいいんでしょう? 心が死んでるんだから、苦痛も感じない。ご飯だって食べなければ、いずれは死ねる。でも、あなたはわたしを痛め続ける事はできないわよね」
「なぜだ? 博愛主義者だとでも思っているのか?」
「逆よ。だってわたしが生きていたら、いつ秘密を暴くか分からないもの。データのコピーが別の場所に隠してあるかも、だしね。協力者がいないなら、わたしが死ねばそれっきり。でも生きている限りは、その証拠に怯えることになる。できないでしょう、そんな危険なこと」
「だったら、苦痛を長引かせて殺してやる。この業界の流儀にいつまで耐えられるかな」
「耐えられない人間は、プライドや生きる希望があるから。わたしには無縁よ」
「言葉だけならなんとでも言える」
「喋ることがないんだから、耐えるしかない。心がなければ、耐えるのもたやすい。全部、あなた方がやってきたことの結果よ。ざまあみろ」
「だが、耐えられるかどうかは、体験しないと分からんぞ」
「だから、わたしはとっくに死んでるんだって。リサがいたから自殺を先延ばしにしてただけだから。ほんのわずかでもやり直す希望があったから逆らってはみたけど、結局ただの幻……。リサにまで裏切られて、完全に死んだ。わたしに人生なんて、クソ教団のインチキと同じ。とっくに幽霊みたいなもの。こんな体、あんたの好きにすればいいわ」
比嘉の真剣さが増す。
「やはりコピーが隠してあるのか?」
「さあ、どうでしょう? あっても喋るはずないでしょう? それより、ちゃんと教えて欲しいんですけど」
「図々しいぞ!」
柚は不敵な笑みを浮かべた。
「死体って、何体あそこで処分したの? いくつもあったんでしょう?」
「貴様には関係ない!」
「関係あります。だってお仲間になるんだもの。心の準備ぐらいしておきたいんですけど」
「黙れと言ってるんだ!」
「自分でも分からないぐらいたくさん、ってこと? やっぱりね……。恨みを持った霊魂がトンネルにぎっしりだったわけね。そりゃ、怖いよね」そして、教祖を見る。「それを知ってたら、近づけないのが当たり前」
教祖は、何も答えられなかった。
トンネルの気配を改めて思い出したのか、怯えを隠せずにいる。
と、梨沙子が驚いたようにつぶやく。
「ユズ……人が変わったみたい……」
柚が首を捻って梨沙子を見上げる。
「自分でも不思議。でも、リサにまで裏切られてたんだから、もう何も気にする必要がない。本当に変わっちゃったのかもね」
「ユズがこんなバカなことしなければ、ずっと友達でいられたのに……」
「そんなの、友達なんかじゃない」
「あたしは友達だと思ってた」
「リサが苦しんでいたのって、全部ウソだったの?」
「自分じゃどうにもならないことだって、あるのよ。ユズだって、心を変えられなかったでしょう?」
「あなたもやっぱり縛られてる――ってこと?」
「そんなの、みんな同じでしょう? 学校がイヤだって通うしかない。会社が嫌いだって、やめるわけにいかない。だから宗教があるんじゃない」
「ここは何もかもハリボテだけどね」
「それでも、気晴らしにはなる。本物の超能力も存在する。だから他の宗教に比べれば、ずっとマシよ」
「諦めちゃってるんだ……」
「あたしは死にたくないから」
「この世界にわたしの居場所は、もうない。早くこの体も捨てたい。ねえ、殺してくれるんでしょう? だから最後ぐらい、感情をぶちまけさせてよ……。でも、それだって、これでやっと一生分……。もう話すことさえ残っていない。わたしの人生なんてその程度。ちっぽけすぎるよね……悲しくなっちゃう……」
比嘉は冷静さを取り戻し、教祖にささやいた。
「お前の力でコピーを探せないか?」
「それは無理。時たま予言が降りたりするだけだから。それに、力が弱ってるし……」
と、時生が念を押す。
「この女の部屋には、本当に手がかりはなかったんですか? もう1度調べてみたら何か見つかるかも」
「あのハッカーは探偵上がりだから、電子機器以外にも目端が効く。粘着質の男で、やることが徹底してるしな。大金を要求されるが、その分、腕は確かだ」
「だったら他の生活圏を探すしかないですね……」
「お前の能力では?」
「憑依したところで、相手の体を操れるだけです。頭の中までは覗けません」
「生活圏といってもな……」
比嘉は柚の目を見つめたが、何も読み取れない。
教祖が言った。
「この子は滅多に遠出はしない。たまに買い物に出ても1時間程度。行動のほとんどは教団の建物か、経理の関係先回り」
比嘉がかすかな笑みを浮かべる。
「灯台下暗し、か……。では、まず事務所のデスク周りとロッカーから調べるか」
柚の目に一瞬、緊張が走った。
時生もそれに気づいて、唇を歪めて笑う。
「ビンゴ、らしいですね」
教祖がうなずく。
「今日は建物全体、人払いしてあるのでご自由に。教団幹部の重要会議を行うと言ってあります。神事に人手が割けないとの理由で、信徒の出入りは禁じました」
比嘉は即座に堤に命じた。
「ではハッカーに調べさせろ。追加料金も言い値でかまわん。鍵がかかっていたら、ぶっ壊せ」
堤は深く頭を下げてから、スマホを取り出して何者かを呼び出す。
「堤だ。すぐ教団に来てもらえるか?」
かすかに相手の声が漏れる。
『5分で。で、どこへ行けばいいですか?』
「事務室、分かるか?」
『はい』
堤は柚の反応を確認ながら、あえて聞こえるように指示する。
「長谷川柚の事務机と個人のロッカーを調査してほしい。データのコピーがありそうなので、隠し場所を示唆するような痕跡を探すように」
『俺のやり方で邪魔が入りませんか? 徹底するなら、うるさいですよ?』
「無人のはずだ。信者もいない。自由に探せ」
『長谷川の周辺だけでいいですか?』
「そこになければ、事務室全体を調べろ」
『了解しました』
堤が比嘉に頭を下げた。
「私も行ってきましょう。この女、ロッカーという言葉にわずかに反応していましたから」
「そうしてくれ」
堤が部屋を出て行くと、柚は部屋の隅に移されてボディーガードたちに囲まれた。
教祖たちは反対側に集まり、小声で善後策を相談し始める。
柚は無言で、彼らを睨みつけていた。
※
10分が過ぎ、ドアが開く。
堤と共に幹部会議室入ってきた男を見て、柚は息を呑んだ。
男が柚に気付き、笑いかける。
「お嬢さん、まるで幽霊にでも出くわしたみたいな顔だな」
「だってあなた……高速で……」
サービスエリアで殺されたはずの〝ジャーナリスト〟だった。
傍の堤が鼻で笑う。
梨沙子がうなずく。
「あれって、全部お芝居だったのよ。びっくりでしょう?」
柚が梨沙子をにらむ。
「わたしを脅かすために……?」
「だって、協力者がどうなるのか、はっきり思い知ってもらいたかったから。ユズは死にたがりだから、あなたを脅しても何も変わらないかもしれない。でも仲間が危ないって本気で怖がれば、諦めるかもしれないでしょう? 最後のチャンスをあげたつもりだったのよ。ムダだったけどね」
「ひどい……」
男が肩をすくめた。
「俺が殺されてた方がよかった――ってか? それこそひどいだろう」そして比嘉に近づく。「組長、鍵が見つかりました」
「社長だ、バカ。お前、そういうところだけは抜けてるぞ」
「申し訳ない。非正規ですから、大目に見てください」
「で、どこにあった?」
「ロッカーの棚の下にガムテープで貼り付けてありました。定番の隠し場所で、什器を壊すまでもありませんでした」
比嘉は鍵を受け取って、唇を硬く結んだ柚をにらみつける。
「悪事っていうのは、暴かれるものだな」
堤が言った。
「コインロッカーの鍵のようです」
「いつから借り続けていたんだ? ご苦労なことだ。どこの鍵だか、調べさせろ。急ぐんだ。追加料金を払わずに期限が切れれば、ロッカーは開かれる。中に写真でも入っていれば、警備員が警察に通報してしまうかもしれない」
堤が頭を下げる。
「社員全員に鍵の画像を回しました。近くなら、すぐに報告が入ると思います」
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