9・真相
そして、2日が過ぎた――。
柚は梨沙子から、警察に事実は話すなと釘を刺されていた。
引き換えの条件は、生命の保証と今後の生活の援助だ。比嘉はもはや日本には戻れないが、彼らと教団との関係は隠し続けなければならなかったのだ。
柚も了解した。
全てに無気力になっていたのだ。
何もかも失い、死にたいという〝意欲〟すら残っていないように見えた。
相変わらず命に未練はない様子だったが、教団への反抗はやはり無意識の領域が拒否したようだ。柚の意識がいかに壊そうとしても叶わなかった壁が、最後の一線を越えることを阻んだのだ。
警察はNシステムによって柚たちが碓氷湖方面に出かけたことを確認していた。そして何が起きたかを正直に話せと、強い態度で柚に迫った。
しかしめがね橋で教祖たちと対決したことは、あえて知らせなかった。教団幹部のレクリエーションでハイキングに行っていたと言い張っただけだ。
梨沙子がトンネルに残した〝霊を鎮める儀式〟の痕跡も、比嘉の部下たちが消し去っていた。
さらに、問題のコインロッカーを借りたことすらないと明言した。
当然、中に入っていたバッグにも覚えはないと言うしかない。教団の秘密リストや資金関係のデータは最初から存在しないものとして行動した。
比嘉の部下は、去り際にロッカーの中身を残らず回収していった。犯罪者の習性として、ロッカーの扉の周辺の指紋も拭き取っている。
警察が得られた証拠は、監視カメラの映像と堤の死体、そして傍に落ちていたUSBだけだ。
柚の証言を否定する証拠は残されていなかったのだ。
当然、なぜそこに教団の関係者がいたのかを追及されたが、柚は『分からない』を押し通した。コインロッカーに連れて行かれた理由も知らない、と言うばかりだった。
きっと、誰かが自分に罪を着せようとした。比嘉はその嘘に騙されたのだ――と。
梨沙子もまた、義父から頼まれて動画記録を残していただけで、理由に心当たりはないと言い張った。
監視カメラには音声記録機能がない。彼らの証言を覆すことはできなかった。
警察は堤が持っていたUSBから、比嘉が隠そうとした殺人の証拠写真を発見した。
しかしそこに入っていた他のデータは、なぜか死体を処理しためがね橋の地図だけだった。比嘉トレーディングと教団の密接な関係を示すデータは、一切含まれていなかった。
警察が柚の証言に不審を抱いたとしても、裏付ける物的証拠は皆無だったのだ。
比嘉トレーディングは壊滅し、比嘉自身は国際指名手配犯となった。
監視カメラの記録から、柚たちが殺人とは直接の関係がないことは確認されていた。だが、教団と比嘉トレーディングの関わりは深い。その実態を解明することは警察の急務だったのだ。
警察は教団幹部と柚たちを重要参考人扱いとした。
宗教活動は一時的に制限されたが、教団施設から出ないことを条件に日常生活は許容されていた。事件翌日には教団に鑑識が入って帳簿や電子データの押収が行われたが、彼らも数時間後には何も取らずに去っていた。
事は反社会組織が引き起こした連続殺人事件だ。しかも秘密めいた新興宗教が深く関わっている。マスコミが群がって当然の案件だが、教団周辺は普段と変わらず穏やかだった。
報道もほとんどされずにいた。一部新聞の3面の片隅で、暴力団の抗争で1人の死亡者が出たことが報じられただけだった。
教団は警察車両には囲まれたが、信者たちが遠ざけられたためにかえって静けさは増している。周辺は今でも警察の警備下にあるが、警官が教団に入り込むこともなくなっていた。
警察組織、あるいは政権の上層部から深入りを止められたとしか思えなかった。
※
教団外部の関係者を迎えるために作られた2階の応接室では、幹部たちが集まっていた。
教団は全体に清貧を貫いているが、この部屋だけは調度にも金をかけて最低限の権威を保っている。中央に置かれた重厚なテーブルを、皮張りのソファーがコの字型に囲んでいた。隣室には給湯場や冷蔵庫も設置され、簡単なもてなしも可能だ。
突き当たりには正面駐車場を見下ろす大きな窓があるが、それでも壁には無駄な装飾はない。窓の外に広がる自然の森が、絵画の代用のようなものだ。
彼らが招集されたのは、警察から重大な報告があるという連絡が入ったためだった。
教祖と時生、梨沙子はもちろん、柚も同席を強要されていた。教団からの信頼を失っていた柚は、ずっと時生か梨沙子に監視されていたのだ。
柚はすっかり正気を失っていた。
梨沙子は相変わらず、黒猫が収まったリュックを膝の上に抱いている。
応接室のドアが開く。
全員がソファーから立ち上がろうとする。
捜査責任者の警部が戸口に立ったまま、いきなり本題に入った。
「あ、座ったままで結構です。本日をもって教団の警備は終了させていただきます。今後は一切の監視は行いませんので、これまで通りの宗教活動を再開して構いません」
警部の表情には、幾分の悔しさがにじんでいた。上層部からの指示に納得できていないことは明らかだった。
座り直した教祖がいぶかる。
「突然……ですね」
「実は、比嘉剛の死が確認されました」
室内の空気が一瞬、張り詰める。
時生がつぶやく。
「どこで……?」
「バンコク、です。日本人らしき人物が拷問後に殺された死体が大使館の玄関に放り出されていたのですが……手足の指が切り取られて顔や歯形も激しく損壊していました。DNA鑑定の結果、比嘉本人だと確認されました。現地の暴力組織と衝突したのでしょう。死体は数日中に戻るように手配しています。解剖などの手順が必要ですので」
「指を切断、って……」
警部は時生の動揺を見て、かすかに溜飲を下げたようだ。
「地元組織に拷問されたようですね。何かしら、反感を買ったのかもしれません。身体中に殴打の痕跡や骨折が見られたようです。一部には、ネズミのような小動物に齧らせたような痕跡もあったとか。簡単には死ねなかったようです」
あえて残酷さを強調した警部には、独自の狙いもあった。
拷問する以上、目的がある。おそらく現地に隠した資金の隠し場所を白状させようとしたのだろう。それが奪われているなら、妻や息子に報告が入っているかもしれない。
警部はもはやこの事件に手出しできない。だが、真相は知りたかった。
今や比嘉の家族の反応が、唯一の手がかりだ。
だが時生は、あっさりとその事実を受け止めた。悔しそうにも見えない。
「それが父の運命だったのでしょう……」
大きな資金を奪われた喪失感は読み取れなかった。単純に父親の不遇な死を嘆いているようだ。
教祖もまた、一瞬うろたえたように見えたが、すぐに気を取り直している。
「あの人は……比嘉は……」一度は言おうとした言葉を、呑み込んで肩を落とす。「――確かに、それがあの人の運命だったのでしょう。比嘉の会社が犯罪を犯していたことは知りませんでしたが、人殺しまでしていたなら因果応報としかいえません。宗教に携わる者として、夫の非道をお詫びするしかありません……」
教団との関係を極力小さく見せようと、気丈に振る舞っているようだ。
事件への深入りは厳しく禁じられている。組織の決定がどれほど歪んでいようとも、末端の捜査員は従うしかない。
だが警部は、最後の抵抗まで諦めてはいなかった。教団側に落ち度が見つかれば、別件から切り込める可能性は残されている。
「ご主人なのに、あまり気落ちなさっていないようですね?」
教祖の表情から悲しみは読み取れない。
「そもそも、ここ何10年もずっと疎遠でしたから……。時に高圧的なこともあり、何か怖いものも感じておりましたし……」
「でも比嘉トレーディングは教団とも関わっていたのですよね?」
「ごく表面的な関係だけです。経理などの記録を見れば確かめていただけると思います。イベントなどでは社員さんの手をお借りしたこともありましたけど、アルバイト料は支払っていますので通常の雇用関係以上のものはありません。……それで、比嘉トレーディングはどうなるのですか?」
教祖が比嘉の犯罪を知らないはずはないのだ。というより、教団は比嘉が命じた殺人によって支えられていたとしか思えない。
だが、教団は無関係を貫く覚悟のようだ。それはおそらく、事件の終結を決めた警察上層部の了解を得た上での判断だろう。
深掘りされれば窮地に陥る権力者は数知れないのだろう。あえてそこに踏み入れば、警部自身の地位どころか生命までもが危険に晒されるという意味でもある。
警部は教祖のわざとらしさに嫌悪の視線を向けたが、静かに息を整えた。
ゆっくりとつぶやく。
「比嘉トレーディングは当然、解散です。堤が持っていたデータに写っていた組員は、相応の処罰を受けます。多くは刑務所で一生を終えるしょう」
教祖がホッとため息をもらす。
「それは安心です。そんな怖い人たちが近くにいただなんて、信者さんも動揺しますから」
教祖はあくまでも他人事のように振る舞っている。
警部は胸に湧き上がる怒りを呑み込んだ。
ここが、限界なのだ。
それでも、比嘉トレーディングは完全に排除できた。その幸運だけで満足する以外、警官を続ける方法はない。
それが現実というのもだ。
大人というものだ。
だが、捨て台詞がもれ出すことまでは止められなかった。
「教団も、今後は比嘉トレーディングの助力は得られませんので、そのおつもりで」
梨沙子が穏やかにほほえむ。
「義父が犯罪に加担していたのは驚きですけど、教団になんの相談もなく勝手に続けていたことです。お母様を非難するようなお言葉は謹んでいただけますね?」
警部の視線は和らがない。
「もちろんですとも。……あ、1つ言い忘れたことがありました。比嘉の拷問に加担したらしいタイ人が捕まったんですが、自分がなんでそんなことをしたのか全く覚えていないというんです」
初めて教祖の表情が強張った。
「どういうことでしょうか……?」
「まるで、他人に操られていた感じだった、とか。こちらこそ、どういうことなのか知りたいものです。宗教家としては、どうお考えですか?」
「私たちの教団が何かした――とでも?」
警部が作り笑いを浮かべる。
「そんなこと、可能なんですか?」
「まさか」
「ですよね。他人を操るだなんてね……。でも、オカルト雑誌なら、比嘉が殺してきた被害者の霊が恨みを晴らした――とでも書くんでしょうかね。実際、めがね橋の下の渓流から、10人以上の人骨も発見されています。単なる自殺も混じっているでしょうが、比嘉に殺された被害者が大半だと思われます。怨念も相当強力だったんじゃないでしょうか」
梨沙子がわざとらしい驚きを見せる。
「10人以上って……」
「比嘉の部下が殺してきた総数は、もっと多いようですが?」そして柚を見下ろす。「コインロッカーに入っていたバッグは本当に長谷川さんのものではなかったのですか?」
駅の監視カメラの解像度では、床に散らばった写真の詳細までは読み取れなかったのだ。警察はいまだに、バッグの中身がなんだったかを調べ切れていない。
柚が目を伏せたままつぶやく。
「お話しした通りです。わたし、誰かに罪を着せられたみたいで……本当に何も知らないんです。わたしのロッカーに鍵が隠してあったらしいんですけど、そんなもの見たこともないし……。たぶん、堤さんがやったことだと思います。あの人、比嘉さんを裏切っていたんでしょう?」
堤は駅の構内で死んだ。
録画された状況から考えれば、比嘉トレーディングの敵対勢力に懐柔されたスパイにしか見えない。堤が持っていたUSBスティックに入っていたデータ――殺人現場の写真も、それを裏付けている。
そこに教団との関わりを示す証拠が入っていない以上、そう考える他はなかった。
だがそれは、教団にとってあまりに都合が良すぎる解釈だ。
何より、堤をスパイに取り込んだはずの敵対組織が一向に浮かび上がってこないのが異常だった。
この〝業界〟は、それほど大きくはない。大半の組織や構成員は概ね監視の対象になっている。
組織犯罪に長く関わってきた警部の頭にも、彼らの勢力図はインプットされている。
全てが従来の抗争事件の埒外にある展開だったのだ。
「死人に真相を問いただすわけにもいきませんがね……」
梨沙子が話を変えようとするかのように問う。
「死体って……発見されたんですか?」
「誰の?」
「めがね橋に捨てられていた人たち……。ちょうどみんなでハイキングに行っていたんで、怖くなっちゃって。どなたなのか分かれば、供養してあげられないかと……」
「信じられないほどの偶然というのは起こるものなのですね。データにあった地図の場所に、たまたまハイキングに行ってただなんて」
だがそう言った警部の表情は、偶然など全く信じていない。
梨沙子は悪びれずにうなずく。
「ホント、びっくりですよ。まだ紅葉には早かったから、閑散としてましたけど……後から考えたら、なんだか、仏様が寂しくなってあたしたちを呼んだんじゃないかって……」
警部は取りつく島もないというようにため息をもらす。
「渓流から発見されているのは骨の破片ばかりですが、DNAを採取して鑑定も進めています。写真データと照合して、すでに5名は確認されました。写真の数から考えれば、まだまだ発見されてもおかしくない。下流の湖まで調べる必要がありますから、調査には最低でも数ヶ月はかかるでしょうが、ご希望ならまとまった時点でお知らせできると思います。あれだけたくさんの仏さんが処分されていたなら、怨念も相当な量でしょう」そして、意味ありげな笑みを浮かべる。「確かにちゃんと供養してあげないとね。教団が逆恨みとかされたらご迷惑でしょうから」
梨沙子は動じない。
「警部は悪霊とかを信じてらっしゃるんですか?」
「とんでもない。犯罪捜査に霊魂を加えたりしたら、警察の仕事は何10倍にも増えてしまいますから。ですが、宗教家なら気になるのではと思ってね。それでは、我々は退去します。長い間、ご協力ありがとうございました」
警部は軽く頭を下げて応接室を去った。
一同の緊張が解ける。
教祖がつぶやく。
「悪霊って……本当なのかしら……」
梨沙子がうなずく。
「お母様も感じてらっしゃたんでしょう? トンネルに近づけなかったんだから」
「あなたには見えたの?」
「もちろん。だから念入りに、私たちの狙いを説明しました」
教祖が梨沙子を見つめる。
「説明? 誰に?」
「もちろん、トンネルの霊たちに」
教祖の目に、明らかな恐怖が浮かぶ。
「ウソ……」
「ご心配なく。彼ら、ちゃんと分かってくれましたから。お供えのお酒も喜んでくれたし。比嘉の部下がすぐ片付けちゃったから、楽しむ時間はなかっただろうけど。あの人たち、恨みは強かったけれどみんな臆病で、普段はトンネルに隠れていたんですって。でもやっとチャンスが巡ってきた――って、張り切ってました」
教祖の表情が曇る。
「梨沙子……あなた、何を言ってるの……?」
梨沙子は反対に、笑いをこらえているように見える。
「比嘉が殺した人たちの霊の話ですよ? 他に何が?」
「じゃあ、比嘉が殺されたのは……」
「当然、彼らの復讐です」
「彼らの、って……まさか、バンコクにまで……?」
「トンネルからは堤に取り憑いて来てましたよ。堤さんは霊には鈍感だから、全然気づかれなかったって。で、タイまでは比嘉と一緒に飛んで、そこで現地のマフィアを操ったんでしょうね。比嘉を存分に痛め付けられたんだから、成仏できたのならいいけど……」
「まさか……本当に悪霊が……?」
「悪霊なんかじゃありません。ただの霊魂で、比嘉への恨みで成仏できなかっただけ。でも……教祖様にとっては、彼らも悪霊になるのかしら?」
「脅かさないで!」
梨沙子がはっきりと笑う。
「もし成仏できていないなら、今はどこにいるか分からない。比嘉の死体が日本に帰ってきたら、取り憑いているかも。お母様も気をつけたほうがよろしいのでは?」
教祖が梨沙子を見つめる目に、恐怖がにじむ。
「あなた……本当に見えてたの……?」
梨沙子は意味あり気に肩をすくめただけだった。
時生が冷静な口調で言った。
「実は、比嘉が最後に幹部会議室で話したこと、全部録音してあるんです」
教祖が首をかしげる。脈絡もなく話が変わったことに戸惑ったのだ。
何より、時生の態度が急によそよそしくなったように感じる。その意味が理解できない。
「話したこと……? なんのことかしら?」
「コインロッカーに向かう前、柚さんに煽られていろいろ喋ってたでしょう? 何人も殺して捨てた――とかって。そしてあなたも、同罪だと認めていた。僕はあの時、スマホで録音していたんです。いずれ必要になったら、教団の犯罪の証拠にできるかな――とか思って」
教祖が青ざめる。
それは明らかに、息子の裏切りだ。
「どういうこと……? なぜそんなことを……?」
時生の視線に教祖を見下すような感情が浮かぶ。
まるで、死にゆく小動物を憐れむように……。
「さて、なぜでしょうね。この先あなたには、考える時間はたっぷりあると思いますよ」
教祖は混乱を隠せずにいた。
「考える時間……?」
建物の外に、車のエンジン音が溢れる。何台も停まっていた警察関係者の車が、一斉に動き出すようだ。警官たちが立ち去るのだ。
時生が立ち上がって、窓の外を確かめる。
教祖は、何も言えずにいる。
時生はカーテンを閉めてソファーに戻ると、梨沙子の肩を抱いてうなずく。
「警察、みんな帰ったよ。これでひと段落、だね」
梨沙子が時生の手を握る。
「やっと終わったのね……」
「山場は越えた。でも、まだやらなければならない事はある」
「最後の仕上げ……」
梨沙子の視線が柚に向かう。
柚はかすかな笑顔を浮かべ、ゆっくり立ち上がって梨沙子の隣に移動した。
3人が、教祖と対面する。
梨沙子の膝では、リュックの中で黒猫が寝息を立てていた。
教祖にとっては意外すぎる展開だった。
3人の間には、一目で感じ取れる親密さがあった。
あり得ないことだ。
梨沙子は時生を嫌っているはずだった。
教団に従属する以上、梨沙子が組織運営にそぐわない感情を表には出すことはない。当然、義理の母である教祖の指示に逆らったこともない。
だが、心から結婚を喜んでいたとは信じていなかった。
時生の母親として、梨沙子の表情や仕草からそう確信していたのだ。
しかも柚は、2人と完全に対立する関係にある。
いや、あるはずだった。
なのに柚は今、全く緊張していない。むしろ、重荷を下ろして安心しきっているような穏やかさをにじませている。
教団に反抗した人間の態度だとは思えない。
全ての希望を砕かれた人間の態度だとも思えない。
なぜか、教祖が予想もしていなかった事態が目の前で起きている――。
自分1人が阻害されているような不安に囚われ、思わずつぶやく。
「あなた方……なんで一緒に……?」
梨沙子がゆったりとうなずく。
「あたしと柚は、最初から一緒でしたよ。あなたが盗聴器で全部聞いていることを分かった上で、ずっとお芝居をしていたの。――っていうか、わざわざ会話を聞かせていたのよ」
理解し難い話だ。考える前に疑問が口を突く。
「なんでそんなことを……?」
「あなたたちを誘導するため。あたしたちは、あなたたちを操っていたの」
「まさか……そんなことができるはずがない……」
「実際、できましたよ。だって、時生さんが立てた計画ですから。時生さんの頭の良さ、知ってるでしょう? あの比嘉の血を引いているんですから」
時生も穏やかな笑みを浮かべ、緊張を解いている。
「比嘉や堤がどんな脅しを仕掛けてくるか分からないから、修正は臨機応変にやってもらいましたけどね。僕もその度に口を出して、暴力的な手段は取らないように介入もしました。でもまあ、大筋は壊されないですみました。ぶっつけ本番の大芝居でしたが、期待以上の大成功です」
「なんのこと……? 何をしてたの……?」
「まあ、慌てないでください。時間はありますから」
「そんな……」
「でも、仕上げはこれから。カーテンコールのお楽しみです」
「…仕上げって……何をする気?」
梨沙子から笑みが消えた。
「お母様さま……あなたの罪を糾弾するのよ。あたしたちの計画通りに、最大の障害だった比嘉たちを壊滅させられましたから。これで、残る敵は、あなた1人」
まさしく、想定外の言葉だった。
「敵って……いったい、何を言ってるの?」
「分かってるでしょう? あなたは人として、やってはならないことをした。犯罪にどっぷりと浸かったケダモノ。断罪されて当然の極悪人よ」
「人殺しのことを言ってるの? あれは比嘉がやったこと、私は脅されて……ただ怖くて、従うしかなかったの。あなたたちを守るためにも、教団を守るためにも……」
「都合のいい言い訳」
「だって、本当に何もしていないんだから……」
「比嘉に殺された人たちに関しては、そうかもしれない。ユズを追い詰めたのも比嘉たちだから、あなたには罪はないともいえるかも。でもあたしたちが言っているのは、そのことじゃない」
「はい……? だったら、何を……?」
「あなたは、比嘉が人殺しを始めるよりもずっと前に……あたしたちが産まれた直後から、とても大きな罪を犯している。やってはならない犯罪に手を染めてしまった。あたしたち2人の人生をスタートから壊した、諸悪の根源……。欲のために悪魔に魂を売った、母親を名乗る資格がない人でなし……」
教祖の視線が柚に向かう。
「2人って……柚のこと?」
梨沙子に裏切られたはずの柚は、梨沙子に身を寄せていた。その表情はあくまで穏やかだ。
全てを理解し、納得した上で梨沙子の話を聞いている。
時生もまた、厳しい視線を教祖に向けていた。
明らかに梨沙子に同意し、教祖を糾弾している。
3人が協力してこの不可解な事態を引き寄せたことは、もはや疑いようがない。
時生が言った。
「そうじゃない。僕と梨沙子のことだ」
教祖が時生を見つめて、うめく。
「あなたまで……? どういうこと? 私があなたにたち何をしたというの……?」
時生が重苦しいため息をもらす。
「母さん……今はまだ、母さんと呼んでおきます。それでさえ、耐え難いことですが……」
「時生……何を言ってるの……?」
時生は、教祖の言葉を無視した。
「事の起りは、婚約者として梨沙子を連れてきた時です。僕は直感的に、この女は自分に相応しい――というより、欠かすことができない人だと確信しました。梨沙子も同じ想いを抱いたそうです。そして時を置かずに、結ばれました。その瞬間、全てが理解できたんです」
そして時生は不意に言葉を切った。
梨沙子が後を続ける。
「全てを、です。その意味、分かりますよね? 超能力と呼んでもいい。あたしたちはその時、過去の全てを理解したんです。理解できたんです。それが可能な、絆があったんです。産まれたその瞬間から固く結ばれていた絆です」
「何のことなの……?」
「……お母様、真実を話してください。あなたの口から話してもらえるなら、今後のことは善処しましょう。少なくとも、時生さんはあなたの母親でした。血のつながりもあります。無下にはしたくない。ですから、全部話してください」
教祖は青ざめていた。
「話せって……何を……?」
「話すべきこと、を」
「だから、何を……」
時生が目を伏せ、再びため息をもらす。
「やっぱりそうか……僕は、それでも希望を持っていたんだ。だから梨沙子に最後のチャンスを与えてくれって頼んだんだ……。なのにあなたは、それすら無駄にするんですね……」
「何を言ってるの……?」
「梨沙子、後は任せるよ」
梨沙子がうなずく。
「あたしたちが聞きたかったのは、心からの謝罪です。そして、あたしと時生さんが双子として産まれた――という事実です」
教祖は両手で口を覆った。うめき声がもれる。
「どうしてそれを……」
不意に、梨沙子の言葉に怒りが噴き出す。
「だから全部分かったんだって! だってあたしたち、あなたの――教祖の子なんですよ⁉ 霊感体質を宿していて何がおかしいんですか⁉」
教祖は驚いたように首をすくめた。
時生が穏やかに諭す。
「梨沙子……君が怒るのは無理もない。だが、もう少し冷静に」
梨沙子は小さくうなずき、息を整える。そして、教祖に向かって身を乗り出した。
「……たぶん、あたしも予知能力の片鱗も受け継いでいるんでしょう。明確なビジョンではなかったけれど、あたしは時生さんに抱かれた瞬間に事実を理解しました。時生さんも同じです。それは疑いや予感ではなく、確信でした。あたしたちは共にあなたの体内で育った、分かつことができない命だったんです。だから、全身が共鳴したんです。二卵性双生児ですから、生命としては独立しています。妊娠だってできる。それでも、超常的な絆で結び付けられていたんです。あなたの子供なんだから!」
教祖は否定しなかった。
「そんなことまで分かるの……?」
「もちろん、DNA鑑定で確認もしました。双生児である可能性は90パーセント以上」
「そこまでしたの……」
梨沙子は教祖の言葉を無視した。
「問題は、なぜこんな事態が起きたか――いえ、起こさなければならなかったのか、です。当然、決断し、実行したのはあなたです。なぜか。それはあたしに時生さんの子供を産ませるためです。血を凝縮して、あらゆる超能力者を凌駕する子供を誕生させるためです。あなたはあたしたちの遺伝子の結合によって、強力な超能力を開花させる男子が誕生することを予知したんでしょう? その男子が教団に君臨すれば、教祖の祖母として実権を握れる。孫が真の超能力を発揮すれば教団は飛躍的に発展し、世の中を動かす権力者たちを影から操れる。日本だけではなく、世界すら自由にできるかもしれない。比嘉を頼る必要がないどころか、組織ごと叩き潰して自由になれる。そう予見し、実現を望んだんでしょう?」
時生がうつむいたまま後を続ける。
「だが同時に、孫の出産と梨沙子の死は、一体のものとして予知されていた。僕たちの子は、桁外れの能力を宿す糧として母体の生命力を奪い去る……。梨沙子は、自ら宿した生命に魂を食い尽くされて死んでいく運命だったんだ。だからこそ、子供は特別な超能力者として開花できるはずだった……。僕たち自身が感じた未来ですから、当然あなたも察知したでしょう。それでも迷わなかった。自分が実権を掌握するために、実の娘を生贄にすることをためらわなかった」
立て続けに明かされた事実――隠し続けてきた真実の開示に我を失っていた教祖が、不意に叫ぶ。
「決めつけないで!」
「だったら、どうして生まれたばかりの僕らを引き裂いたんですか?」
「それは……梨沙子の母親が……死産の直後で不憫だったから……」
「今時、そんな理由で子供を手放す母親はいない。しかも、初めから僕の嫁にすると公言していたんだから、他の理由はあり得ない」
「それは……」
時生が顔を上げて教祖をにらみつけた。
「それは、なんです⁉ 言い訳ぐらいは、聞いてあげますよ!」
「それは……」
「失礼。僕自身が冷静さを失ってしまったようです……」時生は息を整え、穏やかに続けた。「時生という僕の名前……何かしら時間を操作する能力を期待して付けたんですよね? 絶対的な予知能力なのか、時間を止めるとかタイムスリップできるとか、ラノベとかにありがちな能力なのか……でも、僕にはそんな力は備わらなかった。ならばそれは、孫に与えられるものだ。あなたはそう確信したんですよね? あなた自身の言葉ですよ」
「それはそうだけど……」
「僕らが感じたビジョンは、全て事実だったということです。あなたにとって大事なのは、破格の超能力を持つ孫だけだった。それは、僕が邪魔になれば消すことも厭わないということでもある。孫が成長する間は僕を教団の飾りに据えて、片親になった孫は自分の手で育てる。そして幼い孫の頭脳に飾り物の教義を詰め込み、いいなりのロボットに変える。そういう計画だったんでしょう?」
教祖は荒い息を繰り返すだけで、もはや言葉を返せない。
梨沙子が続ける。
「あなたは昔、場末の占い師だった。少しはご贔屓がいたけど、到底教祖と呼ばれる能力はない。だが比嘉は、その小さなきっかけを利用して強大な教団を育て上げてしまった。次々と人を殺し、組織を拡大し、権力者たちの欲望を手玉に取りながらのし上がっていった。あなたはその道具にすぎない。それが怖かったのかもしれない。比嘉自身が怖かったのかもしれない。だけど、逃げるのも怖かった。ずるずると比嘉の子供を身籠ることになってしまった。そして、運命を逆転させる方法を見つけてしまった。比嘉を超える力を手にする方法……を、ね」
時生がうなずく。
「自分だけの権力が得られるなら、いずれは比嘉を処分したっていい。孫が育てばもう必要はなくなるでしょうから。そして孫の能力を自由に駆使して、教団の支配力を拡大していく……そういう未来を、あなたは得ようとした。自分以外の全てを踏みにじりながら――」
教祖が叫ぶ。
「ウソよ! そんなことは考えてません!」
時生がかすかに肩をすくめる。
「たとえ育ての親が別であっても、双子だと分かっていれば常識的には子供を作ることはない。近親婚なんて珍しくもないが、僕はごめんですから。僕がそういう常識的な人間だということも、予知していたんですか? だから、出生を偽るという非常手段に訴えたんでしょう?」
「ウソ! ウソ! ウソ! なんの証拠があるのよ⁉」
梨沙子が穏やかに言った。
「認めないのは勝手ですよ。超常的な理解なんて、証明しようがないですから。だからといって、結果が変わるわけじゃありませんけどけど……」
「結果って……何をする気なの……?」
梨沙子の目は、教祖を蔑んでいた。
「これまでずっと隠し続けてきた秘密を1つ、明かしましょうか?」
「秘密……?」
「あたしたちの切り札」
教祖が恐怖に捉われたのが目に見えた。
「切り札って……」
「実は時生さんには、憑依の能力なんてなかったんです」
教祖の表情が曇る。全く予期しない、しかも信じがたい言葉だ。
「何を言ってるの……? だって、実際に何度も憑依して――」
「その力を授かったのは、あたしの方だったの」
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