世界で一番優しいヴァンパイア

サナギ雄也

第1話  優しい吸血鬼

 無限に思える砂塵の大地の中を複数の影が渡り歩いている。

 すべてが武装し口元を布で隠した集団。

 剣呑な目つきで複数の檻付きの馬車を引き、砂の含まれる風の中、一糸乱れぬ動きの一団。


かしらぁ、あの噂、本当なんで?」


 一際大きな砂嵐をやり過ごした後、一団の中で最も年若い団員が口を開いた。


「街で盗賊を働いていた《エルダン一派》、あれが壊滅した話、本当ですかい?」

「本当だ。ここ数日、西のアーサナ、南のクリーダム、北西のランデル……立て続けに似たような噂が持ち込まれている」


 この一団の頭である壮年の男が太い声音で応じる。


「それも全てが一人の男によって壊滅させられている。信じがたいが、確かな筋からの情報だ」


 何人かの団員たちが苦笑を浮かべた。


「ははっ、頭も人が悪い。それは新入りの俺らをからかう噂では?」

「そうそう。一人で二十人規模の集団を壊滅させる? そんなことが出来るのは王都の聖騎士くらいなものでさぁ」


 頭は眉根を寄せる。


「嘘ではないが?」

「またまたぁ。脅しをかけるにしても、もう少し普通の――」


 そのとき。砂塵にまみれた風を突っ切って、一人の斥候が戻ってきた。


「――頭。見えてきました」

「来たか。それで? 村はどうなっている」


 フードを目深に被った斥候の男は、淡々と応じた。


「はっ。ボルモ村は番兵が四人。駐屯の兵士が八人。他にめぼしい戦力は見当たりません。――男はほぼ狩りに出かけているようです」

「ク。……良かったなお前たち。今日は豪華な食事にありつけそうだ」


 頭がそう軽口を吐けば、配下たちは口端を歪めた。


「ひゃっほーっ!」「当たりだ! 調査通りだ!」

「これで砂だらけの日々も終わりだ!」「無駄でなかった!」


 団員たちはこぞって大喜びだ。彼らは鉈やシャムシール、ショーテルなど、近接武器をいくつも備えている。口元を隠し全員が粗野な容貌。

 つまりは――盗賊団である。

 ゆえにその蛮行の内容は決まって残酷なものとなる。



 

 数分後。


「――いやああああ、助けてっ!」

「くそっ、番兵は!? 何をしていたんだ!?」「お父さん! どこ、お父さん!」

「た、やめて! 近づかないで!」「いやあああああっ!」


 ボルモ村に火の手が上がり燃えている。至るところに火矢が打ち込まれ、さらに魔術で猛火を放たれた村は紅蓮の火が見当たらない程凄惨な有様となっていた。

 村人たちは突然の強襲にろくな抵抗も出来ない。わずかに駐屯していた兵士たち、十二人は各個に撃破され村人たちは悲鳴を上げながら逃げ惑っていた。


「やめて! こっちに来ないで!」

「へへへ! いい体してるな姉ちゃん。ほら、そっちは行き止まりだぜ?」


 一人の娘が三人の盗賊に囲まれ組み伏せられていく。


「おいおい婆さん。その背中に隠しているお嬢さんを出さないと、どうなるかわかってるか?」

「お、お前たちに渡すものはない! ここから出ていけ!」


 盗賊たちの顔が、嗜虐的に笑んでいく。


「そうかい。じゃあくたばりな!」

「お婆ちゃん! ――いやああ、離して!」

「ひゃははっ」

「これは上玉だ!」「いい顔つきだぁ」


 木造の家に入り込まれた祖母と孫である少女が、祖母は切り伏せられ、娘は盗賊二人に捕縛された。


「この! 盗賊団が! ――[惑いの霧よ、我に力を与え、かの者たちを――]」

「詠唱が遅いなぁ」


 例外的に残っていた数少ない戦士である男性は、五人の盗賊に囲まれ敗北。無残に刀や矢の攻撃を受け倒れ付した。

 村のそこかしこで、火柱が上がっている。逃げる村人。追う盗賊。草木が倒れ家が倒壊し、悲鳴と蛮声が混じりこの世の小さな地獄が形成されていく。


「――頭。全て終わったようです」


 やがて襲撃から二刻も経った頃。騒ぎが徐々に沈静していき、反撃も逃走の声も聞こえなくなった頃。小高い丘の上で指揮を出していた頭目に参謀が報告に訪れた。


「成果は」

「はっ。女が四十八人。子供が十七人。うち、五人は武芸のたしなみがあり、捕縛に難儀していると」

「抵抗する者には催眠の魔術をかけておけ。その他の女には、麻痺の魔術をかけろ。――男は見つけ次第始末しろ。万一団員に危害を加えた女の場合は、調教してやれ」


部下が頷きを返した。


「――はっ。その……別件ですが。ダールとミルガの二人が村の女のうち三人に手を出したみたいで。仲間内で小さな諍いが起こっているようです」

「……はあ」


 冷静に成果を聞いていた頭目が、ややあってため息を吐いた。


「……俺は、村の女は襲うなと命じてあっただろう。先走った場合、他の団員が不公平と叫ぶから後にしろと」

「それが……かなり美人な二人だったらしく……姉妹で、そそる体つきをしていたため思わず……」


 頭は呆れきった表情で嘆息する。


「獣どもが。それでは蛮族と変わらん。種を植え付けることしかない馬鹿者が」

「奴らの処分は、如何いたしましょう?」

「ダールは前科があるため鞭打ち五百回だ。ミルガは初犯だ、お前が適当に仕置きして、矯正しろ」

「了解です。……他の女はどうしましょう?」

「いつもどおり格付けをしておけ。美人は高く売る。娼館行き用の檻だ。普通以下の顔なら……奴隷用の檻に入れておけ。伝手の商人に売りつける。……子供ならしつけられそうならば調教用の檻に入れろ。それ以外無は奴隷行きだ」

「はい。あの……普通以下の顔の女は、好きにしていいんで?」


 頭目の壮年男は、小さく笑って応えた。


「ああ、いつも通りだ。……だが壊すなよ? あまり激しくしては人間など容易く壊れるからな。あとで俺も楽しむ。お前たちは羽目を外しすぎるな」

「はっ! ――おい! いつもどおりだ! 潜伏していない男がいないか確認しろ! 一時間後に女を好きにしていいってよ!」


 参謀が大声で配下の団員たちに命令を伝える。団員たちがご馳走を目の前にした餓鬼のように吠えたぎる。


「ひゃははは、今日も大量だぜ!」

「俺の番まで壊すなよ、わかったな?」

「金品も頂いた。今回は上玉もそれなりにいる。いやぁ、遠征して良かった」


 小高い丘から見下ろせば、三種類の金属製の檻があることが見て取れる。

 それぞれが娼館行き、奴隷行き、調教行きと分けられている。その檻の近くには、縄で縛られた女たちが悲痛、あるいは諦めきった顔で座らされていた。

 中には気丈にも顔を引き締めている娘もいたが、大半は沈んだ面持ちだ。


「それにしても頭。最近は調子いいですね。先日のコルドン村から始まり、キタール、ビリハ、そしてこの村。辺境ばかり襲う計画は、騎士たちがいないから成果も上々です」

「そうだな。王都近辺は上玉の娘も多いが、その分警戒も強い。護衛に傭兵や騎士を雇って備えている者もいる。……その点、こういった辺境は楽だ。護衛の兵士も最低限、王都から離れているため応援を頼んでも間に合わない。金品はそれなりだが……塵も積もれば何とやらだ」


 参謀は醜悪に顔を歪めて言った。


「はは、そうですな。……そういえば、この前襲った村の女、夜の相手として俺らの旅に連れてこさせましたリアンナですが、どうやら気分悪いようで。扱いをどうするか頭に相談を」

「……宿したのか? 魔術で種を滅するのもいいが、『変態』どもはそういう女の方が興奮すると言う者もいる。適当に賭けでもして、そのままかどうするか決めろ」

「はい。……ん、何か妙ですな」


 心の中で様々な計算をしていた参謀は、ふと丘の下の方で騒いでいた配下たちを見て怪訝な声を出した。不思議なほど静かだ。何気ない様子でそちらを向いた。


「頭、なんだか様子がおかしい。あいつら、せっかく上玉を得たのに、なぜ静寂……」


 参謀の視線を追った頭目は、次の瞬間青ざめた。


「――総員、撤退だ!」


 唐突に叫ぶ彼に参謀が仰天する。


「え、あの……頭? 突然どうしたんで? 厄介なことでも……?」

「例の襲撃者だ! 盗賊や野盗の一味を狙う男! おそらく本物だ!」

「馬鹿な!? あれ、新入りをびびらせる作り話じゃないんですかい? それに、こんな辺境の村に――ぐっ!?」


 瞬間。

 参謀の男は何かに撃たれたかのようにびくりと震え、そのまま地面に倒れ付した。

 遅れて首の辺りから血溜まりが噴出する。

 射出音もない。閃光もない。完全で精密な狙撃。


「――これはっ! やはり!」


 頭目は小高い丘から降りた。魔術を唱え急いで疾走する。武器を構え辺りを伺った。

 ――やはり、襲撃者が見える。

 ――配下の気配がいくつか消えている。

 ぬかった! 辺境だからと油断していた。このままでは――。


 


 その数分前。

「げへへ。いい女が手に入ったなぁ」

「久々に女を抱けそうで幸せだ。ああ、この団に入って良かった」


 盗賊団の下っ端たちは下卑た笑みを浮かべながら戦利品である女たちを囲っていた。


 まだ頭目の定めた時間には遠いが、それも時間の問題。許しの時が来れば堂々とこの女たちを襲って楽しめる。

 あどけない娘や、勝ち気そうな娘、貞淑そうな娘や艶やかな人妻まで。

 中には発育が良くない子供もいるが、そういった者たちは調教して自分たち好みの娘に育て上げれば、夜の相手として上々だ。


「くく、頭の作戦はまさに完璧」

「この調子で他の村も襲おう」

「ああ、まさに――」

「お、おい!」


 そのとき。

 団員の一人が、とある場所を指差して硬直していた。

 遮蔽物のない広い平原。二刻前に自分たちが抜けてきた砂塵の大地に、一つの影がある。


「なんだ、あれは」


 静かに、ゆっくりと歩いてくる人影。それは一見すると単なる野良動物のよう。しかし猿でもなく、人型の魔物でもない。足取りはあまりに非生物的で、幽鬼でもいるかのような、不気味な影。


「……あ、あれは」


 団員の数名が篝火を焚き、周囲の明度を上げた。

 魔術の付与されたそれは、通常の松明よりはるかに強い輝きを発する。直後、周囲一帯を照らし出される。真昼並みの明るさを一時的に現出させ、視界が良質となった瞬間。


 誰かが悲鳴を上げた。

 白く人間のものとは思えない肌。枯れ木のように朽ち果てたかのような痩身。足取りは人間というより腐敗人間ゾンビのそれで、獣にでも引き裂かれたようなボロ布だけをまとっている。

 その中で例外的に際立つもの。それは――赤目に、縦筋の瞳。人外の証。


「――あ、あれは吸血鬼ヴァンパイアだ!」

「なんだと!?」


 団員の数名が叫びを上げた。


「間違いない! あの死人のような肌! 幽鬼のような痩身! 赤目! 間違いない、あれは吸血鬼ヴァンパイアだ!」


 一瞬で騒然と化した団員たちから、驚愕と恐怖の声が上がった。

 『吸血鬼』――この世における怪異の一つ。化け物の頂点。それが――なぜこの辺境に?


「に、偽物じゃないのか?」

「そうだ、村の兵士たちが扮した、脅しの可能性も……」


 その言葉を発した二人は絶命した。

 一瞬の間に何らかの攻撃を受け、転倒。

 そして二度と動くことはなかった。


「え……?」


 誰かが呆けた声を発する。

 馬鹿な、この二人はたった今まで普通にしていたはず。それがなぜ?

 死体が数度だけびくりと震え――それでもう石のように動かない様子に団員たちは恐怖する。

 死。

 それは紛れもない生の終わりであり、幾多の死を振りまいてきた盗賊たちが恐慌に侵されるには十分な光景だった。


「馬鹿な!? ――カートとダルズが、やられた!?」

「散開しろ! 敵の正面に立つな! 何かやられる――ぐっ!?」


 指示を出しかけていた団員が、不意に倒れた。

 そしてさらに一人、二人、三人――瞬く間に倒れていく。攻撃音などない。魔術の輝きもない。なのに死んだ。なぜ? なぜ? なぜ? 団員たちの間で、恐怖と混乱が加速する。


「に、逃げろ!」「早く! 急げ!」

「でも女たちは……」

「そんなものより俺たちの命が優先だ! 死にたくなければ走れ!」


 騒然の坩堝と化した団員たちの群れが、一斉に災厄の権化から離れそうと走りかける。

 だが。


「うっ」「がっ!?」「おご……がっ!」


 逃げようとした団員たちが、まるで糸が切れたマリオネットのように倒れ、そのまま永遠に動かなくなる。

 心臓の鼓動が途絶える。その光景が量産される。命の輝きが消え、これまで悪逆を働いてきや人間たちが、それより遥かに災厄の塊である存在に、容易く殺されていく。


「なんで……なんでだ!」「攻撃の様子など何も……っ」

「視えない矢でも使っているのか!? それとも魔眼の類か!?」

「わからない、しかし……っ!」

「――貴様たち!」


 混乱の極みにある団員たちに、丘から急いで降りてきた頭目が、凄まじい声で呼び止めた。団員たちが一斉に歓声を上げる。


「頭っ!」

「ご無事で!」「ああ良かった!」

「頭、あれは一体!? カートやダルズがやられました! あれは――」

吸血鬼ヴァンパイアだ! 近づくと死ぬぞ! とにかく離れろ、急げ!」

「なっ……」


 部下たちが顔色を青くして叫ぶ。


「しかし頭! すでに何人もやられました! みすみす敵を、」

「馬鹿者が! そんなことしている場合ではない! 逃げろ! 今すぐに! でなければでは全滅だ!」

「しかし頭――」


 叫びかけていた団員が、絶命した。

 びくりと震えた後、地面に崩れ落ちた。無音。かつ攻撃の予兆すらない殺戮方に一瞬猛りかけていた団員たちが、再びの恐慌に陥る。


「うああああ、マックスまでやられた!」

「馬鹿な! どうやって敵は攻撃している!? 一体何を――」


 団員が恐怖におびえている中、頭目の壮年男が前に出て刀を突き出した。

 極めて硬質で甲高い金属音が鳴り、頭目の持っていた刀が砕け散る。


「っ! 頭! それは……っ」

「ヴァンパイアの攻撃は、単純だ! ――『爪』だ! それが攻撃の正体だ!」

「え!?」「爪!?」

「馬鹿な!?」


 ――爪。

 それは何の変哲もない人体の部位だ。

 だがヴァンパイアとはこの世における化け物の頂点であり、能力も多彩。

 その中で自らの『爪』を伸長させ相手を突き殺すという技もある。

 硬度は鋼の数十倍。射程は数百メートル。貫通力・切断力も抜群で、並みの武器なら一度打ち合っただけで砕け散るほどの武器だ。


「そんな、嘘でしょう!? 距離が! 爪だけでこんな!? それも、全く視えないほどの速さで――」


 そう言った団員が瞬く間に首を貫かれ倒れ伏す。

 砕け散った刀の代わりに予備の刀であるシャムシールを構え頭目が叫ぶ。


「下がれ! 俺は王都で奪った書物の中で見た! ヴァンパイアの特性をな! ――それによると、ヴァンパイアの爪は恐ろしく硬い! そして伸長する! 音の数倍で、人間の視認がほぼ不可能な速度でだ!」

「嘘だ……」「そんな……」

「あり得るのか? こんな……」


 多くの団員たちがその言葉に耳を疑う。だが否定の言葉すら浮かばない。

 なぜならそれは事実である。今眼前で起きているものゆえ否定などありえない。人間のそれより遥かに恐ろしく強い一撃が、団員たちを死に至らしめている事実。

 頭目が武器を構えながら怒鳴った。


「走れ! 直線的には動くな! 真っ直ぐな逃走な奴の格好の餌食になる――」


 頭目の眉間と胸と手足の計六箇所に、同時に穴が空いた。

 音などより遥かに速い、視認という概念をあざ笑うように悪魔的な速度で放たれたそれは。


 頭目を――この場におけるヴァンパイアの知識を唯一有した男を、容易く殺した。


「あ……ああ……」

「あああああああああ――っ!」


 団員たちの恐怖が頂点に達する。


「頭目がやられた!」

「だめだ逃げろ! 俺たちは殺される!」

「魔術が使えるものは反撃しろ! 時間を稼げ!」


 機転の効く団員が、かろうじて冷静さを保ち体で魔力を練り上げる。短い詠唱と共に、炎熱を操る魔術を構成――裂帛の気合いと主に撃ち放った。


「死に晒せ! ――《フラムバーン》!」


 摂氏六百度に達する火炎がヴァンパイア向けて放たれる。やや遅れて、他の団員から矢や投げ槍が追撃とばかりに放たれた。

 どれもが優秀な攻撃だ。中には高価な素材を用いた武具もあった。

 火炎と矢と槍が打ち込まれ、ヴァンパイアが爆炎に飲み込まれる。爆風が辺りに充満し、立ち上がる噴煙と衝撃波で辺りが満たされる。

 濛々と立ち込める煙が晴れた先。災厄の化身であるヴァンパイアは――。


 

 顔と胸と右手を撃ち抜かれ、その場に倒れ伏していた。



「え……?」

「たお……せた?」


 攻撃が、当たった。そして敵の頭と胸などを貫いた。

 凶悪なヴァンパイアが――死んだ?

 最強とも名高い怪物が、決死の反撃で打ち倒せた。


 その、あり得ざる大戦果を目の前にし、団員たちが一斉に歓声を上げかけたとき。


「――ソノ、程度で、殺セルと、思うノカ?」


 幽鬼のように、ゆらりと。

 失ったはずの顔や胸の一部はそのままに――残ったヴァンパイアが、その口元から、おぞましいほど冷え切った声音が飛び出す。


「ひ、ひいい!?」

「そんな!? 顔面をふっ飛ばしたのに! 生きて――」


「彼我ノ、実力の差モ、分からナイとは。死ネ」


 ヴァンパイアの左腕が上がった。直後、五人の団員たちの頭部、胸、首などから血が吹き出し倒れる。

 一瞬で五人の殺戮。爪での一撃。視えず、かわせず、来たと思う瞬間もなく殺す必殺の一撃に、団員たちの恐慌が一層に深まった。


「あああああああ!」「逃げろ!」「無理だ、勝てない!」

「撤退だ――撤退ぃぃぃぃぃ!」


「殺しタ者たちガ、簡単に逃げラレルと、思うノカ」


 ヴァンパイアの頭部と胸を右手が再生する。失った体が時間を巻き戻すかのように修復し、復元される。宿っている魔力すら、さらに増大しているように視えた。

 其は不死にして暴虐の使徒。

 死を司る存在であり、死そのものの拒絶者。

 万物は其の存在の前では意味を成さず、滅ぼせない。

 吸血鬼ヴァンパイア。不死を極めし怪物。


「あああ、あああっ! 助け――」「いやだいやだ、死にたくない!」

「終ワレ」


 両腕を掲げたヴァンパイアが、十の指を一斉に団員たちに向けた。一瞬後、団員たちが体を貫かれ断末魔の叫びも上げずに崩れ落ちる。

 反撃を試みる団員もいた。逃げる団員もいた。だが容赦なくヴァンパイアの爪はそれらを貫殺する。

 小屋に隠れてやり過ごそうとした団員が、ヴァンパイアの異常な聴覚により、察知され小屋ごと貫通され絶命した。


 全員を村にあった金属鎧で守っていた団員が、鎧ごと貫かれ倒れ伏した。距離、硬度、速度の概念を完全に人間の領域から逸脱したヴァンパイアの一撃は、その場の誰にも防ぐこと敵わない。

 沸げ惑う団員たちが散り散りに逃げ、時間を稼ごうとも、一瞬後には死体が増えている。

 象が蟻を踏み潰すに等しい、巨人が羊を潰すにに等しい、一方的な蹂躙であった。


 そして――数分後。


「ひいい!?」

「ま、まさか私たちまで殺す気!?」


 動く団員が尽くいなくなった村の中で。ヴァンパイアだけがゆっくりと動き、村の女たちの前にまで向かっていった。


「やめて! こ、これ以上来ないで!」

「お父さん! お母さん!」


 ヴァンパイアは、死体のごとき白すぎる顔で女たちを見渡した。必死の叫びの彼女らの行為に、立ち止まる。

 そして数秒だけ思考すると。

 斬ッ――と、彼女たちを拘束していた『縄』を一瞬で全員分、切断した。


「え……?」

「これは……なんで?」

「逃ゲロ。ここは危険ダ」


 ヴァンパイアがそれだけ伝えると、もはや女たちに興味をなくしたかのように、踵を返す。

 倒れていた団員の一人の死骸に手を向ける。

 一瞬で爪が伸びて団員の死骸に突き刺さる。そのまま爪の先を曲げ『銛』のように引っ掛け、部分を作り出す。そして自らのもとへ引き寄せた。


「今宵の獲物ハ、不味そうダ」


 ヴァンパイアがぬらりと光る犬歯を――牙を団員の死骸の首に突き立てる。

 生々しい貫通音がわずかに鳴り、新鮮な死骸から、血液が吸い出される。


「血を、飲んでいるわ……」

「今のうちに、逃げるのよ!」


 蜘蛛の子を散ったように逃げる女など構わず、ヴァンパイアは血を飲み干す。


「ング……ング……アア……」


 数秒で血を吸い尽くし、無造作に死骸を捨てる。

 そして再び爪を伸長。見える範囲の死骸を引き寄せ、その都度に牙を突き立て、団員たちの血液を摂取する。


 それを繰り返すこと数十回。

 もはや恐怖にかられた女たちが全員村から逃げ出した後には。

 ヴァンパイアだけが最後の死骸を、無造作に投げ捨て、天に向かって呟いていた。


「血が……血が足りナイ……悪逆なる者の血ガ……俺に必要な血ガ……」



 

 ――その日、一つの村が壊滅的な被害に遭った。

 村人たちは八割が負傷。帰らぬ人も多くいた。


 だが治安と鎮圧のため駆けつけた王都の騎士たちによれば――そこは奇妙な光景だったという。

 襲撃したと思われる盗賊たちが全滅していた。


 近くの街で女たちは保護されていた。

 一番の不可思議なことは、盗賊たちの死骸が全て、何者かに血を吸いつくされていたことだ。

 捜査はされたが、難航――やがて最近の襲撃事件の一環として片付けられた。



†   †



 吸血鬼ヴァンパイア。それは厄災とも言われる最強位の脅威である。

 一度遭遇すれば命の保証はなく、また討伐も困難。

 史上、いくつもの英傑が討伐を試みて、失敗している。


 そのうちの一対。とある大陸を中心に活動するヴァンパイアは、立ち寄る村で人を襲い、血を吸い尽くすという。

 だがそれは真実の一端でしかない。


 そのヴァンパイアが、自らに課したルールは三つ存在する。


 一つ、必ず犯罪者の血液のみ吸うこと。善良な者からは吸い尽くさない。

 一つ、犯罪者のいる村や街などで活動している。平穏な場所には現れない。

 一つ、血を吸い尽くした後は、自らの拠点に行き、他の場所には興味を示さない。



†   †



 南方大陸アルデトラス。古き英雄の眠る地。その果ての果て。

 現在ては廃湖オールデル湖畔と呼ばれる僻地にて。

 森の中を歩き進み、いくつかの幻惑の魔術が施された奥地へとヴァンパイアが向かう。

 そこには古びた小屋。蔦や木の根が絡まり、廃墟にしか見えぬ小屋にて。

 ヴァンパイアは柔らかな声音で語りかける。


「ただいま、レーシア」

「……ん。もう朝なの? 早いのね」


 古びたベッドから起き上がったのは、美しい少女だった。

 肌は白く髪は艷やかで、どこかあどけない容姿をしている。まるで妖精か精霊にでも例えられるほどの可憐さ。

 もし街を出歩いたなら、多くの者が思わず振り返る――それほどの美貌の娘。


 けれど彼女が街へ出歩くことはないだろう。なぜなら彼女は、『百年に一人の難病』に侵されているから。

 帰還したヴァンパイアに少女は困ったように語る。


「もう兄さん、駄目だよ。またそんな格好をして。衣装はしっかりしないと」


 やつれていて、少し疲れたような表情で少女、レーシアはかすかに笑った。

 兄と呼ばれたヴァンパイアは申し訳なさそうに頬をかく。


「スマン。攻撃されルと、服は敗レル。ゆえに新しい物ヨリ、剥ぎ取っタ物を使ってイル」

「も~。仕方ないなぁ」


 レーシアは、くすくすと笑った。まるで花畑にいる小動物が、戯れるような、無垢な笑みのようだった。


「兄さんはしっかりしてれば格好良いのに。もったいないなぁ」

「容姿ハ、興味ナイ。どうでも良イことダ。見る者は、オ前だけダ」

「そう言って、みんな面倒くさがっちゃうと、心まで変わっちゃうよ?」

「……ソレハ。お前がいれバ、俺は変わらナイ」

「そうかな。……そうかもね」


 しばらく、レーシアは愉快そうに笑っていた。吸血鬼と病弱の妹には、似つかわしくない暖かな空間。

 ひとしきり雑談が終わると、妹である少女は静かな口調で言った。


「ごめん、ありがとう兄さん」


 彼女の兄であるヴァンパイアは、無言で手を差し出した。

 ためらいがちに、レーシアはその腕を眺め見て。

 ゆっくりと、兄の腕に――口をつけた。

 犬歯を立てる。そして中の液体を――兄の血液を――わずかずつ吸い上げる。


「ん……ふ……。ん、んん……」


 妹の細い首が小さく動く。喉が動いていく。兄の体内にある血液――それをゆっくりと嚥下している音。

 美しい少女が吸血鬼の血を吸うこと、五分。


「……ん、美味しかった。今日もありがとう」

「いつものことダ、礼は必要ナイ」

「……それでも。大事なことだから」


 そしてためらうように、少女は言葉を付け加える。


「あの……こんなことばかりさせて、ごめんなさい」


 兄たるヴァンパイアは小さく口端を緩めた。そして優しく妹の肩を撫でる。


「オ前が気に病む必要はナイ。俺ガ好きでシテいることダ。謝る理由などどこにもナイ」

「……うん。ありがとう、兄さん」


 レーシアは申し訳なさそうに、取り繕うように笑顔を見せた。

 この世でおそらく最も美しい笑み。少なくとも兄であるヴァンパイアにとって、この世界で最も失いたくない微笑み。

 これこそが今見れる、最高の光景だといえる。


「……もう行くの?」

「アア、結界の維持もしなけレバ。今度来るマデ、しばらく保つだロウ」

「……うん。いつもありがとう。またね、ルーハス兄さん」


 兄であるヴァンパイア――ルーハスは無言で頷き、小屋を出た。

 そして自らの爪を伸長させ、何重にも施した、『爪』による防壁を築く。


 上下左右全てを囲む最硬の壁だ。

 王都の騎士が来たとしても何年掛かりでなければ破壊出来ないだろう。

 万一、妹の存在が知られ、面倒なことに巻き込まれても平気なように。

 どんな軍隊でも破壊困難なようにとの、彼なりの配慮だ。


「――次、カ」


 ヴァンパイア――ルーハスは、耳を傾けた。

 聞こえる。どこかで誰かが泣いている。叫んでいる。


 尋常ならざる聴覚で、ルーハスは聞き取り、そして駆け出した。

 もう何度繰り返したか分からない行動。それでもやめない。次なる目的地に向かう。異端の極地――吸血鬼たる彼は走る。

 人々の不幸な声が聞こえる――その地に向かって。



†   †



 ――とある南大陸の果て。

 そこには、奇病に侵された美しい少女がいるという。


 少女は歩くことも出来ず、食べることも出来ず、時折迷い込んでくる虫や、兄が持ち込む本を読むだけの生活。

 一定ごとに、帰還する兄がもたらす血。それのみで彼女は生きている。


 吸血鬼ヴァンパイアは、血を吸う怪物だ。そしてその血は『人智を超えた治癒性』を持ち、万病に抵抗する力を備えると言う。

 それによって、少女は生きながらえていた。


 ――だが、その力をもってしても、あくまで抵抗力を高めるのみ。

 永遠に死を遠ざけられるわけではない。

 だから、兄は行動する。ヴァンパイアとなっても妹のために犯罪者を殺す。

 殺して殺して、その血でもって最愛の妹を生きながらえさせる。


 それこそ彼の望み。唯一残された、家族を救う方法。

 秘境の奥地で、偶然発見した吸血鬼化の秘宝がなければ、兄妹は絶望していただろう。

 兄たるヴァンパイアは後悔していない。これだけが妹を救えると、信じているから。


 

 ――妹は、その事実を聞かされてはいない。

 だが察していないわけでもない。

 兄からもたらされた書物の記述で断片的に悟ってはいる。

 薄氷を踏む生活だ。いつか神父や聖騎士に兄が討伐される日が来るかもしれない。

 だが、兄がもたらした平和に報いるため、最強の兄が、いつか病の完治法を持ってくる日を信じるため。

 妹は全てを受け入れて――今日も生き続ける。


 いつか、二人で外を走れることを夢見て。

 いつか、普通の生活を営める日を想って。

 少女は、安寧への祈りを捧げる。


「――今度も無事に帰ってきて、兄さん」


 儚げな少女の祈りは、今日も続いていく。ずっと。ずっと――。



********

あとがき


最後まで読んでいただき、ありがとうございました。


本作はたまにはダーク系の物語を、という趣旨のもと書いてみました。

楽しんでもらえば幸いです。


もし面白いなど思って頂けましたら、お手数ですが下部の『評価』ボタンより評価を頂けると嬉しいです。


次回も作風が違う短編を書いてみようと思っております。

最後になりますが、本作を読んでいただき、ありがとうございましたm(_ _)m

 

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