第30話 となりに、いた。

 もしかしたら、また新しい仕事を探さなきゃいけない。姉さんから電話をもらって僕はそう思った。姉さんの頼みだし、今は緊急事態だ。もし彼女の依頼を断れば、家族経営の富山湾に僕の居場所はなくなるだろう。流石に哲といえど滞納している借金があるうえに、大将たちも僕の保証人とはならないだろうから貸したら返ってこないのは確かだ。

 

 一方で、二百万円もあるんだし、ちょっとくらい貸してもいいのではないか。そういう思いもある。数十万円程度であれば、僕が被れば何とか出来る額だ。最悪お金が返ってこなくて、五十万円失っても、まだ百五十万円あるんだし。僕はそもそも物欲もないし、現状のバイト代で何とか生活は出来ている。僕がこのまま節約すれば、僕たちは何事もなかったように日常を続けていける。

「修二さん」

 気がつくと、美和さんが僕の手を握っていた。どうやら美和さんはカレーうどんを食べきったようだ。僕が、出ますかと聞くと、彼女は申し訳無さそうに手を離した。

「ごめんなさい。とても、辛そうな顔をされてたので……」

「こちらこそ、折角のお食事中に失礼しました」

 僕が頭を下げると、美和さんが大丈夫だと手を振った。


「あの……」

 美和さんは、恐縮そうに上目遣いをしながら、おずおずと聞いた。

「もしよろしければ、何があったのか話してもらえませんか?」

 こんな事に美和さんを巻き込むのは気を引けたが、話さないのも筋が通ってない気がして、僕は、美和さんにバイト先から金の無心をされたことを話した。

「何で、他人のことで、修二さんが辛い目に遭わなきゃならないんですか!」

 話し終えた途端、美和さんの顔が怖くなった。僕は、何も言い返せなかった。

「でも、僕が我慢をすれば、みんな幸せになるんじゃないかなと思って」

 僕が、少し考えてそう言うと、美和さんは眉尻を引き上げて僕を見据えた。

「そんなダラぶち……。自分を大事にしてください。厳しいことを言いますが、自分のこともまともに大事に出来ない人が、他人を助けようだなんて、そんなものは虫が良すぎます。エゴでしかありません」

「美和さん」

 周りの客がこちらを見ている。僕がなだめようとしても、彼女は一歩も引かなかった。

「私は、銀行員として、そういう人を沢山見てきました。融資を依頼してくる経営者は高い理想を掲げます。一見耳障りがよく聞こえますが、それでも、理想を叶えるのは一握りです。何故か。皆さん身の程を知らないからです。会社を長く続ける人は小さく積み重ねています。支出をできるだけ少なくする努力をし、自分のできる範囲で社会に貢献する現実的なプランを組みます。時代の波があれど、何度も存続の危機が訪れても……少なくとも積み重ねがある人は、大きくひっくり返ったりはしません。崩れても、また一から積み上げる底力があるからです。自分がどれだけ出来るか把握し、ないものねだりせず、自分が持ちうるものを活かせるからです。これは、地味で、大変しんどいことです。そして、多くの失敗する人は、自分の足元をおろそかにします。それが現実です……。って、尊敬する上長からの受け売りなんですケド」

 彼女の言葉が正論過ぎて、全く言い返す余地はない。

「でも、やっぱり店での立場があるし、僕、何やっても怒られてばっかりで、実を言うと先日元カノにも酷いこと言われて……」

 美和さんはこちらを見て一瞬呆れたような顔をしたが、すぐに妙に自信満々な顔に戻り、こう述べた。

「大丈夫ですよ。お姉ちゃんや、大将には、修二さんのこと、たくさん聞きましたから」

 何を聞いたというのだろう。思い出すだけでも、聞かれちゃいけないことを両手の指では足りないほどしているような気がする。僕は思わず身震いした。

 美和さんは、僕の不安に気づいたのか、優しく僕の手を握った。

「私、寿司屋で頑張っている修二さんを見て、この人がいいって決めたんです。修二さんに会いに来たのも、私がお姉ちゃんに頼んだからですよ」

 暗い店内を、座敷用の照明が天上から照らしている。それがなんだか、美和さんの背中から後光が差しているように見えた。いい女だと思った。僕は、美和さんが欲しいと思った。


 美和さんが僕の手を離した。

「お金を貸すのは、断ります」

 僕は、迷わずそう言っていた。

「そうしてください。修二さんのために。修二さんなら、どんな事になっても大丈夫です」

 僕は頷いて、スマホを手に取った。電話帳を開き、大将の電話番号を開く。

 すまん、哲。僕は、美和さんを取る。

 僕が電話をかけようとした時、スマホに着信があった。取り落としそうにながら画面を確認する。大将のスマホから、また電話があった。

「もしもし」

 僕が電話にでると、今度は向こうから渋い男声が聞こえた。

「おう、俺やけど。さっき、お姉ちゃんから電話あったやろ?」

 電話の相手は大将だった。

「はい。哲にお金を貸してくれって頼まれました」

 僕がそう言うと、大将が申し訳無さそうに何度も謝った。

「用事あるところ、迷惑かけてすまんな。ちょっと、さっきお母さん倒れて、お姉ちゃんが錯乱しとる。今、手がつけられん状態でな。お姉ちゃんも、介護疲れでまいっとるみたいやし、申し訳ないけど明日、店休むわ」

 大将の奥さん、つまりお姉さんのお母さんは、病院で療養していた。彼女は以前、脳卒中で倒れた。その頃から途端に心が弱っていき、不安にかられてたまに痙攣などの発作を起こしている。仕事中にも、よく大将がデイケアや病院、そして姉さんとこまめに連絡をとっているのを僕は聞いていた。

「すまん、修二。気を悪くせんでくれ。お姉ちゃんのことはこっちの事情だから、こんなこと言うのもあれながやけど、人手が足りんで介護で忙しいお姉ちゃんに店手伝ってもらっとるんや。お姉ちゃんも不安な中、ちゃんと仕事しとる修二に頼ってしまっとるところがある。修二も、本当は小説書くための時間欲しいやろうに、我慢して出てくれていつも助かっとる。すまんな」

 大将は、何度も申し訳ないといいながら、事情を話してくれた。大将も奥さんの事を心配しながらスタッフの生活を守るために店を続けて、凄い人だなと改めて思った。

「いえいえ、大丈夫ですよ。それじゃあ明日はありがたくお休みを頂いて、次のシフトからまたバリバリ働けるようにしておきます!」

「ありがとう! 頼んだぞ!」

 僕は、電話を切った。

 どうやら、姉さんが哲が詐欺にあってお金がないことを大将から聞いていたらしい。そして、ショックでおせっかいが暴走して、物事の優先順位がわからなくなり、大将のスマホを使って僕に金の無心をしてきたみたいだった。


 事の真相がわかれば、大したことがなかった。別に、店が潰れることも、哲に金の無心をされたこともなさそうだった。僕はまた普通にシフト通りバイトに行って、真面目に仕事を続けるだけでいい。

「どうでしたか?」

 美和さんが心配そうに僕の顔を覗き込んできた。

「美和さん」

「はい」

「大丈夫でした」

 僕の言葉に、固くなっていた美和さんの顔が緩む。

「良かった。それは、良かったです」

 明日は朝が早いから、今日の食事は早く切り上げる予定だったが、余裕ができてしまった。美和さんも、なんだか物足りないみたいだし、もう少し話したいこともある。

「美和さん。よろしければ、この後飲みに行きませんか。僕の馴染みの店があるのですが」

 僕が提案すると、美和さんは嬉しそうに手を合わせた。

「まあ! いいですね。行きましょー!」

 僕たちは、次の店に向かった。二人とも、白い服にカレーうどんの汁を一滴も跳ねさせることなく食べきっていた。

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