第29話 人生の味は、多少辛いほうが美味しいのかもしれない

 紅緒さんに紹介されて、初めて彼女に会った時、なんだか変な人だなと思ったんだ。

 だって今まで、赤ナンバ……とうがらしを可愛いと言って、スマホにつけている人なんて見たことなかったから。後から知ったことだけど、そのとうがらしのキーホルダーは鞄の中にひとつかみ入っていた。どれも同じかと思ったが、よく見ると微妙に色が違う。食べられないのに。いや、生でもとうがらしは食べないけれど。

 何で入れてるんですか? って聞いても、彼女は「好きだから」の一点張りで、譲らない。なんと奇抜さも合わせて、強情さも持ち合わせているときた。これは、とんでもない人を紹介されたと思った。


 紅緒美和べにおみわさんは、僕と同じ二十七歳で、先日、店を退職された紅緒美咲べにおみさきさんの妹だった。ひと目見て分かった。この人、前に店にとうがらしを忘れていった人だ。あの日、彼女の顔を見たのは一瞬だったが、何故かその一瞬が、僕の頭にこびり付いて取れなかった。彼女は、すごく落ち着く匂いのする人だった。

 僕と哲はその日、彼女のことをとうがらしさんと呼んでいた。

「お待たせしました。お姉ちゃんからお話は聞いています。氷見修二さんですね? 今日は、よろしくお願いします!」

 待ち合わせの時間より五分早く彼女が現れた。改札口からは高校生とサラリーマンが出てきていて、最後の一人が美和さんだった。彼女は高岡駅の中央にあるデジタルサイネージの前に立つ僕を見つけると、恐る恐る近づいてきた。僕が会釈すると、安心したように、マスク越しの笑顔を僕に向けた。

 急いで走ってきたのだろう。肩から外れかけた鞄の紐を直し、美和さんは深々とお辞儀をした。立山に雪が降る季節になった。乱れた呼吸で吐く息が白い。彼女は呼吸と同じ白色のニットに、ポンポンの付いたニット帽を被っている。愛用していそうなディオールのトレンチコートは、童顔の彼女を妙に大人っぽく見せていた。

 そして今日は僕も、ダッフルコートに白いニットとデニムで来たので、図らずしもおそろいになってしまった。


 美咲さんからは、ご飯でも行ってきたらと言われている。待ち合わせの時間が仕事終わりの七時ということもあって、お腹が減っていた。

 僕たちは、顔合わせがてらに食事に行くことにした。初めて、デートに行く時、一番気になるのが相手の好みである。最初から、小洒落た店に誘うのもいいが、あまり肩肘張りすぎるのもなんだかなと思った。お互い、比較的にカジュアルな服装だし、落ち着く場所でご飯を楽しみたいと思った。

「辛いのが好きなんですか?」

 とうがらしをたくさんつけているので、僕は思わずそう聞いてみた。美和さんは、とうがらしをじゃらじゃらさせながら、

「辛いの好きですよ!」と、曖昧な応え方をした。

 高岡駅周辺で辛いものと言えば、インドカレー、スープカレー、カレーうどん……カレーばかりだ。他は、食堂、居酒屋、イオン、ココス……デートに使う店とは少し程遠い。僕は、検索候補の店をスワイプしながら、美和さんに見せてみる。

「候補としてはこのあたりですね。どこか、ピンと来るお店、あったりします? なければ他の店探します」

「じゃあ、カレーうどん……あ」

 美和さんは、迷わず指さした。そしてそういった後に、お互い白い服なのに気づいて、彼女は躊躇っていた。正直、素直に好きなものを選んでくれて嬉しかった。しかし、彼女の中では葛藤があるようだ。心のなかでは激しい戦いが繰り広げられているらしい。

「やっぱり、白い服なので、やめたほうがいいの……かな?」

 それでもなお、彼女はカレーうどんが食べたそうだった。

「奇遇ですね、僕も同じ舌です。カレーうどんにしましょう!」

 僕も、彼女と同じく、カレーうどんが食べたかった。

「いいですね! 行きましょう!」

 僕たちは、カレーうどん吉宗に行くことにした。


 高岡駅から万葉線に乗って十分。市民病院前で下車すると、カレーうどんで有名な吉宗がある。いつもなら店の外まで待ちの行列が伸びていてもおかしくはないのに、今日は少し時間が遅いからか待たずに中に入ることが出来た。

「そういえば、何で白い服のときに限ってカレーうどんが食べたくなるんでしょうね」

 店内は、古民家のような雰囲気で、木製のテーブルが五つと六つの座敷席がある。

「うーん、しちゃいけないことをするときってワクワクしませんか。あれと同じだと思います。ちなみに僕は、カレーうどんで服を汚したことはありませんよ」

「え、すごい!」

 そんな雑談をしているうちに、年配のおばちゃんがお冷を持ってきた。僕が頼むものは決まっているので、彼女に聞くと、同じものをと言った。

「カレーうどんを二つ。一つはネギ多めで、ご飯は……」

 彼女を見ると、大きく頷いた。

「二つで! え、修二さん、ネギを多めにするんですか」

「ネギ好きなんだよね。美味しいよ」

「だったら私のネギ、食べますか?」

「あれ、ネギ食べれないんだ。貰うけど。すみません、彼女のネギ、僕のカレーうどんに乗せて貰うことって出来ますか?」

 おばさんは微笑ましいものを見るかのように、注文を受けて裏に戻っていった。


 しばらくもしないうちに、僕たちの前に大きな丼に盛られたカレーうどんがやってきた。湯気が立ち上るカレーうどんは、冷えた身体によく染み渡りそうだ。

 そして大盛りにするとただでさえ多く盛られるネギに、美和さん分まで搭載したので、アフロみたいになったネギの山を見て、僕は笑いをこらえきれなかった。もちろん、これだけ盛られたとしても、僕は汁まで完食できる。

 カレーうどんの中身は、ネギと鶏肉だけのシンプルなものだ。

 しかし、この鶏肉が凄まじく美味く、甘く下味をつけた肉が、カレーの中でホロホロになるまで煮込まれて、噛んだ瞬間繊維質の肉が解けるように広がる。

 カレーは少し辛めに作られているので、この甘辛のコントラストが癖になるのだ。

 美味しいけれど、みんなに知られると並ばなければいけないのであまり知られてほしくない店No.1だったりする。

「結構熱いんですね」

「カレーにとろみがあるから熱が逃げにくいんだよね」

 美和さんは、木のレンゲの上でミニカレーうどんを作って必死にふーふーしている。

「美和さん、猫舌なんだ。じゃあ、玉子を一つ」

 玉子を入れると、全体的に熱が冷めるし、辛さを抑えられてちょうどいい。僕は、玉子を頼んで、勧めてみた。

「マイルドになって美味しいです!」

 どうやら気に入ってくれたようだ。米も新米らしく、柔らかめに炊かれたモチモチ感とカレーのスパイスが合わさってとても美味しい。


 カレーうどんを半分ほど食べ終わったあたりで、僕のスマホに着信が入った。大将からだった。デート中に電話が入るとは迂闊だった。スマホの電源を落としておけばよかったかもしれない。まあ、どうせシフト変更だろうな。そう思いつつ、僕は電話に出た。

「もしもし」

「あのさ、修二。頼みがあるんやけど」

 電話の向こうからは、女性の声が聞こえた。だみ声気味のこの声を聴くと、思わず身構えたくなる。

「姉さん? え、どうされました? 何か僕、仕事でやらかしてましたっけ?」

「ちょっと、相談があって…………」

 話が飲み込めない。

「え、お金を貸してって、大将いますよね。何で貧乏な僕に?」

「大将は、お母さんの介護で店の経営がギリギリでぇ……。哲がちょっと困ってるらしくってぇ……」

 話の内容が薄っすらとしか見えていないがこういうことらしい。何故か、姉さんが哲の美人局事件を知った。そして、哲が脅迫罪で裁判の費用と示談金が必要になったところを、可哀想に思った姉さんが助けようとしている。しかし、誰も頼る人がいないため、僕にお鉢が回ってきた……。しかし何で大将のスマホから? まあ、大将と哲しか僕の電話番号知らないはずだけど。

「修二、哲と友達やろ? 彼女さんからたんまりお金も貰ったんやろ? 助けてあげてくれんけ?」

 何故か姉さんにまで、僕が江美里に二百万円を返してもらったことが知れ渡っている。ということは、哲が姉さん伝いで僕に金の無心をしているということだろうか。

「事情は分かりました。ただ、返事は少し待ってください。今、用事を済ませているので、それが終わり次第連絡します」

「分かった。また電話するわ」

 僕が電話を切ると、美和さんが心配そうな顔でこちらを見てきた。

「どうしたんですか?」

 猛烈に、嫌な予感がした。

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