第28話 出会いと別れ、そして出会い

 哲が帰ってきてから、ゆあはまた彼にベッタリになった。傍目から見ると、哲の方からゆあに対して仕事を教えているようだ。ゆあも、哲に付き従いながら指示された仕事を嬉しそうにこなしている。そして、哲目当ての常連客も何人か戻ってきたようで、閑散としていた平日の寿司屋はいつも以上に賑やかになった。

 人手が戻ったおかげで、仕込みが遅れて途中休憩を挟むこともなくなった。哲が板場に出ている間は、大将と兄さんもゆっくりまかないを食べることが出来た。そして、いつもならまかないを食べてすぐに昼寝に向かう大将も、余裕が出てきたからだろうか。僕は大将とお昼を一緒に食べることが増えた。

「そういえば、この前、昔の女に会ってきたがやろ? ヨリ戻せたか」

 今日のまかないはアジフライと白身フライ、納豆とパートのお母さんが作ってきてくれた豚の角煮だった。大将は、インスタントのワンタンをスープ代わりに啜りながら、僕にそう聞いてきた。


 僕が東京行きを決めた時、大将に無理を言って休ませてもらったのもあり、事情は店にすべて話している。昔の女に話をつけに行くと言うと、彼は二つ返事で許してくれた。それも頑張れの激励とともに、背中に特大の紅葉焼きのおまけ付きで。

「婚約してて、相手がもういるようです。手切れ金として、二百万円投げつけられましたよ。悲しくて死のうかと思いました」

 僕が豚の角煮にかぶりつくと、落ちた汁ごと白飯をかきこんだ。もう新米の季節だ。いつもより柔らかいご飯が、豚の脂で何杯も食べられそうだった。

「わはは! 酷い女やな! まあ、いい気分転換になったやろ。次探せ」

 大将は、屈託のない笑みを浮かべながら、アジフライを齧る。

「はい、思いっきり振られたおかげで、踏ん切りがつきました」

 僕は、残った白米に、ネギをたっぷり乗せた納豆をかけて、かきこむ。


 テレビでは、円安の進行で、家計の負担が昨年度よりも年間八万円増えると報道していた。

 八万円もあれば、寿司を従業員割で年間八十回は食べられる。僕がそう言うと、大将は笑ってくれた。


 「すまんな。修二やろ。哲をちゃんと立ち直らせてくれたの」

 十分程経っただろうか。テレビを見ながら、大将がそう呟いた。

「いやー。哲が戻ってきたの、原因は大将じゃないんですか?」

「いや、哲が言っとったぞ。修二がちゃんと仕事しとったから帰ってこれたって」

 調子のいいやつ。まあ、そういったところが哲の良いところなんだよな。自前のポカリスエットを飲みながら、僕はそう思った。

「あはは、その言葉、ありがたく受け取っておきます」

「哲のやつ、迷惑かけてすみませんって何度も頭下げてきてな。休んだのも、ちょっと女とごたついたみたいで。……哲も、修二みたいにもうちょっと真面目に生きてくれたらいいがにな。ま、そこがアイツが周りから好かれとるところやろうけども」

 大将は、哲が美人局に詐欺られたことをぼやかして言った。どうやら、昨日、僕と哲が電話が話したことを知らないらしい。

「そうですね。でも、僕は少し真面目過ぎますよ」

「そうやな。もう少し視野を広く持たなあかん。少しマイペースすぎる」

 大将は、僕の冗談を否定してくれなかった。悲しい。

「あっはっは」

 だから、僕はとりあえず笑っておいた。


 シャリ炊きを続けていても、僕の人生は一向に動き出さないのかもしれない。江美里に返してもらった二百万円もあるし、僕はこの店から巣立って新天地へと飛び立つことを考えていた。

 しかしながら、大将を目の前にして、その事を切り出すことは出来なかった。だから僕は、話を切り替えるために、なんとなくその事を切り出してみた。

「そういえば……最近ゆあと哲、仲いいですね」

 別に、二人が仲良くしてるからってなんてことはないけれども。どちらがどちらに盗られたとか……うん。別に羨ましいとか、寂しいとか、これっぽっちも思っていないのだけれども。

「ゆあも、高校休んで好き勝手やってるのをお母さんに呆れられて、今は放置状態らしいな。お母さんの方も、哲に可愛がってもらえと頼んできてるし。哲も弟おるし、歳下のあしらい方が上手いんやろ」

 羨ましいのか? と続く、大将の言葉に、僕は、全然。と返す。

「そういえば、ゆあは、大将とどういった関係なんですか」

 前々から思っていたことだ。ゆあが店で過剰に甘やかされている理由を、僕は知りたかった。他の人も、おそらく内心では不思議に思いながら、その事を口に出せずにいる。そして、そのうちにそれは自然になっている。まさに、部屋の中の象だ。

「ん、修二が言うところの、昔の女の孫や」

 大将は、包み隠すことなく、正直にそう言った。

「ゆあのお祖母ちゃんが俺の同級生でな。同じ高校通っとった。ゆあのお母さんも、ゆあのお姉ちゃんも昔、この店でバイトしとって、何度も寿司を食べに来てくれとった」

 大将にとっては、ゆあは孫みたいな存在なんだろう。兄さんも姉さんも子どもがいないので、大将にとってはことさら、ゆあの存在が大きいのかもしれない。

 しかも最近になって、あと五回欠席すると高校を留年になるゆあが、ウチの寿司屋に就職すると言い出している。まだ、幼かった頃から見ていたゆあが大きくなって、ついに自分の店で働きたいと言ってくれるまでになった大将の心情はいかほどのものだろうと思った。

 ま、僕としてはますます彼女のわがままに拍車がかかるのではないかと戦々恐々として心配なところだけど。

「なるほど、家族ぐるみなんですね」

 考えてもしょうがないので、話を終わらせようと僕がそう言うと大将は嬉しそうに頷いた。


「大将いる? 電話が繋がらんがやけど!」

 突然、裏口の方で大きな怒鳴り声が聞こえた。大将と一緒に向かうと、そこには荒地の魔女が顔を赤くして立っていた。どうやら、他の店で飲んできているらしい。何を思ったか、大将目当てに突撃してきたようだ。

 大将が顔を見せると、何やら問答を繰り返している。ついに大将の堪忍袋が切れて、「お引取りください」の連呼をしだした。どうやら、荒地の魔女はこの店を出禁にされたらしい。

 せっかくの休憩時間を台無しにされて、少し拗ねている大将が帰ってきた。

「荒地の魔女……いえ、あの老婦人とはどういった関係で……」

 僕が思わずそう聞くと、呆れた顔をして、大将が口を開いた。

「酔っ払い……いや、昔の女や……旦那がおる間はただ寿司を食いに来るだけやったけど、亡くなってから俺目当てに通いつめるようになってな」

「へぇ……」

 なるほど。大将も、今の店を作り上げるまでに相当な修羅場をくぐってきたんだろうな。大将も哲と変わらないじゃんという言葉は胸にしまいつつ、僕は、そう思うことにした。


 僕たちは休憩室に戻った。そして、食べ終えた食器を片付けようと腰をあげたところ、僕のスマホが光った。

「お、修二、電話鳴っとる」

 僕が、スマホを手に取ると、LINEのメッセージが入っていた。

「紅緒さんからです」

 紅緒さんとは、彼女が僕の小説を読み始めた頃に交換した。仕事の連絡くらいしかせず、創作談義はもっぱら寿司屋でしていたが。プライベートで連絡が来るのは初めてだった。もしかしたら忘れ物でもしたのかもしれない。

「ああ、富山を発つのは今月末やろ? 佐賀に引っ越すんやっけ?」

「遠いですよね」

 佐賀なんて、何を見に行けばいいのか分からない。縁も所縁もないし、もう一生、紅緒さんと会うことはないのだろうなと思う。

「連絡取っとるんやな。ちゃんと辞めるときに挨拶したか?」

「ええ、好きですって告白しました」

 僕がサラッと言ったのを、大将は目を丸くして見ている。

「あの人、小さい子どももおるやろ? えぇ……修二も罪作りやな……隅に置けん」

「大将に言われたくありませんよ」

 本当に。

「それもそうやな、ま、ゆっくりしていってください。わっはっは!」

 大将は、そう言って笑って、休憩室を出ていった。僕は、LINEの文面を読んだ。


 LINEには、丁寧な挨拶の後に“迷惑でなければ、紹介したい人がいる”と、書かれていた。分かりました、お願いします。とだけ返信し、僕はスマホを鞄に入れた。

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