第24話 二百万円

ってどういうこと?」

 僕が口を滑らしたのをきっかけに、江美里の尋問が始まる。

「今、ITベンチャーで営業をしてるんじゃないの?」

「いや、実は富山に帰ってて」

「いつから?」

「去年の七月」

「今、何の仕事してるの?」

「寿司屋」

「え、寿司職人してるの?」

「いや、バイトだよ」

「なんで仕事辞めたの?」

「ちょっと、会社の方針が変わったり……納得出来ないことがあって」

「それくらい我慢できなかったの? ベンチャー企業に入って、実践的なスタートアップの勉強するんじゃなかったの?」

「いや、ちょっと待って」

「夢を、諦めたの?」

「ちょっと待って、話すよ、話すから」

「私は修子が夢を諦めるなんて納得できない。あれだけまっすぐに世界一の経営者を目指していた修子はどこに行ったの!?」

「頼むから、僕の話を聞いてよ……」

 僕がそう言って、江美里はようやく黙った。

 矢継ぎ早に繰り出される江美里の質問に、僕の頭は追いつかなくなった。そういえば、彼女は納得出来ないことがあると、病的なまでに追求する癖がある。底なしの負けず嫌いで頭の回転が異常に早い彼女は、一旦捕食対象にされると、相手の心情を考慮せず、ただ解決策を生み出すためにに詰問を繰り返す尊厳破壊マシーンと化すのだった。

 僕は深呼吸した。そして江美里の目を見て、事の次第を話し始める。


「前の会社は、技術を大事にする会社だった。社長も元技術者で、自社の従業員はそれなりに気合い入れて大手旅行代理店とかのシステム開発を自社開発で請け負ってたんだ。でも、コロナが来て、旅行業界が壊滅して、主要な取引先が契約終了になった。今まで黒字続きだった会社は経営不振で赤字になりそうだったんだ。でも、受託案件は少なくなったけど、どの会社も人が足りていなかった。そこで、自社の正社員を他の会社に派遣して、労働力の対価を貰うSESを営業の柱にする方向に舵を切ったんだ。その頃から、会社の古株エンジニア、ほとんどのPM、PLが社長とウマが合わなくなって辞めていって、自社の社員を派遣する営業方法から、パートナー会社の社員を、また他の顧客エンドの開発案件に流して仲介手数料を貰う営業に変わったんだ。この仕事で生まれるものは何だ? ただ、マージンをせしめているだけで、自分たちは世の中に何も生み出していないじゃないかって思って辞めた。これがすべてだよ」


 僕がそう言うと、江美里は呆れたような顔をし、鼻で笑った。

「そんなことで? 会社なんだから金を稼ぐのは当たり前でしょ? 自社の従業員が金を作り出せなくなったら、また新しく金を生み出すためのシステム再編をするために事業転換するのが当たり前なんじゃないの? それは会社を作ったことがある修子なら理解できることでしょ?」

「ごめん、当たり前なんだ。当たり前なんだけど……」

 江美里の言い分が真っ当すぎて、僕は何も言えなかった。僕が言っていることは、ただの子どもの我侭で、仕事のない人からすれば、殺されても文句は言えないような浅はかな考えだった。

「気に食わなかった?」

「……うん」

「えー、折角正社員になったのにもったいない。次、どうするの? 修子にはなんか考えがあるんでしょ?」

「ごめん、ない。何すればいいかすら分かってない。金を稼ぐことに納得いっていないから、とりあえず、金がなくてもできるクリエイティブな小説を書いている」

「だから、寿司屋でバイトなんかして、暇つぶしをしてるってわけ? あなたは、自分の才能が腐っていくのが怖くないの。履歴書に空白ができたら転職に響くでしょうし」

「怖いよ。このままじゃいけないっていうのも分かってる」

 僕がそう言うと、江美里はテーブルに手を叩きつけて立ち上がった。

「だったら! あなたは、経営者になるの。素晴らしいプロダクトを作って、世界を変えるの、時代を動かすの! ! !」

 僕を見下げる江美里を見上げながら、僕はため息をついた。

「それは、もういいかなって」

「なんで?」

「金を稼ぐことに理由を見いだせなくなった」

 言葉にしながら、自分が情けなくなった。

「なんで? 資本主義社会を回せばいいじゃない。みんなに金と便利なものが回ることで、世の中幸せになるんじゃないの?」

「僕は、便利なものに飽きたんだ。それに欲しいもんなんかないよ。貧乏でもさ、小説書いてれば満たされるし、それ以外は無駄だなって思っちゃって」

「豊かさを捨てるの? 馬鹿じゃない?」

「物質的な豊かさが、豊かさの本質じゃないと気づいたんだ」

「負け犬の発想ね」

「ウェルビーイングな発想と言えよ。そもそも、僕が大学時代に金を稼いでいた目的は、君だったんだ」

「私?」

「なんで江美里はあの時、僕に黙って金を持ち出したんだよ。あれのせいで、僕は会社を畳んだんだ」


 ――はぁ。


 辺りに、江美里のため息だけが残った。

「なんか残念。帰るね」

 江美里は自分の鞄から財布を取り出し、コートを羽織った。

「あ、そうそう。これを返しに来たんだった」

 彼女は鞄に手を入れ、分厚い封筒を取り出した。面倒くさそうに、彼女はそれを投げた。封筒は食器を避けて、僕の目の前に落ちる。衝撃で、カトラリーがカタンと鳴った。

「二百万円入ってる。あの時、私が持ち出したお金。ちゃんと利子つけて返したよ」

「え、あの時、学費が足りないって……。研修医って言っても、同期の新卒よりちょっと多いくらいだろ? 借金返すのに、まだ金が必要なんじゃないのか?」

「ああ、あれは嘘。お父さんも元気だし、私の家はちゃんとしてるよ」

「どういうこと?」

のためだよ。こうでもしないと死にそうだったじゃん」

 どうやら、江美里は、僕が我武者羅に仕事をしている姿を見て、過労死しそうだと思ったらしい。会社を畳んだ後、半年間の燃え尽き症候群で鬱になったので、もしかしたら彼女の言う通り死ぬ一歩手前だったのかもしれない。

「そもそも、そんな平和ボケした性格だったから、会社も成長させられなかったし、クレームに追われてたんでしょ? 良かったじゃん。借金まみれになる前に会社を畳んで」

 彼女は追い打ちをかける。確かに、彼女の言うことはもっともかも知れない。


 僕は、彼女の投げた封筒を手に取る。中身を確認すると、ちゃんと二百万円あった。

「それ使って、もうちょいマシな生活しなよ。浮浪者の真似しないでさ」

 江美里が、吐き捨てるようにそう言う。

「浮浪者?」

 思わず聞き返した。ちゃんとスーツは着て身ぎれいな格好はしているし、風呂にも入っている。

「惨めじゃん。私が……」

「でもさ、幸せだよ、自分の時間使えるし」

「二十七歳でしょ? 他の人はちゃんと家庭持ってるのにさ、恥ずかしくないの。服も昔のでしょ? 自分の時間を使えるから幸せって……アンタ、止まってんだよ。大学生の頃から。分かってる? 落ちぶれてんだよ、今さ、気持ち悪い。え、アンタに抱かれたの? 私が? 社長だって威張り腐ってたあん時のアンタの方がまだ人間だった」

「別に、……僕、威張ってたかなぁ……?」

 僕なりに、人の役に立とうと頑張ってたつもりだったんだけどなぁ。まあ、頑張る原動力のほとんどが江美里きみだったんだけれども。

「でもさ、時間の使い方って大事で、僕が……一番好きな小説を書いてさ、みんなを楽しませられるんじゃないかなって……」

「もう、やめなよ。夢の中で生きるの。現実を見て、みんなちゃんと自分の実力理解してまともに生きてるんだよ?」

 分かってるよ。そう言いたかったが言えなかった。


 僕たちの間に、沈黙が流れる。僕は、沈黙が破れることを、極度に恐れていた。これ以上、彼女の声を聴くのは怖かった。


「それとも何? 私、間違ったこと言ってるかなぁ?」

「ううん、君は正しいよ。完璧だ」

「本当? いいんだよ? 間違ってたら言ってね?」

「うん、それじゃあ。一つだけ言っていい?」

「何?」

 江美里がこちらを睨みつける。

「多分、君とは価値観が違うんだ」

「どういうこと?」

「これ以上、話しても無駄だっていうことだよ」

 自分のしていることが善意だと思っている人間の考えを変えさせることは出来ない。それは、敬虔なキリシタンを仏教徒にするようなものだ。そういえば、彼女の実家もカトリックだったっけ。

「そ」

 江美里が、短く嘆息する。どうやら、色々と諦めたようだった。


「それじゃあ、帰るね。この後も予定入ってるから」

 恵美里は、僕のことを一度も振り返らずに、ホテルを出ていった。背中に左手を当てておばあちゃんみたいに歩く癖は昔と変わっていなかった。

 彼女の左手薬指には、婚約指輪が光っていた。僕は、昔の男になった。彼女はその事を僕に伝えにやってきたのかもしれない。それはそう。五年間という空白期間は、僕たちの関係を漂白するには十分すぎた。

 もしかしたらヨリを戻せるかもなんて儚い思いは、秋風にさらされた塵みたく吹っ飛んでいった。


 江美里は、おそらく善意で言っている。悪いのは僕で、彼女はまともな自分たちの仲間に引き入れようとしている。純粋に、今みたいなみすぼらしい生活は辞めて、ちゃんと正社員としてもう一度再起する事を望んでいる。本当に僕を見捨てているのなら、こんなしんどいこと言わずに、勝手に幸せになっているはずだもの。そう思うしか出来なかった。

 いや、そう祈っていた。

「やっぱり、金が無いと、家族がいないとまともだと思ってもらえないのかなぁ」

 僕が今まで関わった人の目を思い出して怖くなった。みんな僕を気持ち悪いやつだと思っているんだろうな。厄介な事に関わりたくないから当たり障りなく接しているだけで、本当は、関わりたくないんだ。自分の手は汚さず、厄介事は勝手に消えてくれればいいと思っている。

「ほっといてくれよ……」

 僕は、しわくちゃになった封筒を持って、暫くの間動けなかった。

 手にした二百万円が、途端に気持ち悪くなった。

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