第22話 熱波師総選挙

 サウナに入って五分程経った。館内に、ロウリュウイベントの告知があった。

 熱波師総選挙本戦。どうやらヌルマーの湯では、現在イベントとしてロウリュウに力を入れているようだった。

 ロウリュウは、熱波師と呼ばれる人がサウナの中でうちわや送風機ブロアーを使って熱波を入浴客に浴びせることで、客の体感温度を上げ、発汗作用を促し、より気持ち良いサウナ体験を味わわせるイベントだ。ロウリュウ自体は幻冬舎の箕輪さんが出したサウナランドで予習済みだった。これは前職の最寄り駅である渋谷駅周辺で走っていたタイの三輪タクシートゥクトゥクで買ったもので、一見、ざら紙で作られた趣味全開のムック本だ。しかし、サウナ愛でできたこの一冊は、ページをめくるたびに僕を未知なるサウナ体験への興味へ誘っていた。ちなみに、裏を見ると定価二千七百五十円と書いてある。高。

 確か、銭湯の入り口には三人の熱波師の名前と、投票用の紙が置いてあった。ちなみに、僕はヌルマーの湯常用者でありながら、一度もロウリュウ体験をしたことがない。サウナ以上の熱さを体験するのに躊躇いがあったからだ。


 二時になると、トルネード中越なかごしが、グングン早稲田わせだと、上腕二頭筋岩代じょうわんにとうきんいわしろを連れてやってきた。例の熱波師である。名前の由来は分からないがすごい名前だ。

「本日のフレーバーはパインアップルをご用意いたしました」

 グングン早稲田が手に持った桶から柄杓を使って石炭の上に液体を二度かける。そしてブロワーを使って蒸気を部屋内に拡散させると、甘酸っぱい南国の香りがサウナ中に広がった。それと同時に、サウナ内の気温も上がり、体内から焼けていくような熱気が身体にまとわりつく。息を吸うだけで、鼻毛が痛い。タオルを顔に巻いておいて良かった。

「これから、ロウリュウを行いますが、気分が悪くなった方は無理をせずに退出してください」

 司会のトルネード中越がそう説明した。どうやら最前列の僕たちから熱波を受けるようで、一番最初に隣のおじさんの前に、上腕二頭筋岩代が立った。

「お願いします!」

 おじさんが、大きな声を出す。その意気に、サウナ中の男が拍手をした。

 おじさんの挨拶とともに、上腕二頭筋岩代がビート板を親の敵とばかりに空に打ち付ける。おじさんは熱波を浴びても、目をつぶって何事もないような顔をしている。この人、只者ではない。

「よろしくお願いします」

 僕も、おじさんに倣って、そういった。僕の前にはグングン早稲田が立った。

「それではいきます」

 グングン早稲田はそう言うと、ビート板を僕の鼻に当たるか当たらないかの位置で殴りつけた。一瞬身体を強張らせた僕を気にもせず、グングン早稲田はさらにヒートアップした腕を振り上げ、もう一度侍が正中を刀で斬りつけるような軌道でビート板振り下ろす。なるほど、物怖じしない攻めの姿勢。それが、彼をグングン早稲田足らしめているのかもしれない。

 彼が仰ぐたびに、フォンッ! という風切り音が何度も僕の耳に直撃する。そのたびに振り切って起こった熱波が僕の全身を焼く。音が熱いというのはこういうことなんだなと思った。


 しかし初めて体験したロウリュウは、不思議と嫌ではなかった。最初のインパクトにたじろいだが、勢いに慣れてしまうと、それは苦痛を超えた快楽に変わった。これは、ただサウナで座っているだけでは得られないものだ。僕は熱波がもたらす爽快感を肌で味わいながら、耐えることの楽しさを味わっていた。

 三人の熱波師が全員を仰ぎ終わり、二巡目に突入した。流石に一巡目で抜ける男はいない。みんな、まだまだ余裕そうな顔をしている。

「それでは、第二波行きます」

 次の担当熱波師は上腕二頭筋岩代だった。第二波の熱波を受けても、僕はなんともなかった。むしろ、一波目のときよりも事前に威力が分かる分、先程よりも余裕を持ってロウリュウを楽しめた。そして、上腕二頭筋岩代は、グングン早稲田よりも上手かった。グングン早稲田は力任せにビート板を叩きつけているのに対して、上腕二頭筋岩代は、無駄に姿勢がいい。姿勢がいいということは、腕の力を無駄なくビート板に伝えられるということで、ビート板が捉える熱波の量が桁違いということだ。そのおかげで、身体にまんべんなく熱波が当たり、一波目で感じなかった身体の部位にもまんべんなく熱を感じることができた。

 この技術を実現させているのが……そうか、彼の名前にもある上腕二頭筋だ。彼の上腕二頭筋は、他の二人に比べ、赤いTシャツ越しでも分かるくらいにパンパンに膨れ上がっていた。よく見ると、全身の筋肉からして段違いだ。上腕二頭筋岩代は、長友佑都もびっくりの体幹を有していた。あの筋肉があるからこそ、自由自在に風を制御し、余すことなくサウナ熱を入浴客に伝えきれるのだろう。


 二波目も無事に終え、トルネード中越がサウナ内を見渡す。流石に、このあたりになってくると脱落者が出てくるもので、二波目を受けた男たちの半数が、我先にと外の水風呂に直行する。

 そろそろ限界に近づきつつある三波目。残った入浴客は、十人に満たない精鋭たちだった。

「まだ、浴びたりない方はいらっしゃいますか」

 トルネード中越が舐めるように挑発的な目をこちらに向ける。その挑発、買ってやろうじゃないか。僕は鼻で笑って手を挙げた。周りを見ると、残りの男たちも全員自分の限界を越えようと手を挙げていた。

 トルネード中越が僕たちの覚悟を見届け、無言で頷く。

 三波目は、ついにトルネード中越が僕の担当になった。そして、僕はこのとき理解した。トルネード中越が、何故、を名乗っているのか。

 一撃一撃が嵐のようだった。そこには、何年もの歳月を経て手に入れた、熱波師の技術が蓄積されていた。他の二人よりも年配のトルネード中越は、明らかに僕の反応を見ていた。僕が暑さで身体をよじると、それを見逃さずに角度を変えて責め立てる。縦横無尽に吹きすさぶ熱波の嵐によって、僕はロウリュウの魅力に溺れていた。

 そう僕は、彼の起こす風圧によって、にわかながら、まだ見ぬサウナ道へと吹き飛ばされてしまっていた。

 ロウリュウを終えてサウナを出た男たちの背は、まるでひと仕事を終えて大切な人の元へと帰る、一皮むけた大人の背中だった。


 ロウリュウで十分身体を温めた後、僕はかけ湯で身体を清めた。汗を綺麗に流して水風呂に入るのが、入浴のマナーである。そして十九℃の水風呂に浸かり、火照った身体をクールダウンする。本来は頭まで浸かるのはマナー違反ではあるのだが、僕は体の芯まで冷え切る感触が好きだ。だから、いつも足を滑らせたふりして、一瞬だけ全身を水の中にくぐらせる。そうすると、キーンという耳鳴りとともに、何も考えなくてもいい僕一人だけの時間に浸れる。そこは静寂だった。ようやく何も考えなくてもいい、現世から解脱できるトリップ空間へと旅ができるのだ。これは、合法的な麻薬である。そうして、三十分水に浸かって全身仮死状態寸前に追い込んだ後、外気温に当たる。こうして、頭の中をリセットして前に進める、状態が完成する。


 大浴場から上がり、着替えを済ませてコーヒー牛乳を飲むと、冷たさが頭に登って、一気に目が覚めた。

「会いたい女性ひとには会えるうちに会っておいた方がいい……か」

 僕は、名前も知らないおじさんの言葉を反芻する。すると、今まで僕が抱え込んでいた悩みがちっぽけに思えた。

 なんだ。人に会うために、別に身構える必要はないんだ。僕が昔好きになった人なんだし、会えばいい。久しぶりに電話をかけてきたのも、深く結びついた二人だからこそ、また会いたいと思う感情が芽生えたんだ。それは、きっと自然なことだ。

 魂の洗濯を終えて、ようやく僕は狭山江美里に会うことを決めたのだった。

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