第17話 哲のお願い

 バーベキューの二次会はカラオケだった。島尾海岸から代行のタクシーに乗って高岡のカラオケ大統領に入ると、水曜だからか客の車が殆どなかった。時刻は、夜の九時を過ぎている。

 後払い制のこの店は、僕がよく一人カラオケをしに来る店だ。僕は昔から、音痴がコンプレックスだった。高音が出ず、無理に歌おうとして半音下にずれていると絶対音感を持った友達に指摘されてから、すっかり苦手意識を持っている。そのうえ、大学時代から打ち上げの二次会はカラオケだったので、付き合いで歌うことがよくあった。

 営業だったのもあって社会人になってからもカラオケに行く機会はそれなりにあり、僕は人前で歌う運命から逃げられないと覚悟を決めて、練習のためにヒトカラに週一で行くようになった。

 今はストレス解消のためにひと月に一時間だけ通っている。三百円で飲み放題もついてゲームのマイナーな曲まで網羅しているこの店は、バイト生活の僕が暇つぶしをするには十分な場所だった。


 受付は、新人の男子高校生が担当だった。彼が手間取っていると、後ろから眠そうなおっさんが出てきて、高校生に指示を出していた。眠そうなおっさんはそのままバックヤードに消え、高校生はぎこちない手付きで会計のボードを持って自分についていくよう言った。

 背中で不安を語っている高校生に男六人が案内された部屋は、想像よりも狭かった。四人がけのソファと、丸椅子が一つしかない。僕たちがソファに座ると、みんなの荷物が置けなくなった。みんなで座ろうとしても肩を重ねて座るしかなく、荷物は、すべて床に置くことになった。


 席につくと、まず誰から歌うかで揉めた。

 譲り合いの結果、最初は僕が歌うことになった。哲が歳上の僕を接待してくれるらしい。立山を連れて率先してドリンクバーを汲みに行った。

 彼らが飲み物を持って来てようやく、僕の歌う曲が決まった。

 最年長の僕は、喉鳴らしのためのバラードを入力し、「音痴だから」と前置いてマイクを握る。

 イントロで、優しいピアノの旋律が流れた。夏の終わりに、季節外れの風が吹いたような気がした。

 僕が森山直太朗の“桜”を歌いだすと、哲たちが感心したように唸り声をあげた。ゆっくりとしたバラードが僕の声質にあっているのだろう。みんな、聞き惚れているようだった。精密採点の画面には、九十点を僅かに超えた数字が映っていた。

 僕と同じく音痴を自称していた立山は「音痴? 嘘じゃん」といって自分の顔を隠した。僕はちょっとだけ、自分の声に自信が湧いた。

 僕が歌い終わると、みんなから拍手をもらった。哲たちも興が乗ったのか、僕に続いて、歌を入れ始めた。どうやら対抗心が芽生えたらしい。言葉には出さなかったが、その後、二時間程度は点数の競い合いをし始めた。


 もう何杯、午後の紅茶を飲んだかわからない。解けかけた氷を胃に流し込んで、背中をソファに預ける。テレビとデンモクの灯りが光る室内に、CMで曲紹介をするアーティストの声だけが響いていた。高校生はポテトを貪り、大人たちは酒ヤケで顔を真赤にしている。

 部屋のテーブルの上には、ハイボールのジョッキが山のように積まれていた。暫くの間、誰も歌わない謎の時間が続いた。

 何がきっかけだったかは忘れたが、誰かが仕事の話をし始めた。もしかしたら、哲の愚痴だったかもしれない。そもそも今日のバーベキューは、哲が日頃の激務から来るストレスのはけ口にするために彼自信が企画したものだった。

 普段はストレスを女を買って発散している彼からすれば、五千円ちょっとで楽しく遊べるバーベキューは、コスパのいい遊びなのだろう。哲のぼやきは高校生への絡みに代わり、高校生もこぞって店での不満を口にし始めた。


 そして店への不満は、次第にゆあの悪口に変わっていった。

「ゆあってさ、絶対彼氏出来ないよな」

 哲の発言に、高校生たちが声をあげて笑った。

「あいつ、声が大きいだけでぜんぜん仕事しないし」

 普段、仕事を押し付けられている立山が、憎々しく言う。それに山田くんが「そうそう、そうなんすよ!」と、被せる。

 話し始めて一分もしないうちに、カラオケボックスの中は、悪態で埋め尽くされていた。


 僕は、みんなの話を黙って聞いていた。確かに、ゆあは仕事をしないが、教育係として接してみると、高校生だし世の中の常識がわかっていない部分もあり、仕方ないと思えたからだ。それに仕事をしないと叫んでいる立山と山田くんだって、仕事が残っているのに手持ち無沙汰なときもあるし、五十歩百歩な気がした。


「お前もムカついとるやろ? ゆあの教育係にされて、給料上がらんし」

 会話に入らないでいると、哲がしびれを切らしたように同情の言葉をかけてきた。正直、愚痴を言っても無駄だと思っているので、同情されても何も感じなかった。

「まあ、人にもの教えるのに手当でないのは少し言いたいこともあったけどさ」

 僕に振らないでくれと思いながら返事をすると、哲は何を感じ取ったのか「そうだよな」と、いたく感ずるように頷いている。

「うちの店、給料安いし、人使い荒いわ。給料払えんのやったら商品の値段上げればいいがに、そう思わん? 原材料高騰しとって経営カツカツなんやろ?」

 それは少し思うところはある。客がレジで「安っ! 会計間違ってない?」と、驚くたびに思う。その安い寿司のために、労働している僕たちの給料が犠牲になっているんですよ。と、言いたくなる。

「姉さんも、働かんくせに命令だけして、あのデブ。大将も身内に甘いし、どうなってんだよ」

「そう、それ! 立山さん分かります!」

 いつもは立山に反抗している山田くんが、今日は彼の意見に賛同している。店の悪口で、哲と立山、そして山田くんが三人で盛り上がっていた。元バイトの敷島くんも、昔を思い出したかのように苦々しい顔をしている。


 みんなが愚痴で盛り上がる中、僕と萬沢くんは、部屋の端で彼らを眺めていた。

「結局、店長も店が身内優先なのに納得いかなくて辞めたんやし」

 哲が言う店長は、僕がこの店に入るときに僕の面接を担当してくれた人だ。五十歳のベテランで、大将よりも一回り若い。元々、店の経営と仕込みは店長がほとんどやっていて、大将はオーナーとして店の方向性を助言する顧問のような立場をとっていた。

 僕がバイトとして入って半年ほど経った頃、店長が辞めた。彼が辞めた理由の一つに、姉さんの失態を店長の責任として大将に押し付けられたからだった。


 店長が辞めてから、彼がやっていた仕込みがすべて、哲たちの担当になった。

「兄さんも仕込みの殆どを俺にやらせるくせに、俺の給料変わらんがいぜ。仕事量も二倍になったのに、これはおかしいやろ」

 哲曰く、店の仕込みの七割は哲がしているらしい。毎日、兄さんに後ろから小突かれながら魚を捌いている様子を見ていると、あながち間違いではないのではないかと思える。

 そして哲が仕込みをしている間、兄さんは何をしているかというと、ゆあと話している。ゆあは仕事に飽きると、すぐに兄さんのところに飛んでいって、兄さんにいじってもらいに行く。これはゆあだけ特別で、他のスタッフが話し込んでいたりすると、すぐに姉さんが飛んできて嫌味を言って去っていく。

 僕も、諦めが付くまではこの店はおかしいのではないかと思っていた。

「修二も、真面目にやっとるやつが報われないのはおかしいって言ってたよな」

「まあ……」

 僕がゆあの教育係になる前、どうしても彼女の態度に耐えきれず、休憩時間に哲にしんどいと漏らしたことがあった。その時のことを覚えているらしい。

 そして僕の発言は知らないうちに周りに伝播していった。高校生たちも、その時からゆあの特別扱いが不公平だと口にするようになり、哲も不満を言うことを我慢しなくなった。


 僕がソファに頭を預け天井を見ていると、哲が手招きした。なにか言いたいことがあるらしい。僕は、彼に耳を近づけた。

「なあ、修二、ちょっと手伝ってほしいことがあるんやけど」

 哲が僕に向かって腰をかがめ、耳打ちするようにそう囁く。

 哲の媚びた声色が僕の耳にこびりつく。どことなく嫌な予感がした。


「なんだよ」


「店を壊すのを手伝ってくれ」

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