砺波哲
第14話 とうがらしさん
ゆあと、おわら風の盆を見に行ったことが、次の日には店中に知れ渡っていた。
そして、僕がゆあにした元カノに裏切られた話も、常連のお客さんから僕の耳に入るくらい広まっていた。そのおかげで、祭りの後の三日間は女子高生ヌレヌレ修二からお涙ヌレヌレ修二に格上げになった。
シャリ炊きを終えて、汗を拭いている僕の背を叩いた大将の「俺も、女で苦労したことが何回もあるが、修二も乗り越えてきた男なんやな」という、やけに嬉しそうな声が印象的だった。
今日のランチも、客がたくさん来た。紅緒さんと、パートのおばちゃんと僕の三人で裏方を回したので、店中てんてこ舞いだった。板場で寿司を握っていた哲が隙をみて助けにきてくれなければ、完全に営業に支障が出ていただろう。
激動のランチタイムが終わり、休憩時間になった。僕は、他のスタッフとはひと足お先にカウンターに座り、まばらにいる客を横目に、哲に寿司を握ってもらっていた。
「そういえば修二、ゆあと祭り行ったんだろ? どうだった」
サーモンを握りながら、哲は僕に聞いた。
「どうだったって、雨降ってて大変だった」
結局、僕たちが踊りを見れたのは、諏訪町での一回のみだった。その後は小雨が土砂降りになって、僕とゆあは逃げるように帰ってきた。どうやら、祭りの三日間で、踊ったのは、僕たちが見たあの一回だけだったらしい。
「今回も女子高生をヌレヌレにしてきたのか」
サーモンの寿司と引き換えに、哲が僕をいじってきた。もはや定番となったヌレヌレネタを、僕は鼻で笑う。
祭りの帰り、電車の中で僕たちはびしょ濡れだった。それも、海で濡れたあの日とは比較にならないくらいに。僕たちの目の前に座っていたマダム三人衆の髪の毛が、わかめみたいになっていたのを覚えている。
ゆあを家に帰した後、特にお咎めはなかった。しかし、海のときのように「また娘をびしょびしょにしてどういうことや」と、ゆあのお母さんがいつ胸ぐらを掴みに店に殴り込んで来るかと思うと、不安でたまらない。
「よせやい。あ、踊ってた女の人、妙に色っぽかった」
紅緒さんに似ていたあの女性は、暫くの間、頭から離れそうもない。今でも、想像だけで絵が描けるくらい衝撃だった。
「いいなー、俺も行けばよかった」
僕の女の人に、哲が反応する。いつも抱いてるだろ。と、突っ込むと、祭りみたいな特別な場で会うのも乙なんだよ、と、小賢しいことを言ってきた。
僕は、寿司をつまみながら、哲の恋愛事情はどうなのか気になっていた。
「ところで哲、例のキャバ嬢とはどうなのよ」
僕がそう聞くと、哲は思い出したように大きな声をあげた。
「あ、そうだ! 彼女にLINE消されたんだった。修二、もう一回交換して」
どうやら、女遊びがやめられない哲に業を煮やした彼女と先日、喧嘩したらしい。LINE交換の後に、腕につけられた引っかき傷を見せてきた。僕はズボンからスマホを取り出した。プライベートではほとんど連絡しないので、哲の登録が消えたことなど特に気にしていなかったが、なるほど、大変な女に捕まったなと、漠然と思った。
彼氏の交友関係をコントロールしようとする女って、碌でもないから縁切れば? と言おうと思ったが、我慢した。他人の人生だし。最後まで関わらないのに中途半端に優しさを出すのはエゴだから。これは大学の教授に指摘されたことだ。
「よく、そんな彼女と一緒にいられるね」
僕は、誰にも触れられない自分だけの世界を持っていたい人間なので、哲が彼女にスマホを渡すという行為に驚きと、ある種の尊敬を抱いていた。
「好きだからな。後、可愛いし」
それでも、哲はあっけらかんとそう言った。惚れた弱みというやつらしい。今の僕には持ちえぬものだ。まあ、彼女のために会社を作った自分が笑えることではないけれども。
僕たちは、しばらく口を利かなかった。僕は、寿司を食べ、哲はテレビの相撲を見ている。
一通り、皿の上を片付けてから、僕は積み重なった寿司皿を数える。十枚だ。次は何を食べようか考えていると、哲が口を開いた。
「修二は彼女作らんの?」
そういって、哲は「酷い失恋したからって、いつまでも引きずってるわけでもないだろうに。それとも、まだ、癒えてない?」と付け足した。
「ゆあにも同じこと言われた」
おわら風の盆の帰りの電車で、僕の隣りに座ったゆあが、勇気を出して僕にいってくれた。元カノを許してあげてほしい。と。そして、今は充電期間なんだから、ちゃんとまたやりたいことが見つかると励ましてくれた。
それでも、仕事も、恋愛も、何もかもに意欲が見いだせない現状を考えると、僕はもう浮き上がれないのではないかと考えてしまう。僕が、今から、もう一度何かを志すことは出来ない。もしかすると手遅れかもしれないとすら思っている。
四十万円あった失業保険の貯金残高も目減りし、もう半分しかない。また定職について働こうにも、転職活動で仕事を探し、面接を経て正社員になるビジョンが思い浮かばなかった。もちろん、大将なら僕を富山湾の正社員にしてくれると思うが、この激務に僕の体が耐えられるかというと、間違いなく無理である。
「だったらさ、そろそろいいだろ。一人だと寂しいだろ。新しい人生歩もうぜ。ゆあはどうだ」
「うるさいな。そんなの僕の勝手だろ。一人もそこそこ楽しいんだよ。それに、ゆあはな……」
言いかけて、僕は口をつぐんだ。哲が不思議そうな顔をする。
「紅緒さんみたいな人がいいなぁ……」
頭の中に押し込めたもやもやを、社会性というフィルターを通してアウトプットする。
「だから、紅緒さんは人妻だって。現実を見ろよ」
二十六歳と女子高生が付き合うのも非現実的だと思うんですけど。しかも、女子高生と交際するには保護者の了解を得なければいけないのに、ゆあのお母さんにも危険人物として目をつけられてそうだし。
「じゃあ、修二に合うような人。例えば、変な人がいいんじゃないかな」
哲が名案とばかりに目を輝かせる。
「僕って、そんなに変?」
哲に変な人って思われていることが分かって、少しだけショックだった。
「夜の海に飛び込んだり、雷雨警報の中、祭りに行くやつが変でないとでも?」
ううん。僕は、曖昧な返事をした。まあ、人種の坩堝である東京ならともかく、個性が限定された高岡にそうそう変な人なんているわけもないけど。
話が止まってしまったので、時計を見た。後、三十分で休憩時間が終わる。
僕は、哲にかっぱ巻きを頼んで、
「あのさ、哲、話があるんだけどさ」
「何だよ」
哲が、巻き簀にシャリを押し付けている。
正直、こんなことをいうのは憚られた。恋愛は、当事者二人だけのものだと思うし、部外者があれこれ言ってかき回すべきではないと思っているからだ。
僕は、何度か言い淀んで、やがて意を決して、話し始めた。
「ゆあってさ……哲のことが好きなんだ」
「嫌だよ。アイツ、ガキじゃん」
「そうだよな」
僕は、思わずそう唸った。そして哲に即答されたことに、内心驚いた。
哲から渡されたかっぱ巻きを受け取ると、彼はそっぽを向いてしまった。
ゆあは仕事はしないし、歳上の僕にも敬語が使えずタメ口だし。学校の成績も悪い。そして、あまり可愛くない。高校生のうちに彼氏を作って青春を謳歌できるのか少しだけ不安になるほどだ。
しかし何故だろう。哲の反応に、少し、頭にきている。
「まあ、最近、少しずつ頑張ってるけどね」
実際、軍艦以外の仕事も少しずつできるようになっているし、たまにだけど、僕に対してありがとうございますとごめんなさいが言える程度には成長していた。だから僕は、そう、フォローしておいた。
とりあえず、食べたいものを食べて満足したのでお会計をしようとしたところ、足元に人差し指大の、赤いとうがらしが落ちていた。
「なんで、こんなところにとうがらし?」
誰かの落とし物だろうか。そもそも、寿司屋にとうがらしを所持してくる人は、どういう人なんだろう。僕が拾うと、入り口の自動扉が開いた。
「すみません、そこに、キーホルダー落ちてませんでしたか?」
僕以外客のいなくなった店に、二十代後半の女性が入ってきた。黒髪で、僕より一回り小さく、黒いスーツにスカートを履いている。公務員か銀行員だろうか。堅そうな雰囲気よりも親しみやすい雰囲気があるのは、小綺麗にまとめられたポニーテールのせいかもしれない。マスク越しの顔は、タレ目のたぬきみたいで、どこかで見たことがあるような気がした。
「キーホルダー?」
「赤ナンバ……いや、赤いとうがらしなんですけど……」
「もしかして、これですか?」
僕がとうがらしを渡すと、お姉さんがホッとしたような顔をした。
「大切なものなんですね」
僕がそう言うと、彼女は何度も頷いた。
「そう、前に旅行に行った時に一目惚れしちゃって。可愛いでしょ?」
いた、変な人。とうがらしを可愛いというセンスは、中々に独特だと思う。
変な人は、とうがらしを受け取ると、頭を下げて店を出ていった。
どことなく、紅緒さんにそっくりな彼女は、桃のような甘い香りがした。
「おっぱい、デカかったな」
哲が下世話なことを言った。でも、実際そうだった。柔らかそうで、すごく落ち着く香りがした。そして、また彼女と会いたいなと思った。
「やっぱり、僕も、恋愛したほうがいいのかね」
僕がそう言うと、哲が目を輝かせた。
「それじゃあ、合コンやな。修二、今度新しく入ったバイトの女の子誘って、みんなでバーベキューやろう」
何故か、その場でバーベキューの日程が決められ、LINEの新しいグループに登録された。僕は、会計を済ませて、裏方へと戻った。
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