第13話 濡れた彼女は傘の下。もしくは白雨と紅の風

 久しぶりに、湿っぽい話をしたような気がする。女子高生相手に、こんな話をするのは金輪際もう終いにしようと思った。当のゆあは、神社から出てすぐ、台湾からあげの屋台に走って逃げていってしまった。屋台では、かきわりいちご氷も売っている。時間を割いて僕についてきてくれたのだ、せめて楽しんでほしい。そう願わずにいられない。そして、せっかくの楽しいお祭りを台無しにして、申し訳ないなと思った。

 結局、僕は一人になってしまった。旧町の町並みは、どれも白黒で統一されている。灰色の空の下、酒造メーカーと、内科医と、北陸銀行が、祭りの灯りに溶けていた。八尾の人は、僕に祭りの顔を見せ、彼らの生活は雑踏の影に放られている。

 まるたかやラーメンの屋台横を通り過ぎると、キッチンカーの中から「お兄ちゃん、雨降ってるし、テントの中に入って休んでかない?」と言われた。これくらいの小雨、別に気にならなかった。僕は愛想笑いをして、その場を足早に通り過ぎた。

 屋台のおじちゃんは、僕を自分たちの輪に取り込もうとしているように見えて、その実、仲間として交わることは決してない。仮初の関係。おわら風の盆でしか彼らと接することがない僕は、一生涯、彼らの生活に踏み込むことはないのだろうと漠然と思った。

「そうだよね」

 そうひとりごちて、僕はいつも通りの一人の時間を楽しむことにする。テントの中でビールをあおる男女の笑い声が、寂寞感を加速させた。


 屋台が並んだ路地を過ぎると、ほのかな灯りが見える。その温かさに、僕は引き寄せられた。灰色の中に佇む白黒の蔵造りの家屋では日本酒の飲み比べをやっていた。一杯百円。六杯五百円で楽しめるらしい。面白そうだ。これが大人の遊びなんだ。思わずほくそ笑む。

 玉旭酒造の暖簾をくぐると、成人を超えた家族連れの観光客が一杯ずつ、飲み比べをしていた。

 観光客の娘と思わしき人が、サーバー一番右の日本酒を飲んで「飲みやすい」と感動している。

 僕は、受付のおばさんに五百円を払い、プラスチックのおちょこをもらった。親指と人差指でつまめるくらい小さなものだった。どうやら、このおちょこ一つで回し飲むらしい。そして、六杯全部飲みきると、ちょうど一合になるらしかった。

 僕は一番右のサーバーに置いてある大吟醸袋吊り斗瓶囲いからいただくことにした。確かに、女性が言っていた通り、飲みやすかった。大学時代に飲んだ、青森の酒よりもまろやかで飲みやすい。北の酒は辛くて慣れるまでに苦労したが、僕の生まれた北陸の酒は、すんなりと臓腑に落ちていった。

 一杯ずつゆっくり味わっている観光客を横目に、僕は男を見せることにした。別に、誰に見られているわけでもないのだけれども。

 僕は、二杯、三杯と、次々と喉の奥に流し込んでいく。ピアノの音階が高音から低音に流れるように、徐々に酒の強さもエグみも増していった。

 三杯目を飲み終えた辺りで、濡れて冷たくなった身体が、ほんのり温まった気がした。


 四杯目に手をかけようとしたところで、僕は手が止まった。

「修二さーん!」

 外から僕を呼ぶ声がする。店の扉から顔を出すと、ゆあが僕を探していた。

「おーう、ゆあ、こっちこっち!」

 僕は、残りのコイン三枚をサーバーに入れ、おちょこに入った日本酒を三杯、急いで飲み干した。飲み干してからおちょこを店の人に返してお礼を言った後、少しだけ、視界が揺れたような気がした。

「修二さん、お酒飲んでる!」

 ゆあが、手に下げた袋を渡してくる。中には手のひら大の台湾からあげが二つ入っていた。

「折角祭りに来たんだ! 飲まないほうが神様に悪いって」

 僕はビニール袋を受け取って、匂いを嗅いだ。香ばしく揚げられた油の匂いが、酒に浸った僕の胃袋を刺激した。

「もう、めちゃくちゃ酔ってるじゃん」

「酔ってないよ」

 そう言って、もう一度、ビニール袋をゆあに突き返す。

「あー、酒飲んだら締めが欲しくなってきたな、ラーメン行かない?」

 視界の端に、中華そばと書かれた赤い旗が見えた。

「奢ってくれるならいいよ」

「おう! 僕の奢りだ! 食え、食え!」

 ゆあが、ガッツポーズをする。そんな僕たちの横を、二人の男子高校生が駆け抜けていった。それにつられて、ばらばらだった観光客の足が、男子高校生の後を追うように流れを変えた。

「諏訪町の方で、踊るらしい」

 スマホを持った甲高い女性の声が響く。どうやら、通話先の相手は、ここから少し離れた諏訪町にいるらしかった。

 僕たちは、ラーメンを後回しに、諏訪町に向かうことにした。


 諏訪町の路地に入ると、すでに人垣ができていた。観光客によって正方形に切り取られた路上の上に、すでに三味線と太鼓の伴奏が踊っていた。高灯籠に照らされた舞台の上には、すり足で入場する男たちの姿があった。

 まずはじめに、黒い法被を纏い、傘を被った男が四人出てきた。三味線の音とお囃子に合わせて、男たちが踊り始める。予習で調べたところ、どうやらおわら風の盆は、今年の豊作を願い風の神を鎮めるためのお祭りらしい。そういえば、テレビでも九州の方に台風が来ているので、祭りの最中は富山も天気が荒れると言っていた。男が踊り始めると、少しずつ、風が強くなってきた。僕たちの外で、風がゴウゴウと唸っている。なんだか、台風の目の中にいるようだと思った。

 そうか。この時期は、台風が多いんだ。人と、風の戦いの歴史だ。名前の通り、風の祭りなんだと実感する。

 彼らが踊り終えると、男との入れ替わりで、桃色の浴衣を着た六人の女性が人垣の舞台へと上がってきた。どうやら、先程の男も、今踊っている女も、比較的若い人らしかった。荒々しくも、溌剌とした踊りは、風に抗う人の強さがあった。舞台袖で待っている男女は、どうやら年配のベテランのようだ。手ぬぐいで汗を拭きながら、若者の演舞を、精悍な顔つきで見つめている。

 続いて、若い女と入れ替わりでベテランの男衆が姿を表した。今度の踊りは先程の荒々しさはない。しかし、その老練踊りには、風をいなし、共生していく人の知恵が現れているような気がした。

 そうして男と女、交互に入れ替わりながら、踊りは繋がれていった。

 最後は男女混成の踊りだった。男の服装は変わらなかったが、女の服装が、桃色の浴衣から白い浴衣に雲居の文様が散っているものになった。どうやら、この演舞は夫婦めおと踊りというらしい。対になった男女それぞれが、夫婦なのかもしれないと思わせるほど、息の合った踊りを披露している。


 僕は、彼らの踊りに見とれていた。暗闇の中を、ぼんぼりの明かりが照らし、人と空間に浮かび上がった影が一体となって踊っている。

 その中でも、僕は一人の女性に目を奪われていた。一人だけ、踊りが上手い。というか、踊っている姿が妙にしっくり来るのである。おそらく、他の観光客もそれに気づいているのだろう。その場のカメラがすべて、彼女を中心に捉えていた。

 僕は、彼女がどんな人生を歩んできたのか知りたくなった。そして、僕が見とれていると、お囃子が終わり、彼女は男と一緒に舞台袖にはけていった。傘の下からのぞく、白い肌に紅を差した微笑が、なんだか妖艶で美しかった。

「紅緒さんが踊っていたら、綺麗だったんだろうね」

 残り香に浸っていた僕は、自分の言葉に驚いた。ゆあの視線に気づいて、なんてね。と、付け足しておいた。

「修二さん、口に出てる。どんだけ好きなの? 紅緒さん、人妻でしょ?」

 誤魔化したつもりが、どうやらゆあは僕の言葉を本気に捉えたらしかった。

「うん、何言ってんだろう、僕」

 訂正するのもめんどくさかったので、少しおどけてやった。

 踊り手がはけていくと同時に、にわか雨が降り出した。踊り手はすっかり家の中に下がってしまった。観光客は散り散りに、祭りの余韻を残してその場からいなくなった。




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