第12話 元カノ

 ――彼女は、完璧だった。いや、僕にとっては完璧すぎた。


「僕が彼女と出会ったのは大学一年目の春だった。僕は、青森の国立弘前大学に通っていた。僕は理工学部で、彼女は医学部だった。弘前大学では、一年時は教養課程で新入生全員が文京キャンパスで勉強する。僕たちは、偶然、微分積分の基礎科目で隣同士になった。僕も彼女も、前から二列目の席に座っていて、僕たち以外はみんな教室の後ろにいた。

 前に座るのは変人、普通の人は後ろでスマホをいじってテスト前には過去問を先輩からもらって楽して単位を取るという空気があった。そのせいか、彼女には友達がいないようだった。僕も友達がいなかったから、自然と、一緒に授業を受けるようになった。課題の解き方やテストの予想範囲を教えあった。

 そうしているうちに、勉強以外の雑談もするようになって、お互い、仲良くなった」


「へぇ! 隣どおしの席だったなんてロマンチック!」

 僕の話に、ゆあは関心しているようだった。目を輝かせて、仕事では一度も見たことがない顔をしている。

「そうかな、大学生ではスタンダードな出会い方だと思うけど」

「あ、ごめん、遮っちゃった。続けて?」

 ゆあが、顔に見合わない上品な笑いをする。まるで、武蔵小杉のマダムだ。


「話を聞いていると、どうやら昔、彼女は幼少期に心臓の病気を患ったらしい。確か、心室中隔欠損症だったかな。心臓の左心室と右心室の間の壁に穴が開いていたんだ。彼女は、医者に「そのままにしてたら大人になるまで生きられない。手術しか無い」って言われた。でも、心臓の手術だから、万が一間違えば死ぬかもしれない。彼女は、手術を受けるかどうか迷ってたくさん泣いたんだけど、担当医の先生が「大丈夫。絶対に君を死なせない。君の命は、僕の命だ」って、手をぎゅって握ってくれたんだって。そうして、彼女は手術を決意して、生き残ることが出来た。それからだよ。彼女が子どもたちのために命をかけて救う医者になろうと思ったのは」

 ゆあが、口を抑えている。目の端が、潤んでいるようだ。

「彼女は、人助けが趣味みたいで、僕もそれに付き合う形になった。うん、彼女の博愛精神につられて、二人でボランティアサークルに入ったんだ。同期では、僕と彼女の他に二十人入った」


「へぇ、授業中も、サークルでも一緒だなんて、楽しかったでしょ?」

「うん、楽しかった。でも、二年生になって、医学部の彼女は本町キャンパスに移った。ただ、僕たちは同じサークルだったから、回数は減ったけど、放課後には顔を合わせる機会があった。ちょうどその頃、彼女の家が本町キャンパス側に引っ越すというので、僕も引越の手伝いをした。それをきっかけに、彼女の家に遊びに行くようになった」

「彼女がお医者さんって、忙しくてすれ違いが起きそう」

「医学生ね。いや、彼女はこなしたよ。恋愛も、勉強も、サークルもすべて。要領よくね。後、顔も可愛かったな。サークルの中で一番可愛かった。今は、研修医で札幌の病院で働いているのかな」

「すごいね、修二さんの元カノ」

「うん、凄まじい。でも、その人間離れした彼女に、僕は付いていこうとした。彼女に並び立てるのは僕しかいない。並んで、一緒に歩いていくんだって。当時は、そう勘違いをしていたんだ。もしかしたら、僕はロマンチストだったのかもしれない。でも、そこからが、僕の不幸の始まりだった」


 自分語りしてごめんね? と、ゆあの方を見ると、彼女は大丈夫。と、言った。


「そもそも、僕は元々だらしないやつなんだ。高校でも提出物出したこと無いし。現役時代は大学全落ちして浪人するし。浪人中も、センター試験前のクリスマスに浪人仲間と新潟駅前でカップルにちょっかい出しに行くような男だ。あ、浪人時代は、親から離れたくて新潟の寮付き予備校に引っ越したんだよね」

「新潟には、ゆあのおばあちゃんの家がある!」


「……それが、彼女と出会ってから、僕も人が変わった。変えられてしまった。僕も彼女に追いつこうと、何かないか探した。そしたら見つかった。

 当時、仮想通貨が流行っていた。僕も、手元に残る紙幣ではなく、ブロックチェーンという技術を用いてネット上に再現される分散型の信頼に僕は注目していた。要は、今まで銀行が集中してお金のイニシアチブを握っていたものを、ネットを通じたユーザーの相互監視でお互いのお金に信頼をつけるわけだから。これは革命だと思った。新しいお金の流れができるかもしれない。それも、今まで威張り腐っていたメガバンクではなく、僕たち技術者の手で。僕は電子情報工学科の学生として、夢を見るような気持ちだった」


「難しくてよく分かんない」

「まあ、適当に流してくれればいいや。それからは独学で、ネット上にモナコインで買い物ができるマーケットを作った」

「マーケット?」

「要は楽天みたいなネットショップ」

「え、すごすぎて分からない」

「簡単なホームページにブロックチェーンの技術をねじ込んだやつだったけど、話題性はあってアクセス数も十万はあった。後は、アナログだけどモナコインを普及させようと手作りの硬貨を作って配ったりもした。テレビで見るような年収数百億超えの会社ではなかったけど、二ヶ月ほどで、大学四年分の学費を自分で払えるだけ稼げたし、自前のマイニング用パソコンだって何台でも組めた。もちろん、真夏に部屋中を冷却装置で冷やしまくっても電気代が痛くない」


「え、そこまですごいことしてたのに、何が不幸なの?」

「会社が倒産した。いや、僕が倒産させた」

 あれは、今でも思い出したくない過去だ。話し始めようとすると、胃液がこみ上げてくる。

「ある日、僕のクレジットカードが不正利用されていたんだ。それに、会社の金も抜かれていた。会社の顧問で、経理の担当をしていたやつだった。三十代のおっさんだよ」

「え、何で、修二さん、全部そいつに任せてたの?」

「全部任せてないよ。会社の半分は僕が管理していた。実は、そいつ、僕の彼女と繋がっていたんだ。どうやら、彼女も家の経済状況が悪くなって退学するかどうかで病んでいたらしい。そんなとき、ウチの顧問と出会って、唆された。そして元カノはやつとくっついて、僕の持っていたセキュリティコードをおっさんに渡した。そして、三十代のおっさんに、僕の彼女と会社をそのまま取られた」

「え、その後に誰かに相談したりしなかったの……」

「出来なかった。そもそも外には会社作って儲けてることは公にしていない。どうでも良くなって、そのまんま泣き寝入りだよ。そもそも、僕が会社を始めたのは彼女のためだし、彼女がいなくなったんじゃやる意味はないから。僕が未熟だった。それで済ませた」


 ゆあは、苦虫を噛み潰したような顔をしている。

「それから、人と会いたくなくなった。半年間、鬱状態になってアパートにこもりきりだった。幸い、同じ研究室の友達と、教授に恵まれていたから卒業はできた。大学が僕の会社の実績も知っていたしね」

「それから、ちゃんと人付き合いはしてるの?」

「もちろん、彼女と別れてから、社会人になった後も、会社の同僚と食事に行ったりしたけど、誰かと一緒にいても、つまらなくなったし、彼女を作ろうとも思わなくなった。大学時代に人並みの愛情を交わしたはずなのに、それがごっそり抜け落ちているんだ」

「彼女がいなくて辛くないの?」

「そりゃあ、別れた直後は辛かった……いや、あのときは何もかもが辛かったけど、それでも一人でいるうちに、人って慣れるんだよ。孤独の居心地の良さに」

「自分に見合う人を探せばいいのに」

「あんな、凄い人を見てしまったら、駄目だよ。満足できない」

「そんなひどい目にあったのに、まだ元カノのこと忘れられないんだ。修二さん、誰でもいいから新しく彼女作ればいいのに」

「忘れられない。脳裏にこびり付いている。それに、自分に嘘をつきたくないんだ。自分の人生には、自分で納得したものを入れていきたいから」

 ゆあが何か言いたそうにしている。

「あ、雨止んだみたいだ。この話はまた今度ね」

 遠くで、お囃子の音がする。僕たちは、鐘楼から降りて、旧町に向かった。

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