第10話 おわら風の盆

 ゆあとご飯に行ってから、僕の周りで大きく変わったことがいくつかある。まず、バイトの高校生からは女子高生ヌレヌレ修二とからかわれ、仕事中には、当事者のゆあにすらそう呼ばれるようになった。一応、仕事の指示は聞いてくれるが、ゆあの動きがまだおぼつかないので、彼女がちゃんと仕事ができるようになるまで、じっくりと腰を落ち着けて付き合っていく必要がありそうだった。

 コミュニケーションの方は、概ね改善の兆しを見せていた。元々、僕とゆあは全く話をしない関係性だったのが、今は、軽い冗談を言い合える間柄になっている。しかしながら、しばらくは僕の濡れ衣が晴れそうもないし、ゆあに僕の弱みを握られてしまったので、今後、教育係として接していく際に、支障なく進めていけるのか不安しかなかった。

 幸い、パートのお母さん方は僕がいじられていても「若いっていいわね」と微笑ましそうに笑ってくれるので、職場で孤立せずに助かっている。


 そういえば、ゆあが失踪してからのことを話していなかった。彼女の母親に詰められてから、僕は必死で彼女を探したが、見つからなかった。LINEを送っても、何も返信がなかった。丸一日既読すらつかなかったので、泣きそうになった。

 結局、ゆあが抜けた穴を埋めるために、僕に帰れと言った大将マスターに再び呼び戻され、僕はその日、最悪な気持ちで閉店までの四時間をバイトに明け暮れた。

「何で、疑われるような真似をした。親の目を盗んで行ったんやって? なにか間違いがあったらどうするがけ!」

 僕がバイトに戻ってきた大将の第一声がこれである。間違いも何も、大将がいいよって言ったんじゃないですか。と、思いつつ、事前に親とのコンタクトを取らなかった自分も悪いので、頭を上げる事ができなかった。だって、親に挨拶するって結婚の報告みたいじゃない。

「僕の判断ミスです。申し訳ありません」

 大将に怒られたのはその時だけで、以降は普段どおり仕事で使ってくれるし、どうやら僕のことを不憫に思って気を使ってくれているようだった。と、いっても、このことに気づけたのは大分後になってからで、当時の自分は、世の中の理不尽さに心が折れる寸前だった。人生は騙し騙し生きていかなければならないと、営業時代の上司に教わったが、どうしたって騙しきれないこともあるだろうと思った。

 人生、報われないこともあるというけれど、これは少し報われなさすぎなんじゃない? 二十代の僕には人生というものがまだ分からなかった。


 だから、突飛な行動に出ようとするのも必然だったのだろう。ストレスをできるだけ溜めないようにするのも、営業時代に上司から教わったことの一つだった。報われない自分を報うために、僕は九月一日から三日間行われる、おわら風の盆に行くことにした。コロナの影響で、三年ぶりの開催らしい。おわら風の盆は富山県で一番観光客が来る祭りとして有名だ。話題性もあって、人が溢れるんじゃないかと危惧したが、どうやら見物客を抑制するため、車での参加は不可とのことだった。

 マイカー非所持民の僕にとっては何の痛手でもない。高岡駅から富山駅まであいの風とやま鉄道を使い、富山駅から越中八尾駅までを、高山線で向かった。

 早めに家を出たつもりだったが、すでに整理券をもらう列が駅の中央に出来ていた。県内の一部では雷雨警報が出ているというのに、待ちの行列ができるという事実が、祭りの期待感を増幅させた。

 列に並んでいる人は、どうやら、県外客が多そうだった。派手な眼鏡をした中国人観光客や、金沢弁を駆使する妙に気取ったマダムの群れが駅員の指示に従って列を作っている。

 僕は、若い女性の駅員さんの指示に従い、僕の二倍はありそうなゴールデンステート・ウォリアーズのTシャツを着た欧米人の後ろに並んだ。

 そして、僕の隣には、スマホを弄る女子高生が立った。無遠慮に割り込んできた彼女を、僕は横目で見た。

「で、何でゆあもついてくんのよ」

「ゆあ、おわら風の盆行ったこと無いんだよね」

 浴衣姿のゆあは、こともなげにそう言った。普段、肩まで伸びている黒髪を頭の上で結い上げている。先日の誤解がありながら、この女子高生、なかなか図太いな。まあ、楽しそうだからいいじゃない。そう呟く、二匹の赤い金魚が、彼女の体の上を泳いでいた。

 彼女は、スマホで時刻表を見ているようだった。画面をスクロールさせながら、片手に持ったウィダーインゼリーに吸い付いている。どうやらダイエット中らしい。

「富山県民なのに?」

 僕のスマホには、おわら風の盆のスケジュールが映っている。祭りは午後四時から開始と書いてあるので、電車で向かえばちょうど始まる時間に間に合いそうだった。

「修二さんも行ったこと無いんでしょ?」

 ゆあが失踪した当日の夜、彼女から直接連絡があった。僕が電話にでると、女子高生数名の甲高い嬌声が聞こえてきた。どうやら、ゆあは友達の家に逃げ込んでいたようだ。平日なのにサボりをキメるヤンキー女子高生は、実に愉快そうに笑っていた。LINEの既読がなかったのも、寝ていたかららしい。

「うわぁ。今日、降水確率八十%だって! それなのに行くんだ!」

 ゆあは、能天気にそう言った。たとえ雨でも、僅かな機会に賭ける人間もいる。そもそも僕は、分の悪い賭けは嫌いではない。二十%に一縷の望みをかけている。

 少なくとも、ここに並んでいる人たちは、三年ぶりのおわら風の盆を楽しみにしている同志だった。幸い、今は雨が降っていないので、このまま小雨程度に落ち着いて、祭りが無事開催されることを願う。

「嫌なら、帰ってもいいぞ」

「ううん、行く。修二さんが誘ってくれたし」

 ゆあは、スマホに視線を落としながら首を振った。先日、仕事中になんとなくおわら風の盆を話題に出したところ、彼女に行きたいと駄々をこねられ、渋々一緒に行く流れになった。もしかしたら、祭りが行われずに、何の収穫もないまま帰るはめになるかもしれない。自分一人だけなら責任が取れるが、女子高生を雨に打たれさせて風邪を引かせてしまっては、折角回復した信頼が、元の木阿弥かもしれない。そう思うと、心を鬼にして断っておけばよかったかもしれないと思った。

 順番になったので僕たちは整理券を貰い、次の列で往復券を買った。

 

 ゆあの母親には首を絞められたし、突き飛ばされもした。しかし、ゆあと大将の弁解もあって、ゆあの母親との確執は、わずかながら緩和している。……女子高生ヌレヌレ修二伝説はしばらく収まりそうもないが。

 とにかく今は、なんでもいいからこの胸にかかる黒いもやもやをどこかに捨て去りたかった。それこそ、雨が降っててもいいから、なにか特別なことに浸りたかった。

 “雨を感じられる人間もいるし、 ただ濡れるだけの奴らもいる”。確か、ボブ・マーリーの言葉だったか。僕はおそらく、雨を感じられる人間ではない。そもそも、わざわざ雨に濡れずに傘をさせと思う人間だ。

 だからこそ、こんなときにはいつもとは違う奇行に走るのが気分良かろうと思った。わざわざ問題を起こした直後にゆあを誘ったのもそのためだった。

 すでにびしょびしょなら、いっそのこと、思い切り濡れてやろうと思った。


 乗車時間だ。僕たちは、駅員の誘導に従い、プラットフォームの乗車口へと向かった。

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