最終話
「私にも、この家系のことはよくわかりません。津軽の外れにある小さな農村の、ごく普通の家でした。父も母も、平凡な百姓にすぎませんでしたが、祖母だけはその村の神事を司る巫女をしていたそうで、姉は祖母から呪い釘の秘術を教わったようです。もちろん姉からではなく、祖母が父や母に内緒で姉の幼い頃からそれとなく……」
「暗示をかけるように?」
「はい。祖母は姉に村での役割を継がせるつもりのようでした。でも、姉は十七になった年、突然家を出て行きました。あろうことか、祖母を殺して」
指から長くなった煙草の灰が落ちた。
「時代が変わっても、因襲というのは変わりませんで、村の重要人物を殺害した咎で、両親も私も八分にされました。それを苦に、父も母も自ら命を絶ち、私はその後故郷を離れてあちこち転々とした末、十九歳で今の主人と一緒になってからは、ずっとここで暮らしています」
「そうでしたか。ここを探し当てるのは骨が折れました」
「村を出る前から私だけは姉と連絡を取り合っておりましたが、それがふっつり途絶えてから、あの男に殺されたと知るまで半年以上かかってしまいました。その頃は私も独り身で、頼る人もなく」
「なるほど。で、呪い釘については?」
「ええ、手紙を受け取りましたので。奇妙なことですが、姉は他人の人相でその人の暮らし振りや喜怒哀楽がわかると申しまして。そこでその方の、そう、若い女性が多かったようですが、話を聞きだして、憎んでいる相手や恋敵に呪いをかけていたらしいのです」
普通なら信じられないような話だが、正太郎には一点の疑念すら浮かばなかった。
赤子のような素直さで、ちひろの言葉に耳を傾けていた。
「それでは、やはりちとせは呪いを商売にしていたのですね」
「さあ。商売のつもりだったかわかりませんが、やはり雲をつかむような話ですし、お金を信用代わりにしていたのは確かなようです」
何もそこまでしなくとも良かったのに、と正太郎は思った。
弁護士なんて、そうまでして実現する夢じゃなかった。
ちとせの化粧箱から出てきた紙幣の束と、一枚の紙切れ。
「そんなことをしていれば、何があってもおかしくないとは思っておりましたが、まさかあんな最期を迎えるなんて。姉は仕合わせだったのでしょうか。人様の命に手をかけたりして」
そんなはずはない、と正太郎は思った。
こんな男のために死んだ彼女が仕合わせだったはずがない、と。
声が震えた。
「すみません、ちひろさん。つらいことを思い出させてしまいました」
紙片に走り書きされた滲んだ文字を思い出した。
涙だったろうか。
どうか、これでお勉強に専念してください……と。
すっかり暮れ落ちた庭の宵闇を、粒のような蛍の光がゆらゆら泳ぎ渡るのに、二人は気づかなかった。
灯籠流しが始まってしばらくすると、正太郎は光に覆われた川面を見つめながら、隣で手を合わせるちひろへ呟いた。
「もうどの灯籠かわかりませんね」
「ええ。淋しくならないよう、みんな肩寄せ合って仲良く帰って行きますから」
彼女が河原へ膝を折ると、足下で砂利が鳴った。
「蛍みたいでしょう。離れたところから観ると、飛び交う蛍のように見えるんです」
暗闇の中、恋の相手を誘うように光る虫。
死ぬまで光り続ける蛍たち。
去って行く光。
二度と帰ることのない光。
「追いかけていいですか」
「え?」
正太郎は砂利を蹴って走り出した。
離れて行く虫たちに縋りつこうと。
あの蛍はちとせなのだと。
ちとせが、身体を淡い灯にして呼んでいる。
夜を渡る 令狐冲三 @houshyo
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