あとがき
この小説みたいなものに書かれていることのいくつかは、事実に基づいています。
例えば、「ぶんこ六法」は実際に見かけたものだったりします。現在も、僕の本棚に収まっています。百円でした。ちなみに、2010年版です。志花が自転車を利用していることや、遠くの古本屋に通っていることなんかも、そうです。地元の比較的近くにあったリサイクルショップに関しては、潰れてしまいましたが。
つまりこの作品には、ある程度「純文学」的なところがあります(全然、そうでないところもあります――というか、その部分のほうが多い)。純文学の正式・正確な定義というのはよくわからないんですが、僕は個人的にそれを「作者の人生経験が問われる作品」としています。だから、ある程度はそれにあてはまるわけです。
とはいえ、これが純文学といえるほどのものか、と言われると、僕自身も疑問です。あるいは、もっと純文学的な作品にすべきだった――と思うのですが、残念ながらそんな資質は持ちあわせていないようです。僕の人生には、語るべきほどのことなんて「記憶の底が裏返るくらい探っても」見つかりっこないのだから。
実のところ、僕はこれを遺書みたいなものとして書こうとしていました。つまり、自分のしてきたこと、していることを、なるべく詳細に記述しておこう、という意図で。僕が死んだあとでも、誰かが僕のことを多少なりとも理解できるように、と。
でも、今こうしてあらためて読み、書き直してみると、どうもうまくいっているとは思えませんでした。事実は、もっと違うものです。もっと、ふさわしい言葉や書きかたがあるはずです。
どうやら僕は、それをどう伝えていいのか、いまだにわかっていないようです。ある意味では、僕は同じ場所に留まり続けているわけです。僕はいまだに、志花と同じ机に座っています。
ならもっとエンタメ的に、感情移入できるような話にすべきかとも思ったんですが、どっちも僕の手にはあまるみたいです。というより、私小説的な要素が処理しきれなくて、そんなふうには書けませんでした。
だから結果的にこの作品がどうなっているかは、自分でもよくわかりません。アヒルなのか、ウサギなのか。ほかの人間が見たときに、どんなふうに映るのかは。
――それから、いくつかの蛇足です。
この作品のもとの題名は、『彼女が涙を流した理由』でした。ラストの、そのシーンが一番のモチーフだったわけです。でも、こっちのほうが、ふさわしいような気がして変更しました。
ディオゲネスについての話は、アニメ『アレクサンダー戦記』を参考にしています。荒俣宏さんの原作らしいですが、そっちは読んでません。アニメ中では、これはけっこう印象的なシーンでした。
最後の志花の(メモ帳の)セリフで「わたし」が「私」になっているのは、誤植ではないです。僕は普通、主人公の一人称を「ぼく」と「わたし」にしているんですが、今回はこっちのほうがしっくりくるような気がしました。だから何なのだ、と言われると、僕もたいした説明はできないのだけど。
あと万が一、疑問に思った人のために。
映画『デッドプール』の公開は16年で、最初にこれを書いたときには、まだ上映はされていませんでした(予告編はあったみたいです)。つまり今回、清書するにあたって書き足したものです。豊条さんとの会話で、何となくこれが一番ふさわしい気がしたので。
超がつくほど、どうでもいいことですが。
天国まで持っていけるもの 安路 海途 @alones
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