最終話 《走って、捕って!》――Run and Catch!

 松本が借り受けてきた端末を元に、オコメの現在地を割り出し、数人で現場である【住】地区七番街〈イータ〉の郊外に向かうことになった。現場に向かうのは我こそはと名乗りを上げた犬好きたちである。


「行かずともよかったのか?」

「はい。昔、犬にかまれたことあって、苦手っす」

「そうか」


 六条院と梶は隊に残り、オコメの捕獲のためカメラ映像からサポートを続ける。


「あ、」


 オコメの姿を最初にとらえたのは松本だった。オコメは、全力で駆けてくる松本をしばらく見ていたが、そのうちに尻尾をピン! と立てると勢いよく振り始めた。そして松本とは反対の方向へ元気よく走り出した。


「完全に、遊び相手だと見なされているな」

「そうですね」


 捕獲、大丈夫ですかね、と心配そうにつぶやいた梶の予感はあたり、オコメの捕獲は難を極めた。

 オコメは自分を追いかけてくる人間のことを「自分と遊んでくれる人だ!」と認識してしまったようで、人間たちをおちょくるかのように走り回った。少し走って人間の姿が見えなくなると止まり、人間が追い付いてくるとまた走り出す。そのあまりの小賢しい様子に音を上げた隊員がエサで釣ろうとしたが、警戒心はそれなりに強く、知らない相手から差し出されたエサには見向きもしなかった。


 それでもオコメの体力にも限界がくる。

 走り回ってヘトヘトになった瞬間、松本によって捕獲された。隊員たちも汗だくだ。


「まったく、お前、上手に逃げたよ」


 オコメを抱きかかえたまま松本は言う。オコメは身長が一八〇センチもある松本に抱え上げられた高さが怖いのか、尻尾を丸めた状態で情けなく鳴いた。その隙に隊員の桑原くわばらが素早く首輪を外し、箱を開けて中を確認した。


「あっ、入ってます!」


 その場の全員が安堵のため息を吐いた。走り回っている最中にうっかり落としていたら、責任の取りようがない。


「よしわかった。じゃあその首輪はそのまま持って帰ってくれ」

「副隊長はどうするんですか?」

「俺は、こいつをひとまずケージに入れて一緒に本部に帰る。桑原は隊長立ち合いで持ち主に中身を返却したあとで、首輪のマイクロチップを調べてほしい。おそらく二つあるはずだから」

「あれ、あの二人の飼い犬じゃないんですか?」

「そうじゃないらしい。数日前に自宅の敷地に迷い込んできたところを保護していただけだと言っていた」


 調べたところ、ミナトの名義で出されていた迷子犬の預かり証明があった。その犬を今回こういった形で利用するためには、彼らが自由にできるマイクロチップが不可欠だ。


「わかりました。チップの個数の確認とデータ確認を依頼します」

「ああ、よろしく」


 お前、これからしばらくどうする? と松本は腕の中のオコメに話しかけたが、オコメは「きゅーん」と小さく鳴いただけだった。





 数日して、二人組へ窃盗を教唆した人間とオコメの飼い主が判明した。教唆した人間は防犯システムの運営元の会社の社員だった。社員であればシステムメンテナンスの日程の把握も容易だ。日々の仕事に嫌気がさしていたその社員は「宝くじを当てるより簡単に金持ちになれると思って」窃盗の計画をしたようだった。


 ネットワーク上で依頼を受けたという二人の端末のアクセス記録から割り出した結果に、第三部隊では「だから、計画が穴だらけな割にはそこだけうまく潜り抜けられたのか」と呆れの声が上がった。その社員は、教唆罪きょうさざいで裁かれた上に、会社から情報漏洩による信用失墜の責任として賠償を求められることになった。

 実行犯となった二人は器物損壊罪と窃盗罪で裁かれる。この二人は駆け落ち同然でパートナー生活を始めてしまい、家も借りるのがぎりぎりで生活が苦しかったのだと言った。


「もうやるなよ。次はやる前にちゃんと行政に相談」


 松本と梶はカエデとミナトの二人に今後の助けになる施設の連絡先を教えて、更生施設へと移送されるのを見送った。二人は松本と梶に深々と頭を下げて、更生施設へと移動した。その後ろ姿を見ながら松本は梶に問う。


「お前の名刺も渡したか?」

「はい。渡しました。困ったらいつでも頼ってほしいって言ったっす」


 僕じゃまだ、頼りないかも知れないっすけど、と言う梶に松本は首を横に振る。


「あの二人が更生施設から出て、職業訓練始めるころにはお前も立派になってるはずだ」

「……あんまり自信ないっすけど」

「俺と隊長がしごくから大丈夫だよ」


 弱気な梶の肩をぽんぽんと松本は叩いた。最年少で隊長・副隊長を務める彼らにしごかれたならば大丈夫だろうか、と梶は思う。


「それより問題はオコメだな」

「あー」


 調査の結果、オコメの飼い主であった老人は数か月前に亡くなっており、オコメの飼い主は不在だった。老人の実子に連絡をしてみたが、動物アレルギーがあってどうしても引き取れない、と断られてしまった。


「隊舎で飼います?」

「それをさっき隊長に言ったら即却下された」

「捜査補助犬として訓練を受けさせたらどうですか?」

「訓練を始めるにはちょっと遅いらしい」

「えー、他になんか案ないんですか?」


 僕の言うこと全部だめじゃないっすか! と抗議する梶に、俺が言ったことも全部隊長に却下されたんだよ、と松本は言い返した。


「命の行き先って難しいなあ」

「……そうですね」

「誰か飼える人、探すか」

「お手伝いします」


 松本は梶に「いい飼い主探してやろうな」と言って、隊舎内の執務室へと引き返して行った。





 幸いにもオコメの飼い主はその後すぐに見つかり――夫婦二人暮らしをしている隊員の妻が日中寂しいので飼いたいと希望した――引き取られていった。しばらくオコメが居た隊舎にも静けさが戻った。


「うわ、俺の服、まだオコメの毛がついてる!」


 何回洗濯しても、コロコロかけても取れないんだけど、と嘆く松本に櫻井が言う。


「副隊長、一番長い時間世話してましたもんね。洗濯ボール、買ったらどうですか?」

「洗濯ボール?」


 毛みたいな細かい汚れを取ってくれるんですよ、という櫻井の言葉に松本は素直にうなずいていた。

 そんな二人のやりとりをぼんやりと見ていた梶の視界にスッと六条院の手が入る。


「うわっ!」

「ぼんやりするな」


 きっと今日も忙しくなるぞ、と言う六条院に「なるべく平和な一日であってくださいって祈っとくっす」と梶が言いかけた瞬間、事件発生を知らせる通信が入る音がした。

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或る都市のネオンブルー《アンダーラインスピンオフ》 朝香トオル @oz_bq

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