第77話仲直りと冷蔵庫
「も、もしもし…?」
私は、震える声で電話に出る。
電話の向こう側からは明らかに不機嫌そうな声が聞こえてきた。
『なに?今いいところだったんだけど?』
タイミングが悪かった。
掛けなければ良かったと後悔した。
しかし、もう電話は繋がっている。
早急に要件を伝えて、すぐに電話を切らないと。
「そ、その……千夜は、わ、私の事を、母親だと、お、思ってる?」
緊張と恐怖で、たじたじになりながら、なんとか要件を伝える。
『……はぁ〜』
電話越しでも分かるほどの大きな溜息。
私は、胸に万力を押し付けられ、プレス機で押し潰されているような気分になった。
『馬鹿なこと言わないでよ』
その言葉が聞こえた瞬間、私の胸に言葉のナイフが突き刺さり、心臓を抉った。
やっぱり、千夜は私の事を母親だとは思ってないのね……
勝手に悲観してた私に、千夜が目を覚ませと話を続けた。
『母親とも思ってない相手に、毎月お金を送るとでも?私は血が繋がってるだけの相手に援助するほど、お人好しじゃないよ』
千夜の言葉は、じんわりと傷付いた私の胸に染み渡り、心を押し潰していた重圧を吹き飛ばした。
千夜は……私の事を母親だと思ってくれていた。
こんな私でも、母親だと思って助けてくれていた。
私の頬を生暖かい涙が流れる。
「ありがとう……ありがとう……」
私は溢れ出す涙を何度も手で拭い、千夜に感謝する。
胸の万力も、のしかかったプレス機も、心臓を抉った言葉のナイフも。
全て自分でやったものだった。
自分で自分を傷付けていた。
私は、なんて愚かな母親だろう。
子供の気持ちに気付けず、自分で自分を傷付け、それを子供のせいにしていた。
『またそうやって泣いて……私のお母さんは、古今東西どこを探しても、千鶴お母さんだけだよ。そうやっていつまでも泣かれると、剣聖の名に傷が付く。いい加減現実を受け入れて、私の母親として、相応しい人物になってよ』
千夜は、いつまでも涙を流す私を慰めてくれた。
…もしかしたら、いつまでも話を聞いてくれない私に、文句を言っているだけかも知れない。
でも、私には慰めてくれているように聞こえた。
「ごめんなさい。貴女に辛い思いをさせて…絶対、絶対にこんな生活から抜け出して、千夜の母親として胸を張れるようになるわ」
『そ、そう……頑張ってね』
何故か千夜の言葉の歯切れが悪い。
…やっぱり、単純に文句を言ってただけなのかしら?
そんな考察をしていると、琴歌さんがスマホを自分に近付けて何か話している。
「電話変わったよ。……うん…うん…いいよ、これくらい。…うん…うんうん……そう、じゃあお休み。寝てる琴音に手を出さないでね?」
どうやら、琴歌さんは千夜と仲がいいらしい。
もしかしたら、ここまで千夜に頼まれてやった事なのかも…
私が琴歌さんを観察していると、電話が繋がったままスマホ返ってきた。
「ち、千夜…」
『あっ、お母さん』
私が名前を読んだことで、千夜も電話の相手が変わった事に気付いたみたい。
……これで気付かなかったら、私泣いちゃうかも。
「えっと…お、お休み。千夜」
『お休み。お母さん』
久しぶりに千夜の『お休み』を聞いた。
もう何年ぶりだろう。
嬉しさのあまりボーッとしていると、いつの間にか電話は切れていた。
私はスマホをスリープしてポケットにしまうと、琴歌さんにお辞儀した。
「ありがとうございます」
琴歌さんはすました表情をしていたけれど、どこか嬉しそうだった。
私は、千夜との間にできた溝が、少し埋まったような気がして、簡単に言い表せないような幸福感に包まれた。
満天の星空の下、夜の静寂の中、私と琴歌さんは何も言わず新しいタバコに火をつけた。
◆
「どう?仲直りできそう?」
布団の中、琴音が私のほっぺを突きながらそう聞いてきた。
私は、お返し言わんとばかりに琴音のほっぺを摘んで引っ張る。
「お母さん次第かな…」
「ひょかぁー」
パチンコとか、競馬とかのギャンブルを止めてくれるなら、仲直りしてもいいかも。
お金?別に返してもらう必要はないね。
「にしても、タイミング良すぎでしょ。あとちょっとで琴音を……」
「おかあひゃんに、くぎしゃじゃれちゃっちゃもんへ」
「ええ。琴歌おばさんの事だから、直感で琴音が危ないって覚ったんじゃない?」
せっかく良いところまでいったのに、お母さんからの電話で台無しになった。
琴歌おばさんに釘刺されたし…
「あー、ひょろひょろははして」
「えぇ〜、もうちょっとだけムニムニさせて」
「……いいへほ」
ずーっと琴音のほっぺを引っ張ってたら、流石に嫌な顔をされちゃった。
でも、琴音は優しいから、もうちょっとだけと言えば許してもらえる。
それに、大抵の事はちゃんと後でお礼すればさせてもらえる。
…そっちの一線は無理みたいだけど。
はぁ……このまま琴音を可愛がりたい…
「琴歌おばさん、帰ってくるのが遅いといいなぁ」
流石におばさんの目がある中でこれは出来ない。
出来るだけ帰ってくるのが遅い方が嬉しい。
……また琴音が私から距離を取ろうとした。
離れないでほしいのに……はぁ、仕方ない。
私は、ほっぺを引っ張ってた手を離して、琴音を抱き寄せる。
「痛かった…」
「ごめんね。琴音が可愛くて、つい…」
琴音は頬をさすりながら、不満げに軽く睨んできた。
私が許してもらおうと謝っていると、眠そうにあくびをする琴音。
「ふぁ〜……もう寝ようよ」
どうやら、琴音は寝たいらしい。
もう十一時か……私は夏休みだけど、琴音は明日も店を開けないといけない。
「そうだね。じゃあ、お休み」
「お休み〜」
私達は、ピッタリくっついて寝始めた。
……もう真夏なだけあって、夜も暑いせいですぐにお互い離れたのは言わないでほしい。
◆
翌朝
「あ、頭が痛い…」
「久しぶりに沢山飲んだせいで、二日酔いが……」
朝になり、二人揃って二日酔いでダウンしていた。
千鶴さんは元々そんなに強くないみたいだから、まあ納得の結果。
私は千夜ちゃんに禁止されてたせいで、酷いことになった。
「どうします…帰れそうですか?」
「あんまり早く帰ると、千夜ちゃんが嫌な顔をすると思いますよ。親がいない状況でやりたい事が沢山あるでしょうし」
「そうですか……じゃあ、布団干して置きますね」
千鶴さんは、そう言ってヨロヨロと立ち上がり、布団を干しに行った。
私がここに残る理由は千夜ちゃんが嫌な顔をするというのもあるけど、やっぱり一番はどれだけお酒を飲んでも怒られないこと。
あと、タバコも。
家ですると千夜ちゃんに脅された琴音や、千夜ちゃんに怒られるからね。
「ふぅ……朝ごはん作ろうかな」
一応、冷蔵庫を漁る許可はもらってる。
千鶴さんが色々としてくれてる間に、私が朝ごはんを作ろう。
私は頭を抑えながらゆっくり立ち上がり、キッチンへ向かう。
「さて…冷蔵庫には何が………え?」
冷蔵庫を開けた私の目に写ったものは、大量のお酒だった。
ビール、チューハイ、梅酒、ウィスキー……日本酒もある。
これは、千夜ちゃんに嫌われるわ…
「おかずに出来そうなものは……おつまみしか無いわね……野菜室も…お酒と炭酸水がほとんど」
唯一まともなのは冷凍庫。
一般家庭的な冷凍食品が沢山入っていた。
私が何を作ろうかと悩んでいると、千鶴さんが帰ってきた。
「あっ…」
「えっと…この冷蔵庫を千夜ちゃんが見たら、本当に縁切られますよ」
「す、すいません…その、とりあえずお腹がいっぱいになればいいか、という考えで生活してるので、ろくなものが入ってないんですよね…」
普段何食べて生活してるんだこの人は…
確実に栄養偏ってるわね……いつか生活習慣病で救急搬送されそう。
というか、これだけ酒を飲んでタバコ吸って栄養偏って…
「よく生きてられますね…」
こんなにヤバイ生活して生きてられるなんて、この人は榊の血縁者か?
でも、千夜ちゃんの話だと、榊の血縁者はお父さんだけ。
千鶴さんは千夜ちゃんのお父さんが一目惚れした、一般人女性のはずなんだけど…
「えっと…昔から謎に身体が頑丈で、今まで一度もインフルエンザとかになったことないんですよね」
「とても、一般人女性が持つような身体とは思えませんね。千鶴さんの身体は鋼で出来るんですか?」
こんな生活続けてたら、私でも体調崩すと思う。
その点、千鶴さんは榊並みの才能(?)を持ってるわね…
「で、でも!定期検診で食生活に気を付けろって言われてから、コンビニでサラダ買ったりしてるんですよ?……千夜のお金で」
はぁ…呆れた……
これは、千夜ちゃんが嫌うのも納得ね。
「あのですね?コンビニのサラダ程度で体調が良くなる領域をとうの昔に超えてるんですよ。千鶴さんの身体が異常に頑丈なだけで、一般人なら死んでますよ?そもそも、コンビニのサラダなんかで体調が良くなるとでも?」
「え、えっと〜…よ、夜は十二時までに寝るようにしてますし、お酒の量も減らしたんですよ?…あと、タバコも吸う量を減らしましたし…」
なんとか言い訳を続ける千鶴さん。
しかし、それで許されるほど現実は甘くない。
「昼間っから酒のんでパチンコ行ってタバコふかしてるような無職なんですから、体調管理くらいしっかりしたらどうですか?せめて、食べるものに気を使うとか」
「そ、それは…」
「とりあえず、食生活をなんとかしましょう。あと、絶対この家に千夜ちゃんを上げないで下さい。酒タバコ全部没収された挙げ句、仕送りを完全に打ち切られる可能性があるので」
千夜ちゃんは、健康面においては人一倍気を使ってる。
私から酒とタバコを取り上げたり、琴音の食生活を完全にコントロールしようとしたり。
そんな千夜ちゃんが、これを見たらどうなるか…
「流石にそれは大袈裟じゃないですか?」
「……私、千夜ちゃんに酒とタバコを取り上げられてるんです。新しく買っても、見つけた瞬間有無を言わせず即没収。そして、琴音を脅して私が酒やタバコを持っているのを見ればすぐに報告するように言っていたり……とにかく!千夜ちゃんは確実にそれくらいやります!!」
「わ、分かりました……じゃあ、このお酒は早めに飲み切りましょう」
……この量のお酒を?
正直、二人で飲む量じゃないんだけど…
というか、この量のお酒を一人で飲むつもりだったのか……冗談抜きで死にそう。
「場合によっては、ご近所に配ってくださいね?」
「そうします」
大量のお酒は二人で飲む事になった。
それでも飲みきれない分はご近所に配るという約束もした。
これで、千夜ちゃんが許してくれるような量まで減らす。
にしても、冷蔵庫にぎっしりのお酒…
……もういっそ、宴会でも開いた方がいいのでは?
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