第27話心の傷
警察の事情聴取を済ませた私達は、小村さんの家に来ていた。
「お邪魔します」
私が挨拶すると、小村さんが『ふっ』と面白そうに鼻で笑った。
「琴音ちゃん、そんなに礼儀正しいしなくていいよ。ここには俺しか住んでないし、汚れきったゴミ屋敷だからね」
「そうよ琴音。元私の使いっぱしりの家なんだから、もっと堂々とすればいいの」
いや、普通軽い挨拶くらいするでしょ。
『親しき仲にも礼儀あり』って言うし、そもそも小村さんはお母さん使いっぱしりであって、私の使いっぱしりじゃないから。
私が娘だからって偉そうにしてたら、それは虎の威を借る狐みたいで嫌だ。
「まあ、琴音ちゃんが楽なようにしていいよ。それと、姐さん。少しお願いが…」
「なに?」
「実は…」
…うわぁ
「うわぁ…」
「ここの掃除を手伝ってほしいんですけど…」
私達が小村さんの家に入ると、そこには想像以上のゴミ屋敷が広がっていた。
「小村…お前、いつから掃除してないんだ?」
一体どれだけ掃除しなければ、こんなに汚れるんだろうか?
「四、五年くらい前からです…ごふっ!?」
「定期的に掃除しろ、このバカタレが」
小村さんが、お母さんに鳩尾を殴られて悶絶してる。
何故か、可哀想とは思わなかった。
…まあ、こんなに汚い家に泊まるのは嫌だ。
「お母さん、やっぱり別の所に泊まろうよ」
「そうね…でも、ここまで送ってもらったんだし、恩を仇で返すようなことはしたくないわ」
お母さんがお酒を飲んだせいで、バイクに乗れなくなったので、小村さんの軽トラでバイクを運んでもらった。
それどころか、あの温泉旅館は『
その恩を無下にするわけにはいかない。
「…そうだね。この家を綺麗にして、恩返ししないと」
「ありがとうございます。いきなりで悪いんですけど、このゴミ袋、どうすればいいですか?」
小村さんが持ち上げたゴミ袋は、おびただしい量のハエとゴキが湧きまくった生ゴミだらけのゴミ袋だった。
「「…帰っていい?」」
「そこをなんとか…」
う〜ん…やりたくない。
というか、近付きたくない。
「…琴音、お願い」
「は?お母さんがやってよ」
「嫌よ、あんな汚いやつ触りたくないわ」
「私だって触りたくないよ。それに、家事で生ゴミの処分もしてるよね?それと変わらないでしょ」
まあ、私も一人暮らしを始めてからは、私も生ゴミの処分をする機会も出来たけどさ。
でも、アレはハエとゴキが湧きまくった、ゴミの中のゴミ。
悪魔の物体だ。
そして、あのゴミ袋は、その禁断の物体を閉じ込めるための
すると、お母さんが目を見開いて、手を叩く。
「そうだ!琴音の空間収納に入れて運べばいいんじゃない?」
私の…空間収納に…?
絶対嫌なんだけど。
ただでさえ、現状お母さんのゲロが入ってるのに、今度はハエとゴキを和えたゴミですか…
それに、そもそもな問題がある。
「入れるのは嫌だけど、入れたらもっと悲惨なことになるよ?」
「どういうこと?」
「空間収納には、生物は入らないからね。大量のハエとゴキが、部屋にばら撒かれるよ?」
「手で運びましょう」
髄反射の速度で意見を変えるお母さん。
流石に、この量のハエとゴキが解き放たれるのは、衛生的にも、精神的にも良くない。
ずっとハエがうるさくて、そこら中でゴキを見かける家なんかに居たくない。
「あの〜、家の裏に焼却炉があるんですけど…」
「よし、小村。お前が焼いてこい」
「…このままですか?」
余計なことを言った事で、この嫌な仕事をやらされそうになる小村さん。
ありがとう小村さん。
この恩は忘れないよ、三日くらいは。
「あの…いくら、ハエとゴキとはいえ、生きたまま火炙りにするのは…」
「ただの害虫駆除よ。それに、小村だって普段からゴキを、スプレーとかスリッパとかで殺ってない?」
「いえ、俺は蚊すら出来るだけ殺したくないので…」
暴走族の総長のくせに、無駄に生物に優しいな。
ゴミと汚れと化学物質を体に纏ったゴキと、ゴミと共に生まれゴミと共に生きゴミと共に子孫を残すハエ。
どっちも病気になりそうな害虫だ。
「どうせ害虫なんだから、適当に焼却炉にブチ込めばいいのよ。それに、よくそれで暴走族やってられるわね」
「いや、暴走族は喧嘩しかしないじゃないですか。暴力団じゃないんですから、せいぜい喧嘩くらいですよ」
コイツ、組織間の抗争を舐めてるな。
相手は半グレ、銃を持っててもおかしくはないし、普通にナイフとかドスで刺してくる。
少なくとも、東京の半グレはそうだった。
「小村、半グレとの抗争を舐めるんじゃねぇぞ?」
「え?」
「あいつらは、ナイフはもちろん、ドスやチャカも使ってくる。油断すれば死人がでるぞ」
小村さんは、口をパクパクさせて信じられないという表情をしている。
昔、お母さんと一緒に暴力団の事務所にカチコミしたなら、輩がどんなことをするか知ってると思うんだけど…
「まあ、その話は後でしよう。とりあえず、そのダークマターの塊を燃やしてこい」
「はい…」
小村さんは、肩をすくめながらトボトボと出ていった。
すると、お母さんが真剣な表情で私の方を見る。
「あいつ、魔力を持ってたな」
「そうだね。ダンジョンに潜ったか、モンスターと戦ったか…魔力を持つ人間を殺したか、お母さんはどれだと思う?」
「全部あり得るわ。アイツは、もっと攻撃的だった。それは、学生の頃はもちろん、八年前もね」
ということは、成長して大人しくなった訳じゃない、と。
けど、八年もあれば人は変わると思うけどなぁ。
「人に向かって、平気で『殺す』って言えたし、ギリギリまでやる男だった。それなのにあの変わりよう、何かあったみたいじゃない?」
「…まるで、小村さんが人殺しみたいな言い方だね。別に、モンスターを殺して、生き物を殺す事にトラウマを覚える人は珍しくないでしょ?普通にモンスターを殺したんじゃない?」
「だといいけど…」
お母さんの言いたい事はわかる。
昔、元『
そして、お母さんはその人と面会した。
そこで出会ったその人は、まるで別人のようだったらしい。
「まあ、例え小村さんが人を殺していたとしても、この辺りをシマにしてるんだから、利権の奪い合いで殺っちゃう事もあるだろうし、気にしなくてもいいんじゃない?」
「そういう問題じゃないのよ。社会の闇の中で生きる事を選んだのに、あんなに優しいんじゃ、小村が危険な目に遭う」
「お母さんも大概だけどね…」
お母さん、敵にはまったく容赦しないけど、身内にはかなり甘い。
さっき、元構成員が人を殺したって言ったけど、その時お母さんは関係ないのに慰謝料と菓子折りを持って、遺族に土下座しに行ったらしい。
まあ、急に『元部下に変わって謝罪させてください!本当に申し訳ございませんでした!!』とか玄関先で土下座されて、遺族は大慌てしたらしいけどね。
「私は強いからいいのよ。それより、あいつが人殺しの一線を超えたなら、また謝罪に行った方が良いのかな?」
「いや、逆に迷惑だと思うよ。前にお母さんが土下座しに行った時は、私が無理矢理連れて帰ったから良かったけど、あの人達凄い困ってたよ」
「え!?そうだったの?」
「急に知らない人に土下座されたら困るでしょ…」
なんなら、夕方謝りに行ったからね。
そしたら、『義理堅い人なんですね』と、優しく微笑んでくれていた。
そのおかげか、遺族は必要以上に賠償を求めなかったらしい。
まあ、本人が死刑、或いは無期懲役を望んだせいで、無期懲役になっちゃったみたいだけど。
「それに、今はこの家の掃除を優先したほうがいいでしょ?まだ、小村さんが人を殺したと決まった訳じゃないんだからさ」
「…そうね。とりあえず、今日の寝床を確保するために、なんとしてでもこのゴミ屋敷をどうにかしないと」
私は、なんとかお母さんを説得して、掃除を優先させた。
小村さんにだって、聞かれたくない事の一つや二つはあるはず。
無理に聞く必要はないからね。
「不必要に人の過去を突付くのは、鬼畜の所業。知られたくない物は、誰も知らなくていい」
「なにか言った?」
「別に。ただの独り言だよ」
小村さん、貴方の過去に何があったか知らないけど、無理に気を使う必要はないんだよ?
気になるのなら、自分のしたことに相応しい後始末をするだけ。
それが、自首か自殺か、何であれ悔いの残らない事をするだけだ。
◆
午後九時
小村さんの倉庫
「いいかよく聞け!姐さんは何度も半グレや暴力団とやり合ってる。相手がどんなことをしてきたか良く知ってるから、明日の強襲に備えて知識を付けとけよ!!」
「「「「「「「よろしくお願いします!!姐さん!!」」」」」」」
小村さんが明日の抗争に向けて『
ざっと見て、八十人ちょいくらいかな?
お母さんは楽しそうだけど、私はこういう空気に馴れてない。
「お母さん、外に居ていい?」
「良いわよ。琴音なら注意事項を教えなくても大丈夫だからね」
「ありがとう」
私は、お母さんに許可を取って、倉庫から出る。
あの無駄に熱があって、独特の空気を放つ空間は苦手だ。
やるなら二、三人で集まって、静かに座ってたい。
私はお母さんみたいに、仲間を集めて群れるより、一人で居るほうが好きだ。
「ん?君は確か…木村君だったっけ?」
「あっ、神条さん。こんばんは!」
せっかくお母さんが演説してるのに、わざわざ一人でこんな所に…
「君は行かないの?」
「はい、俺はここに居るのが不思議なくらいのゴミなんで…あの中に入るのはちょっと」
なるほど…木村君は、弱っちい雑用係みたいなものなのか。
確かに、あっちは抗争に備えてる武闘派。
雑用係が行くような場所じゃない。
それに、今演説してるお母さんは、東京の暴走族からしてみれば、伝説の女総長。
半グレも暴力団も相手にならない怪物だ。
そして、その伝説の暴走族の元構成員が作った暴走族の構成員からしてみれば、お母さんは神のような存在なんだろうね。
「木村君はさ、どうして暴走族に入ろうと思ったの?」
「え?」
「君、弱いよね。ちょっとした不良にすら勝てない、違うかな?」
「その通りです…」
やっぱりね。
木村君から、お世辞も言えないほど覇気が感じられない。
もはや、運動神経の悪い一般人レベル。
この辺りを支配してる暴走族の構成員とは思えない。
「そんなに弱いのに、どうしてここを選んだの?」
「…兄が、昔ここに所属してまして。兄に連れられて、半ば強制的に入れられたんですよね」
「…お兄さんは?」
「バイクに乗って飛ばしてる時に、飲酒運転をしてた対向車と正面衝突して…死にました」
そうか…
「俺は、それをきっかけに辞めようと思ってました。弱いし、運転出来ないし、度胸も無いので」
「それでも、辞められない理由があったの?」
兄が死に、自分には才能も度胸も無い。
それでも辞められない理由。
一体、何が木村君を引き止めているのやら。
「両親に捨てられて、孤児だった俺達に、帰る場所なんて無かったんですよ。施設でも煙たがれてますから。でも、ここは違った」
「違う?」
「ここの仲間達は、施設の人すら何も思わなかったのに、俺と一緒に、悲しんでくれました。俺と一緒に、泣いてくれました。行き場を失った俺を、わざわざ匿ってくれました」
「…」
なるほどね。
暴走族に限らず、こいう所に居るやつは、多かれ少なかれ問題を抱えている。
その重さに耐えられなくて、非行に走った者達が集まったのがここだ。
同じ傷を持つ者同士、というやつだろう。
「ここは、俺の大切な居場所なんです。ここに居る仲間達は、俺の家族なんです」
暴力団が組長を親父といい、先輩を兄貴と呼ぶように。
マフィアが、仲間の事をファミリーと呼ぶように。
周りの人間が理解してくれない事も、仲間なら分かち合ってくれる。
彼等がやっていることは、世間的には非行や犯罪と呼ばれる、許されるものではない。
擁護するつもりもない。
しかし、彼等だって傷付いている。
本来なら、その傷は周りの人が慰め、癒やすべき傷だ。
それをしてもらえなかったばっかりに、非行に走ったり、犯罪に手を染めたりする。
「俺のやっていることは、決して褒められた事じゃない。誰かの役に立つ事でもない。でも、俺にはここしか無いんです。ここを失ったら、もう死ぬしか無いんです」
「そう…」
もう死ぬしか無い、か。
相当追い詰められてるね。
そして、そのせいでこんな場所に縋ってる。
薬に頼るよりかはマシだ。でも、良いことではない。
「俺は…どうしょうもない人間なんですよ」
…お節介でも、救いの手を差し伸べるべきなんだろうか?
私がどんなに頑張っても、結局は本人次第。
これは木村君の問題だ。私が土足で踏み込んでいい領域じゃない。
それでも、傷付いた心を踏み荒らしてでも、手を差し伸べるべきなんだろうか?
…そうだね。
「『やらない善よりやる偽善』…だったかな?」
「え?」
「諦めるのは、最後まで走り抜いてからにしたほうがいいよ」
「あの…はい?」
木村君も、一人の人間だ。
一度くらい、チャンスを与えるべきだろう。
天が彼に機会を与えないなら、人が与えるしかない。
私は、木村君の人生を左右する機会になる。
この機会をどう使うかは…木村君次第だ。
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