諏訪姫伝説異聞 👘
上月くるを
諏訪姫伝説異聞 👘
短い秋の日に、名神高速はとっぷりと暮れ始めました。
トラックの運転席で、イチロウさんは心を急がせます。
いまごろ愛妻のエリサは手料理の準備の真っ最中かな。
パーキングエリアから、あと二時間で着くと伝えたし。
今日は三回目の結婚記念日なので、一刻も早く家に帰ってやりたいのですよね。
あまり得意ではない料理を少しでも美味しくと、一所懸命がんばっているはず。
🚛
ひところほどではないにせよ、高速を走っていると派手なデコトラと出会います。
対向車線のかなたに仲間が登場すると、トラック野郎のモチベーションは一気に。
車体に描かれているのは天使、天女、天馬、弥勒菩薩、不動明王、韋駄天その他。
七色を豪華につかったイルミネーションは、もちろん目立ちやすい極太文字です。
――🤡 闘魂
🐰 望郷
👹 風神雷神
🤖 乾坤一擲
🍎 津軽飛脚便
👺 ご意見無用
🐒 男一匹流れ者アキナ
👗 坂本夏美ねえさん命
🐺 北の狼ただいま見参
🐬 四国札所お遍路道中
🗾 日本列島ひとっ飛び
🐦 九州はぐれ旅がらす
ひゃっほー、カッコイイ! ノリノリのイチロウさんはといえば、もちろんアニキこと矢沢の永ちゃんで、リーゼントの等身大をコテコテにデコッテいます。(^_-)-☆
🏔️
ふと気づけば、六トントラックは岡谷ジャンクション付近にさしかかっています。
あと三十分もすればホームグラウンドに到着なので、右足に思わず力が入ります。
広いフロントガラスを見慣れた故郷の夜景が、後方へ、後方へと飛んで行きます。
んんん? なんとなしの違和感を覚えて、イチロウは軽くブレーキを踏みました。
プロがまさかとは思うけど、ジャンクションで走行車線を間違えて侵入したとか?
だとすると、自宅とは正反対の東京方面へ向かっていることになる……まずいな。
気のせいか、走行車線の道路も遮音壁も、その向こうの樹木もゆがんで見えます。
ボコボコという水音も聞こえ始め、ヘンだなと思っているうちに眠くなりました。
🐠
ふと目覚めると初めてのパーキングエリアに入ったトラックは自動停止しました。
丈高く茂った水藻の森の前に城のような建物があり、案内の女人が立っています。
黒髪を背中に散らし、豪奢な金銀の縫い取りの小袖をまとった女人が言いました。「おやかたさま、ようこそお越しくださいました。姫、いとうれしゅう存じ……」
最後まで言い終えないうちに美しい顔が崩れ、長いたもとをまぶたに押し当てて「でも、なぜあのときお越しくださらなかったのですか。姫はさびしゅうて……」
驚いたことにはつぎの瞬間にはもう笑顔に変わっていて「これからはずっとご一緒にいられるのですね。うれしい!」と言うので、もうなにがなにやら分かりません。
運転席から降ろされたイチロウさんは、諏訪姫と名乗る女人の手のあまりの冷たさにとび上がりそうになりましたが、華奢な見かけと異なり、たいへんな怪力で……。
――こ、これは、危ない!!((+_+))
ようやくの思いでトラックに飛び乗ったイチロウさんは、大慌てでエンジンキーをかけハンドルをまわしたので、すさまじいタイヤの擦過音を立てUターンしました。
猛スピードで逃げ去る一瞬、ルームミラーに諏訪姫の悲しげな顔が映りましたが、イチロウさんは蛸のようにハンドルにしがみついて一度も振り返りませんでした。
🦊
夢中でアクセルを踏み、気づくと中央道の塩尻インター付近を走っていました。
この一帯は桔梗ヶ原高原といって、古狐の伝説で有名な心霊スポットです。👻
娘に化けた狐に騙されたとか、ボス狐が蒸気機関車になって突っ走ったとか……。
怖い思いは二度とごめんなので、イチロウさんは眠気覚ましのガムを噛みました。
落ち着いて思い出してみると、つい先刻の不思議な体験には由来があったのです。
幼いころ、地域の歴史に詳しい古老から聞かされたのは、こんなむかし話でした。
🦚
――戦国時代と呼ばれる、はるか昔のことじゃよ。
諏訪の高島城にそれは美しい姫君がおってな。
早くに両親に先立たれ、さびしい思いをしておるところへ結婚の話が出た。
お相手の婿どのは、信濃国のおとなりの甲斐国を支配する武田信玄公じゃ。
信玄は姫君の父の仇だったのじゃが、跡目の兄の指示に従うしかなかった。
実質的な人質とはいえ、初心な諏訪姫にとって信玄は最初の殿御じゃった。
しだいに夫婦の情が芽生えて来たのも、これまた人情というものじゃろう。
だが、当時の倣いじゃが、信玄にはすでに正室や何人もの側室がおってな。
織田信長との陣地争いに忙しい信玄は、なかなか諏訪姫の館に来てくれぬ。
息子(のちの武田勝頼)を成してのちも、異郷で姫は孤独じゃったのじゃ。
こうして心を病んだ諏訪姫をもてあました信玄公は姫を諏訪へ送り返した。
命とも思うわが子とも引き離された姫は、諏訪湖へ自ら身を投げたのじゃ。
🎑
とすると、諏訪姫はなんと五百年間も恋しい信玄公を待ちつづけているのです。
そう気づくと、心やさしいイチロウさんは、やりきれなくなりました。( ゚Д゚)
いま一度あそこへ引き返して……とも思いましたが、いやいやと首を振りました。
自分には愛しい新妻が待っている、それに、諏訪姫が会いたいのは信玄公なのだ。
仕方ないよな、人それぞれの運命を背負って生きているのだから……そう思えば、無理やり振りきって逃げて来たうしろめたさが少し薄らぐような気がするのでした。
諏訪姫伝説異聞 👘 上月くるを @kurutan
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます