228 守られるだけのお嬢様ではいられない

「うぅ~……」

「そんなに恥ずかしがらなくていいのよ」


 お母様がどこか楽しそうな声音で、私の頭を撫でてくれる。


 私はもう恥ずかしくて、お母様のお腹に埋めたまま顔を上げられないわ。

 本当にもう、七歳の子供丸出しでワンワン泣いちゃって。


 でも……。


「……ありがとうママ」

「ええ、どういたしまして」


 おかげで少しはスッキリ出来たわ。


 前世の三十代半ばだった大人の私の部分と、今世のまだ七歳のマリエットローズの私の部分。

 いつか今の私マリエットローズが大人になって、心も大人になれば、きっとこのチグハグさも解消できるはず。

 それまでは、大人の自分と子供の自分と、上手に付き合っていかないと駄目ね。


 恥ずかしいけど、意を決して顔を上げる。


 エマもアラベルも、他のみんなも、私が子供らしく泣いちゃったことで、逆に安心してくれたみたい。


「お嬢様は大人であろうとしすぎです。もっと年相応の子供でいてもいいんですよ」

「ありがとう、エマ」


 ハンカチで涙の跡を拭ってくれたエマに微笑む。

 エマも、すごく優しく微笑み返してくれた。


 エマだって、きっと馬車の中では怖かったはずなのに。

 今は私の心配ばかりしてくれて。

 本当に優しいんだから。


 でも、もう大丈夫。

 次はこんな無様は見せないわ。


 怖いのは、私がまだ子供だからと言う部分が大きいのでしょうけど。

 でも多分、一番は私が弱いから。

 なんの力もない、賊に抗えない、自分で自分の身も守れない、ただ守られるだけのお嬢様だから。


 剣術を学んでいるのはなんのため?

 馬術を学んでいるのはなんのため?


 アラベルを見る。


「……お嬢様?」


 アラベルの腕の包帯。

 とても痛いはずなのに、アラベルはそれを顔に出さない。


 他の怪我をした騎士達もそう。

 私を守るために怪我をさせてしまった。


 この世界には、ポーションなんて便利な物はない。

 回復魔法もない。

 治療用の魔道具もない。

 教会のせいで医学も発達していない。


 あるのは、民間療法まがいの薬草を利用した薬だけ。


 もっと私が強ければ、きっとこんなことにはならなかった。


 だから、私は覚悟を決めないといけない。

 アラベル達と並び、アラベル達を守りながら、降りかかる火の粉は自分で払うと。


 人を怪我させるなんて怖い。

 ましてや斬るなんて無理。


 でも……やらなければ、殺されるのは私よ。


 いいえ、私だけならまだマシだわ。

 アラベルやエマ、お父様やお母様達が殺されてしまうかも知れない。


 私はなんのために『ゼンボルグ公爵領世界の中心計画』を立案して実行に移したの?

 それは、お父様やお母様やみんなが断罪されて処刑されないためでしょう?


 それと同じよ。


 みんなを守るために、私はこの手を血で染める覚悟を持たないといけない。

 みんなで笑って楽しく暮らせる未来のために。


 それが全てを始めた私の責任だ。


 人の悪意になんて負けてはいられない。


 覚悟を決めて、真っ直ぐにアラベルを見つめる。


「アラベル、王都のお屋敷に着いて、アラベルの怪我が治ったら、剣の稽古を付けてくれる?」

「っ!?」


 アラベルが息を呑んで私を見つめた。

 だから、覚悟を示すように、強い眼差しで真っ直ぐ見つめ返す。


 王都行きにジョベール先生は同行していないから、頼れるのはアラベルだけだ。

 きっとアラベルなら、私の気持ちを汲んで力になってくれる。


「……」


 じっと私の眼差しを受け止めていたアラベルが、不意に怖い顔になった。

 ツカツカと近づいてくると、私の前に跪き、いきなり両手で私の頬を挟み込んだと思ったら、ぐにぐにとこね回す。


「ぇ、ちょ、アラベル!?」

「まだ子供のお嬢様がそんな目をしてはいけません。お嬢様がそんな覚悟を決める必要はないのです」

「!?」


 静かだけど強く、私を叱るような口調と眼差しで、じっと私の目を見つめてくる。


「お嬢様は、なんのために剣を学ばれようと言うのですか」

「みんなを守るために決まっているでしょう。もう誰も傷付いて欲しくないから」

「だからお嬢様が剣を取り、自ら戦うと?」

「ええ、そうよ」


 私の間髪をれずの返答に、お母様やエマ達が息を呑んだ。

 何故か、またみんなの目が不安そうな、痛ましそうなものになってしまう。


「失礼ながら、お嬢様は勘違いをしておられます」

「私が勘違い? 何を?」

「それはわたし達の仕事で役目です。お嬢様の役目ではありません」

「でも――」

「お嬢様は騎士になりたいのですか?」

「――え?」

「騎士になり、軍や騎士団に入り、立ち塞がる敵を斬るのがお嬢様の望みで目的ですか?」

「それ、は……」


「違うでしょう? お嬢様が目指すべきは、ゼンボルグ公爵領を豊かにすることであって、自ら戦場に立ち、敵を斬ってその手を血で染めることではないはずです」

「……ぁ…………」

「それでも、いつか御身を守るためにお嬢様が自らの手で賊を、敵を斬らなくてはならない時が来るかも知れません。その時のために、剣の腕を磨いておくのも良いでしょう。ですがお嬢様が先頭に立ち剣を振るう必要はないのです。ましてやそれが、わたし達護衛の騎士を守るためだなど、それでは本末転倒です。手段と目的を見誤らないで下さい」


 手段と目的を見誤る……。


「お嬢様が立つべき戦場は、政治と社交の場です。違いますか?」

「私が立つべき戦場……」

「そうです。そこで立ち塞がる敵を倒すために剣を取りお嬢様達をお守りする役目は、わたし達騎士にお任せ下さればいいのです。全部お一人で抱え込まないで下さい」


 アラベルのその言葉に、他の護衛の騎士達も力強く頷く。


 ……アラベルの言う通りだ。


 みんなを守る。

 そのために取り得る手段を、全部私一人でやり遂げなくてはならないわけじゃない。


「ご免なさい……私、どうかしていたみたい……」


 アラベルがそっと私を抱き締めてくれる。


 その温もりに、まるで強ばった心がほぐれていくみたい。


「謝る必要はありません。お嬢様はお強い。そのお覚悟も立派です。ですが、きっと今は初めて戦いの空気に触れ、お心が乱れているのでしょう」


 ……そうかも知れない。


 突きつけられた悪意と恐怖から目を逸らすため、分かりやすい暴力に縋ろうとしただけ……。


 アラベル達を矢面に立たせて、怪我を負わせることに対する罪悪感は変わらない。

 守られるだけのお嬢様でいることに、後ろめたさもある。


 でも、だからって私が先頭に立って剣を振るうことが私の役目かと言われると、確かに違う。


 私の役目は『ゼンボルグ公爵領世界の中心計画』を完遂して、断罪と破滅を回避して、みんなで笑っていられる幸せな未来を作ること。


 それを邪魔する敵を倒すのは、ただの雑事に過ぎない。


「一晩ゆっくり休まれて、心を落ち着かせて下さい。考えるのはそれからでも十分間に合います」

「そう……ね。うん、そうするわ」


 身体から力が抜けて、これまでの声が自分で驚くほど強ばっていたことに気付く。


 きっと顔もそうだったんだろう。

 抱き締めていた私から離れたアラベルの顔は、さっきとは違って、とても安心した顔だ。


「ありがとう、アラベル」

「いいえ、わたしもきつい言い方をしました。申し訳ありません」

「ううん、アラベルは間違っていないわ。アラベルが私の護衛の騎士で、本当に良かった」


 微笑むと、アラベルがようやく微笑んでくれる。


 お母様が安心したような吐息を漏らして、それから私の頭を優しく撫でてくれた。


「わたしからも、ありがとうアラベル。心から感謝するわ」

「もったいないお言葉です奥様」


 アラベルが照れたようにうやうやしく頭を下げた。


 アラベルが言う通り、いつかその時が来るかも知れない。

 私自身が戦場に立ち、戦わなくてはならないその時が。

 だから、その時までに剣の腕を磨き、敵を斬る覚悟を決めておく必要がある。


 でも、それは今すぐじゃなくていい。

 子供の心が、大人の心と身体に追い付いてからでいい。


 それまではアラベル達が守ってくれる。

 お父様とお母様だって付いていてくれる。


 だから私はみんなを頼って、計画を完遂することで、それに報いればいいんだ。


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