227 大人の心と子供の心

 正体不明の山賊から襲撃を受けた後、私達はロット子爵領の領都へと引き返した。


 怪我人が多数出たことから、ちゃんと落ち着いて手当てをしないといけないから。

 そして、領地外れの山間部での出来事とはいえ、ロット子爵領内で襲撃された以上、ロット子爵家の関与を疑い、調べなくてはならないから。

 引き返す馬車の中で、お父様からそう理由を聞いた。


 馬車が領都で一番の高級宿の前で止まる。


 ロット子爵の屋敷じゃないのね……ああ、もし襲撃にロット子爵が関与していたら、ロット子爵家の屋敷に戻るわけにはいかないものね。


 さっきの出来事が不意に脳裏に浮かんで、また手が震えてしまう。

 だからその手をギュッと握り締めた。


 お父様、お母様、私と、順に馬車を降りる。


「お嬢様、大丈夫ですか?」


 馬車を降りた私に、真っ先にアラベルが近づいてきて声をかけてくれた。


「うん、私は大じょ――アラベル!? 怪我してる!?」


 アラベルの左腕の上腕に、血が滲んだ包帯が巻かれていた。


 なんでこんな簡単なことに気付かなかったの!?

 私の護衛なんだから、アラベルが賊と戦っていたに決まっているじゃない!


 それなのに、私は自分のことでいっぱいいっぱいになってしまって……。


「掠り傷です。大したことはありません」

「大したことないなんて……」


 だって、包帯が血で赤く染まっているのに。

 それこそ、擦り傷や切り傷程度の怪我ではないでしょう!?


「大丈夫ですよお嬢様。騎士にとってこの程度、怪我のうちには入りません」


 ガッシリとした体格の中隊長の騎士が、私を安心させるように柔らかな顔と声で、だけど力強くそう言って、アラベルの頭をポンポンと撫でる。


「それよりお嬢様、アラベルを褒めてやって下さい。一人で二人の賊を相手に渡り合い、賊を一歩も通さずお嬢様を守り切ったのですから」

「ちゅ、中隊長……」


 アラベルがそこまで大したことはしていないと、困ったような顔で頬を赤くする。


 でも……そう……そうよね。

 こんな怪我まで負って、私を守ってくれたのよね。


 アラベルの腰に抱き付いて、ギュッと強く腕に力を込める。


「アラベル、守ってくれてありがとう。おかげで私、怪我一つないわ」

「お嬢様……はい、お嬢様がご無事で何よりです」


 アラベルが優しく背中を撫でてくれる。


「中隊長も、他のみんなもありがとう」


 中隊長にも、そして他の大勢の騎士達……中にはアラベルと同じように怪我をして血が滲んだ包帯を巻いている大勢の騎士達にも、心からお礼を言う。


「これが我々の使命ですから」

「お嬢様のためなら、なんてことありません」

「不埒な賊になど、お嬢様には指一本触れさせませんよ」


 みんな朗らかに笑ってくれた。

 むしろ私が気にしないようにと、そして怖い思いをした私を逆にいたわるように、元気な笑顔を見せてくれる。


 本当に私は、アラベル達に守られて、いま無事にこうしていられるのね……。


「お嬢様! ご無事で良かった!」


 続けて到着した馬車から降りてきたエマが、私に駆け寄ってきて涙ぐむ。


「うん、私は平気。エマも大丈夫だった?」

「はい、騎士の皆様のおかげで、怪我一つありません」

「そう、良かった」


 みんな、お互いの無事を喜んで、手を取り合う。


 それから私とお母様は、エマを始めとした侍女とメイド達、そしてアラベルを始めとした護衛の騎士達と共に、宿の部屋を取って心と身体を休めることに。

 そしてお父様は、他の護衛の騎士達と共に、ロット子爵の屋敷へと向かった。


 お母様と一緒の部屋で、部屋の外と中を騎士達に守られながら、エマ達が淹れてくれたハーブティーを飲む。

 少し濃く淹れてあるのか、ハーブの強めの香りが鼻孔をくすぐって、口の中に独特の味わいが広がった。


「ほぅ……」


 ハーブティーのおかげか、少しだけ気持ちが落ち着いた気がするわ。


「どうせならお茶請けは、アップルパイか、マリーが作ってくれたショートケーキが良かったわね。王都の屋敷に着いたら、また一緒に作りましょうか」


 私にぴったりと寄り添ってソファーに座ったお母様が、ことさら陽気にそう言って微笑む。

 明るく楽しい話題で、私を元気づけてくれているのね。

 そして、王都にはちゃんと無事に着けるよって、安心させるように。


 だから、私は大丈夫ですって、お母様に甘えるように身体を預ける。


「はい、ママ……一緒に作りましょう。王都周辺では、どんな果物が採れるんでしょうね。どうせなら、ゼンボルグ公爵領では採れない珍しい果物があるといいんですけど。それでショートケーキを作れば、その果物が採れる領地の貴族への大きな武器になりますね。レシピをちらつかせて譲歩を迫れば、きっと色々な便宜を引き出せると思います。私達のおやつだけじゃなくて、お母様が参加するお茶会用に、そのショートケーキも作りましょう。ああでも、まずはゼンボルグ公爵派の貴族家にレシピを行き渡らせて、特産として大々的に広めてからの方がいいですね。古参の貴族達にレシピを渡すのは、散々焦らしてからの方がより効果的――」

「マリー……!」


 不意に、お母様に強く抱き締められる。


「あなたは本当に強い子ね……不甲斐ない母親でご免なさい」

「お嬢様……」

「……お母様? エマ?」


 お母様がまたきついくらい強く抱き締めてきて、エマやアラベル、他に控えていた侍女や護衛の騎士達が、すごく心配そうな……痛ましそうな顔で私を見ていた。


「マリー……怖かったなら怖かったって言っていいの。泣いてもいいの。もう馬車の中じゃないわ。賊達はいない、声も聞かれない。だからもう声を上げて泣いていいのよ?」

「泣いてって、私はそんな……」


 言いかけて……ふと、寄りかかったお母様のドレスを強く握り締めていたことに気付く。

 そう、まるで縋り付くように。


「ぁ……」


 不意にポロリと涙が零れた。


 ボロボロと後から後から、流れ落ちていく……。


 理解した。

 前世の記憶が、大人だった私が、心配をかけてはいけないと、しっかりしないといけないと、感情を抑え付けていたことを。


 でも、まだたった七歳でしかないマリエットローズに引っ張られていた心と身体は、感情の発露の先を求めて悲鳴を上げていたんだ。


 心が軋む音が聞こえた気がして、お母様に力一杯抱き付く。

 そして私は、恥も外聞もなく、声を上げて泣いていた。


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