226 初めて知る襲撃される恐怖
◆
金属同士がぶつかり合う音。
罵声。
悲鳴。
いくつもの音と声が、馬車の前後左右から聞こえてくる。
そして、それに負けないくらい激しい自分の鼓動。
「大丈夫。大丈夫よ」
痛いくらい腕に力を込めて、お母様が私を守るように抱き寄せる。
その手は震えていて、声も表情も固い。
「……」
お父様は黙ったまま、油断なく外の様子を窺っている。
その脇には、いつの間にか鞘に入った剣が置かれていた。
罵声が聞こえるたびにお母様の腕の中で身体が強ばり、悲鳴が上がるたびにお母様の腕を強く掴んでしまう。
怖い……。
怖い、怖い、怖い……。
今、馬車の外では人が殺し合っている。
襲ってきた賊の目的は分からない。
でも、きっと、私達を守るために立ちはだかった騎士達を殺そうとしている。
そして騎士達は私達を守るため、そんな賊を殺そうとしている。
怯え警戒はしても、人が殺し合っていること自体に、お父様はもちろんお母様でさえ疑問を持たず、理不尽も感じていない。
それが、この世界の日常。
さすが『海と大地のオルレアーナ』。
たとえ乙女ゲームでも、政治色や陰謀劇の要素が強い作品だけはある。
その陰謀の中には、殺し、殺される、殺伐とした展開も含まれているんだから。
「っ……」
身体の震えが収まらない……。
甘かった……。
私は甘すぎた……。
ゲームのイベントで、王太子レオナードが拳銃を向けて悪役令嬢マリエットローズを撃ち殺したシーンを見たからって何?
馬車の中にいて外の様子は見えず、音と声を聞いているだけなのに、殺し合いがこんなにも生々しいものだったなんて……!
不意に、ヴァンブルグ帝国大使館のパーティーでのことが甦る。
脳裏に浮かんだのは、賢雅会の特許利権貴族達が憎々しげに私を睨む瞳と顔。
私は賢雅会の特許利権貴族達をやり込めて恨みを買った。
そのせいで身の危険があるから、王都のお屋敷に籠もって事態が収まるまでやり過ごした。
それはつまり、こういう事態が起きる可能性があったと言うこと。
それも、目的が不明の賊の襲撃じゃない。
私を殺そうとする、明確な殺意を持った賊の襲撃が。
「……っ」
それが意味する本当の意味を、恐ろしさを、私は全く分かっていなかった。
屋敷の中なら安全だからと、毎日をのほほんと過ごしていた。
殺意が籠もった罵声。
断末魔の悲鳴。
悪意。
害意。
まるで、それらの全てが自分に向けられているみたいなこの状況。
掴み合いの喧嘩すらしたことがない平和ボケした元日本人には、あまりにも生々しすぎて恐ろしすぎて……。
自分の鼓動が煩くて、息が上がって、過呼吸になってしまいそうで、グッと唇を引き結ぶ。
声を殺し、息を潜めて、全てが終わるのを待つことしか出来ないまま、果たしてどれほどの時間、お母様の腕の中で震えていたか。
「状況は?」
不意に聞こえたお父様の声に、はっと我に返る。
「はっ、賊は撃退しました」
気付けば、外から戦いの音が聞こえなくなっていた。
ほっと大きく息を吐き出すけど、まだ強ばった身体から力が抜けない。
「それから、逃走した賊の頭目を捕縛に向かわせています。こちらに死者はなし。負傷者はいますが、いずれも軽傷です。馬も馬車も荷も全て無事なので、いつでも動けます」
「そうか……負傷者の手当を急がせろ。生きている賊を捕縛し、一度引き返す」
「そうですな。それがよろしいかと」
短いやり取りをした後、お父様が窓を閉めて、私とお母様の方を振り返ると、普段通りの優しい微笑みを浮かべた。
「おとう……さま……」
声が掠れて、上手く出てくれない。
「もう大丈夫だ。心配ない。よく我慢したね、偉かった」
お父様が優しく頭を撫でてくれる。
「あなた……」
「私は少し外の様子を見てくる。二人とも、馬車の中にいなさい」
「ええ……」
お母様の声も、力がなくて震えていた。
お父様がお母様を抱き締めて額に優しくキスすると、まるで外の様子を見せまいとするように、不自然に出入りの扉を塞ぐようにして外へ出る。
そして扉の外では、まるで馬車の中から視線が通らないようにするかのように、視界を遮る不自然な位置に騎士が立っていた。
おかげで、外の様子はまるで分からない。
でも、外の様子が分からなかったことを残念に思う以上に、ほっとしてしまっている自分がいる。
扉が閉まると、お母様の腕から力が抜けて、大きな溜息が漏れた。
「もう大丈夫よマリー」
「お母様……」
どうしていいか分からなくて、お母様にしがみつく。
「怖かったわね……よく我慢出来たわね、偉いわ……もう大丈夫、大丈夫だからね」
お母様が私を抱き締めて、優しくあやすように頭と背中を撫でてくれる。
胸の中が熱くなって、すごく安心出来て、不覚にも涙が滲んでしまった。
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