229 子爵と公爵

◆◆◆



「旦那様、大変です!」

「何事だ騒々しい」


 ロット子爵は書類仕事をしていた手を止めて、ノックもなしに執務室へと飛び込んできた無作法な使用人の男を睨み付ける。


 しかし、使用人は顔を真っ青にしており、それどころではなかった。

 泡を食ったように、非礼も詫びずにまくし立てる。


「ゼ、ゼンボルグ公爵家が、兵を率いて乗り込んで来ました! 旦那様を出せと!」

「なんだと!? どういうことだ!?」

「分かりません! 正面から乗り込んできて! 私どもではどうすることも!」


 思わず叫んで立ち上がったロット子爵は、この使用人と話していても埒が明かないと、慌てて玄関へと向かう。

 そうして急ぎ足で向かいながら、必死に考えを巡らせる。


「今朝、送り出したばかりだぞ……昨日も今朝も、田舎者の癖に爵位を笠に着て儂を見下す態度が鼻についたから、どちらが上か態度で示してやったが……」


 長く王家に仕える由緒あるロット子爵家は、爵位こそ子爵だが、新参者のゼンボルグ公爵家とは歴史の重みが違う。

 それを考えれば、どちらが上か明白。

 だからそれを示し、相応の敬意を払えと、分からせてやったと言うのに。


 それをあの若造ゼンボルグ公爵わきまえず、酷く冷たい眼差しと声音で舐めるなとばかりに恫喝してきて、非常に生意気だった。

 しかし、兵を率いて乗り込んでくる程の事態ではなかったはずだ。


 そうブツブツと呟きながら玄関ホールまでやってくると、ゼンボルグ公爵家の騎士らしい者達の剣呑な大声と、それを押しとどめようとする息子と執事の、言い争う声が聞こえてきた。


「騒々しい、何事だ!」


 ロット子爵は威勢で威厳を示すように、玄関の扉を開け放ち外へ出る。


「――!?」


 そして、途端に息を呑んだ。


 正面に立つリシャールにジロリと視線を向けられた、ただそれだけで息が詰まった。


 リシャールはゼンボルグ公爵家の騎士達に囲まれ、ただ立っているだけに過ぎない。

 しかし、その佇まい、纏う空気に気圧されてしまう。

 それこそ、思わずその場に跪き、臣下のごとくこうべを垂れてしまいそうになった程に。


 ロット子爵は辛うじて踏みとどまり、そのような無様を晒さずに堪える。

 そして、改めてリシャールを見て生唾を飲み込んだ。


 今朝までとはまるで違うその纏う気配に、意識せずごく自然に思考の片隅へと追いやって忘れていた重要な情報を、ようやく思い出す。

 ゼンボルグ公爵家は、かつてのゼンボルグ王国の王家の血筋なのだと言うことを。


 リシャールと同年代である自慢の息子が、まるで取るに足らない木っ端貴族にしか見えなかった。


「っ……これは一体何事ですかな、ゼンボルグ公爵」


 由緒あるロット子爵家の当主として、震えそうになる手足を叱咤し、威厳を出そうと背筋を伸ばし胸を張る。

 しかし口ぶりは、意図しないまま丁寧なものになってしまっていた。


「ロット子爵領の山中で、百を越える山賊に襲われた。これは貴殿の差し金か」


 大きくもない、鋭くもない、しかし聞く者に圧迫感を与える静かな怒気を含んだ声音に、息子も執事も、警備の騎士や兵達も、全員が思わず息を呑み後ずさる。

 氷のような冷たい眼差しに射貫かれて、恐怖に鼓動が激しくなり、口の中が乾いて上手く言葉が出てこなかった。


 ドサリと何かが地面に放り投げられ、その音に、初めてその場にいたのがリシャールとゼンボルグ公爵家の騎士達だけではなかったことに気付く。


 地面に投げ出されたのは、三十人近いロープで縛られた男達。

 それも山賊らしい出で立ちで、全員が大怪我を負っている。


 さらによく見れば、ゼンボルグ公爵家の騎士達もその多くが軽傷を負っているようで包帯で手当をされ、剣呑な空気を纏っていた。


 その怪我、その纏う空気から、ロット子爵家を陥れるための狂言とはとても思えず、息子や執事、さらに騎士や兵達までもが、まさかとロット子爵を振り返る。


「なんの話だ!? 儂は知らんぞ!?」

「シラを切るつもりか。この私のみならず、愛する大切な妻と娘も巻き込まれ、命を狙われたのだ。この落とし前、どう付けるつもりだ」

「シラを切るも何も、儂は何もしておらん!」


 それらの空気と視線に顔を青ざめさせ、慌てて否定し額に脂汗を滲ませる。


 自領で他家の貴族が山賊に襲われた。

 しかも自分の差し金と疑われている。


 そんなことが社交界に広まれば、大問題だった。


 ロット子爵家とゼンボルグ公爵家……果てはゼンボルグ公爵派全てと諍いが起きるまでに事態がこじれれば、そのとばっちりを受けるのを嫌い、派閥の貴族達からは距離を取られ、最悪派閥から追い出されかねない。

 そうなれば付き合いのある貴族家も離れ、領地を訪れる者が減り、経済は大打撃を受けるだろう。

 下手をすれば、家が傾く可能性すらある。


 その事態を回避するためには、なんとしてもその疑いを払拭しなくてはならなかった。


「一体何を証拠に儂の差し金などと言い出すのだ! 侮辱するのであれば容赦はせんぞ!」


 だから怒声を上げて強気に出るが、リシャールもその騎士達も、眉一つ動かさず、小揺るぎもしなかった。


「答えろ!」


 ゼンボルグ公爵家の騎士の一人が、足下に転がした山賊の男の腹を蹴る。


「うぐっ! ロ……ロット子爵家の、手の者とおぼしき……フードで顔を隠した男に、依頼されたんだ……ゼンボルグ公爵家の馬車を襲って……積み荷を奪って、殺せと……」

「馬鹿な!? 儂はそんな指示など出しておらんぞ!?」


 山賊の男はこれまで散々拷問を受けたのか、血だらけ、痣だらけで、息も絶え絶えだった。


 ロット子爵の顔から、ざっと血の気が引く。


「まさか貴様らが!?」


 息子、執事、その他その場に集まっていた部下や使用人、騎士達を睨み付けるように見回す。


 ゼンボルグ公爵家の馬車を襲えなど、ロット子爵は命じていなかった。

 しかし、勝手に勘違いや忖度した者が、先走った真似をした可能性がある。


 それを問い詰める視線に、その場の全員が青い顔で口々に否定し、強く首を横に振り、身の潔白を訴えた。


 その各人の反応に、後ろ暗さや、やましい真似を隠す素振りは一切感じられない。

 だから、ロット子爵はそれを信じ、身の潔白を証明するように声を荒げる。


「儂らはやっておらん! これは罠だ! 儂らを嵌める何者かの罠だ!」

「その言葉を信じろと?」

「っ……!」


 リシャールの氷のような視線はさらに鋭さを増し、偽りを口にすれば、その場で首を跳ね飛ばされかねない冷酷さがあった。


 しかし、それに気圧されてしまっては、疑いを払拭する機会が失われてしまう。

 最悪、ゼンボルグ公爵派との戦争にだってなりかねない、その迫力があった。


 それはリシャールのみならず、ゼンボルグ公爵家の騎士達全員が纏っている。


「その山賊どもをこちらに引き渡して貰おう! 徹底的に取り調べる!」

「よもや口封じをするつもりではあるまいな」

「ならばそちらの騎士も立ち会え! 儂らに後ろ暗いところは一切ない!」


 身の潔白を証明するためには、尋問でも拷問でもして、徹底的に情報を搾り取り、背後関係を調べ、逃げた賊がいるなら捕え、極刑に処す必要があった。

 そして、ゼンボルグ公爵家へ、被害に応じた補償をしなければならない。


 曲がりなりにも公爵家に対する補償となれば、果たしてどれ程の額になるか。

 自領で事が起きてしまった以上、もはや『自分は知らん、無関係だ』では通らない。

 ましてや、たとえどれだけ新参者の田舎者だと下に見ていようと、補償を踏み倒せば、社交界で貴族としての信用を失う。


 その取り調べには、ロット子爵家の命運が掛かっていた。


 ロット子爵の鬼気迫る冷徹な瞳に見据えられ、山賊達はさらなる苛烈な拷問の予感に、顔面蒼白になるのだった。


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