211 全ては公爵令嬢の手の平の上

◆◆◆



 リチィレーン侯爵夫人セレスティーヌ・アントワーヌは震撼していた。

 目の前で繰り広げられた、マリエットローズが自分のケーキを切り分け、愛娘クリスティーヌへ下賜かししたその行為に。


「まさか……全てはこのために!?」


 これまでリチィレーン侯爵家の権力と財力を駆使して美食に努めてきた侯爵夫人である自分が、この初めての味と食感にたった一口で虜になり、夢中になって食べずにはいられなかった。


 それなのに、マリエットローズは自分に取り分けられたケーキに敢えて手を付けないまま、じっと我慢していた。

 たった七歳の子供が、周囲が美味しい美味しいと夢中で食べている中、自分だけは食べずに我慢していたのだ。


 元からマリエットローズが二切れとも食べていれば、子供達があのような恥ずかしい争いをすることはなかっただろう。


 しかし、先程のクッキーのこともあり、ミシュリーヌがまたお代わりを欲しがるかも知れない。

 そうなれば、ブランローク伯爵家は恥の上塗りだ。


 しかし、そこを敢えて三人で争わせることで、ブランローク伯爵家へ配慮した。


 これで皆同罪だ。

 もう、リチィレーン侯爵家もシャルラー伯爵家も、ブランローク伯爵家を笑えない。


 そして、リチィレーン侯爵家の身分を鼻にかけて権力を振りかざす真似をしたクリスティーヌを、自然にたしなめた。


 リチィレーン侯爵家に誇りを持つことは正しい。

 しかしそれを自身の欲望を満たすために振りかざしては、傲慢と言わざるを得ない。

 それをたしなめ、学ばせた。


 しかも、譲られたソフィアとミシュリーヌから、クリスティーヌは感謝されたのだ。

 まさに結果は真逆。


 そして、マリエットローズに感謝するクリスティーヌに、もはやマリエットローズをあなどり見下す態度はどこにもない。

 むしろ尊敬の念すら感じる。


 つまりマリエットローズは、ケーキの争奪戦を利用してそれらを行った上、クリスティーヌ、ソフィア、ミシュリーヌの感謝と尊敬と、友情を手に入れたのだ。


 しかも、それだけでは終わらない。

 喉から手が出る程欲しい、領地の特産品を使ったこれらスイーツのレシピまで、公開してくれると言う。


 そも、招待する令嬢を決めたのは、マリエットローズ本人だと聞いた。


 元よりゼンボルグ公爵家に固く忠誠を誓っていた北部から北東部をまとめるブランローク伯爵家は、益々の忠誠を誓うだろう。

 北西部をまとめているとは言え、政治と距離を置いて大人しかったシャルラー伯爵家も、最近耳にする特産品の売り上げ増加も含めて、ゼンボルグ公爵家にさらなる忠誠を誓い、結びつきを強めるに違いない。

 これで、北部は安泰だ。


 さらに南東部をまとめるリチィレーン侯爵家も、大きな借りを作ったと言っていい。


 賢雅会と揉めたと言うことは、リチィレーン侯爵家と領地を接するエセールーズ侯爵家とも揉めたと言うこと。

 今後、リチィレーン侯爵家の立ち位置をどうすべきか。

 今回のお茶会参加は、それを見極める意味があった。

 元より南部にはゼンボルグ公爵家に固く忠誠を誓っているシャット伯爵家がある。

 これで南部の安定感は増すだろう。


 そしてこれらスイーツの存在が広まれば、中央の貴族達への大きな武器になる。


 これだけのことを、愛娘と同じたった七歳の娘が実行した。

 しかも、初めてのお茶会で。


「……っ」


 セレスティーヌはゾクリと背筋が震えるのを覚えた。


 ただの偶然と考えるには、あまりにも出来すぎている。

 一流の家庭教師も見捨てる、愚かな礼儀知らずの我が侭な娘ではなかったのか?


 そんなことを考えている間も、子供達の会話は弾んでいた。


「季節のフルーツを使うことで、年中違った味を楽しめるのがこのケーキの魅力です。ベリー系は北部の特産ですよね」

「うん! パパに頼んで、苺やブルーベリーやラズベリーや、とにかくいっぱい作って貰わないと!」

「とってもいいですね。期待しています」

「うん、任せて!」


「う、うちも……牛乳と卵を、父さまに頼んで、た、たくさん作って貰います」

「是非お願いします。生クリームを作るにはたくさん牛乳が必要ですから」

「……はい♪」


「それと、スポンジケーキを作る小麦粉なのですが……」


 マリエットローズがクリスティーヌへ話しかけながら、一瞬、鋭い視線を自分へ向けてきたことに気付いて、セレスティーヌは思わず息を呑む。


「小麦粉ならなんでもいいわけではなくて、パンを作る強力粉や麺を作る中力粉の品種ではなく、お菓子作りに向いた薄力粉の品種が必要なんです」

「まあ、そうなのですか?」

「はい。、スパイスブームを止めて浮いた資金で薄力粉に向いた品種の栽培量を増やすよう、お父様に頼んでリチィレーン侯爵家へ通達を出して貰っていたのですが……数年経ってもほとんど増えていないようです」


 まさか今日のために何年も前から!?


 声に出さず、セレスティーヌは驚きの声を上げ、そう愕然とする。


 お菓子作りに向いた薄力粉など、使うのは貴族や大商人など身分と財力がある者達ばかりだ。

 需要はパンを作る強力粉より遥かに少なく、増やしたところで消費量がそうそう増えるわけがない。

 だから、ほんのわずかに小麦畑を広げただけでお茶を濁していたのだ。


 それを見抜かれている。

 そう悟る。


「このままでは、今後ショートケーキが広まったとき、薄力粉が足りなくて食べられなくなってしまいます」

「それは一大事ですわ! 帰ったらお父様に頼んで、すぐにでも薄力粉に向いた小麦の栽培を増やして戴かないと!」

「はい、とても重要なことですから。必ずお願いします」

「ええ、任せて下さい!」


 セレスティーヌは、ドッと冷や汗を掻いていた。

 クリスティーヌが元気よく返事をした瞬間、マリエットローズが笑ったからだ。


 それは、お友達がお願いを聞いてくれて嬉しい、などという子供らしい無邪気な笑みではない。

 計画通り。

 そう、ほくそ笑む、したたかな貴族のものだった。


 それは、ほんの一瞬の出来事だったが、セレスティーヌは見逃さなかった。


「なん……なの、あの子は?」


 思わず、掠れた声が漏れる。


 クリスティーヌに同じ真似が出来るだろうか?

 そう自問するまでもなく、出来ない、そう理解する。


 手塩にかけて育ててきた、礼儀作法も勉強もよく出来て、利発で誇り高い、最高の娘と豪語してきたクリスティーヌが、まるで太刀打ち出来ず、足下にも及ばない。


 それほどに、マリエットローズは格が違った。


「あ……あなたの入れ知恵なの?」


 辛うじて、それだけを搾り出し、マリアンローズを睨み付ける。


「あら、なんの話か分からないけど、わたしは何もしていないわ。精々、お菓子作りを手伝っただけ。全てはマリーが考え、していることよ」

「嘘よ! そんなはず……!」

「だってここは、マリーにとって社交を学ぶ場だもの。余計な口出しはしないわ」

「……っ!」


 長い付き合いからマリアンローズの言葉が事実だと悟る。

 それはつまり、娘の力の差を否応なく見せつけられたということだ。


 そんなセレスティーヌに、マリアンローズはいつも以上のドヤ顔を見せる。


「この程度、マリーなら造作もないわ。だってあの子は天才だもの」


 セレスティーヌは歯ぎしりする。


 これでは通達通り特産品を増産するしかない。

 しかも大至急に、かつ大規模にだ。

 でなければ、数年の出遅れを取り戻せず、中央へまで販路を拡大する機会を逸するだろう。


 さらに、ブルーローズ商会から荷馬車用の冷蔵庫と冷凍庫の購入と、冷蔵倉庫の建設依頼も必要だ。

 それには、距離を置くどころか、これまでにないくらい懇意になる必要がある。

 エセールーズ侯爵家に近づくなど、以ての外だ。


 いい大人の、侯爵夫人である自分が、たった七歳の子供に動かされる。

 それを異常と呼ばずして、なんと呼ぶ。


 これまでマリエットローズがお茶会を開かなかった理由が、ようやく理解出来た。

 こんな子供、そうそう表に出せるわけがない。


 そして表に出して来たからには……。


 ここまでのマリエットローズの言動を振り返って身震いする。


「天才なんて生ぬるい……まるで化け物だわ……」


 その震える声での呟きは、幸いにも、誰にも聞かれることはなかった。


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