163 閑話:エマ日記 あたしがお嬢様を楽しませて差し上げるのです

◆◆



 お嬢様のとても子供とは思えない発想力と、それに関わるときの行動力には、目を見張るものがあります。


 一体誰が、世界の西の果てと言われているゼンボルグ公爵領からさらに西へ、まだ見ぬ新大陸があるなどと考えたことがあるでしょうか。

 ましてやそこに至ろうなどと、夢物語だと笑い飛ばされてもおかしくありません。


 ですがお嬢様は、旦那様を説得してみせ、それを実行に移されました。


 加えて最近は、新しい流通網の開拓、その流通網を生かした食文化の開拓や外食産業の育成なども始められています。


 果たして、お嬢様の目にはどのような未来が映っているのか。

 これからもずっとお側で見ていたいと、そう願わずにはいられません。


 ですが今回は、どうやらその発想力と行動力が裏目に出てしまったようです。


 お嬢様が賢雅会の貴族達を怒らせて、恨みを買ってしまった。

 そのように旦那様と奥様から聞かされたときは、卒倒するかと思いました。


 問題がある方針を見過ごしながら、いざ問題が起きたときに何も出来ないでいると、ずっとご自分を責めていらっしゃいましたから……責任感が強すぎた結果と言えるでしょう。


 おかげで問題は早期解決の目処が立ったそうですが、かといって、お嬢様の命と身の安全に替えられるものではありません。

 旦那様と奥様にきつくお叱りを受けたのも、仕方がないことだと思います。


 お嬢様も自覚があり反省されていたようですから、お叱りを受けた時間はさほど長くはありませんでした。

 ですが、大泣きして旦那様と奥様にしがみついて謝られるお姿は、年相応の子供らしくて非常に愛らしく、自室に戻られてからのしょげた様子と慰めたあたしへの甘えっぷりは、それはそれはもう……!


 ……コホン。


 ともかく、雑事が精一杯の我が身が口惜しい限りですが、あたしなりのやり方でお嬢様を精一杯フォローしようと思います。



「う~ん……ブラシの回転数とカバーの振動数は頑張ればなんとかなるとして……やっぱり問題は肌を傷つけない適切な硬さのブラシとカバーの材質をどうするかよね……」


 その肝心のお嬢様は今、自室で机に向かい、様々に書き付けをしながら新しい魔道具の設計について頭を悩ませています。


 元から腹案をお持ちだったようで、それを公表することで賢雅会の貴族達をやりこめたと聞きました。

 ですが、大勢の貴族の前で口にしてしまった以上、絶対に完成させなくてはなりません。


 特に美容に関する物なのです。

 ご夫人、ご令嬢達が、並々ならぬ関心を抱いていることは間違いなく、これで完成できませんでしたとなれば、お嬢様がどれほど非難されることか。


 しかし完成させれば、大勢のご夫人、ご令嬢達の間で一層ゼンボルグ公爵家の価値が高まって、お嬢様の身の安全がより保証されることになります。

 お嬢様ご自身のためにも、是非とも完成させて戴きたいです。


 なので、お嬢様へのフォローに余念はありません。


「お嬢様、根を詰めても効率が悪いですし、お茶を淹れますので少し休憩されてはいかがですか?」

「そうね、そうしようかしら」


 お疲れになられたのか、集中力が途切れたところを見計らい声をかけます。


 温かなハーブティーに口を付けられると、少しは気分転換になったのか、ふぅと力を抜いてリラックスされました。


 まだ子供なのに、大人同然に働いているが故のこのお姿。

 頼もしくもあり、胸が痛むことでもあります。


 本来なら、存分に好きなことをして遊んでいていいお年頃です。

 それが、初めて王都に出てきたのに、まともに観光することも出来ず、今は賢雅会の貴族達から息を潜めるようにお屋敷に籠もっていないといけません。


 旦那様とエドモン様が本気で動いていらっしゃるのですから、魔石の問題は程なく解決し、遠からずお嬢様の身の安全は確保されることでしょう。

 その時こそ、お嬢様には存分に王都を楽しんで戴きたいものです。


 ですからそれまでは、お屋敷の中で出来ることで楽しんで戴くしかありません。


「お嬢様、実は旦那様にお勧め戴いたいい物があるのですが、ご覧になりませんか?」

「お父様お勧めのいい物?」

「はい。こちらです」


 それをお嬢様の前のテーブルに置きます。


「これは、チェス盤と駒? そっか、チェスがあるのね……」

「え? ええ、もちろんありますよ。貴族が嗜む遊戯の一つですから」

そっち娯楽品方面は全然考えていなかったけど……うん、あってもおかしくないわね」


 そっち方面がどっち方面なのかよく分かりませんが、何か疑問に思い、解決されたご様子。

 いずれにせよ、関心を示されたのなら良いことです。


「お嬢様はチェスをされたことがありませんでしたよね。気分転換に、一度嗜んでみてはいかがでしょう。僭越ながら、お相手はあたしが務めさせて戴きます」

「エマはチェスが出来るの?」

「……駒を動かす程度でしたら」


 いけません、失念していました。

 大商会とはいえ、ただの商家の娘のあたしがチェスなどしたことありません。

 つい、気持ちばかり先走ってしまいました。


「いいわ、駒の動かし方くらいなら私も分かるし、試しにやってみましょうか」


 失態です、お嬢様に気を遣わせてしまいました。

 これは、是非とも楽しんで戴いて、挽回しなくては。


 そうして、素人二人のチェスが始まります。


「ナイトをこっちで……チェックね」

「でしたらキングをこちらへ逃がします」

「ああ……また逃げられた。なかなか追い詰められないわね」


 意外だったのは、お嬢様が素人相応だったことでしょうか。


 実は、お嬢様ならすぐに上達されるかも知れないと内心身構えていたのですが、同じく素人のあたしと互角です。

 おかげで少し安心しました。

 あっという間にあたしが相手にならなくなってしまっては、お嬢様もすぐに飽きてしまわれるでしょうから、これは嬉しい誤算です。


 素人同士、自分が勝っているのか負けているのかも十分に把握出来ないながら、幾度も攻守を交代し……。


「これでチェックメイトです、お嬢様」

「うっ……逃げ場がないわ、私の負けね」


 接戦の末、あたしが勝利しました。


 忖度? 接待?

 お嬢様はそのような、いらぬ配慮を好まれませんので。

 常々、遊ぶときは手加減抜きの全力じゃないとお互いに楽しくない、とのお言葉を口にされていますから。


「初めてプレイしたけど、なかなか面白かったわね」


 ただ、お嬢様はそうおっしゃって笑いますが、チェスに強い関心を示されなかったご様子。

 長く屋敷に籠もる無聊ぶりょうを慰めるためでしたのに、これではこの一度の対局で終わってしまいそうです。


 お気に召さないのであれば仕方ありませんが、そうではないようですので、せめてもう一押ししてみましょう。


「お嬢様、アラベル様もお呼びして対局しませんか?」

「え? ええ、いいわよ?」


 アラベル様も貴族令嬢で騎士なのですから、チェスを嗜んでいらっしゃるはずです。


「チェス、ですか……駒の動きくらいなら」


 なんてことでしょう、お呼びしてみれば、アラベル様も素人だったとは。


 ですがまだです。

 まだ手はあります。


 せっかく素人三人集まったのだからと、総当たりを提案しました。


「あたしが二勝、アラベル様が一勝一敗、お嬢様が二敗ですね」


 結果は、こちらも予想外なことに、お嬢様が二敗でした。


 ですがこれは好都合です。

 敢えて戦績を紙に書き出して、お嬢様にお見せします。


「む……」


 勝敗を付けた三組の○と×。

 成績順に並べた、最下位にあるご自身のお名前。

 目に見える形で二敗の事実を突きつけられたからでしょう、お嬢様が初めて悔しそうな顔をされました。


「いいわ、もう一度よ、もう一度対局しましょう。次こそ勝つわ」


 読み通りです。

 お嬢様は、ことゲームに関しては負けず嫌いなところがあるようですので、こうすれば必ずムキになると思っていました。


 アラベル様に目配せすると、目で頷き返してくれます。


「さすがにまだ子供のお嬢様に負けるわけにはいきません。次もわたしが勝ちます」

「いいわアラベル、勝負よ!」



 こうしてお嬢様に、にわかにチェスブームが到来しました。

 チェスそのものにではありませんでしたが、戦績表に示された一進一退の戦績に、ドヤ顔をしたり、悔しそうにしたりと、楽しまれているご様子。

 たまたまですが、色々なお嬢様のお顔を見られて役得だったのは秘密です。


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