117 推進器の原理と採用理由

「さすが、としか言いようがありません。新しい時代が到来したその場に立ち会えるとは、なんたる僥倖」

「まったく、長生きはするものですな。航海の常識が変わると言っても過言ではない」


 フィゲーラ侯爵と海軍のお偉いさんも、前へと進み続ける小型船から目を離せず、声を震わせていた。


 船の上ではクロードさんを始めとする開発チームが、船尾の船縁から波が後方へ流れていく様子を眺めたり、はしゃいで叫んだり抱き合ったり、お祭り騒ぎになっている。

 それは、出力計測器の側に残っていた開発チームも、どっちの海兵さん達も同じだった。


 そのくらいインパクトのある結果なのよね。


 人の力でもない。

 動物の力でもない。

 自然の力でもない。


 魔道具と言う全く新しい力が、船の動力となった瞬間なんだもの。


 まさにブレイクスルー。

 それこそ七百年近くも先の技術が、魔道具のおかげで実現したんだから。


「バロー卿、無学で恥ずかしい限りだが、一体どのような仕組みの魔道具で、あのように帆を張らずとも船が動いているのでしょうか?」

「よく見れば、海面下で何かが起きている。それは分かるが、逆を言えばそれしか分からない。自分にも是非、ご教授戴きたい」


 フィゲーラ侯爵と海軍のお偉いさんのその言葉は、オーバン先生へ向けてだったけど、その実、私へ向けられていた。


 オーバン先生が目で確認してくるから、私も目で頷く。


「うむ、それでは解説致しましょう。あれなるは、マリエットローズ式推進器。その方式は、ウォータージェット推進器の原理を採用しております」

「ウォータージェッ……? それはどのような原理で?」

「その原理とは――」


 ウォータージェット推進器。

 その原理はすごく単純だ。

 船底と船尾に筒状の穴が空いていて、前方の船底から流れ込んでくる海水を魔道具で加速させて、船尾方向へ噴出させることで推進力を得る方式になっている。


 前世の現代では、ポンプで汲み上げて噴出する方式なんだけど、実はそれと比べるとスクリューを作る方が簡単らしいわ。

 もちろん、出典は晩酌で酔った父と兄ね。


 それを聞いていたから、最初は他の方式を本命に色々と試作してみたの。


 まず、現代の技術をそのまま再現する形で、スクリューね。

 ウインチの回転機構をそのまま利用して、船尾の海面下でスクリュープロペラを回転させる。

 それだけだから、すでに作っている魔道具の流用だし、取り付けも船体に大きな穴を空ける必要がないから簡単で、最有力候補だったわ。


 しかも、その方式の違いから、低速域三十ノット以下ではスクリューの方がウォータージェット推進器よりエネルギー効率がいいの。

 間違いなく低速域での航海がほとんどになるだろうから、選ぶならスクリューを採用すべきよね。


 でも、技術力の壁が立ちはだかってしまった。


 規格統一されたスクリュープロペラの安定生産が出来なかったのよ。

 工作機械がないから鍛冶仕事で完全に手作りになる。

 しかも鋳型に流し込むにしても、その型がね。


 プロペラの大きさ、描く曲線の角度、つまり形状そのもので性能が大きく左右されてしまうのに、羽の形状、厚み、重さ、羽を軸に溶接する位置や角度などなど、場所ごと一枚ごとにバラバラでは、安定した運用は厳しいでしょう?

 船が震動して振り回されたり、軸が折れたりするのが目に見えているわ。


 しかも、さすがに私も羽の最適な形状なんて知らないし。


 流体力学も船舶工学もまだちゃんとした学問として確立していない上、シミュレートするコンピュータもない。

 陰謀と破滅と断罪のタイムリミットがある以上、最適な形状を試行錯誤して作るには時間が足りなすぎる。


 これでは、スクリュープロペラが低速域でウォータージェット推進器よりエネルギー効率がいいと言う話も当てには出来ない。


 同じ理由で、外輪船のように両舷や船尾に水車のような外輪を複数付けるのも却下。

 外輪の性能が違えば、船が真っ直ぐ進むことすら難しくなってしまうわ。


 しかも、どうやって推進力を得ているか一発でバレて真似されてしまうし、的が大きいから大砲を撃ち込まれたら簡単に壊されてしまう。

 壊された外輪なんて、無駄に水の抵抗を増やすお荷物にしかならない。


 さらに同じ理由で、舳先へさきや船尾にプロペラを付ける案も却下。

 最適な形状は分からないし、一発でバレるし、簡単に壊されてしまうし、壊れたらお荷物になるし。


 似たような理由で、大型の送風機で帆に風を当てる案も却下。

 バレバレなのは当然、最大のネックは数が必要でコストが跳ね上がってしまうこと。


 試作の大型船でも帆の枚数は横帆と縦帆を合わせて十六枚。

 本番の大型船に至っては三十六枚にもなる。

 つまり、その数だけ送風機の魔道具が必要になるわけね。


 しかも縦帆に左右から別々の送風機で風を当てるなら、さらにそれぞれ七個と十個必要になる。

 予備も含めると、果たしていくつ用意しないといけないか。


 加えて、それぞれ魔石のエネルギーが切れたら交換しないといけない。

 数が多いからすごく手間よね。


 正直、これらの案なら船体に大きな改造をする必要がなかったわ。

 だけど、結局、船体に大きな改造が必要なウォータージェット推進器を採用したの。


 利点は、船が前に進むと勝手に穴に流れ込んでくる海水を少し加速させて流すだけだから、魔石のエネルギー消費が他の方式よりうんと少なくて済むこと。

 動いていない海水を無理矢理動かすより、船足と同じ速度で流れる海水を少し押し出してやる方が少ない力で済むのは考えるまでもないわ。

 高速になればなるほど、スクリューよりエネルギー効率が良くなる理由ね。


 逆にスクリューは、高速回転すると液体の流れの圧力差で泡が発生し、その泡が潰れて消える時に水流が乱れるキャビテーションと言う現象が起きてエネルギー効率が落ちてしまうから、効率が逆転するらしいの。

 本来、スクリューはゆっくり大きく回転させて使う物らしいから。

 だからスクリューでは出せない高速が出せるのが強みね。


 何より、海面下かつ船底で隠密性が高いからバレにくく、外観に何かを取り付けているわけじゃないから壊されにくい。


 さらに言えば、逆進がしやすい。

 特に咄嗟のブレーキとしても使えるのは大きいわ。


 スクリューは一旦回転をゼロにしてから逆回転させないといけないし、プロペラや送風機は横帆が逆から風を受けてしまう。

 特に送風機は逆進用まで設置するのは現実的じゃないわ。


 対して、ウォータージェット推進器は命令変更機構で逆流させるだけだから、即応性がとても高い。

 もちろん咄嗟に逆流させると魔石のエネルギー消費は大きくなってしまうけど、前進時の消費量が小さいから、そのくらい許容範囲よね。


 本当に、ネックなのは船体に大きな穴を空ける改造が必要なことだけだわ。


 ちなみに、現代のウォータージェット推進器の逆進は、海水を逆流させるのではなく、『コ』の字のカバーを降ろして被せることで、噴き出す水流を前方に向ける方式になっている。


 本当はそうしたかったんだけどね。


 大型船を何十ノットもの速度で前に進ませる水流の向きを逆に向けるには、カバーそのものやカバーを船体に固定する金具の強度が足りなくて、カバーが吹っ飛ばされてしまうと言う試算結果が出たので断念したわ。

 あと、カバーを被せる機構の問題で、水流に負けてカバーをちゃんと被せられない可能性が高い、と言う問題も。


 だから逆流させるしかなかった。


 以上の理由から、ウォータージェット推進器を採用したの。


「なんと、穴を通して海水を取り込み噴き出させるだけとは……!」

「そんな単純な方法……言われてみればなるほどと納得するものの、そのような発想が出てくることそれ自体が奇跡だ。まさに天才の所業と言わざるを得ない」


 オーバン先生の説明が終わった後、フィゲーラ侯爵と海軍のお偉いさんの手放しの賞賛がすごいわ。

 顔をオーバン先生へ向けるのも忘れて、完全に私を見ている。

 それも、驚愕に目を見開いて。


 ちょっと照れ臭いけど、お礼代わりににっこりと微笑んでおいた。

 この状況で私がお礼を言うのは変だからね。


 ……ただ、そこで頬を染められるとリアクションに困っちゃうわ。


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