112 親の心子知らず

◆◆◆



 昼食が終わり、魔道具開発のためマリエットローズがマリーの仕事部屋離れの屋敷へ向かった後。

 リシャールとマリアンローズは居間へと場所を移し、並んでソファーに座った。


 話題にするのは、先ほどの愛娘の発言だ。


「幼くして賢すぎるのも考え物だな」

「ええ、本当に」


 二人の溜息が重なる。


 家柄、権力、財力を背景にした、無能や思い上がり、傲慢や放蕩など、子供の素行や躾けで頭を悩ませる貴族が多い中で、実に贅沢な悩みであることは、二人とも十分に承知していた。

 しかし、まだ七歳になって間もない娘が『私を担ぎ上げたり、エルちゃんによからぬことを吹き込んで私達を仲違いさせたりするような馬鹿な貴族達を、あしらって遠ざける方法を教えて下さい』などと言い出すとは、全く予想だにしていなかった。


エルヴェを溺愛しているのはいいことよ。けれどそのために少し考えすぎの上、気を回しすぎているようで、心配だわ」

「ああ、そうだな。いずれ考えなくてはならない事ばかりだから、考え方自体は間違ってはいない。自衛のためにも、よく気付いて考えたと褒めるべきだろう」


 そう、間違ってはいないし、よく考えてもいるが……。


「しかし、そんなことを気にして立ち回るのは、もっと大人になってからで十分なんだが……」

「マリーも自覚があるのでしょうね。自分が普通の子供とは違う、とても高い知能と知識を持っていることを。そして、それを利用しようと、よからぬ考えを持つ者達を嫌でも引き寄せてしまうことも」

「だから、エルヴェの教育を急ぐ、か……」

「ええ……」


 二人は両親として、そして公爵、公爵夫人として、娘の危惧が痛いほど理解出来た。


『歴史に名を残す程の功績を挙げたマリエットローズ様こそ、エルヴェ様より当主に相応しいのではないか』

『マリエットローズ様が男であったなら、何も問題なかったのだが……』

『マリエットローズ様と比べると、エルヴェ様は凡庸と言わざるを得ない』


 裏でそう触れ回る者達が出ることを。

 それがエルヴェの耳に入って傷つけることを。

 そして何より、そのような者達に、姉弟で骨肉の争いに引きずり込まれることを。


「マリーのおかげで、力を失い、衰退していく一方だった我が領は、力を取り戻しつつある。本命の大型船が完成し交易が始まれば、目覚ましい経済効果を上げるだろう」

「まだ幼い娘に頼り切りなのは不甲斐ないですけどね……」

「まったくその通りだ」


 これまでは、これでゼンボルグ公爵家の将来は安泰だ、そう喜んでいれば良かった。

 ゼンボルグ公爵家の娘として、いずれ当主に立つ者として、幼いながらその責任を自覚し、豊かなゼンボルグ公爵領とそれを治める自身の将来を思い描き、夢と希望を持って、政務を手伝ってくれていると思っていた。


 しかし、エルヴェが生まれたことで、これまで見えていなかった、娘に関する看過できない一つの事実が浮き彫りになった。


「マリーはまるで我が領の発展のことだけを考えて、自分自身を後回しにしているようにしか見えない。自分の将来や望みのことでさえもだ」


 遊ぶことよりも仕事を。

 楽しいよりも義務を。

 夢よりも責任を。


 それは、豊かなゼンボルグ公爵領を思い描き夢と希望を持つどころか、対極にある、身も心も磨り減らす自らを犠牲にする行為だ。


「マリーに自覚はないようだが、それは幼い子供としては、あまりにも大人びていて、あまりにも不健全な考え方だろう」


 親として、自らの不明のせいで、可愛い娘をそうせざるを得ない状況に置いてしまっているのではないか。

 それに気付かず、これまで頼ってしまっていたのではないか。

 安泰だと思っていた明るい未来が、いつ割れるとも知れない薄氷の上に踏み出していたのではないか。


 今更ながら、そう考えずにはいられない。


 もしそうなら、親として、あまりにも不甲斐ないことだろう。


「あの幼さで、一体何故あれほどに生き急いでいるのか……」


 何が娘をそこまで駆り立てているのか。

 普段の生活を見ていても、話をしていても、まったく見えてこなかった。


 それは、乙女ゲーム『海と大地のオルレアーナ』の存在とシナリオを知らなければ、理解しようがないことである。

 しかし、知らないからこそ、マリエットローズの真意が読めず、娘を理解出来ていない自分達を責めてしまうのも仕方のないことだった。


「わたしも、それとなく何度も探りを入れたわ。けれど、はぐらかしてばかりよ」

「そうだな……マリーは上手く誤魔化せていると思っているようだが」

「わたし達には言いにくい、もしくは言えない、何か秘密や思いを抱えて隠している……そんな気がしてならないわ」

「それを打ち明けて貰えないのは、親として寂しく、情けない限りだ」

「ええ……」


 甘えてくる時は、心から慕って甘えてくれていることは分かっている。

 親として、家族として、愛してくれていると。


 しかし、秘密を打ち明けて貰えないことだけが、わだかまりを生む。

 それ以外は出来すぎなくらいよく出来た娘だけに、余計にだ。


「だが、それに気付いた以上、改めてマリーの幸せを考えて動かなくてはならない」

「ええ、今ならまだ間に合うはずよ。なんとしても、マリーの幸せを取り戻さないと」


 親として、決意を新たにする。

 愛する娘のために、不甲斐ない親のままではいられないのだ。


「それにしても、自分を後回しにしているせいか、それとも無頓着なせいか、自分のこととなるとマリーは途端に鈍くなるようだ」

「本当に。全く気付いている様子がないものね」


 一転して、二人して苦笑を漏らした。


 今の生き急ぐ娘を、隠しているらしいしがらみから解放して楽に、本来の子供らしく戻してやれる、一つの方法がある。


「縁談を進めた方がいいかも知れないな」


 他家に嫁がせるにはあまりにも惜しい才能で、大きな損失になる。

 だから、これまでは急いでいなかった。


 何しろ、マリエットローズが考案した『ゼンボルグ公爵領世界の中心計画』が軌道に乗れば、世界中から縁談の申し込みが殺到するだろう。

 それこそ選り取り見取りで、断るのが大変なくらいに。

 だから、その時になってからじっくり選んでも遅くない。


 そう思って、候補を考えはしても、具体的には動かず、時を待っていたのだ。


「そうね……出来ればずっと手元に置いておきたいわ。だけど、ゼンボルグ公爵家うちから出れば、あの子を駆り立てている何かから解放してあげられる、そんな気がするのよ」


 加えて、マリエットローズが警戒している、エルヴェを差し置いてマリエットローズを担ぎ出そうとする者達の動きを阻止できる。

 その心配だけでも取り除けるのは大きい。


「それをマリー自身が望むかどうかは、また別問題ではあるが……」

「マリーのためを思うなら、たとえマリーに恨まれてでも、親としてなんとかしてあげなくてはいけないわ。それに、今はまだ無理でも、きっといつかマリーも分かってくれるわよ。優しく、頭のいい子だもの」

「そうだな。結婚はまだ先としても、せめて婚約が決まれば、自分の幸せについて考える良い機会になるだろう」

「もちろん選ぶのは、マリーの幸せを考えてくれる、そしてマリーが幸せになれる、素敵な殿方に限りますけどね」


 リシャールもマリアンローズも、親として思いは同じで、頷き合った。


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