111 次期当主の問題

「――と言うことがあったのよ」

「それは……さすがにエルヴェには早すぎるだろう」


 その後の昼食で、お母様がお父様にさっきの私の話を聞かせる。


「姉として弟の面倒を見ることはとてもいいことだ。マリアが休める時間を作る気遣いも、娘として素晴らしいことだと思う」

「ええ、とても助かっているわ」

「しかし、まだ、ほどほどでいいんだからな? ほどほどで」

「は~い」


 結局、お父様にも呆れられてしまったわ。


「それと、胎教、だったか? お腹の中にいるときから、楽団の生演奏を聞かせたり、本を読み聞かせたり、話しかけたり、マリアに絵画を鑑賞させたりしていたな」


 前世では、普通にそういう話があったでしょう?

 従姉が熱心にやっていたのよ。


 どのくらい効果があるのか正直なところ知らないけど、夜泣きをしなくなる、情緒が安定した子に育つ、などがあって、家族の絆が強くなるのはもちろん、何より安産になると従姉から聞かされたの。

 こんな時代だもの、大事でしょう、安産。

 それに、領主としても、情緒が安定していることはとても大事だと思うし。


 だから熱心に頑張ったの。


「教育熱心なのはいいことだが、エルヴェに必要な教育は、ちゃんと私の方でタイミングを見て行う。だから、マリーは自分のしたいこと、すべきことに集中しなさい」

「は~い」


 エルヴェを立派な領主に育てることも、私がしたくてすべきことなんだけど。

 さすがに、前世や『とのアナ』のことは話せいないから、仕方ないわよね。


 それに、お父様は当主として、エルヴェの跡継ぎ教育に手を出すな、と言っているわけじゃない。

 父親として、娘の私のことを心配して、気遣ってくれているのよ。

 なんでもかんでも私が背負う必要はない、もっと子供らしく伸び伸びと自由に生きなさい、って。


 それが伝わってくるから、ちょっと申し訳なくなる。

 お父様とお母様を心配させるのは本意じゃないから、少し気を付けないと駄目ね。


「ところで……」


 お父様が珍しく咳払いして改まった。


「マリーはいいのかい、エルヴェが次期当主で」


 そう言って私を見るお父様の目は、とても真剣だ。

 お母様も食事の手を止めて、気遣わしげに私に目を向けた。


 それは多分、とてもデリケートな話題よね。


 だってこれまでは、ゼンボルグ公爵家には娘の私しかいなかった。

 それはつまり、私が他家へお嫁に行って、養子を迎えて当主を継がせることになるのか、私がお婿さんを貰って、女公爵として当主を継ぐことになるのか、いずれ私達は選択しないといけなかったわけだ。


 もしお嫁に出すだけなら、領主としての勉強は必要ない。

 でも、当主を継ぐなら、領主としての勉強は必要だ。


 だから、将来私がどちらを選んでもいいよう、お父様は私が当主になるのに必要な教育をしてきてくれた。

 もちろん、私が陰謀を阻止して破滅と断罪を回避するために、それらを急いで学びたかったと言うこともあるけど。


 その真意を隠してなんでもかんでも勉強している私の姿が、『お父様の跡を継いでゼンボルグ公爵家当主になって、この領地を治めるのが私の夢』だと、お父様とお母様にはそう見えていたのかも知れないわね。


 だけど、エルヴェが生まれて、嫡男だから必然的に次期当主に内定した。

 つまり私は、次期当主候補から、エルヴェに万が一のことがあったときのためのスペアに格下げになって、将来の『夢』を奪われた形になる。


 それを私が内心不満に思っている、傷ついている、そう思っているのかも知れない。


 七歳児と生まれたばかりの赤ん坊を比較して、今この段階でしなくてはならない話だとは思わないけど、私がちゃんと理解出来ると思ってくれているから、きっと将来を見据えて早めに切り出してくれたんだろう。

 本当に、優しくて温かい、素敵なお父様とお母様だと思うわ。


 だからこそ、私の答えは一つだ。


「エルヴェが当主になりたいなら、エルヴェがなればいいと思います。嫡男だし、その方がみんな納得すると思いますから。私も頑張ってエルヴェのフォローをします」


 真面目な話だから、エルちゃんじゃなくて、エルヴェと呼んだことで、私の本気は伝わったと思う。

 やっぱり封建制度で世襲制の社会だから、周囲や家臣達のこともあるからね。


 だから『これまでお勉強してきた私の努力は一体なんだったんですか!? 私がお姉ちゃんなんだから、私が当主になります!』なんてごねたりしないわ。

 そんなの、お家騒動まっしぐらじゃない。

 それで喜ぶのは奸臣かんしんと敵だけよ。


 そもそも、そんなことを言うつもりなら、最初からエルヴェをこんなに熱心に育てようとなんてしていないわよ。

 それこそ『ほどほど』で十分じゃない。


 それに、私の話はここで終わりじゃないわ。


「でも、もしエルヴェが当主になりたくないと言うなら、その時は私がなりますから安心して下さい」


 あっけらかんと答えた私に、お父様とお母様が困惑したような顔になる。

 あまりにもあっさりと答えすぎて、私の真意を掴めていないのかも知れないわね。


 だってそれもしょうがない。


 職業選択の自由。


 この世界ではあるはずのない概念だもの。


 可愛い可愛い、初めての弟のエルヴェには、絶対に幸せになって欲しいから、エルヴェの意思を尊重したい。

 エルヴェがやりたいことをして、就きたい職業に就けばいいと思う。


 元より、私の意識は目前に迫っている破滅を回避することでいっぱいで、そこから先の事を具体的に考えるだけの余裕がないのよね。


 それに、子供である自分に心が多々引っ張られることがあるとしても、本来私の中身は三十代半ばなんだから。

 年長者として、お父様とお母様の娘と言う幸せな二度目の人生を謳歌している者として、自分の夢より何より初めての人生を送る弟のエルヴェを優先させるのは、何も不思議なことではないでしょう。


 そしてそれとは矛盾しているようだけど、別に自分を犠牲にしようだなんて、そんなことを考えているわけじゃない。

 今世の私はまだ子供なんだから、時間だってたっぷりある。

 自分の将来を決めるにしても、まだ慌てるような時間じゃない。


「私の望みは、このゼンボルグ公爵領を豊かにして、みんなで楽しく笑って暮らせる明るい未来を作ることなんです。それに必要なら領主になりますし、領主にならないなら別の方法を探してそうします。その別の方法が具体的に何かまでは、まだ分からないですけど」


 だから正直なところ、私自身のことは、破滅を乗り越えてから改めてゆっくり考えたいわ。

 今はエルヴェのこともあるし、それからでも遅くはないはずよ。


「だから、どんな未来でも選べる選択肢を残しておくために、これからもこれまで通りお勉強を続けていきたいです」

「マリーは……それでいいのかい?」

「はい」


 私がしっかりと頷くと、それをどう受け止めたのか、少し複雑な顔になる。

 それはお母様もだ。


 あ……これはちょっと言葉が足りなかったかな?


 食事の途中ではしたないけど、椅子から降りて、お父様に駆け寄ってギュッと抱き付いて、次にお母様に駆け寄ってギュッと抱き付く。


「もちろん、領主になりたい気持ちもちゃんとありますよ? 尊敬するお父様とお母様の跡を継ぎたいって。でも、私の一番の目的はさっき言った通りです。だから当主になって領地を治めることは、手段であって目的じゃない、と言うだけです」

「そうか」


 お父様とお母様の複雑そうな顔がちょっとだけ緩んだ。

 ここまでやってきた娘に跡を継ぎたくないなんて言われたら、エルヴェのことは抜きにして、ショックはショックよね。


 なんだかんだ、愛着と言うか、郷土愛と言うか、この領地と領地のみんなのことは好きだから、領主になることはやぶさかじゃないの。

 前世で平凡な会社員だった私にしてみれば大胆すぎる考えで、自分でもビックリよ。

 だって、世が世なら、女王様になって一国を統治しようと言っているも同然なんだから。


「ところでお父様、一つ教えて欲しいことが」

「ああ、なんだいマリー?」

「明るく楽しい未来のため、私を担ぎ上げたり、エルちゃんによからぬことを吹き込んで私達を仲違いさせたりするような馬鹿な貴族達を、あしらって遠ざける方法を教えて下さい」

「――っ!? ゴホッ! ゴホッ!」


 あ、お父様がむせちゃった。


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