105 造船無双 前世と今世の帆船の変遷

「坊ちゃんの言う通り、オレらも聞いたことがねぇ。しかもお貴族様が作る船で縦帆だろう?」


 棟梁の戸惑うその言葉に、またしても全員の視線が私に集まった。

 棟梁も意味までは分かっていないみたいだから、ここからは私が解説する。


「単に船足を出すためだけじゃなく、二種類の帆を張る理由がちゃんとありますよ」


 帆船と言えば、多くの人が四角形の横帆と三角形や四角形の縦帆の両方を張っているイメージがあると思う。

 でもこの世界で、両方の帆を張っている帆船は、少なくとも私が知る限りはない。

 仮にあってもほとんど知られていない程、マイナーなんじゃないかしら。


 じゃあ前世ではどうだったかと言うと、大航海時代以前、キャラック船やキャラベル船が開発される前の中世ヨーロッパでも、やっぱり似たような感じだったみたい。


 横帆は、北ヨーロッパを中心に、ヴァイキングのロングシップや、都市同盟であるハンザ同盟のコグ船など、戦闘や交易のために追風で速度を出したい船に採用されていた。

 縦帆は、対して南、地中海のような複雑な風向きの比較的穏やかな海で、複雑な風向きに対応したい船に採用されていた。


 それが大航海時代になって、沿岸付近での交易と戦闘に加えて、外洋や河川を遡行しての探検と交易と言う目的が加わることで、探検に赴いた先から情報や戦利品を持ち帰るために、新たに横帆と縦帆の両方を採用した帆船が誕生していったの。


 なぜなら、横帆と縦帆では役割が違うから。

 横帆は追風を受けて速度を出すための帆で、風上へ船を進ませることは苦手。

 対して、縦帆は向かい風の中、風上へジグザグに船を進ませることが出来る。

 縦帆はヨットレースを想像して貰えば分かりやすいんじゃないかしら。


「つまり、新大陸を発見したらあちこち探検して回らないといけないのに、風上には向かえません、また往路は追風でスイスイ進めるけど、復路は向かい風のせいで本国に戻れませんでは、お話にならないでしょう?」


 結果、横帆と縦帆の両方を備えるに至ったのね。


 ただ、この世界では少しばかり事情が違う。


 まず、ブリテン諸島とスカンジナビア半島が存在しないから、強力なイギリス海軍は生まれないし、ヴァイキングもいないからハンザ同盟も生まれない。


 そして何より、地中海が存在しない。

 正しくは、アフリカ大陸に相当するアグリカ大陸の形状が、赤道より北側が存在しなくて、アフリカ大陸北部と地中海を合わせた海が大西海と呼ばれる大海原になっている。

 だから、地中海みたいに穏やかな海でもなければ、風向きが複雑になることもない。


 そのため、縦帆は一般的じゃなくて、横帆が主流で発展してきているの。

 縦帆を採用しているのは、ヨットのようなごく一部の小型船だけ。

 しかも漁場を回る漁船や、大型船を持てず獲物を追い回す小規模の海賊船が主流。


 だから、大店おおだなの商人や貴族には、縦帆は小型船のための物、貧しい平民や海賊が使う物、なんて馬鹿にして使わない人達が大勢いるみたいなの。

 結果、交易は横帆のみの帆船で、と言うのが一般的な認識になっている。


「縦帆を使わないことが貴族の誇りとか、わけが分からないです。馬鹿げています。ましてや、現実的な問題の前では、無駄で無意味なこだわりです。片方だけでは対処出来ない問題があると分かっているんですから、使えばいいじゃないですか。だから先んじて二種類の帆を採用しておくんです」


 一足お先にブレイクスルーと言うわけね。


「わけが分からない、馬鹿げた、無駄で無意味なこだわり、か……」


 お父様が苦笑して、シャット伯爵も弱ったように乾いた笑いを漏らす。


「でも、だからこそ、そこに付け入る隙があります」


 ちょっぴり悪い顔で、自信たっぷりの笑みを浮かべる。


「もし他領や他国が縦帆を使うなんてと私達を馬鹿にして、横帆にこだわってコグ船の改修や大型化で対抗してくれれば、むしろ願ったりです」


 それはつまり、キャラベル船やキャラック船の開発が遅れると言うこと。


「わざわざ大金を注ぎ込んで、貴重な資金と時間を浪費してくれるんですよ? 是非そうなって欲しいですね。だって、最後に笑うのは私達ですから」


 力強く言い切った私に、ジョルジュ君は驚きに目を見開いて、棟梁は驚きすぎたのか、あんぐりと大きな口を開けていた。


「最後に笑うのは私達か……確かに、いずれマリーに先見の明があったと、世界中が知ることになるだろう」

「……船の目的を考えれば、そのようなこだわりや雑音を気にする必要もありませんな。逆に、ほれ見たことかと、馬鹿にしてきた連中を笑えそうだ」


 良かった、お父様達まで縦帆を使うなんてと言い出さなくて。


「しかしまさか、横帆のみならず縦帆まで使うことに、そのような意味があったとは……マリエットローズ様、もしや船首楼と船尾楼がないのも、何かそのような意図が?」

「その通りです」


 シャット伯爵は多分それがずっと疑問だったのね。

 上甲板を見て回っている最中、やたらと船首と船尾を気にしていたから。


「シャット伯爵は、船首楼と船尾楼の役目をご存じですか?」

「戦闘用ですな。先日乗って戴いたうちの船には作っていませんでしたが、武装商船にはありますからな」

「そうです、主な目的は戦闘用です」


 帆船のイメージの一つに、船尾が上向きに反って船長室などの豪華な部屋になっていて、その上が甲板になっている物があると思う。

 それが船尾楼ね。


 そして、こっちはあまりイメージにないかも知れないけど、船首も同様に部屋や櫓で高くなっている。

 それが船首楼ね。


 十五世紀頃、全長四十から六十メートルくらいある大型で戦闘用のガレオン船が開発され、十六世紀頃、大砲の性能が上がってくると、十七世紀頃、バンバン大砲を撃ち合い船を撃沈するための戦列艦が登場する。

 だけどそれ以前は、大砲の性能が低くて撃沈なんて狙えないから、接舷して相手の船に乗り込んで斬り合う白兵戦が主流だったの。


 このとき船首楼と船尾楼があれば、敵は船首や船尾から乗り込めなくなる。

 これは防衛上、意味が大きいと思うわ。


 さらに船首楼には、正面からの攻撃に対する守りと、敵船に飛び移る足場の意味と、大きな波を防ぐ効果もあった。

 だから武装商船は、海賊や私掠船対策に大砲、船首楼、船尾楼を備えていたの。


 ちなみに、単純に部屋数が増やせると言う意味もあったみたい。


「では何故この船には作らないのか。それは船の運用目的が違うからです」

「船の運用目的が違う、ですか?」

「私達が作る船の目的は、交易と探検です。自衛手段として最低限の武装はしますが、だからって戦闘をする必要はありません」

「で、でも、相手から襲ってきたら?」


 武装が最低限と聞いて、ジョルジュ君が不安そうな顔をする。

 つまりそれだけ、海賊や私掠船の被害があると言うことよね。


「そんなの、逃げちゃえばいいんです」

「逃げちゃえば……」

「だって船足が三倍も速いんですよ? 追い付かれたり囲まれたりする前に逃げれば問題なしです」

「あ……!」


 やっと気付いてくれたみたいね。

 しかも、魔道具の推進器を使えばさらに速く、あっという間に置き去りよ。


「元より船員が少なく戦闘は不利ですし、機密オーパーツ満載の船を奪われるわけにもいきません。だったら戦うより、ノロノロ追ってくる敵を尻目に『どうだ追いつけないだろう、ざまあみろ』って無視して、さっさと逃げちゃえばいいんです」

「あはは! それもそうですね」


 ジョルジュ君だけじゃなく、シャット伯爵もお父様も納得してくれたみたいね。


「しかも、船首楼や船尾楼があると船が重く、風の抵抗が大きくなって船足が遅くなる上、重心が高くなって転覆しやすくなるので、むしろ邪魔なんです」


 船首楼も船尾楼も、時代が下ると競うように高くなっていったけど、それらの理由から、今度は逆に低くなっていったそうよ。

 ましてや速度が命の快速帆船クリッパーには無用の長物ね。


 もし戦闘用の船を作るとしたら、その時は今の白兵戦主体の戦術を考慮して、ちゃんと視野に入れるつもりよ。


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