97 ジエンド商会輸送部門の新事業 2

 シャルラー伯爵家の屋敷は領都の中にはなく、領都よりさらに山を登った先の、広大な牧草地帯の只中ただなかにあった。


 この領地に見られるのは山と森と湖と牧草地ばかりで、戦略的な価値はなく、ゼンボルグ王国時代、オルレアーナ王国に攻め入られた時にも戦場にはならず、そのためか牧歌的な気質の者が多い。

 故に、領主の屋敷が防壁に守られた領都の中になくとも問題はなく、また領主自らが畜産業に精を出すことで領民達の規範となっていた。


 そのような立地から土地が十分過ぎる程余っており、シャルラー伯爵家の屋敷の敷地の側には、牛舎やチーズ工房など酪農に関係する建物が数多く建っていた。

 シャルラー伯爵家の本家が主に乳製品を扱う酪農に、分家が食肉用の品種で畜産に力を入れて、一族で分業体制を整えているのである。


 そんな屋敷の、商人向けの中で最も上等な応接室で、アベルとマチアスは、警戒心も顕わに身構えているシャルラー伯爵夫妻と商談に臨んだ。


「つまり、新しい魔道具の紹介と、特産品の売買についての話なんだな?」

「その通りです伯爵閣下。我々は今、この領地のみならず、ゼンボルグ公爵領の各地へと派遣され、同様の商談を進めています。この事業は、各領地の特産品の現段階での販売状況には依りません。それぞれの品の魅力を広めるため、事業を提案させて戴いているだけなのです」

「なんだそういう話だったのか……」

「ああ、良かったわ……」


 アベルの懇切丁寧な説明に、シャルラー伯爵と伯爵夫人が警戒を解いて、安堵に大きく息を吐き出した。


 シャルラー伯爵はまだ三十手前の、熊のように大柄でその体躯に見合った声の大きな男だ。

 一見すれば、荒くれ者のようにも見える。


 しかし粗暴なところはなく、むしろ朴訥で善良だった。

 もっと言うならば、見た目に反して小心者だった。


 伯爵夫人も年の頃は同じで、ややふっくらとした体付きと、おっとりとした容姿で、中身は似た者夫婦と言える。


 そんな性格のためか、残念ながら二人に商才はなかった。


 何しろ、シャルラー伯爵はただ家畜を増やしただけなのだ。

 特産品を売るための積極的な政策を打ち出してもいなければ、他領へ売り込んでもいない。

 それでは、増産が売り上げに直結するわけがなかった。


 街道整備の効果もあり商人の往来が増えはしたが、それは本当にわずかで、販売数と税収の増加は微増に留まっている。

 インフラに投資した分、むしろ大赤字だった。


 それらの状況は、毎年ゼンボルグ公爵家へと報告書で提出されている。

 そのため、ゼンボルグ公爵家のジエンド商会とブルーローズ商会が揃ってこんな田舎領地にまでやってきたのは、その件についてリシャールからの叱責を伝えるためではないかと、内心冷や汗を掻いていたのだ。


 しかしそうではないと分かり、強ばっていた頬を緩ませる。


「我々が提案するのは、欲したその時々に応じて貴族が個人で取り寄せるのではなく、それら特産品を使った料理店をまずは領都ゼンバールに、そしてその後各地に作り、各地の特産品の知名度を上げ、恒常的な需要を生み出すことで、新たな供給網を作り上げることなのです」

「難しいことはよく分からないが、とにかく、シャルラー伯爵領うちのバターやチーズを買って料理に使ってくれるんだな?」

「はい。バターやチーズだけでなく、牛乳や牛肉、羊肉、鶏卵などもです」

「……は?」


 アベルの説明に、シャルラー伯爵が間の抜けた顔をする。


 それも仕方ないだろう。


 人の数より牛や羊の数の方が多い田舎領地暮らしとはいえ、シャルラー伯爵も貴族の端くれだ。

 ブルーローズ商会が売り出した数々の魔道具については知っているし、最初に売りに出されたランプ、そしてご夫人、ご令嬢の間で話題沸騰のドライヤーも、妻と娘にせがまれて無理して買っている。

 当然、冷蔵庫についても知っており、それがあれば牛乳や肉類が少しは長く保存できるだろうとは考えていた。


 しかし シャルラー伯爵領から領都ゼンバールまで、荷馬車で一週間は優に掛かる程離れている。


「うちやそっちの店で保管するのはいい。しかし道中はどうするつもりだ? バターやチーズならまだしも、肉類は痛み、牛乳は腐って飲めなくなるぞ」

「そのご懸念は当然でしょう。ですがご安心を」


 アベルがマチアスへと目を向けた。

 マチアスが目で頷いて、話を引き継ぐ。


「もちろん、輸送にも抜かりはありません。今回私はその輸送のための魔道具をご紹介に上がったのです」

「輸送のための魔道具……?」

「長々と言葉で説明するより、見て戴いた方が早いでしょう」


 マチアスが促して、アベルと共にシャルラー伯爵夫妻を案内し屋敷の外へ。

 玄関前の馬車留まりに止めたまま置かれていた荷馬車へと戻る。


 セドリックを始めとした両商会の部下達は、シャルラー伯爵夫妻に一礼して場所を空けた。


「これが、なのか?」

「とても大きな木箱……ですね?」


 シャルラー伯爵夫妻の戸惑いに、マチアスが目線で指示を出すと、部下がまず冷蔵庫の扉を開いた。

 現代日本のトラックのように後部にある両開きの扉が開かれると、冬のような冷気が外へと漏れ出す。


「なんだと!?」


 冷蔵庫の中を見て、周囲の誰もが両耳を塞ぎたくなる大音声で、シャルラー伯爵が驚愕の声を上げる。

 ちゃっかり耳を塞いでいたのは、普段からの慣れなのか、伯爵夫人、そして同行した侍女だけだ。


 それでもマチアスは残る耳鳴りを無視して何事もなかったように冷蔵庫の中へと乗り込むと、中身を一つ一つ、シャルラー伯爵夫妻に産地を説明しながら見せた。


「いかがでしょう? この荷馬車用の冷蔵庫があれば、遠方からの新鮮な野菜などを腐らせることなくシャルラー伯爵領こちらに輸入出来ますし、また輸出も出来ます」


 さらにマチアスは、冷凍庫でも同じように中身を見せて説明した。


「シャット伯爵領など、ゼンボルグ公爵領のほぼ反対側ではないか! そんな領地で獲れた魚や貝を氷漬けにしてここまで運んでくるとは!」


 保冷箱は元より、冷蔵庫も冷凍庫も、設置して使用すると言う発想しかなかったシャルラー伯爵は、驚く以外のリアクションを取ることが出来なかった。

 それは、荷馬車用の冷蔵庫、冷凍庫について説明されたときの、マチアスも、そしてアベルもセドリックも同様だったが。


「いかがですかな、伯爵閣下。これらの魔道具があれば、シャルラー伯爵領産の肉類や鶏卵の輸出は元より、こちらではそうそう手に入れられない野菜や海の幸を、このように簡単に手に入れられるようになるのです」


 ただ特産品を輸出するだけでなく、輸入する方へも意識を向けるように、マチアスは微笑む。


「これらの品は、お近づきの印にお納めください」


 そのマチアスの台詞を合図に、セドリックが進み出る。


「こちら、お納め戴く品の目録と、各地での一般的な調理方法です。是非、参考にして下さい」


 セドリックが差し出した目録とレシピを、控えていた侍女が受け取る。

 そのレシピを伯爵夫人が物珍しそうに、そして期待した顔で覗き込んでいた。


 手応えあり。

 それを確信して、セドリックとアベルは視線で頷き合った。



 その日の夜は、シャルラー伯爵領産の牛肉、羊肉だけでなく、納められた野菜と魚介類も使った料理での宴会となり、アベル達は屋敷に一泊することに。


 そして翌日。

 改めて持たれた商談の場で、ジエンド商会、ブルーローズ商会、共に売買契約を無事結ぶことが出来たのだった。


「父さん、僕、こんなにも胸躍る契約は初めてだよ!」

「ああ、私もだ。だが、これで終わりじゃないぞ。祝杯は、一つでも多くの領地でこの契約を結び、供給網が確立してからだ」

「うん、そうだね。次もこの調子で頑張ろう!」


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